第166話 木の葉丼とトマトジュースのノンアルコールカクテル
一度自宅に戻って昼飯の準備をする。
今日は1人分だから簡単な丼ぶり飯だ。
俺は熱々のご飯、細ネギ、カマボコ、卵、みりん、砂糖、塩、醤油、顆粒だしの素、サラダ油を用意した。
カマボコは1/4を縦に半分に切り、1センチ幅に切る。細ネギ2本は斜めに薄切りにする。あおい部分も全部使う。
ボウルに卵1個を割り入れて、箸で縦に切るように混ぜておく。フライパン(別に鍋でもいい)に水75ミリリットルを入れて中火で熱し、みりん大さじ1/2、砂糖大さじ1/2、塩少々、醤油大さじ1/2、顆粒だしの素少々を入れ、煮立ったらカマボコ、細ネギを加えてひと煮立ちさせる。
卵を回し入れてフライパンに蓋をし、半熟になるまで1分程加熱する。器に盛った熱々のご飯にかけて、木の葉丼の完成だ。
材料は1人前だ。
あとは玉ねぎとジャガイモと油揚げの味噌汁と、常備菜で昼飯にする。
東京じゃあまり食べられないが、関西では定番の料理らしい。
少し暑かったので、トマトジュースのノンアルコールカクテルも作ることにする。
グラスに氷をたっぷり。トマトジュース(野菜ジュースでもいい)と、強炭酸(普通のでもいい)の炭酸水を1:1(お好みで)。そこにレモンの搾り汁(市販のやつでいい)を少々。無塩のトマトジュースなら塩をひとつまみ加えて、グルグルとかき混ぜたら、トマトジュースのノンアルコールカクテルの完成だ。
腹も膨れるし汗をかいた時にいい。
カマボコって経済的なんだが、実際あんまり主食に使う人は少ないよな。なんにでも合うから、チーズを挟んでもいいし、炒め野菜に合わせてあんをかけても美味しいし、ひき肉を乗せてもいいし、なんなら木の葉丼の材料に、鶏ひき肉と片栗粉と酒を加えれば、カマボコのつくねが作れるしな。
高タンパク低脂肪で、ビタミンB12や鉄分もカルシウムも取れる。
ダイエット食材としてもいいのに、日本人が不思議とあんまり食べないよな。
午後からはハンバーグ工房や、移動販売の面接の予定だ。給料が高いことと、安くて美味い社員食堂を併設し、家具付きで安く住める住宅と、子どもを預かってくれる保育所が敷地内にあり、子ども用と老人用に別れた公園を持ち、この国唯一の年金制度を持つ男爵の領地の商会──つまり俺の──ということもあり、いつもかなりの人数の応募がある。
今日はチャンサンという新しい町だ。
だが今日来た人は少し変わった人だった。
「……どちらが応募予定の方ですか?」
ニコニコと微笑む祖母らしき女性と、彼女の腕を支えている若いポニーテールの女性。
うちはシングルファーザーとシングルマザーを歓迎していることもあり、子連れは珍しくもないが、孫連れは初めてだな。
「こちらは、障がいを持っている人も働けると聞いて、祖母を連れて来ました。」
「なるほど?おばあさまは、何らかの障がいをお持ちでいらっしゃると?」
前世の記憶から、障がい者雇用も積極的に考えている俺なので、当然障がい者の面接を行っている。手足やその一部がなくても普通に働けるし、精神や知能のほうであっても、仕事内容や働き方次第で働けるのは、前世で人事部所属だった際に、障がい者雇用を担当していて、じゅうぶん認識しているからな。
「ちなみにどのような状態ですか?それと、あなたとおばあさまのお名前は?」
体は頑健そうだし知能か精神のほうかな。
付き添いがいるということは、本人に説明出来ない可能性が高いだろう。
「失礼しました、私はビビアーナ・プロントで、祖母はザビーネ・プロントです。
人の名前や、ご飯を食べたことを忘れてしまったり、今まで出来ていたことが出来なくなりました。ご飯を食べてもこぼしてしまってきちんと食べられないことが多いです。」
「それは障がいではなく、認知症というものですね。単なる加齢によるものです。年齢を重ねれば誰でもなる可能性のあるもので、働けるような状況ではありませんよ。」
「では、応募は難しいと?」
