第79話 ジョスラン侍従長の祖父目線
「正面からいらしていただいてごめんなさいね?緊張したでしょう?」
部屋に通された途端、にっこりと朗らかな笑顔を浮かべたのはセレス様だ。傍らにジョスラン侍従長も真面目そうな表情で立っている。
パトリシア様に呼び出された筈なのだけれど、前回同様、3人でのお出迎えだった。
エドモンドさんに付いてきて貰って正解だったな。正面の豪華さに圧倒された状態でこの3人に囲まれていたら、さすがの俺も萎縮してしまう。
「とても素晴らしいお庭と装飾でした。
確かにとても圧倒されてしまいました。」
セレス様とパトリシア様が椅子に座られないので、俺も立ったまま会話をしながら、素直にそう答える。最低限の従者しかいないので、砕けた雰囲気ではあるが。
「王族も貴族も、見えっ張りなのよねえ。
確かに美しいけれど、自宅に帰るのに馬車に乗らないとたどり着けない程の広大な庭なんて、正直必要かしら?って思うのだけれどね。」
セレス様はくすくすと笑う。
「歓談はまた後ほどじっくりなさって下さい。まずは本来の目的である、保証書類をお渡ししなくては、」
ジョスラン侍従長が、恭しく1枚の書類をパトリシア王女に手渡した。
「あら、そうね、ごめんなさい。
ジョージと話しているとつい楽しくて。」
「セレス様ばかりずるいですわ、私だってジョージとお話したいんですのよ?」
パトリシア王女がほっぺを膨らましながら言う。
「パトリシア様、はしたのうございます。」
「あ、あら、ごめんあそばせ。」
そう言って、パトリシア王女はしゃんと背筋を伸ばした。父親の妹の前では、パトリシア王女もただの女の子だな。
「──それでは改めまして。
ジョージ・エイト。あなたにパトリシア・グローヴナー名義の土地売買保証書類を授けます。
私の名前ではありますが、現国王、アーサー・グローヴナーの承認を得た正式なものになります。この効力は国王についだ力を持つ書類です。慎重に扱って下さい。」
「謹んで頂戴いたします。」
俺はパトリシア王女より土地売買における王族の保証書類を受け取った。
「──さ、話は終わったわ。座りましょ。」
セレス様がそう促し、パトリシア様、セレス様、俺、エドモンドさんの順で席に腰掛けた。
「店はうまくいきそう?」
最初にセレス様が聞いてくる。
「そうですね、人間の従業員と護衛も雇おうと思っているので、そこはまだまだなんですが、商品は人気が出ると思いますし、あとはどう貴族や平民の皆さんに、コボルトが受け入れられるかどうかですね……。」
「王室御用達だけじゃ、足りなかったかしら?私、あれから毎日オンバ茶を飲んで、宣伝につとめているのよ。
どう?きれいになったと思わない?」
と、セレス様は輝くような笑顔で言った。
確かに、肌に何もつけていないように見えるのに、とても若々しい。パトリシア王女の父親である国王の妹君だから、いくつかは分からないが、少なくとも20代前半ということはないだろう。だが今はそうかも知れないとすら思うレベルだ。
「期待以上の効果よ!貴族の女性や、他の国の王族たちからも、こぞって秘密を聞かれるの!もうすぐ販売されると思いますわ、とおこたえしておいたけれど。
きっと取り合いになるわよ?
