第85話 メイベル王太后の気遣い

「ではこたびのことは、いったんこれで解決としよう。」

 アーサー国王がそう言い、この場は解散することとなった。

「エイト卿、聖女様をよろしく頼む。」

 サミュエル宰相が微笑んだ。

「は、はあ……。」


「エイト卿はジョスラン侍従長と、仕入れとコボルトの店の、近隣への優遇処置の話をしている途中に連れて来てしまったからの、早く商談の席に戻ってやるといい。」

 ランチェスター公がひげを引っ張りながらそう言った。そう言えば、随分と2人を待たせてしまっている。早く戻らなくては。


「私もルピラス商会のエドモンド副長をお待たせしたままですので、先に戻らせていただきますわ。」

 セレス様がそう言って、アーサー国王とランチェスター公とメイベル王太后に、カーテシーをしてその場を離れた。


「エイト卿、尊宅の警護の件を、後ほどジョスラン侍従長を通じて伝えさせる。

 コショウの件はまた改めて連絡を入れさせるから、そのつもりでいて欲しい。」

「かしこまりました。」

 アーサー国王の言葉に、俺は深々と頭を下げた。


 俺と円璃花はドアの近くで改めて2人揃ってお辞儀をし、セレス様に続いて謁見室をあとにした。

「これで譲次と一緒ね!」

 俺と並んで廊下を歩きながら、円璃花が嬉しそうに無邪気に笑う。

「いや、お前一緒に住むったって、生前も一緒に暮らしてなんていなかっただろう?

 それを今更同棲とか……、どうなんだ?」


 俺のことを周囲に金目当て扱いされるのが嫌だった円璃花と、俺の生活水準に円璃花を合わさせるのが申し訳なかった俺が、話し合った結果別々に暮らすことにしたのだ。

 だから円璃花の世話をしていた時も通いだったし、たまにお互いの家に泊まることはあっても、一緒に暮らしたことはなかった。


「少しだけでいいの、お願いよ。知らない人たちばかりの中でこれ以上暮らすのはイヤ。

 ここに慣れるまででいいの。」

「……まあ、そういうことなら……。

 分かったよ。少しの間だけな。うちには子どももいるし、俺もやらなきゃならないことがあるから、ずっとは無理だ。」


「──譲次、あなた、結婚したの!?」

 円璃花がショックを受けたような表情で目を丸くして、マジマジと俺を見てくる。

「いや、正確には、俺の子どもとして、精霊の子株を育ててるんだ。最近はあたらしく精霊の子を預かってるしな。」


 それを聞いた円璃花がホッとしたような表情を浮かべる。

「ああ……。なんだ、そうなの。

 ていうか、精霊を2体も連れてるなんて、あなたほんとに勇者様じゃないの?

 別の勇者様なんて、ほんとに現れるのかしら。私一人なんてことになったら……。」


「勇者様が精霊を必ず連れているものならそうかも知れないが、そういう話を俺は聞いたことがないし、ランチェスター公も先程特にそういう話をしていなかっただろう?

 ノインセシア王国で、そんな話を言われたことはあったか?」


「それはないけれど……。」

「たまに加護を貰う人間もいるらしい。

 俺が今店を出すのを手伝っている、コボルトたちにも精霊の加護があるしな。」

「そう……。こっちじゃ別に普通なのね。」

「そうそうあるわけでもないが、ないわけでもないらしい。」


「ていうか、譲次にもそんなのがいるのに、私には聖獣がいないのね……。

 一体いつ手に入るのかしら。」

 円璃花がため息をついた。

 確かに普通の人は魔法も使えないし、俺のようなスキルすらもないからな。


「過去の文献とやらがあると、さっきランチェスター公が言っていたし、調べれば手に入れ方が分かるんじゃないか?それか先代の勇者であるランチェスター公なら、何かヒントになることを知ってるかもしれないな。」


「そうね!あとで当時のことをお伺いしてみるわ。出現時期が異なってたとしても、手に入れる前からご一緒だったのだとしたら、なにかきっかけとか、手に入れ方をご存知かもしれないわ。」

 円璃花が少し希望を持った、という顔をした。


「──ん?わしになんか尋ねごとかの?」

「ランチェスター公!」

 後ろから追いついてきたランチェスター公が、ふいに俺たちの顔を横から覗き込む。

「お父様、お2人が驚いていらっしゃいますわ。茶目っ気も大概になさいませ。」

 そう言いながら、メイベル王太后も傍らで笑っていた。


「メイベルが聖女様とお話がしたいですわと言うもんでのー。

 急いで後を追って来たんじゃ。どうだね、わしらとお茶でもせんか。」

「王太后様……。」

 円璃花が目に涙を浮かべてメイベル王太后に微笑みかける。


「──メイベルと呼んで下さいな。

 エイト卿はまだお仕事がおありのようだから、それまでおしゃべりでもしながら待っていましょう?

