第72話 ロバート・ウッド男爵

「せっかくの星祭の時期に雨が降らないっていうのに、エディブルマッシュを取りに山に入れないから、どうしようと思っていたんですけれど……。他の収入源が出来るのはとてもありがたいです。

 エディブルマッシュと違って、通年販売出来るというのがいいですね。」

 アラベラさんが嬉しそうに微笑む。


「エディブルマッシュ?」

「このキシンの街のすぐ近くに、山頂が万年雪の山があるのはご存知ですか?」

「はい。」

「その山で、星祭の時期に、晴れている時だけ取れるキノコがあるのですが、それがとても高値で売れるんです。」

 とアラベラさんが教えてくれる。


 高級食材ということか。マツタケみたいなものかな?俺はマツタケよりもシイタケやエリンギの方が好きだが。

「ですが危険なので山に入ってはいけないと言われてしまったので、今年は取りに行かれなくて……。1つ取れば一年暮らせると言われる程の高級品なんですよ。」

 アラベラさんがそう言って肩を落とす。


 ああ、変種が暴れているからか。

「お母さんは、エディブルマッシュを見つけるのが、凄く上手なんですよ。」

 ジャスミンさんも嬉しそうに言う。

 マツタケも隠れているのを探すキノコだからな、エディブルマッシュも隠れているのかも知れない。


「どんな味なんですか?そのエディブルマッシュというキノコは。」

 せっかく山に入るのだし、そんな高級食材のキノコなんて探すしかないよな。

「さあ……。食べたことがないので分かりませんけど、味で高級なわけではありませんので、美味しいかどうかは……。」


「味で高級なわけじゃない?それなのに、なぜそんなにも高いのですか?」

 1年暮らせる金額で取引されるだなんて相当美味いのだろうと想像してしまうんだが。

「エディブルマッシュは、冒険者の方が買われる強化アイテムなんですよ。」

 と、ジャスミンさんが言う。

 ああ、そういうことか。


「1つ食べると一定時間、弱い魔物であれば触れただけで蹴散らす無敵状態になって、なおかつ近接職の方でも、ファイアーボールを使えるようになるのだそうです。」

 え、なんだその無敵スター+ファイアーフラワー状態。リアル世界で最も有名な配管工さんであるサニーさんに、ぜひとも食べていただきたい。

 ……絶対に手に入れよう。


 食べられる花や、花の部分を食べるブロッコリーやカリフラワーなんかを、エディブルフラワーと呼ぶけれど、エディブルって食用大麻の略称でもあるからなあ。

 こっちは後者でエディブルってつけられたんだろう。ひょっとしたら過去の勇者が付けたのかも知れない。


 この世界の物の名前は元の世界で通じないものばかりだからな。こっちの世界の人が付けたとは、ちょっと思いにくい名前だ。

 ──突然、宿屋のドアが勢いよく開いた。

「新しい商品をまた登録したんだってな!?