今の値段でも安いくらいなんじゃないかしら。今からでも値段を引き上げたら?」
エドモンドさんの見立ては正解だったわけだ。今の値段の倍だとしても、おそらく転売されるだろう、と。
「そうですね、ジョージが平民にも飲んで欲しいというので、値段を抑え気味にしたのですが、ルピラス商会としましては、オンバ茶の市場価値は、もっと高いものだと考えています。」
「──こういうのはどう?」
と言ったのはパトリシア王女だ。
「オンバ茶自体を買う人には値段を引き上げるのよ。だけど、お店で食事を召し上がる方には安く1杯差し上げるの。
そうすれば、平民も飲むことが出来るし、商品の価格も引き上げられるわ。」
喫茶店でコーヒーを単体で頼むと高いが、食事とセットにするとお安くなるようなものか。悪くないな。
料理は誰でも食べられる値段にするつもりだし、それなら平民にも愉しんで貰える。
「上級貴族はどうせ直接店舗には来ませんからね。問題は下級貴族が安く飲めるオンバ茶を目当てに店を占拠して、平民や王宮職員たちが入りづらくならないかということが心配です。」
とエドモンドさんが言った。
「確かに……。お金をたくさん落とすわけではないのに、我が物顔で店を占拠してなかなか出ていかないと、王宮職員たちからも聞いたことがあるわ。ジョージが買おうとしていた土地付き店舗の以前の店は、それで売上が悪くなったところに家賃を引き上げられて潰れてしまったのだと聞いているわ。」
「それでは、時間制にして、完全入れ替え制度にしたほうがいいでしょうね。
事前予約を受け付けて、特に昼時はこのあたりで働いている方たちを優先したいと思っています。それを可能にするにはどうしたらいいでしょうか?」
なにせ電話がないのだ、この世界。
うーん、という表情で、セレス様とパトリシア王女がうなる。
「発言をよろしいでしょうか?」
とジョスラン侍従長が片手を上げた。
「あら、めずらしいわね、どうぞ?」
セレス様が笑顔で言った。
「王宮職員を始めとする、このあたりで働く従業員の予約を、昼時は優先すると言っていただけるのであれば、王宮はわたくしを通じて。このあたりの店舗の従業員には商人ギルドを通じて。ひと月に一人1枚、優先券を配るというのはどうでしょうか?」
「優先券?」
パトリシア王女が不思議そうに首をかしげる。
「貴族街で働く従業員は、商人ギルドを通じて店舗が従業員の申請をし、身分の保証がないと働くことができません。王宮もまたしかりです。そこを利用するのです。」
「えーと、つまり、どういうこと?」
セレス様が困惑したように言う。
「商人ギルドに登録している人間は、商人ギルドから配布される身分証を持っています。大半の店は商人ギルドを通じて、身分証に働いている店舗の給与が移行されるのです。」
「ええと……。すみません、移行のやり方がよく分からないので教えていただきたいのですが、それは身分証を直接本人が商人ギルドに持参しなくても可能なのでしょうか?」
俺はジョスラン侍従長に尋ねた。銀行振込のような制度があるということか?
「いいえ、直接窓口にくる必要があります。月に一度、給与の受け取りの為に商人ギルドにやってきて、身分証に給与を移行して貰うのです。戦争当時ですが、その際に、国が支給する配給引換証などを、身分証に付与した時代もありました。」
ええと……。つまり、マイナンバーカードと、電子マネー決済カードが、一緒になってるようなもんか?そこにクーポンを添付出来る……。ペイ決済みたいな感じかな?
「もちろん現金で給与手渡しの店舗もありますが、大半はこちらを使っておりますね。」
「そこで俺たちの店の予約優先権を身分証を通じて配布する……ってことですか?
うちだけそんな好優遇をしていただいてもよろしいのでしょうか……。」
他の店舗からの反発がないだろうか?
