第97話 精霊と妖精の握手

 俺たちは慎重に森の奥へと足を進めた。木がよく育つということだけあって、木漏れ日の入り込む明るくて気持ちのいい森だった。

 日頃は村の人々の憩いの場にもなっていることだろう。だけど今はシン……として冷ややかで人っ子一人いない。普段木を切り出す人たちも全員逃げているのだから当然だが。


「妖精たちは木の上にいることが多いから、枝の上や葉先をよく目を凝らして見てくれ。とても小さいから見落とすかも知れん。」

 とアンデオールさんが教えてくれたので、ひとつひとつ木の上を見ながらゆっくりと進んで行く。カイアは少し怖がっていたので、俺が抱きかかえながら一緒に歩いた。


 アエラキは空中に浮かんで周囲を見渡しながら、一緒に警戒しようとしてくれた。

「降りておいで。アエラキも危ないから、俺とカイアと一緒にいような?」

 そう言ったのだが、アエラキは手の届かない高さに浮かび上がったまま、降りて来ようとはしなかった。仕方がないのでアエラキに注意をしながらそのまま進み歩く。


「いませんね……。」

「そうだな……。」

 だがしっかり見ていた筈なのに、突然アエラキがピューイ!とけたたましく鳴き声を上げて、俺たちがその声に驚いて後ろを振り返ると、今まさに通り過ぎた木の枝の上に、小さな黒い揺らめくモヤが見えたのだった。


「いた!あれだ!」

「──フォスクルヴィ!!」

 木の上を指さして叫ぶアンデオールさんの言葉に、俺は魔法陣から光の檻を放った。

 だが、

「あっ!逃げたぞ!」

 素早く動く妖精の子どもは、かなり大きめの光の檻から、とらえられる直前で木の枝から飛び退いて逃げ出した。


 そして枝から枝へと素早く飛び移り、まるで黒い直線の影が線を引くように空中を移動する。とても人間の目では追いきれない。

 それが突如として角度を変えて、弾丸のようなスピードでこちらに飛んできた。俺はとっさに反応しきれず、ただカイアを抱いてかばうように背を向けるのが精一杯だった。


「チチィッ!!」

 ──バシィッ!!と音がして、何かに弾かれた妖精の子どもが、そのまま地面に激突して起き上がり威嚇をしてくる。

 見ると空中に浮いたアエラキが、防御魔法を俺たちの前に展開してくれていた。

「助かったよ、アエラキ。」


 俺はすぐに別の魔法陣を妖精の子どもに向ける。小さすぎる上に素早過ぎて、とてもライフルでは狙いにくいからだ。今までの魔物もアエラキのお父さんも、どれだけ動きが素早くとも、体が大きいからこそ正直狙いやすかったが、ここまで小さいとこうも手こずるとは。おまけにこのスピードは予想以上だ。


兎にも角にもひとまずとらえなくては。とても遠くから瘴気をはらうどころじゃない。このままでは俺たちの身が危ない。

「シュッランバノー!!」

 捕縛の光が妖精の子どもめがけて飛んで行く。だがそれを素早くかわすと、今度は、

「──アンデオールさん!!」


 方向を変えて防御魔法の脇をすり抜け、妖精の子どもは無防備なアンデオールさんを狙った。──バシィ!!再び物凄い音がしたかと思うと、妖精の子どもが勢いよく地面に叩き付けられた。アエラキは俺たちの前にだけ防御魔法を展開していて、アンデオールさんを守ってはいなかった。後ろを振り返ると、

「──チチィ!!」


「お、お前たち……、俺を助けに来てくれたのか。──というか、まさか……、納屋の扉をぶち破って来たのか?」

 アンデオールさんの前に立ちはだかるように、集まった妖精たちが巨大な防御魔法を展開している。妖精たちに助けに来て貰えた喜びと、おそらくは悲惨なことになっているであろう我が家に対する想像で、アンデオールさんは複雑な表情を浮かべていた。


「──いまだ!フォスクルヴィ!!」

 巨大な防御魔法の反動は凄まじかったのだろう、妖精の子どもはヨロヨロと起き上がりながらもすぐには動けなかった。俺は新しい魔法陣を取り出して、光の檻の魔法を妖精の子どもめがけて放った。今度は光の檻が妖精の子どもを内側にとらえる。外から攻撃が可能だが、内側からは攻撃不可能な光の檻だ。


「さあ、もうだいじょうぶだ。カイア、あの子の瘴気を払えるか、試してみてくれるか?