 セレスがエイト卿から仕入れた、コボルトの若返りのお茶をすすめてくれたものですから、あなたと一緒に飲んでみたいのです。」


「──若返りのお茶ですか!?」

 円璃花が目を輝かせる。

 ……いや、お前もう必要ないだろう……。今、俺と同じで、体だけは10代なんだぞ?

 まあ……、いくつになっても女性というものは、美と若さに執着するものか。


「それでしたら、円璃花の好きなケーキをお茶請けに届けさせたいのですが、ロンメルを打ち合わせの場に呼んでいただけないでしょうか?皿とケーキを運んで欲しいのです。」

「まあ、それはいいですわね。聖女様の気持ちもほぐされると思いますわ。」

 メイベル王太后様が、胸の前で両手の指を合わせて微笑む。


「え!?本当!?チーズケーキ!?」

「ああ。スフレと、ベイクドと、レアと、どれがいい?」

「──もちろん全部よ!

 あとニューヨークと、バスクもね!」

「了解だ。」

 人前で抱きつく勢いの円璃花をさすがに制しながら、俺はそう言って微笑んだ。


「食べ比べしましょう!王太后様!」

「あらあら、まあまあまあ。

 どうしましょう、そんなにたくさんの、食べたことのないケーキだなんて。」

 メイベル王太后様も可憐に微笑んだ。

「そんなもんがあるんだの。わしも楽しみだわい。」


 そう言ったランチェスター公が、こっそり俺の耳元で、

「──今の日本は、そんなに西洋化が進んどるんかの?」

 と言ってきたので思わずギョッとした。

「わしも元日本人じゃもん。先代の聖女様は違ったがの。さっきの聖女様の話は、仏教の死生観じゃろ?すぐに分かったよ。」


「……そうだったんですか?」

 俺もコソコソと声を潜めて返事をかえす。

「おうさね、わし、大正生まれの兼業漁師でのー。あの頃はシュークリームと、エクレアと、あとなんじゃったか、ショートケーキ?みたいなもんが存在しとるっちゅうことまでは知っとったが、食ったことはないでの。キャラメルは好きだったがの。」


 ああ……。確か冷蔵庫が一般家庭に流通したのが昭和……何十年だったかな?

 それまで洋菓子って一般家庭で、あまり食べられるものじゃなかったんだっけか……。

 百年近く前に転生して来たランチェスター公が、召し上がったことがないとしても不思議じゃないか。


「じゃあ、それもご準備しましょうか?

 エクレアと、ショートケーキと、あと……シュークリームでしたか?」

「ほんとうかね!?そいつは楽しみだ。

 わし結構甘い物に目がなくてのう。

 こっちの世界にもケーキはあるんじゃが、ショートケーキがなんでかなくてのう。」

 ランチェスター公が嬉しそうに笑う。


「ショートケーキって、実は日本オリジナルらしいですよ?

 だからないのかも知れませんね。」

「ほう!?そうなのか。

 そいつは知らんかったわい!」

「後ほどお届けしますので、楽しみにお待ち下さい。──それでは、俺はいったんこちらで失礼致します。」


 円璃花と、ランチェスター公と、メイベル王太后を残し、俺はジョスラン侍従長と、エドモンドさんと、先に行ったセレス様の待つ打ち合わせ部屋へと戻った。

「──すみません、随分と長い間、お待たせしてしまって。」

 俺が部屋に戻ると、セレス様とエドモンドさんとジョスラン侍従長が談笑していた。


「──お祖父様が急なんですもの!

 仕方がないわ。でも、おかげで聖女様を救うことが出来たのだから、あなたにはそのほうが良かったのではなくて?」

 セレス様が組んだ手の甲に顎を乗せると、婉然と微笑みながら俺を見る。


「はい……、まあ、おかげで友人を救うことが出来ました。ありがとうございます。」

「──あら、本当にそれだけ?」

 思わせぶりに俺を見てくる。

「聖女様とジョージは、特別な関係だったのではないかしらと思っていたのだけれど。」

 鋭いな、女の勘。


「そうなのか!?ジョージ!!

 聖女様はとんでもない美人なんだろう?

 いいなあ……羨ましいよ。

 というか、さすがと言うべきか。」

 エドモンドさんが俺の顔をマジマジ見ながら言ってくる。いや、この顔は貰い物です。


「はあ……、まあ……。大体そんなところです。ただもう、俺たちは一度関係を精算してますので、一緒に暮らすとなると、少々抵抗があるんですよ……。まあ、こちらに慣れるまでの少しの間だけということでしたので、それなら、ということで……。」

「──暮らす!?聖女様とか?」

 エドモンドさんが目を丸くする。


「ええ?でも、一緒に暮らすのでしょう?

 私の兄も、2人がただならぬ関係だったと察したから、ジョージに聖女様を預けることを了承したのだと思うわ?」

「──そうなんでしょうか?」

 あの短時間で?そこまで見抜かれたのか?


