第86話 ロバート・ウッド男爵邸

「もう。恥ずかしいわ。」

 頬を染めてそう言いながらも、セレス様は俺の出したスイーツを一口ずつ食べて、

「これがいいわ。」

 とスフレチーズケーキを指さした。

「じゃあ、後は適当に配りますか?」


 俺がそう言ったが、

「せっかくですし、我々もひとつずつ味見してみませんか?」

 とエドモンドさんが、ジョスラン侍従長にいたずらっぽく言う。

「いいですね、珍しいもののようですし、全部味見してみたいと思っておりました。」


 ジョスラン侍従長がそれに同意して、2人がひとくちずつ他のスイーツを食べる。

「わたくしはこちらが気に入りました。」

「俺はこれだな。」

 ジョスラン侍従長がエクレア、エドモンドさんがショートケーキを選んだ。必然的に俺がレアチーズケーキになった。


「これは売らないのか?絶対に売れるぞ?」

 言うと思ったが、エドモンドさんがショートケーキを食べながらそう言ってくる。

「さすがにケーキを仕事で作るのは……。

 レシピを教えるだけなら構いませんが。」

 この世界にあるものでも、これらは別に作れるしな。冷蔵出来る運送ルートがないと、能力で出しても長距離運べないしなあ。


「ふむ?なら、俺の方で職人をあたってみよう。作りたいやつがいて、店を出す資金援助をすれば、すぐにでも始められそうだ。

 俺も定期的に食べたいしな。」

 エドモンドさんはそう言って、ショートケーキを食べてオンバ茶を飲んだ。


「甘いケーキなのに、味覚の邪魔をしないのが凄いな、このオンバ茶は。」

 確かに。俺は普段ケーキを食べる時、紅茶やコーヒーに砂糖を入れないが、ほんのり甘いお茶なのに、ケーキの味を壊さないのは凄いと思う。


「ところでジョージ。

 先程の温泉への招待なのだけれど、聖女様も呼んでも構わないかしら?」

「俺は別に……。バスロワ王国側とパーティクル侯爵家側で問題がないのでしたら。」

「じゃあ、聖女様と2人分の招待状を送るわね!」

 セレス様は何やら嬉しそうだ。


「──それでは甘いものもいただいたことですし、話を詰めましょうか。

 コボルトの店の優先券の配布は、商人ギルドを通じて行うこととする。これは後日商人ギルドより、ルピラス商会を通じてジョージ様に条件提示と、契約を行わせていただきます。必要な枚数は、王宮分はわたくしめが、商店分は商人ギルドより提示とさせていただきます。」


 ジョスラン侍従長の言葉に、俺とエドモンドさんがうなずく。

「それと、ジョージ様のご自宅の警備に関してですが、交代制で常時8名が見守らせていただく予定となりました。」

「──8名!?」

 多くないか!?いや、聖女様となると、それでも少ないのか?


 俺の家は魔法陣による防御があるから、いらないと言えばいらないんだが、そうと知らずに襲ってくる連中がいた時のことを考えると、わかりやすく警護している人間たちがいたほうが、安心といえば安心なのか……。だけど、目立つなあ……。


 円璃花がいなくなった後で、あの家には何かいいものがあるらしい、とでも思われて、狙われでもしたら厄介だな……。

 まあ、決まってしまったものは仕方がないが。それにしても、カイアとアエラキになんと言って紹介しようかなあ……。どっちも人見知りなんだよなあ……。


「分かりました。このあと、ルピラス商会に商品と見本をおさめに行くのと、コボルトの店の売買契約をしに行くので、俺はすぐには家に帰らないのですが、彼女はいつ頃こちらに来ますでしょうか?それか、迎えに行ったほうがいいでしょうか?」


「ランチェスター公といろいろお話があるようですので、お迎えにいらしていただいたほうがよろしいかと存じます。

 そのまま警備兵と共に、馬車でご自宅までおくらせていただきますので。」

「分かりました。」

 それも多分、王族の家紋入りの派手な馬車なんだろうなあ……。


「それでは我々はそろそろ失礼させていただこうか、ジョージ。コボルトの店の土地建物の売買の問題もあることだし。」

「そうですね。色々とありがとうございました。すべて済みましたら、またこちらに向かわせていただきますが、その際はまた表からがよろしいのでしょうか?」


「出立の際は表からになりますが、お通しするのに時間がかかりますので、裏からお入り下さい。話は通しておきますので。」

 ジョスラン侍従長がそう言って、俺とエドモンドさんは、いったん王宮を出ることにした。そのままエドモンドさんの馬車でルピラス商会の倉庫に向かう。


「よし、キッチンペーパータオルを出してくれ。今回は20万個で頼む。」

「20万ですか!?」

「他の国からの引き合いが凄くてな。

 これでも入る分だけだぞ?恐らくまたすぐに補充してもらうことになるだろう。」


 大人気だな、キッチンペーパータオル。

 まあ、便利ではあるが……。

 俺なら1セット2千円もするものを使う気はしないが。価値観が違うのかな?