 支店から連絡を受けて飛んできたぞ!」


 雑談をしながらレモンのハーブソルトを、ジャスミンさんとアラベラさんと共に作っていると、ルピラス商会副長のエドモンドさんが、笑顔で宿屋に飛び込んできた。

「……随分早いんですね?」

 まだ商人ギルドに登録してから、そんなに時間が経っていないんだがな。


「キシンの街にはルピラス商会の支店があってな、そこに商人ギルドが、ジョージが新しい商品をうちを通じて販売したいと言っていると連絡をくれてな。

 支店が本店に通信用の魔道具で連絡をくれたんだが、俺が出かけてたもんでな。」


「そうだったんですね。」

「それで本店がミーティアを飛ばして連絡してきたんで、俺が飛んできたというわけだ。

 ここの宿と共同販売する予定で、ジョージがここにいると、商人ギルドから連絡を受けていたからな。馬車ごと泊められる宿なら、宿に直接乗り付けたんだが。」


 エドモンドさんはそう言って、こちらに近付いて来ながら嬉しそうに快活に笑った。

「支店に馬車を置いてきたから、ちょっと遅くなったが。」

 いや、じゅうぶんそれでも早いですよ。俺はエドモンドさんの馬車に乗って酔ってしまった時を思い出した。


「ああ……、うちは街の真ん中にありますから、馬車を泊める場所を確保出来なくて。

 申し訳ありません。

 馬車ごと泊まれる宿の方が、お客様に人気なのは分かっているんですが。」

 とアラベラさんが眉を下げた。


「ああ、いやいや、お気になさらず。」

 申し訳無さそうにするアラベラさんに、エドモンドさんが恐縮する。

「──ミーティアとはなんですか?」

聞き慣れない言葉に俺がたずねる。

「なんだ、知らないのか。

 手紙を飛ばす無属性魔法さ。」


 なんでもありだな、魔法。

「ゆっくりでいいならリーティアという手魔蝶を使う。急ぎの時はミーティアという手魔鳥を使うんだ。」

 普通郵便と速達みたいなもんか。

「ジョージにも後で通信具と、ミーティアをいくつか渡そう。お前さんとは密に連絡を取り合う必要があるからな。」


 確かに、あったほうが楽だな。何せ電話がないからな、この世界。

「……っと、おや?あなたは……。

 ウッド男爵の奥方様ではありませんか?」

 エドモンドさんがジャスミンさんの顔をじっと眺めたあとそう言った。ジャスミンさんがハッとして、その後恭しくおじぎをした。


「はい、以前何度か当家にお越しいただいた際にご挨拶させていただきましたね。

 ジャスミン・ウッドと申します。」

 ジャスミンさんの夫は男爵なのか。

「──知り合いですか?」

 俺は2人のやり取りを不思議に思った。


「逆に、なんでジョージがウッド男爵夫人と知り合いなんだ?

 彼女はお前さんが店を出そうと狙っている土地の持ち主である、ウッド男爵の奥方だ。

 俺は土地売買交渉や、内見の鍵を借りに行く際にお会いしていたが、ジョージはウッド男爵の家に行ったことはないだろう?」


 なんと。ジャスミンさんと、こんなところで関わりがあったとは。

「──お伺いした際に奥様が入れてくださったお茶、大変美味しかったですよ。お茶がご趣味と伺いましたが、いつからお茶を?」

 笑顔でそう言うエドモンドさんに、ジャスミンさんは首を振ったかと思うと、


「違うんです……。」

 と言って突然泣き出してしまった。エドモンドさんがオロオロしだす。

「い、いかがなさったのですか?」

 ジャスミンさんの顔を覗き込むエドモンドさん。ジャスミンさんは涙を拭い、


「あれは、夫がそう言っただけで、私はお茶が趣味でもなんでもありません。

 そうでも言わないと、男爵夫人である私がお客様に直接お茶をお持ちするのがおかしいから、ただそれだけなんです。」

「ど、どういうことですか?」


「夫の事業は最近どんどん尻すぼみしていって……。従者に次々と暇を出したのです。

 エドモンドさんがあの日当家にいらしていただいた際には、もう、お茶を出せるような従者が当家にはいなかったのです。

 ですから私がお茶が趣味ということにさせて、夫がお茶を出すようにと……。」


「──なんですって?」

「ジャスミンさん、従者がいないということは、家のことは誰がしていたのですか?

 まさか旦那さんは身重のあなたを……。」

 驚くエドモンドさんと俺の言葉に、ジャスミンさんはこっくりとうなずいた。


「はい、私だけで家の家事をすべてしていました。ですが男爵家はとても広くて、私1人ではとてもすべてに手入れをするのは……。

 なのに、作業が遅いと、怒鳴られ、食器を投げつけられ、叩かれて……。

 だから逃げて来たんです。」


 妊婦を限界まで働かせて、自分は何をしていたんだ?その男は。

 泣いているジャスミンさんの肩を、母親のアラベラさんがそっと抱きしめる。

 その時再び宿屋の扉が勢いよく開いた。

「──やはりここにいたのか、ジャスミン。何をしている、早く帰るぞ。」


 ジャスミンさんが、宿屋に入って来た男の姿を見てビクッとする。

「……ウッド男爵様、娘はまだ身重の体を抱えて、馬車に揺られてこの家に戻ってきたばかりなのです、もう少しここで休ませてやりたいと考えております。」

 アラベラさんがジャスミンさんをかばう。


「俺が話していいと許可を出したか?

 平民ごときが何を偉そうに俺に命令をしているんだ。勘違いをするな。

 お前はジャスミンの母親ではあっても、男爵家の人間ではないのだぞ。」

 ウッド男爵は酷薄そうな唇と眉の薄い、目の細い男性だった。仕立てのよい服を着ている。ジャスミンさんは普通の服なのに。


 アラベラさんがビクッとする。

「も、……申し訳ありません。」

「謝罪することなんてないわ、お母さん。

 私はもう、あなたとは離婚します!

 ほとんど財産のない男爵家が、私を引き止める権利なんてない筈だわ!」


「……なんだと。」

 それがウッド男爵の地雷を踏んだらしい。見る見る般若のような形相へと変わる。

「お前の腹には俺の子どもがいる。それは男爵家の跡取りだ。それを拒絶する権利はお前にはない。──離婚だと?いいだろう、してやろう。だが子どもは置いていけ。

 逆らおうとしても、貴族会がそれを認めないからな。」


 ジャスミンさんは悔しそうにウッド男爵を睨んでいる。普通は離婚した場合、子どもは母親のところに行くものだと思っていたが、貴族の仕組みはよく分からないが、本当に子どもを取られてしまうのだろうか。

 だとしたらジャスミンさんは離婚に踏み切れないだろう。子どもと離れることになる。


「お久しぶりです、ウッド男爵。ルピラス商会のエドモンド・ルーファスです。」

 かわりにエドモンドさんが間に立った。

「おお!ルーファス殿!奇遇ですな!

