第82話 やってきた聖女様
ランチェスター公の娘と結婚したというザカスさんが、ノインセシア王国の、現国王なのか、前国王なのかは分からないが、少なくともおそらくは偉い立場の人なのだろう。
愛する人を手に入れた代わりに、妻の父に頭が上がらなくなったということか。
「それじゃあちょっと待っておってくれ。」
そう言うと、ランチェスター公は、ニコニコと手を振りながら部屋を出て行った。
「……まさか……。
本当にこれからすぐに、聖女様がこの城にいらっしゃるというのでしょうか……?」
ちょっと隣の家に声をかけてくる、というくらいの雰囲気で部屋をあとにしたランチェスター公に、俺はなんとなく驚愕していた。
「まさか……。とは思うけれど、お祖父様ならやりかねないわ……。」
俺の言葉にセレス様がそう言った。
「昔、私がちょっとノインセシア王国でしか食べられない果物をねだったら、すぐに届けられたことがありましたもの。
ひょっとしたら本当に、今すぐ聖女様をポータルで連れてくるかも知れませんわね。」
と、パトリシア王女。
「さすがに先程の今でいらっしゃるということはないとは思いますが……。
明日にでもいらっしゃるという可能性はありますね、何しろランチェスター公は、気の早いお方ですので……。」
ジョスラン侍従長も同意する。
「まあ、まだいらしていないものを、どうこう議論しても始まらないでしょう。
それよりも、俺は1つ、ジョージに提案があるのです。ジョスラン侍従長にも聞いておいていただきたい。」
「──提案?」
「お伺いしましょう。」
ジョスラン侍従長も身を乗り出した。
「──コボルトの店をやるにあたって、ジョージとコボルトたちは、それぞれ商会を作った方が良いと思う。」
「商会を作る……?」
「いずれはコボルトたちに、軌道にのった店の権利を譲るつもりなんだろう?」
「はい……、俺はそのつもりですが。」
「問題はそこだ。ジョージは冒険者だから、物の売買そのものに対する税金を優遇されているのは知っているな?」
「はい、先日おうかがいしました。」
「──だが、土地建物や、収益の見込めるものの権利を売却するとなると話は別だ。
コボルトたちに個人間で店の権利を譲った場合、資産の譲渡に際して、莫大な税金がかかることになるんだ。それは今後店を続けていく場合のコボルトたちも同じだ。
年商額に応じて税金が加算される。」
ああ……なるほど。現代でも、宝くじ以外のお金を他人から受け取った場合、金額に応じて税金が発生するからな。
「だが、商会を作って、ジョージから借金をする形で店を始めれば、商会に対する税金の優遇に加え、売上から借金を返せば、マイナスだから税金もかからなくなる。」
「なるほど……、俺から譲る形ではなく、最初からコボルトのものとして、はじめてしまうということですね?」
個人事業主より、企業登録したほうが税金の優遇があるのは日本でも同じだしな。
となると、コボルト全員に商会に参加して貰った方が、人件費的にもいいだろう。
「税金は当年度の収入に対して算出するものだから、コボルトから返済される金額を一定額に設定すれば、ジョージの商会の優遇措置内におさめることも出来るわけだ。
例えば、俺から借り入れて一括で支払っても、金を貯めて一括で支払っても、ジョージに一気に課税されちまうが、借り入れ先をジョージにすれば、そこの問題がなくなる。」
店の権利を売る時の税金は考えてなかったな。さすがはやり手の商人だ。
「借金の利息に対する税金は安いから、売却額だけ気にすればいいからな。」
借金の利息かあ……。形だけでも取ったほうがいいんだろうか?やっぱり。
「店の売却価値は、現時点での商品の引き合い金額から既に算出可能だからな。その金額で契約書を作り、コボルトたちには借金を背負う形にして貰った方が良いと思う。」
「マイナスからのスタートだとしても、売上見込みについては保証されているようなものですし、時間をかければ必ず完済出来る、というわけですね?」
「──そういうことだ。」
商会をつくる。悪くないな。
まあ別に銀行から金を借りるわけじゃないから、マイナススタートでも信用度が必要になるわけじゃないし、税金がそれで安くなるのならそれに越したことはないな。
「分かりました、その内容で、コボルトたちに打診してみます。」
「──ですので、コボルトの商会が出来ましたら、今後わがルピラス商会が代理で、もしくはコボルトの商会と直接の取引をお願いしたいのですが、よろしいでしょうか?」
エドモンドさんが、ジョスラン侍従長に向き直って尋ねた。
「もちろん問題ありません。コボルトの店を応援することは、国の事業の一環としてとらえておりますので。」
「ありがとうございます。よろしくおねがいいたします。」
エドモンドさんに習うように、俺もジョスラン侍従長に頭を下げた。
「それにしても大胆ね、王族を前にして、税金の抜け道を教えてみせるなんて。」
セレス様がくすくすと笑う。
「違法なことはしておりませんので。
コボルトたちとジョージの財産を守る為には、必要な提案ですよ?」
ちょっとエドモンドさんが焦って、みんながそれに笑った。
そこへランチェスター公が、またひょっこりとお茶目に顔をのぞかせる。
「──来たぞ?聖女様。」
「もうですか!?」
セレス様が驚いて目を丸くしてランチェスター公を見る。パトリシア様も口をあんぐりと開けていた。ジョスラン侍従長だけが、慣れた様子で超然としていた。
「ジョージ卿、大変申し訳無いが、今すぐ聖女様の為の料理を作って貰えんかね?