「それと折りたたみ式の輸送コンテナを5000個頼む。」


「分かりました。」

 俺は1つ目の倉庫にキッチンペーパータオルを、2つ目の倉庫に折りたたみ式輸送コンテナを出した。今回はさすがに面倒すぎたので、鍵をかけて中に入ってこられないようにして貰い、一瞬ですべての数を出した。


「あと薬用せっけんも5000個頼む。」

「前回500個だったのに、そんなに売れますかね?」

「王宮分とこの国の分だけで500だぞ?

 おまけに消耗品だ。他の国からの引き合いも多いからな、すぐにさばけるさ。」

 なるほど。


「それと、化粧品の見本だな。」

「分かりました。」

 俺は基本のメイク道具を一通り出した。口紅は12色もあればいいか。

「……こんなに色々あるのか?」

「女性は大変なんですよ。」


「これを全部使うのか……。」

 エドモンドさんは驚いている。これでも種類をおさえたほうなんだが、円璃花がこの世界の化粧品は種類がないと言っていたし、珍しいのかもな。

「これはなんだ?」

「コンシーラーといって、シミを隠すものですね。」


「これは?」

「パウダータイプと、クリームタイプのファンデーションです。パウダータイプは油分が多いの方向けですね。

 パウダータイプは皮脂が多い人ほどきれいに肌にのりますので。メイク直しだけならこちらのほうがオススメです。」


 ファンデーションは他にもリキッドタイプと、ルースタイプと、スティックタイプとがあるが、リキッドより油分の多いクリームファンデは肌色補正と油浮きを抑えるのと、初心者が使いやすいからな。パウダーはこちらの世界にもあるから、馴染みやすいだろう。


「これはチークと、マスカラと……。これはなんだ?」

「アイシャドウですね、目に塗るパウダーです。」

「これは?」

「アイライナーです。まつげの間を埋めるものですね。目元がはっきりしますよ。」


「……これは?」

「眉カットのハサミと、コームと、アイブロウペンシルです。眉毛の形を整えるものですね。まあ、アイブロウペンシルは金髪の方用はないんですが。」

「……。俺は正直気軽に考えていたかも知れない、化粧品というものを……。」


 エドモンドさんが途中から、一つ一つ手帳に形と名前をメモしだした。

 まあ、普通は一発で覚えられないよなあ。

「……確かにこれは、全部の商品を一度に出して貰っていたら、管理するのが難しいな、見本を見せて必要な方に、注文制で売ったほうが良さそうだ。」


 商品に馴染みがあれば、並べて手に取ってもらってもいいだろうけど、使い方を知らない商品もたくさんあるわけだしな。

「すまない、ありがとう。注文が来たらどうやって商品を指定すればいいだろうか?」

「──裏に番号が書かれていますので、口紅の何番、と伝えてくださればいいですよ。」


 俺は商品の裏側を見せる。

「分かった。……名前と番号を一致させる一覧を作らにゃいかんな、これは。」

 ふう、とエドモンドさんがため息をはく。

「だが売れる。確実に売れるだろう。

 特にパトリシア様が成人の儀でこれを使った姿を国内外の要人たちに披露するんだ、その時には注文が殺到することだろう。」


「ああ、あとこれもですね、化粧前のお手入れに、化粧水、美容液、乳液、乾燥肌の方の為のクリーム、スペシャルケア用のマスクになります。化粧水で肌を整えて、美容液で小ジワを防ぎ、乳液で肌に蓋をして乾燥を防いで、乾燥肌の方や冬場はクリームで入念に潤いをキープして、たまにスペシャルケア用のマスクで肌をいたわって……。