 光の檻に閉じ込められているからしばらくは安全だが、怖かったらあまり近付かなくてもいいぞ。ここから試してみてくれ。」

「ピョル!!」

 俺にそう言われたカイアが、俺の腕に抱かれたまま、妖精の子どもに両枝をのばした。


 サアアアアッと風が吹いて吹き飛ばすかのように、妖精の子どもの周囲を包んでいた瘴気が、妖精の子どもの体から離れたかと思うと、空高く浮かび上がり、

「ピョルッ!!」

 空中で散り散りとなって霧散した。

「……もうだいじょうぶなのか?」

 俺の言葉にカイアがコックリとうなずく。


 カイアはヨロヨロしている妖精の子どもに聖魔法を放って回復してあげたようだった。

 妖精の子どもは我に返ると、

「チチィ!!」

 嬉しそうに群れのもとに駆け寄って戻ろうとした。だが。大人の妖精たちが、後ろにアンデオールさんと子どもの妖精たちをかばいながら、その子のことを威嚇しだしたのだ。


「チチィ!!チチィ!!」

 妖精の子どもは涙を流して泣きながら、少しでも近寄ろうとするが、群れは決して妖精の子どもを受け入れようとはしなかった。

「瘴気に操られていたとはいえ、ワシや他の子たちを、あの子は攻撃してしまった。他の子たちがすっかりあの子に怯えておる。……もう群れに戻ることはかなわないだろう。」


 そんな……。

 妖精と言っても小動物の見た目のこの子たちは、群れを維持する為の厳格なルールがあるということか。群れがそう決めたのであれば、俺たちに口を出すことは出来ない。

 だが、それでは親を失ったばかりのこの子は一人ぼっちになってしまう。俺がアンデオールさんを見ると、俺の意図に気が付いたアンデオールさんが、首を横に振った。


「無理だよ……。ワシらは妖精たちに守られたこの森で生活をしている。群れが受け入れないと決めたあの子を俺が引き取れば、妖精たちはこの森を離れてしまうことだろう。

 ワシらの村はこの森と妖精に生かされているんだ。俺ひとりの感情でそれを手放すわけにはいかんのだ。……かわいそうだがな。」


 アンデオールさんはそう言って、肩を落としてうなだれた。誰よりもあの子を救ってやりたかったアンデオールさんには、何より辛い決断だろう。だが仕方がなかった。

「──ん?」

 俺の腕に抱かれたカイアが、俺の服をクイックイッと引っ張ると、地面を見ている。


「なんだ?おろして欲しいのか?」

 そう尋ねると、カイアがコックリとうなずいたので、俺はカイアを地面におろしてやった。するとすぐにチョコチョコと妖精の子どものそばに近寄って行くカイア。妖精の子どもはまだ群れを見て泣いていた。

「──ピョル?ピョルッ!」


 カイアが妖精の子どもに何やら話しかけて枝の手を差し出している。それを見た妖精の子どもは戸惑っていた。アエラキも空中からゆっくりと降りてきて、妖精の子どもの前に立つと、そっと前足を差し出した。

