第73話 謎の洞窟

「そのレモンのハーブソルトとやらを、試しに食べてみたいんだが、ひとつ売ってくれないか?味を知っておきたいんだ。」

 とエドモンドさんが言ってきた。

「ああ、ハーブソルトは単体で食べるものじゃないんですよ。」


「単体で食べるものじゃない?」

 俺の言葉に首をかしげるエドモンドさん。「ええ、ようするに、調味料の一種です。

 肉や魚にかけて食べるものですね。

 野菜にもあいますよ。」

「じゃあ、肉にかけて出して貰えるか?

 味を知らないと、売る時に困るからな。」


「それはアラベラさんにお願いしませんと、俺にはなんとも……。アラベラさん、こちらの食堂で、ハーブソルトを使った肉料理を出していただくことは可能でしょうか?」

 俺はアラベラさんを振り返った。アラベラさんは嬉しそうにこっくりとうなずいた。


「ええ、もちろんです。私もルピラス商会に商品を扱っていただけるのであれば、こんなに嬉しいことはありませんから。」

 そう言って、ミーアさんにレモンのハーブソルトの入った瓶を手渡し、

「いつもお出ししている肉に、これをかけて焼いてきてもらえるかい?」

 と言った。


「わかりました、準備してきます。」

 そう言って、ミーアさんはレモンのハーブソルトの瓶を受け取り、キッチンの奥に通じる扉の中へと消えて行った。

 この宿の食堂は受付のすぐ脇にあり、とくに扉などでも遮られていない。


 そこのキッチンでレモンのハーブソルトを作っていたのだった。キッチンに居ても、お客さんが入ってくれば、キッチンから入り口が見えるので、すぐに対応可能だ。

 そうしてミーアさんは奥から肉を持って来ると、フライパンで肉を焼き、その上にレモンのハーブソルトを振りかけた。


「どうぞ、こちらにおかけになって下さい。今お持ちしますので。」

 エドモンドさんがアラベラさんにうながされ、食堂のテーブルへ移動する。アラベラさんがテーブルにカトラリーを並べた。

 俺も反応が気になるので、試食の様子を見守ることにした。


 馬車で一緒だった乗客たちも、ウッド男爵が来る前に、ジャスミンさんに挨拶して店を出て行ったし、食事の時間じゃないからか、食堂にはお客さんがいなかったので、貸切状態だった。

 熱々のレアステーキが皿に乗せられて運ばれてくる。


 エドモンドさんがレアステーキを、一口サイズに切って口に運ぶ。

「これは……食べたことのある味に、なにか別のものを加えているのか?爽やかで、こっちのほうが肉がうまく感じる。というか、食べ疲れないな、肉の油は食べるうちに胃が疲れてくる感じがするもんなんだが……。」


 そう言いながら、あっという間にモリモリと、レアステーキをたいらげてしまった。

「脂肪吸収を抑える働きがありますから、それかも知れませんね。」

 と俺は答えた。特に皮に多く含まれる成分だからな。まあ、腸での吸収を抑える働きだから、胃は単にさっぱりさせてるだけかも知れないが。


「野菜にも魚にも合いますし、つけ置きして焼いても美味しいですよ。これ単体でもいいですし、コイツを日常使いの料理の下味に使う国もありますね。」

 ハーブソルトと、バジルやオリーブオイルを、鳥の胸肉に揉み込んで、フライパンや電子レンジで加熱したものが、コンビニなんかでよく売られているハーブサラダチキンだ。


「ふむ。平民の為のものという感じだな。

 悪くない。これはどの程度もつんだ?」

「季節にもよりますが、風味が出来立てに近い状態を保てるのが、大体常温で7日間程度でしょうか。

 まあ、多少風味は落ちても食べられる期間は、湿気の少ない場所に置いておけば1ヶ月から2ヶ月というところですね。」


 市販品は1〜2年もつが、手作りはどうしても短い。冷蔵庫に入れた方がいい派と、冷蔵庫に入れると湿気でやられてしまう派がいて、なかなかにお手製ハーブソルトの管理は悩ましい問題でもある。