 ──エドモンドさん?」


 エドモンドさんは俺の話を聞きながら、気絶しそうになっていた。

「あ、す、すまん、ちょっと情報量の多さに気が遠くなっていた。」

「やめておきますか?」

「──いや、絶対に売る。」

 凄いな、商売人根性もここまでいくと。


「よし、こんなものでいいだろう。

 あとはコボルトの店の土地建物の為に、ロバート・ウッド男爵邸に行こう。

 パトリシア王女の保証書類があるんだからな、話はすぐに終わるだろう。

 保証書類は俺に預けて貰えるか?」

「分かりました。……行きましょう。」


 俺とエドモンドさんは、エドモンドさんの馬車で、ロバート・ウッド男爵の家に向かった。

 ロバート・ウッド男爵邸は、貴族の家にしてはこじんまりとした郊外の邸宅だった。どこか薄汚れた感じがするのは、手入れをする従者が1人もいないからなのだろう。


 ロバート・ウッド男爵邸のドアをノックする。だが反応がない。従者がいないから、自分でドアを開けるのをためらっているのだろうか?そう思っていると、

「──はい?」

 ジャスミンさんの話では、従者が1人もいないとのことだったが、新しく雇ったのだろうか、若いメイドがドアを開けた。


「お約束はないのですが、ロバート・ウッド男爵がお持ちの土地建物の件で参りました。

 ルピラス商会のエドモンド・ルーファスと申します。男爵様にお取次ぎを。」

 エドモンドさんがそう言うと、はあ、ちょっと待って下さい、と言ってメイドが一度ドアをしめて家の中に引っ込んだ。


「……あまり教育が行き届いている感じではありませんね。」

 と、エドモンドさんが言う。男爵家とはいえ、ろくに敬語も使えないメイドを雇っているのだ。急場しのぎなのだろう。

「本来であれば、メイド長や執事長が、新人の教育をするものなのですがね。そういう人間が1人もいないからなのでしょう。」


「男爵様が直接メイドに教育なさることはないのですか?」

「貴族は貴族にしか教育をしません。従者には従者の教育というものがあります。

 長年つかえた執事長であれば、主人が幼い場合、貴族としてあるべき姿を教育することはありますが、それはごく稀なことです。」


 なるほど。帝王学は帝王学をおさめた人間にしか教えられないようなものか。

「──入っていいそうです、どうぞ。」

 メイドが戻ってきて、再びドアを開けてくれる。俺たちは中に通された。

 1人で屋敷全体の掃除までは無理なのだろう、玄関近くは流石に掃除されていたが、主人の部屋に向かう廊下や、窓のサッシにはホコリやゴミが積もっていた。


「──やあどうも、ルーファス副長、お待ちしていましたよ。」

 にこやかにエドモンドさんを迎えるロバート・ウッド男爵だったが、俺の姿を見て顔色を変えた。

「……お前は……!

 ──何をしに来た。」


 ご挨拶だな。明らかに妻の浮気相手として俺を睨んでいる。完全な誤解だが。

 相変わらず服だけは仕立てが良かったが、以前会った時と違って、きちんと糊付けもされておらず、くたくたのシャツを着ていて、明らかにみすぼらしかった。もう、そんな余裕すらもないのだろう。


 爪も黄色っぽくて汚い。どこか病気なのかも知れなかった。切り揃えてすらないのは、身の回りのことに目が行かないのだろう。

「ロバート・ウッド男爵、こちらはジョージ・エイト卿です。ロバート・ウッド男爵の土地建物を購入されたいと希望されている方ですよ。ルピラス商会はこの方の代理でずっと動いていたのです。」


「そ、そうだったのですか?早く言ってくださればよろしいものを……。

 エイト卿、大変失礼をいたしました。」

「いえ。」

「──君、早くお茶をお持ちしないか。」

 ドアのところで突っ立ったままのメイドに、苛立ったように指示をした。

 若いメイドは慌てて外に出ていく。


「──教育が行き届いておらず、大変申し訳無い。

 それで、あの土地を建物ごと購入されたいとおっしゃられるのですね?実にお目が高い。あの場所は王宮にも近く、以前の借り手も、貴族や王宮の職員たちから愛される店だと申しておりましたよ。きっとエイト卿の店も、長く愛される店になりましょう。」


 いやらしい笑みを浮かべてロバート・ウッド男爵が俺に言う。舌なめずりでもしそうな顔だな。というか、しているように感じてしまう。

「そうなってくれればよいと思っております。その為に、ぜひともあの土地を譲っていただきたいのです。」


「ええ。そうでしょう、そうでしょう。

 そうなりますとも。あの場所を手に入れればね。それで?本日直接エイト卿を伴ってお越しになられたということは、購入する額に対し、こちらの提示する金額でご了承いただけたということでよろしいですな?」