「ピューイ!!」

 それを見ていた、他の妖精の子どもたちが一斉にチチィ!と小さく鳴いた。


 それに釣られたように、大人の妖精たちもチチィ!と大合唱し始めた。先程までの威嚇の声とは違い、優しい鳴き声。だけど妖精の子どもに近寄ろうとまではしなかった。

 これは群れのルール。子どもといえどもみんなを傷付けたら群れには戻さない。だけど小さくて可愛らしい仲間の行く末を、あんじていないわけじゃあないんだろう。


 嫌だ!とでも言うように、妖精の子どもは一歩群れに近寄ろうとした。だが他の子どもたちはビクリとして後ろに下がった。

 あの子を心配する気持ちと、恐怖が植え付けられた感情はまた別なのだろう。

 それを見た妖精の子どもは、諦めたようにカイアとアエラキを見上げた。


「ピョル!」

「ピューイ!」

 2人はまだ妖精の子どもに向けて、枝の手と前足を差し出している。

「チチィ……。」

 妖精の子どもは、カイアとアエラキ、それぞれと握手をするように、小さなお手々をそっとのばして2人の手を掴んだ。


 俺はカイアとアエラキの後ろにしゃがみこんで、妖精の子どもを少しでも怖がらせないように目線を下げる。

「俺はジョージ。この子はカイア、この子はアエラキだ。お前にも名前をつけてやろう。

 ……そうだなあ。お前の名前はキラプシアだ。ギリシャ語で握手、という意味だよ。俺とも握手をしてくれるかい?キラプシア。」


 俺はキラプシアにそっと手を伸ばした。

 キラプシアが俺の指先にもチョコンと前足を伸ばして握手をしてくれた。小さくて頼りなくて、可愛らしい手だった。

「……今日からお前はうちの子だ。」

「チチィ!!」

「ピョル!!」


 カイアが嬉しそうにキラプシアを両枝で持ち上げて高々とかかげると、キラキラと目を輝かせて見つめている。

 すっかりお気に入りだな。カイアのペットってとこかなあ?キラプシアはカイアの体をのぼったり、アエラキの体にピョンと飛び移るのを失敗して、アエラキの耳につかまって落ちるのを耐えていたが、小さなお手々じゃつかまり切れずにポテッと落っこちていた。


「さあ、一緒におうちに帰ろうか。

 その前に冒険者ギルドに報告に行かなくちゃならないからな、みんなマジックバッグの中に入っていてくれな。」

「ジョージさん、本当にありがとう。あの子をよろしくお願いするよ。」

「もちろんです。うちの子たちも気に入ったようですし、大切にさせていただきます。」


「……体に気を付けるんだぞ。」

 アンデオールさんは涙ぐみながらキラプシアを見つめていた。

「チチィ!!」

 キラプシアはバイバイをするかのように、両手を上に上げてアンデオールさんを見ながら鳴いた。俺は全員をマジックバッグに入れると、冒険者ギルドに無事クエストをクリアしたことを報告してから家に帰った。


「──おかえりなさい。どうだったの?」

「ただいま。ああ、なんとかなったよ、カイアが瘴気を払ってくれた。少し危ない場面はあったから、正直二度とごめんだがな。」

 俺は家に戻ると、心配そうに椅子から立ち上がって駆け寄ってきた円璃花に、無事に問題が解決したことを報告した。とはいえ、ストライキはまだ解決していないと言われてしまったから、また呼び出される可能性はじゅうぶんにあったが。困ったもんだな。


 俺が話しながらマジックバッグからカイアとアエラキを出してやり、最後にキラプシアを出してテーブルの上に乗せてやると、

「やだ!なにそれ、可愛い!!」

 と、円璃花が目を輝かせてキラプシアに近寄った。キラプシアは知らない人間を怖がるかと思ったが、円璃花を見て不思議そうに首を傾げただけだった。テーブルの上からぐるりと部屋全体を見回しているようだった。


「キラプシアだ。瘴気に取り憑かれていたのをカイアが救った樹木の妖精の子どもだ。

 瘴気に取り憑かれていたとはいえ、群れのみんなを襲っちまったことで、もとの姿に戻っても、群れに受け入れて貰えなくなっちまったんでな。うちの子にすることにした。

 カイアとアエラキも受け入れてくれたことだし、カイアは特にお気に入りのようだ。」


「キラプシア?それって種族の名前なの?」

 円璃花が不思議そうにたずねてくる。確かに種族っぽいと言われればそうかもな。

「いや、俺がつけた名前だ。」

「ええ〜?しりとりの続きをもう付けちゃったの?聖獣が手に入ったら、キから始まる名前をつけようとずっと考えていたのに!」


 そういやそんなことを言ってたな……。円璃花が不満そうに口を尖らせている。

「あ、ああ、すまん……。」

「いいわ。次はアね?みんなと仲良くなれるように、私の聖獣にも、みんなとつながる名前を付けてあげなくちゃね!」

 そう言って張り切るポーズを取る円璃花。


 というか、俺は別に、特別しりとりで名前を付けたつもりはなかったんだがな……。

 カイアがテーブルの上からキラプシアを持ち上げて床におろしてやる。キラプシアはカイアの後ろをチョコチョコとついて歩いた。

 帰った途端、さっそく積み木を出して遊び始めるカイアとアエラキの間を、キラプシアは嬉しそうに歩き回っていた。

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