「塩なのにそんなに短いのか?」

 エドモンドさんが首をかしげる。

 まあ、当然の疑問だよな。


「加えているものが、そんなに長持ちしませんので……。

 まあ、乾燥剤は入れる予定ですが。」

「──乾燥剤?」

「湿気を防ぐ為のものです。これです。」

 と、俺は小さい乾燥剤をエドモンドさんに手渡した。


「これを入れておくと、瓶の中のものが湿気にやられるのを防いでくれるんですよ。」

「水分を防ぐだって?ひょっとして、こんなに小さいのに魔道具なのか?これは。」

 エドモンドさんが驚いたように、手のひらの上の乾燥剤を見つめる。


「いえ、これ自体が水分を吸収する性質のあるものなんですよ。」

「こんなもの初めて見るぞ……。

 これも売る予定なのか?」

「ええ、既に登録申請を済ませています。

 アラベラさんたちには、俺から仕入れる形にしていただく予定なので。」


「こいつを中に入れるとなると、食材だけの価値で値段をつけられんな……。こいつ目当てに買う客も現れそうな代物だ。」

「確かにこんな便利なもの、一度取り出したからって、そのまま捨ててしまう気にはなれませんね。私も取っておいて使い回すと思いますよ。他のものにも使えますし。」

 とアラベラさんが言う。


 確かに俺も子どもの時に初めて乾燥剤を見た時、もったいなくて捨てれなかったなあ。

「乾燥剤を入れないほうがいいですか?

 湿気を吸ってしまうと、長持ちしなくなってしまうのですが……。」

 俺は眉を下げた。


「そもそも消費量を考えても、毎日こいつを使って貰わないと、使い切れない。

 だが、毎日はさすがに飽きるだろう?

 下味というなら、それを使う為の下味の付け方をしらなくちゃならないわけだしな。

 知らないと手を出さないだろう。」


 確かにそれはそうだ。いっつも余らせてしまうんだよな、ハーブソルト。使い切るために献立を考えることになったりするんだ。

「じゃあ、売れませんかね……。」

 俺もアラベラさんもジャスミンさんもガッカリして、お互い顔を見合わせる。


「いや。まずは平民向けの料理店をやっているところにおろしてみよう。

 そこで味を知って貰って、店でも販売できるようにしたら、店の売上にもなるし、料理方法の説明も料理店側がやってくれる。

 自宅で少し豪華な料理に挑戦してみたい女性は多いだろうからな。」


 エドモンドさんは腕組みして考え込むようにしながらそう言った。

「それくらい、このレモンってやつの味は衝撃的だ。肉に合う。合いすぎるくらいだ。

 今までなんでこんなものが、この世に存在しなかったのかとすら思うよ。

 平民にとって少し高くても、日常に特別感をもたせることで売れるだろう。

 貴族も買うかも知れないな。」


 アラベラさんとジャスミンさんが、パアアアッと顔を輝かせながらお互いを見つめる。

「料理店用の大瓶と、家庭販売用の小瓶を用意してくれ。大瓶用には、その乾燥剤ってのを入れよう。小瓶には使い切って貰う前提で入れない。そうすれば値段を平民向けにおさえることが出来るだろう。」