 あなたも星祭に?」

「ええ、まあそんなところです。」

 張り付いたような笑顔のエドモンドさん。


「店と土地の件はもう少し検討させていただきたい。何しろ、あれだけの広さの一等地ですからな、慎重に慎重を重ねて協議したい、そうでしょう?」

「ええ、そうですね。」

 今まで売れなかった土地を、ルピラス商会が狙っていることで、釣り上げようという腹積もりなんだろうな。


「ですが申し訳ない、ここは妻の実家でしてね、私は妻に用事があるものですから。

 お話はまたの機会に。」

「実は私も、奥様に用事があるのです。」

「妻に……?商売の話でしょうか?」

「ええ、まあ。」


「副長がわざわざ出てくる程ですから、エディブルマッシュの大量取引……、というわけですかな?

 そういえば、今年は晴れるそうですな。

 さぞかしたくさんのエディブルマッシュが取れることでしょうなあ。」

 舌なめずりでもするかのように、ウッド男爵がアラベラさんとジャスミンさんを見る。


「……なあ、ジャスミン、アラベラ。

 夫が困っているのだから、妻の実家が夫を助けるのは当たり前のことだよな?

 私は今まで行くあてのないお前を、妻として養ってやったのだから。今度はお前たちの番だということは分かるな?」


 商売がうまくいっていないところに、妻の実家に何やら大金が入ると見て、猫なで声を出し始めた。

 そんなにコロコロ態度を変える人間に、はいそうですかと、なびく人間はいないと分からないらしい。


「私は男爵家の人間ではありませんから、助ける義務などございませんよね、男爵様。

 対等な関係ではない、ただの平民でございますよ。そんな平民の金を、男爵様ほどの方が、あてになさるというのですか?」

 アラベラさんが冷たく突き放す。


「なんだと!?

 生意気な!」

 ウッド男爵がいきなりズカズカと、こちらに早足で寄って来たかと思うと、手にしていた杖を振りかざして、身重のジャスミンさんに殴りかかる。

「きゃあああああ!!」


 ジャスミンさんをアラベラさんがかばうように抱え込み、殴ろうとしていたウッド男爵の手首を、俺が掴んで止めた。

「……なん……だ、貴様、離したまえ。」

「──こうやって、普段から殴っていたんですね、身重の奥さんを。妊娠中に馬車に乗って逃げる程までに追い詰めて。」


「私が妻にどういう教育を施そうが、こちらの問題だ。よその家庭に口を挟まないでいただこう。今すぐその手を離したまえ。」

「ジャスミンさんが流産しなかったのは、奇跡みたいなものですよ。今頃あなたの自身の手で、自分の子どもを殺していたかも知れないのに、それが分からないのですか?」


「子どもが生まれる前に死んだら、それは妻の体の問題だ!私には関係ない!

 うあああああっ!?」

 俺は手首を掴んだ手に、ギリギリと力を込める。ウッド男爵が杖を取り落とした。

 憎々しげにウッド男爵が俺を睨んでくる。


「お前……。ジャスミンの新しい男か。

 ──ジャスミン!よくも!離婚したいというのはそういうことなんだな!

 腹の子は本当に私の子なのか!

 答えろ!ジャスミン!」

 ──パアン……!


 それまでされる一方だったジャスミンさんが、ウッド男爵を泣きながら平手打ちして、ウッド男爵の帽子がふわりと落ちる。ウッド男爵は驚いた目でジャスミンさんを見た。

「それだけは……、絶対に許さないわ!

 私は……、私はあなたを……、心から愛していたのに。──それを疑う言葉だけは、絶対に許さない!!」


 大粒の涙をこぼしながら睨むジャスミンさんに、毒気を抜かれたように力を落とすウッド男爵。

「ジャスミン、私は……。」

「帰って!帰ってください!

 二度と来ないで!」


 ウッド男爵は、力なく帽子を拾ってかぶりなおすと、

「……また来る。」

 と言って宿を出て行った。

「レモンのハーブソルトの販売利用許可・不許可者に、ロバート・ウッド男爵を登録しておいた方がいいだろうな。」


 とエドモンドさんが言った。

「いずれはウッド男爵も、エディブルマッシュの大量取引でないことに気が付くだろう。

 それに、もうすぐ土地取引に関する、パトリシア王女の保証書類が出来上がる。

 そうなったら、彼の土地は最安値で取り上げられるんだ。男爵の地位と共にな。そうなれば、ジャスミンさんの実家の商売に目を付けて、くらいついてくることだろう。」


「──わかりました、そうしておきます。」

 ジャスミンさんは、夫を愛していると言った。ということは、昔は優しい人だったのだろうか。人は環境でいくらでも変わる。

 もともと気質がなかった人でも、いくらでもDVの加害者になることはあるのだ。


 愛している人にされるから辛い。

 なかなか別れられずに被害が加速する。

 それがDVというものだ。

 どちらにせよ出産が控えている状態の女性に、あの夫を近付けるのはよくないだろう。

 コボルトの店を始める前に、ウッド男爵とはもうひと悶着ありそうだな、と思った。

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