特別室にお通ししてあるのだが、食べられるものを持ってくるまで、人に会いたくないと言うんでな。
ワシも顔が見れておらぬのだよ。とんでもない美女らしいのに、残念な話じゃが。」
「は、はあ……。」
まさか、この国のトップのお一人である、ランチェスター公の挨拶すらも無視したということか?随分と強気な聖女様だなあ……。
「分かりました……。
ちなみに聖女様は、何日くらい食事を召し上がられていないのでしょうか?」
「おおよそ3日と聞いておる。」
「……それであれば、先程事前にうかがっていた、聖女様が食べたい料理とやらは、どれもよくないですね……。胃が弱っていて受け付けられないと思います。
もう少し胃に優しいものからはじめて貰いましょう。厨房をお借りしますね。」
俺は兵士に案内され、宮廷料理人の制服を借りて、久しぶりに王宮の厨房に立っていた。またハイマーさんがこちらをにらみながら舌打ちしてきたが、無視することにした。
俺は卵おじやを作ることにした。
体調が悪い時や、食欲のない時に、よく母が作ってくれたものだ。
ちなみに、おかゆと、おじやと、雑炊は、すべて似て非なるものである。
おかゆは水分の量を多くして、生米から炊いたものだ。本気の病人食で、俺はおかゆを美味しいと思ったことはない。
不味くて食べられないと言ったら、母が卵おじやを作ってくれるようになったのだ。
そこにきて、雑炊とおじやは、炊いた米を使う。雑炊はいったん炊いたご飯を洗ってさらっと仕上げるが、おじやはご飯を洗わずにそのまま煮込む。
雑炊は汁気がある中にご飯がある感じで、米粒の形がしっかり残っているが、おじやは煮込んで水分を飛ばし、米を柔らかくする。
我が家の卵おじやは簡単である。水に炊いた米を入れて、コンソメキューブを2つ加えてコトコト煮たら、卵を割り入れてかき混ぜて蓋をして蒸らし、最後に塩で味をととのえて、ほんの少し醤油をたらす。あれば刻んだ小ねぎを上に散らす。それだけだ。
簡単なので普段食べたりもする。
俺は銀色の蓋をした卵おじやを、料理長と共にキャスター付きの台車で運び、聖女様が通されているという部屋の前に行った。
部屋の前には護衛の兵士が2人、槍を持って立っていた。
「本当にこんなもので大丈夫かね……。」
料理長は心配そうだった。
「胃が弱っている筈ですから、普通の食事は無理だと思います。卵おじやは弱った胃にも優しいですから、完全に倒れてしまう程の体調でなければ、美味しく食べられると思いますよ。」
俺の言葉に、料理長が、部屋の前を警護している兵士に、聖女様に、卵おじやを持ってきましたと伝えて欲しい、と告げた。
兵士がドアをノックして、
「聖女様、この国の料理人が、卵おじやなるものを作って持って参りました。
召し上がられますか?」
と声をかけた。
「……卵おじや?」
中から聖女様らしき若い女性の声がする。
「それは、どんな素材を使っているの?」
なぜかとても恐ろしげな声で、弱々しく聞いてくる。そんなにこの世界の食材が怖いのだろうか?ノインセシア王国では、どんな食材を使っていたんだろうな。
「ジョージ、答えてやってくれないか?」
「はい。」
俺は一歩前に出て、扉の前のギリギリまで近付いて、声を張り上げた。
「炊いた米に、コンソメキューブを入れて煮たものに、卵を割り入れて蒸したあとで、塩で味を整えて、醤油をほんの少したらしたものになります。あと上にほんの少し刻んだ小ねぎを散らしてあります。」
「──米!?醤油ですって!?