「わかりました。すぐに準備します。」

 アラベラさんがコックリとうなずく。

「見本にいくつかいただいても?」

「はい、もちろんです。」

「では、俺は先に商談に移らせてもらうよ。

 値段はこちらが決めさせて貰うが、売れる値段にするから任せておいてくれ。

 契約書が出来たら支店から連絡をさせるから、改めてお会いしよう。」


 そう言うと、エドモンドさんは俺たちに挨拶をして宿を出て行った。

 さすがやりての商人だなあ。エドモンドさんに任せて正解だったな。

 アラベラさんは追加で瓶を買って来ますと行って宿を出て行った。俺とジャスミンさんでアラベラさんの帰りを待ちつつ、レモンのハーブソルトを大量に作った。


 俺は夕食を部屋でとった。その日の夜の宿の夕食は、レモンのハーブソルトを使った肉料理だった。しっかり宿でも食堂でも、食べてみて貰って味を広めるつもりらしい。

 エドモンドさんが値段を決めるまで、瓶の販売は出来ないが、いずれはこの店でも売り出す予定だと言う。


「たくさん売れるといいな。

 少しでも助けになるといいんだが。

 ──おいしいか?カイア。」

 カイアは俺が小さく切ってやったレアステーキを、嬉しそうに食べていた。

 レモンの皮は少し小さい子には苦いかなと思っていたが、ハーブソルトとしてほんの少し使っているだけだから、気にならないようだった。


 山に登るのは明日の朝だから、今日はもうすることがない。もっとたくさんレモンのハーブソルトを作るのを手伝おうと思ったのだが、お客様にそこまでさせられませんと断られたので、部屋に戻って来たのだ。

 俺は絵本を出してカイアに読んでやった。


 かわいらしいクマが、ひたすらホットケーキの作り方を教えてくれる内容の絵本で、俺は子どもの頃、この絵本が大好きだった。俺のホットケーキの作り方は、いまだにこの絵本を参考にしている。料理の手順本としても優れた絵本だと思う。


 フライパンを一度水濡れふきんで冷ましたり、ひっくり返すタイミングの、プツプツが出来た生地の状態が、本当にリアルに描いてあって、とても分かりやすいのだ。

 初めて読んだあと、ホットケーキを作ってみたいと母にねだって作り、1人で上手に作れたことが嬉しかったのを覚えている。


 カイアも興味を示したようで、家に帰ったら一緒にホットケーキを作ってみようかなあと思っている。

 ホットケーキを1人でひっくり返すのは難しいだろうから手伝うが、ホットケーキならカイアでも上手に作れるだろうからな。


 思えば母に買って貰った絵本で好きだったものは、大体何かしらの、俺の知らない食べ物が出てくるものばかりだった。

 ゾウがコンクリートミキサー車のような車で作るアイスクリーム。2匹のネズミが巨大な鍋で作るカステラ。


 駄々をこねる子どもが保育園の代わりに連れて行かれる園の童話に出て来た、生の刻んだ苺と苺ジャムを混ぜたサンドイッチ。

 どれも作って食べてみた。アイスクリームはシャーベットになったし、カステラはそもそも鍋で作れるものじゃないと分かったし、生の苺と苺ジャムのサンドイッチは母が作ってくれたが、どれも楽しかった。


 自分でなにか新しいことが出来るようになる喜びを、俺の教えられる限り、たくさんカイアに与えてやりたい。

 まだ早い時間だったが、明日は早めに帰れるように、早い時間に山に登るつもりでいたので、カイアを寝かしつけることにした。


「カイア、お父さんをトントンしてくれ。」

 カイアが俺に言われて、ベッドに一緒に横になり、俺の体をトントンしてくれる。

 普通は逆だと思うのだが、シングルマザーと暮らしていた時、俺がトントンしてやることで逆に寝てしまったことから、子どもたちに試しにトントンして貰ったら、トントンした側の方が先に寝ることを発見したのだ。


 俺をトントンしながら、カイアがだんだん眠そうにウトウトしだし、スッと寝てしまった。俺も今日はこのまま休もう。

 明日はカイアと雪遊びをして、イエティの様子を確認して、日が暮れる前に山を降りないとな。カイアの喜ぶ顔を想像しながら、俺もいつの間にか眠りについた。


 翌朝、まだ日が昇ってすぐ位の時間だったが、ミーアさんが朝食を持って部屋をたずねてきてくれた。昨日のうちに頼んでおいたのだ。本来の宿の朝食の時間には少し早いそうなのだが、お礼だからと引き受けてくれたので、ありがたくカイアとともにいただく。

 アラベラさんとジャスミンさんは、昼から夜の担当なので、まだ寝ているらしい。


 朝食を食べ終わり、カイアに再びマジックバッグの中に入って貰うと、俺は朝食のトレイを食堂に返して、部屋の鍵をミーアさんに渡した。山を降りる時間が馬車に間に合えばそのまま今日は泊まらずに帰るが、遅くなるようなら予定通り今日の夜も泊まることを告げて、俺は雪山に向かった。