「あなたのおばあさまは、こうなるくらい長い年月を、おそらく働いてこられたことでしょう。そろそろお休みさせてあげてはいかがですか?家族の支えが必要な状態です。」
「働けば、少しは思い出せるのではと思ったんです。祖母はずっと歌手をしていました。
ステージにいる時はいつも元気でした。
ですが引退を決めてからというもの、急に何かが抜けてしまったかのように、こんな風になるようになってしまって……。
私のこともわからないんです。
ステージにはもう立てませんから、なんとか他の仕事をさせてあげたくて……。」
ビビアーナさんはうなだれながら言った。
「おばあさまの為だったのですね。ですが、障がいと違い、認知症は緩やかに脳が死に近付いていってる状態です。体が元気だから、一見そうと感じられないだけで、心臓や、他の臓器がやられているのと変わりません。
心臓や、他の臓器がやられていたら、仕事なんて出来ませんよね?どうか残りの時間を楽しく過ごせるよう、そばにいて差し上げて下さい。それが1番良いことです。」
「……。」
何かを言いたげにうなだれたまま、立ち上がろうとしないビビアーナさん。
「まだ、なにか?」
「かなり、祖母の状態についてお詳しいみたいですが、なんとか一度だけでも、祖母と祖父が話せるように出来ませんでしょうか?」
「おじいさまと、会話を?」
「祖母は祖父を忘れてしまって……。
祖父は先日仕事で事故にあったのですが、なんとか一命を取り留めて帰ってきたのに、祖母はお帰りなさいも言わなかったんです。
祖父もすっかり落ち込んでしまって……。
それで一縷の望みをかけてここに。」
「働かせれば記憶がもとに戻るんじゃないかと、いうことですね?」
「はい。」
「そうは言っても、うちも認知症の方を働かせるのは難しいです。障がい者の方が働けるのは、ある程度の元気さがあるからです。
同じ障がいを持つ方たちでも、人の助けがないと食事や呼吸も出来ない人は、当然働けませんからね。ただ……。」
「ただ?」
「一瞬だけ記憶を取り戻させることなら、出来るかも知れません。もちろん望んだ記憶が引き出せるかはわかりませんし、そもそも取り戻せないかも知れません。認知症は、記憶の引き出しがうまく動かない状態なので。
それでも試してみたければ、ひとつアイデアをお貸しすることは可能ですよ。」
「それはいったい、どんなことですか!?
私に出来ることであれば、どんなことをしてでも、祖父と祖母をもう一度、話させてあげたいんです!」
ビビアーナさんは食い気味にそう言った。
俺がしたアドバイスは、以前ザビーネさんが立っていたステージで、もう一度歌ってもらうということだ。ビビアーナさんは懐疑的になりながらも、演舞場のオーナーに、ザビーネさんを立たせてくれるよう頼んでみたところ、お客の入る時間は無理だが、それ以外の時間に立たせてくれることになった。
観客はザビーネさんのご主人ただ1人。
ビビアーナさんが、付き添い兼、共演者という形だ。ビビアーナさんも今、売り出し中の歌手ということだった。
まずはビビアーナさんがステージで歌う。
ザビーネさんのご主人が歌い終えたビビアーナさんに、満面の笑顔で拍手をおくった。
次はザビーネさんの番だったが、ザビーネさんはただニコニコするばかりで、いっこうにステージに立とうとはしなかった。
演舞場のオーナーが、ステージに2つ椅子を運んで来てくれて、そこに座るよう、ビビアーナさんにうながした。ビビアーナさんがザビーネさんを誘導して椅子に腰掛ける。
「歌ってくれませんか?あなた以上にこの歌を美しく歌える人はいないから。」
自分のことを覚えていない祖母に、まるで司会者が出演者に話しかけるかのように、笑顔でそう言うビビアーナさん。その意味がわかっているのかいないのか、ザビーネさんはただ優しく微笑んで、ピアニストが奏でる演奏と共に椅子から立ち上がった。
それを客席で、心配そうに見守るご主人。
「……つまりは、手を握って欲しい。