それは本物なの!?」
聖女様の声色が、明らかに期待に満ちた声に変わった。
「はい、しばらく食事を召し上がられていないと伺いましたので、事前に聞いていた希望の食事ではなく、俺の一存でこれにさせていただきました。胃を動かして食べられるようになられましたら、他の料理も作らせていただきますよ、味噌汁でも、カレーでも。」
「……中に入れて頂戴。」
兵士たちが俺たちにかわって、キャスター付きの台車を押して中に入ると、中で話し声が聞こえ、お盆だけが上からなくなった状態の台車を押しながら、再び外に戻って来た。
中からは何の反応も伺い知れなかった。
「……大丈夫だろうか……。」
落ち着かない様子の料理長。聖女様が食事を召し上がられるかどうかは、人類の存亡にも、国の威信にも関わることだ。料理長はとても心配そうだった。
「──譲次!!譲次の味付けだわ!!!
譲次はどこなの!?」
突然、バン!!と扉が開いて、目の覚めるような金髪の美女が中から飛び出して来る。
豊かな胸元、くびれた腰つき、張りのある尻に、背が高く、スッとのびた足。
どうみても外国人の美女で、俺の知り合いにはこんな女性は存在しない。
だが、聖女様は明らかに俺を、ジョージではなく、譲次と呼んだ。
聖女様は一瞬俺と目が合って、ドキッとしたような、恥ずかしそうな表情を浮かべた。
だがすぐにがっかりしたような表情を浮かべ、周囲をキョロキョロと見回しだした。
「あの……、この料理を作った人はどこかしら……?あの、……、栄戸譲次という男の人だと思うのだけれど。」
オロオロとした表情で、目線を落としたり上げたりしては、俺たち全員の顔を見回している。そこには、ワガママな聖女様という雰囲気は、微塵も感じられなかった。
「ジョージ・エイトなら彼ですが?」
料理長が上に向けた手のひらを向けて、俺のことを紹介した。
聖女様は明らかにガッカリした表情で俺を見ると、
「そう……、ごめんなさい。
知り合いの料理の味付けに、とても似ていたものだから……。」
と言った。
俺は落ち着かなさそうに髪の毛をイジる聖女様の爪が、明らかにキューティクルプッシャーで整えられていることに気が付いた。
「聖女様……、その爪は……?」
「ああ、この国の元王女様から道具をプレゼントしていただいて自分でやったのよ、こっちの世界にもネイルの道具があるのね。」
「……ちょっと、よろしいですか?」
「──え?」
俺は聖女様の指を手にとって、ツルツルとした爪の部分を優しく親指で撫でた。この手入れされた爪の感触、間違いなかった。
「貴様、聖女様にいったい何を……!」
護衛の兵士たちが、俺と聖女様の間に割って入ろうとする。
だが聖女様は、俺の行為に、ハッとしたように俺の目をじっと見つめる。
俺と彼女の間にだけ通じる甘いやり取り。彼女もそれで気が付いたようだった。
「──譲次……?
あなたまさか、譲次なの……?」
「ああ。円璃花か……?」
「譲次……!こんなところで会えるなんて!
私……、私、怖かった……!!」
円璃花が泣きながら俺に抱きついてくる。その光景にギョッとする護衛の兵士たち。
「──ジョージさん、ひょっとして、聖女様とお知り合いですか?」
料理長が俺に尋ねた。
「……ええ、まあ。」
十枡円璃花(とうます・えりか)。
ネイリスト技能検定試験1級資格持ちのネイリスト。1級を持っていても技術とセンスがピンキリのネイリストたちの中で、美しく丁寧な仕上がりが評判で、スカルプネイルが得意で、自身のサロンも持っている、やり手の女社長。
──俺の、元カノです。
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