「国も一律給与の支払い方法を切り替えるよう指導をすすめておりますが、まだまだ完全に浸透していないのが現状です。
ジョージ様の店は王室御用達。また土地建物売買にあたり、パトリシア様の保証がある状態です。国が介入することに違和感はないでしょう。」
「そうね、それでジョージの店が人気が出れば、王宮職員には福利厚生の一環になるし、商人ギルドを通じて給与の受け渡しをしていない店舗は、従業員からそれを求められることになって、自然と登録が増えるという寸法ね。国としても願ったりかなったりだわ。」
お互いウィンウィンというわけか。
「もちろん予約には直接店舗に事前に来てもらう必要がありますし、優先券を確認、承認する為の魔道具も必要となります。
そちらは王宮より配給いたします。
また、配給と同様に本人しか使えないものですので、転売も出来ません。」
下級貴族が平民たちから買い占めて、結局店を占拠する、ということがさけられるというわけか。
「……ありがたいです、そんな風にしていただけたら、貴族の皆様からも、王宮周辺の店舗の従業員や、王宮職員の皆様からも愛される店になりそうです。」
パトリシア王女、セレス様、ジョスラン侍従長までもがニッコリと微笑む。
「──ところでジョージ。」
「はい?」
「例のものはどうなったの?」
「例のもの……ですか?」
「お化粧品よ!楽しみにしているのに!」
ああ、コボルトの集落に向かう際に、セレス様のお化粧を直した時に使ったあれか。
すっかり忘れていたな……。売るつもりはないと言ったのに、絶対に買うわ!と言い張っていたっけ。
「私もセレス様から聞いて、販売されるのを楽しみにしているのですよ?
──まさか本当に販売しないおつもりなのですか?」
「いや……ええと、困ったなあ。」
「なんだと、ジョージ、──そんなものがあるだなんて、俺は聞いてないぞ?」
「ああ、コボルトの集落に向かう際に、馬車の中でセレス様にお見せしたので……。
その時エドモンドさんはいらっしゃいませんでしたから。」
「どんな化粧品なんだ?
ここで見せてくれないか?」
「私も見たいですわ!」
エドモンドさんとパトリシア王女が次々に言ってくる。
「……分かりました。こちらのテーブルの上に並べても?」
「問題ありません。」
俺はセレス様にお出しした化粧品を、ずらっとテーブルの上に並べた。
「……!!とてもきれいですわ!」
現代のメイク道具は、入れ物からしても美しいからなあ。
「一番はこれなのよパトリシア。
カップに触れても落ちない口紅なの!」
セレス様が口紅を手に取って見せる。
「落ちないというか、落ちにくくて、唇の水分をキープしてプルプルにするという効果のものですね。」
「つけてみたいですわ!」
「パトリシア様にはこちらの方がいいと思いますよ?」
俺は別の色の口紅を出した。
「ローズピンクをこちらのチップで塗って、少し時間を置いてから、トントンと指で叩いてツヤを抑えてマット寄りの質感に仕上げて下さい。少女を大人っぽくかつ愛らしく仕上げてくれると思います。」
「ちょ、ちょっと何を言っているのか分からないのだけれど……。ジョスラン、ジョージに私のお化粧を任せてみたいのだけれど、いいかしら?」
「はい、問題ございません。」
「えええ……。」
仕方がない、乗りかかった船か。ワクワクとこちらを見てくるパトリシア王女。パトリシア王女もパウダーを塗らないんだな。
今日はマスカラもするか。金髪って目立たない色だから、マスカラするだけで目力が半端なく上がるんだよな。
俺は服に化粧がつかないように、頭からケープをかぶってもらい、パトリシア王女にメイクを施した。
「──いかかでしょうか?」
俺の手渡した鏡を見て、吸い込まれるように見つめるパトリシア王女。
目がキラキラうるうるしている。
「ジョスラン!私、成人の儀のメイクはこれで出たいわ!」
「よろしいと思います。
……まさか、本当にここまでお変わりになられるとは……。
パトリシア王女、とても大人の女性らしく品があり、かつ少女の愛らしさと可愛らしさも感じさせる素晴らしいメイクです。」
ジョスラン侍従長が、まるで孫を見るような目でパトリシア王女を見つめている。
代々の王家につかえてきたんだろうなあ。
「ジョージ様、パトリシア王女の成人の儀が近々ございます。その時に、お力添えをいただくことは可能でしょうか?」
「ええ、構いませんよ。そんな大切な時に、俺なんかでお役に立てるのであれば。」
七五三とか成人式とか、嬉しそうに晴れ着を着てメイクしている、娘や孫を見るのは幸せなものだからなあ。俺はパトリシア王女の為というより、ジョスラン侍従長の彼女を見る目線に、手伝いを決めたのだった。
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