 イエティが住むところは山頂近くの雪のあるところなので、まだまだだいぶ先だ。

 俺の家の近くの山と違ってちょっと険しい坂道なので、今回は雪のあるところまで1人で登る予定だ。早く帰ることを目的にしているし、安全とは言い切れないからな。


 黙々と山を登ると、雪が広がるところに出た。山頂まではまだまだ先だが、なだらかな広いスペースで、これならカイアと安全に雪遊びが出来そうだった。俺はカイアをマジックバッグから出してやると、俺のお手製の防寒具を着せてやった。


「似合うぞ、凄くかわいいな、カイア。」

 カイアの胴体は太い幹なので、子ども向けの既製品の服は、どうしてもサイズが合わない。だから大人向けの防寒具の裾と袖を短くつめて、胴体に余裕のある感じの、地面を引きずらない程度の長さの服を作ってやった。


 手には幼児用の親指だけある手袋をつけてやり、足にはお風呂の時のビニール袋を履かせて、その上から更に靴下を履かせた。

 足の数が多いし、合う形の靴がどうしてもないからな。帽子はサイズが合うものがないので、耳あてをつけてやる。

 パッと見、雪だるまのような姿だ。


「動きづらくないか?苦しくないか?」

 カイアに尋ねるが、首を横に振らないので大丈夫ということなのだろう。

「ほら、カイア、雪だぞ〜?初めて見るだろう?今日はこれで一緒に遊ぼうな。」

 カイアはこわごわと雪の上に足を下ろす。靴下だからそんなに長くは遊ばせてやれないが、それでもきっと楽しいだろう。


 俺はカイアに雪うさぎの作り方と、雪だるまの作り方を教えてやった。

「ウサギさん上手にできたな。」

 俺のマネをして雪うさぎを作るカイア。

 近くに落ちていた葉っぱと木の実で、目と耳を作ってやる。初めてにしてはなかなかに上手だった。親子雪うさぎが並んでいる。


 続いて雪だるまを作る。カイアは楽しそうに雪玉をコロコロ転がしている。

 カイアが作れる雪玉の大きさに合わせて、俺が雪だるまの下半身を作り、その上にカイアの作った雪玉を頭として乗せてやる。

「カイアにそっくりだな。」


 カイアと同じ耳あてと、枝を胴体に刺して手を作り、同じ手袋を付けてやる。

 カイアがしょんぼりしたような表情で、俺と雪だるまを交互に見てきた。

 俺がそれしかつけてやらないから、雪だるまが寒そうに見えたのかな?


「雪だるまさんは寒くないんだぞ。

 これはカイアとおそろいにする為につけてあげただけだから、雪だるまさんは心配しなくても大丈夫なんだ。」

 そう言うと、ようやく納得したようでニッコリした。優しいなあ、カイアは。


 その時、カイアがなにかに気が付いたかのようにあたりを見回しだした。

「どうしたんだ?カイア。」

 カイアは突然ノソノソと、目的を持っているかのように、まっすぐ1つの方向を目指して歩き出した。


 俺は不思議に思いながらその後をついていくと、目の前にぽっかりと洞窟が口をあけているのが見えた。

「中に入りたいのか?でも、何がいるかわからないから、危ないから駄目だぞ?」

 そう言ったが、もの凄くしょんぼりした表情で俺を見上げてくる。


 そして、なかなかその場から動こうとはしなかった。カイアにしては珍しいな、どうしたんだろうか。

「じゃあ、とりあえずお父さんが先に中に入って、危なくないかを確認してみるから、それで大丈夫だったらカイアも入っていいぞ。それでいいか?」


 そう言うと、コックリとうなずいた。

「ここで待ってるんだぞ、怖いことがあったらすぐお父さんを呼ぶんだぞ?」

 俺は電池式のLEDランタンを出し、電池を入れると、それを手に下げて前を照らしながら、カイアを洞窟の入り口に残し、恐る恐る洞窟の中に進んで行った。

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