 やはりそう思っていたな。まあ、無理もないが。エドモンドさんが上着の中に手を入れて、俺から預かった、パトリシア王女の保証書類を取り出して、テーブルの上に置いた。

「これは……?」

 若いメイドが戻ってきて、テーブルの上にティーセットを置き、お茶を淹れ始める。


 本来客の前から出すものだと思うが、若いメイドはロバート・ウッド男爵の前からティーカップを置いた。

 ロバート・ウッド男爵はそれに気付かず、目の前の書類を吸い込まれるように見つめていた。若いメイドが、続いてエドモンドさん、そして俺の前にティーカップを置いた。


「──パトリシア王女の、土地建物売買に関する保証書類です。この意味がおわかりですね?」

「──ふざけるな!」

 ガチャン!!ロバート・ウッド男爵が、目の前のティーカップを勢いよく手で払った。

「熱っつ……!!」


 ひっくり返ったティーカップの中身をまともに手に浴びて、思わず手を引っ込める。

「熱いじゃないか!」

 自分でひっくり返しておきながら、若いメイドを怒鳴りつけた。怯えるメイド。

 俺たちは黙ってロバート・ウッド男爵を睨みすえていた。


「……この書類は、持参した者に対し、土地建物を、国の指定した金額で販売しなくてはならないという、強制力を持つものです。

 この取引は断ることが出来ない。

 あなたも貴族であればご存知の筈だ。」

 エドモンドさんは冷たく言い放った。


「……ルーファス副長……?どういうことでしょうか?今までさんざん交渉して来た筈なのに、なぜ今更このような……?」

 ロバート・ウッド男爵は、笑いたいのか泣きたいのか、よく分からない表情に顔を歪めて目線を落とした。


「ジョージ・エイト卿にこの土地建物を引き渡すことが、あなたがお持ちになっているよりも国益につながると判断された為です。」

「ふざけるな!こんな!こんなことが……!

 ──こんなもの!」

 ロバート・ウッド男爵が、保証書類に手をかけ破り捨てようとする。


「──破っていただいても構いませんが、これはアーサー国王も認められた正式な保証書類になります。それを汚損した場合のお咎めがどんなものであるか、知らないわけではありますまい。」

 エドモンドさんにそう言われて、ロバート・ウッド男爵がガックリと肩を落とす。


「──権利証をお持ちいただけますか?」

 ロバート・ウッド男爵がゆらりと立ち上がると、まるで幽霊のような音のない動きで部屋の奥の扉の中に移動した。戻ってくると、

「……こちらです。」

 机の上に権利証を置こうとして、テーブルが濡れていることを思い出し、それを置くのをためらった。


「──ジャスミンか。」

 ……?

「ジャスミンを手に入れる為に、この私にこんな真似を……!!」

 権利証をクシャッと握りつぶして、ロバート・ウッド男爵が立ち上がり、俺を睨んだ。

「──あなたの奥様とは商売の取引をしておりますが、俺はあの日が初対面ですよ。」


「嘘をつけ!!そうでなければ、なぜジャスミンが、子どもが腹にいるにもかかわらず母親の元に戻るのだ!

 もうすぐウッド男爵家を継ぐ跡取りを産めるというのにだぞ!」

「──継がせたくないのでしょう。恐らくあなたに認知も求めないことでしょう。」


「そんなわけがあるか!

 あれは、ジャスミンは、私と結婚したいと願って、親子ともども頭を下げて、うちに嫁に来たんだぞ!

 俺はただの平民を嫁にしてやったんだ!

 ずっと!俺を愛すると言ったから!

 それを!その恩も忘れてあの女──!!」


「……。」

 俺はロバート・ウッド男爵という悲しい男性をじっと見つめていた。ジャスミンさんはあの日、泣きながらロバート・ウッド男爵を引っぱたいた。心から愛していたと。それを疑う言葉だけは許さないと。


 ずっとロバート・ウッド男爵を愛すると言ったのも、きっと本心だったのだろう、その時は。

 だが、恐らく彼は変わってしまった。元々そうだったのか、環境が彼を変えたのかは分からないが。


「ジャスミンさんの言葉を、思い出して下さい。あの人は今でもあなたを愛しています。ですが、あなたにはもう、それが見えなくなってしまった、それだけの話です。

 あなたが変わらない限り、ジャスミンさんは戻ってきませんよ。」


「何を──!!」

「ロバート・ウッド男爵、権利証を。」

 エドモンドさんにそう言われて、権利証をクシャクシャに握りしめていたことに気が付き、手元を見るロバート・ウッド男爵。

 悔しそうにしながらも、エドモンドさんに権利証をようやく差し出した。


 エドモンドさんはテーブルの上のティーカップを脇にどけ、濡れていない部分の上で、俺に、ここにサインを、と言った。

 俺は権利証にサインをする。

「ロバート・ウッド男爵、あなたもこちらにサインをお願いします。」


 力なく椅子の上に座り込み、権利証の俺の名前の上に、ロバート・ウッド男爵がサインをした。これを報告次第、ロバート・ウッド男爵の財産は国に没収される。──男爵の地位と共に。彼にとっては、これはその始まりに過ぎないのだ。


「これであの土地建物は、本日よりジョージ・エイト卿のものとなりました。

 あなたも身の振り方をお考えになられたほうがよろしいと思いますよ。

 ──これはせめてもの忠告です。」

 俺たちが立ち上がっても、ロバート・ウッド男爵はうなだれたまま、顔を上げようとはしなかった。

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