つまりね、キスして欲しいの。」
音楽が鳴り始めた途端、ザビーネさんの顔付きが変わり、曲に乗せて歌い始めた。
「あなたは私が待ち焦がれた人。
尊敬と愛情と信頼しかないの。
どうか、ありのままのあなたでいて。
つまりね、あなただけ、あなただけなの。
私はあなたを愛してる。
つまりね、あなたからも言ってほしいの。
私はあなたを愛してる。」
ザビーネさんの見つめる先には、彼女のご主人がいて、かつてのステージ上の彼女を思い出すかのように、いや、今もなお現役の彼女を愛おしむかのように、ご主人は涙を流して微笑んでいた。
認知症の人は、昔の記憶ほど覚えている。
昔に何度もやったこと。
昔に何度も食べたもの。
それらは記憶から取り出しやすいのか、思い出すきっかけになることも多い。
ただし一時的な効果にはなるが。
そして昔やったことのひとつに、“歌”というのは、強く記憶に残っていることも多いものなんだ。──特に仕事で毎日歌っていたような人なんかはな。
実際、海外の認知症をわずらっていた歌手の人で、殆どのことは忘れているのに、ステージの上に立たせてマイクを握らせ、音楽を鳴らすと、昔とまったく同じように歌えた、なんていうケースも存在するんだ。
俺はそれをザビーネさんに試してみるつもりで、実際うまくいったというわけだ。
記憶を取り戻すきっかけになっても、脳は緩やかに死んでいっている状態だから、またすぐ元に戻ってしまうだろうし、脳がそうなっているということは、体も弱っているということだ。認知症をわずらった俺の親戚は、それから程なくして死んでしまった。一度も心臓が悪いなんて言われたことがないのに、寝ている間に心臓発作で。だからザビーネさんもいつまでお元気かはわからない。
だけどこうして歌っている限りは、時折ご主人のことを思い出してくれることだろう。
ステージに花束を差し入れに行ったご主人を、ザビーネさんは笑顔で抱きしめていた。
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最近ずっとこの作品の更新頻度が下がっておりましたが、ついに皆さんにもその原因をお話しようと思います。
コミカライズを予定しており、それに向けてすすめておりましたが、編集者と合わず、ストレスが酷いです。
別作品も他社さまにて書籍化を予定しているのですが、そちらはとにかくスムーズで、なんのストレスもなく、なんならスケジュールが大幅に巻きで進行している程なのですが。
出版社や編集者とのトラブルで、絶筆したり連載をやめる作家さんの気持ちが初めてわかりました。
作品と向き合う気持ちもわきあがらず、まったく書き進められず、とにかく義務感のみで新作もコミカライズにもあたっている状態で、なにひとつ楽しくありません。
キャラクターは可愛くデザインしていただきましたし、皆様にお見せする日が楽しみでしたが、今はその気持ちがなく、先日出版社にもその旨をお伝えしました。
3回目に同じようなことがあった場合は、担当者を変更するか、コミカライズ自体中止したいと。
既に2回、自分を本気で怒らせた編集さんなので、3回目もすぐなような気もします。
返事が来ているようですが、ストレスで2日眠れなくなったばかりで、胸糞悪過ぎてまだ読んですらいません。
この作品に向き合うモチベーションを殺されるくらいなら、コミカライズは中止しようと思っています。
せっかく嬉しいご報告を差し上げたばかりなのに、このようなご報告になり大変申し訳ありません。
このまま問題なくコミカライズまですすむのか、やはり中止になるのかは、編集さんの出方次第ですが、ひとまずご報告まで。
少しでも面白いと思ったら、エピソードごとのイイネ、または応援するを押していただけたら幸いです。
ランキングには反映しませんが、作者のモチベーションが上がります。
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