「だって何があるか分からないもの。

 私はジョージの性格を知っているから、そんなことはないと思えるけれど、兄とジョージは初対面でしょう?

 一人暮らしの男性の家に聖女様お1人でなんて、そんなことでもないと、……いくらなんでも、──ねえ?」


「──確かにそうだな。どんな理由をつけてでも、聖女様を城に引き止めるだろうな。

 たとえば聖女様がこちらでの知り合いが俺しかいなかったとして、もし俺の家に住みたいと言ったとして、それを認めるとは思えんよ。いくら聖女様が言ったとしても、だ。」


「恐らくはそのようなことであるかと。

 ただならぬ関係であったジョージ様と聖女様の関係をお察しになり、この世界の人間に怯える聖女様の心のよりどころとして、ジョージ様に支えていただきたいとお考えなのだと思いますよ。」

 ジョスラン侍従長もそう言ってくる。


「まあ……、支えになりたいとは思っていますが……。恐らくセレス様が期待されているような感じには、ならないと思いますよ?」

「──あら、私が期待するようなって、どんなかしら?」

 そこに、ドアをノックする音がし、外の兵士がロンメルが表に到着したことを告げた。


「中に入って貰って下さい。

 ランチェスター公と、メイベル王太后と、聖女様に召し上がっていただく為の、ケーキを取りに来て貰ったんです。」

「かしこまりました。」

 再び兵士が外に出て、ロンメルが料理を乗せる台車を押して中に入ってくる。


 …………。一番上の段には、銀の蓋がかぶせられた大きな皿が3つ。

 中の段には、保温カバーの被せられた、お茶らしきものが2つと、ティーセットが置かれていた。随分と長い時間、じっくりお茶を楽しむつもりなんだな。新しく入れたりしないで一度に持っていくのか?


 そして取皿と思わしき小さい皿が10枚とカトラリーが10組。ひょっとして、この大きな皿3つに入るくらいケーキを乗せろと?

 3人で食べ切れるのか?確かに種類は用意するとは言ったが……。まあいい、1人一種類ずつ食べられるように、3つずつ出すか。


「蓋をあけてくれないか。」

 ロンメルが蓋を外すと、案の定、銀の蓋の下は空っぽの大きなお皿だった。

 そこにスフレ、ベイクド、レア、ニューヨーク、バスク、と、5種類のチーズケーキ。

 そしてショートケーキと、エクレアと、シュークリームを、マジックバッグからさも今出したかのようにして乗せた。


「──それは何!?」

 セレス様がたくさんの見慣れないケーキに食いついてくる。

「聖女様とランチェスター公がお望みのケーキです。」

「ジョージが作ったの!?」

「はい、まあ。」

 今回は違うけどな。


 まあ、実際俺は菓子作りが趣味だ。

 何なら料理よりも先に作ったのは、スイーツの数々だからな。小学生の頃、母の美容院についていった際に、そこに置かれていたスイーツのレシピ本の虜になった俺は、母にねだってその本を買ってもらい、材料を買って貰ってはスイーツを作っていた。


 スポンジだけは本だけでは上手に作ることが出来ず、料理教室をやっていた母の友人に教えて貰ったが、他は独学で作った。

 ネットもない時代だったのと、母がケーキを作ったことがなかったことから、卵白の角をたてる、という状態が分からなかったせいで失敗してしまったのだ。


 たったその一工程だけで膨らまなかったスポンジケーキ。料理は適当でも作れるが、菓子作りは化学なのだとその時思った。

 あくまでも趣味で、それを仕事にしようとは思わなかったが、それ以来、うまそうなスイーツのレシピを見ると、食べたいよりも先に作りたいと感じてしまう。


「私も食べたいわ!」

「いいですよ、どれがよろしいですか?」

「うーん……悩むわね……。

 全部食べたら太っちゃいそうだし……。」

「それでしたら、この中から4つをお選びになられて、少しずつ召し上がられてみてはいかがですか?残りは俺たちが食べますよ。」


 皿の上のケーキを見ながらうんうん唸るセレス様に、エドモンドさんがそう言った。

「いいわね!じゃあ、これと、これと……、

 これと、あとはこれにしようかしら!」

 セレス様はスフレチーズケーキと、ショートケーキと、エクレアと、レアチーズケーキを選んだ。


「皿を分けて貰えないか?」

 余分に乗せてあった取皿を指さしてロンメルに尋ねる。

「ああ、もちろん構わんよ。」

 ロンメルが広げてくれた取皿の上に、ケーキを置いていくと、それをロンメルがテーブルの上に置き、カトラリーを並べてくれた。


「──というか、絶対セレス様がそうおっしゃるだろうから、余分に皿を持っていくように、と、メイベル王太后から指示を受けていたからな。」

 そう言って、台車の中段上にあった、保温カバーが被せられていた2つのうち、1つを外して、お茶を入れて配ってくれるロンメルに、セレス様が思わず頬を染めたのだった。

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