第46話 杏と粒あんのクリームサンド
俺は朝食を済ませると、カイアをマジックバッグに入れて、再びヴァッシュさんの工房を尋ねた。
魔力の込められたインクを、なんとかカートリッジに入れられないか相談する為だ。
インクは文房具だし、果たしてそれを魔導具を作る職人に作れるものかは不明だが。
もし駄目でも、出来る人を紹介して貰えるかも知れないしな。
いつもの若い職人が出てきて、今日は親方ですか?ミスティさんですか?と尋ねられたので、ミスティさんを、と頼んだ。
ミスティさんが出て来て、今日はどうされたんですか?と微笑んだ。
自動乾燥機能付き食器洗浄機の開発も終わったし、魔宝石を同時発動させる研究がなくなったから、ゆっくり眠れたのかな、大分顔色がいいようだ。
「大分顔色がいいですね、良かった。」
「ええ、開発が一段落したので。」
やっぱりそうか。
「でも、今度は代わりに作成部隊が大忙しですよ。業務用の時以上に、ルピラス商会からの、家庭用の食器洗浄乾燥機の注文がもの凄くて。今のところ、うちしか作れないですからね、業務用も家庭用も。」
「そうなんですか?
魔石をかなりたくさん使っているから、大分お高くなってる筈ですけど……。」
「裕福な商人が、家庭用に求めてるみたいですよ。洗い物には水を使うじゃないですか。そもそも水を生活魔法できれいにして何度も流用しますから、まず使用する水の量自体が減りますよね?」
「そういえばそうですね。」
排水のことを考えて言ったアイデアだが、そういう結果を産んだわけだな。
「商人の場合自宅の厨房にも、店と同じように排水を設置してる人は多いですけど、排水がなくなれば、業者に回収して貰わないといけない水の量が減りますからね。
長い目で見れば、使う水の量も、排水を回収して貰うお金も減るので、お得と判断したみたいです。」
なるほどな。別にこの世界じゃなくても、使う水が少なくなるなら、それはかなりお得と言える。節水トイレや節水洗濯機なんてものもあるくらいだし、仮に10年使うと考えたら、結果的に安くなるのか。
しかもこの世界は、水を捨てるにも、大量となるとお金がかかるときた。
俺の住んでいるような地域は、排水を畑に撒いたりして使うけれど、裕福な商人ともなると、使用人もいるから使う水の量も多いだろうし、畑を作っていたとしても、撒ききらないくらいの水を使うんだろう。
そこを見越しての即日登録だったのか、さすが国一番のルピラス商会だな。
「じゃあ、今工房は大変なんですね。」
「まあ、私は開発担当なので、今はそんなに忙しくないです。何かまた、開発して欲しいものがあっていらしたんですよね?」
「ええ、実はそうなんです。
魔力の込められたインクを、とある入れ物に入れられないかと思ってまして……。」
「とある入れ物……ですか?」
「これなんですが。」
俺はプリンターのカートリッジを渡した。
「これ………、中にもう、何か入っているようですけど?」
「ええ、空のものがなくて。この中身のインクを、魔力の込められたものに変えたいと思ってるんですが。」
「これ、万が一壊してしまっても構わないですか?中身を確認したいので。」
「ええ、構いませんよ。」
ミスティさんはカートリッジを色々いじくっていたが、
「──これ、中身は純粋な液体じゃないんですね。このまま普通のインクをつめても、たれてしまって使えないと思います。」
と言った。
そうなのだ。インクジェットプリンタのインクは、水、着色剤、浸透剤、乾燥防止剤、ph調整剤、防腐剤、防カビ剤、インクの泡立ちを防止するための消泡剤、インクの中の溶存酸素を除くための脱酸素剤など、あらゆる薬が混じっているのだ。
「……魔力の込められたインクを、同じ状態にすることは難しいですかね?」
「ちょっと難しいと思いますね。つめるだけなら出来ますけど、使えるようには。」
「やはりそうですか……。」
化学物質の代わりに、魔法でどうにかならないかと思ったんだが。
「魔力の込められたインクを、この中に直接詰め替えるのは無理ですけど、この中のインクに魔力を込めることなら可能ですよ?」
「え!?そうなんですか?」
「ちなみに何に使う予定なんですか?」
「魔法陣を描くのに使おうかと……。」
「ああ、大昔に聖女様と勇者一行が使っていたという魔法ですね、師匠から聞いたことがあります。どこでそれを?」
「聖女様がいらした際に、民衆が使えるように、魔法陣の描き方を書き記した本を出されていて、それを手に入れました。」
「そうなんですか。商人でもないのに、なんでそんなものが必要なのかと不思議に思ったんですが、そういうことでしたか。」
「というと?」
「魔力の込められたインクというのは、そもそも何に使う為に存在している物なのかはご存知ですか?」
「いえ、まったく……。」
「契約書を書く際に使うんですよ、その契約を決してやぶれないように。
契約魔術に使うものなんです。
ルピラス商会と取引されているのであれば契約書を交わしたことがあると思いますが、そこにも使われてると思いますよ?」
「そうなんですか!?まったく聞いてなかったので知りませんでした。」
「まあ、普通は契約書といえば魔力の込められたインクを使うものというのが常識ですからね、特に説明しなかったとしても不思議ではないです。」
まあ、俺がこの世界の人間じゃないってことを、エドモンドさんは知らないもんなあ。
「特に重要な契約書には、魔力の込められたインクの他に、双方の血を使います。それはやぶった場合、魔法による攻撃が自動で加えられる重たいものなので、さすがにそこまでの内容なら説明したと思いますけどね。」
怖いな……。そんなのもあるのか。
「それで、どうやってこのカートリッジに、魔力を込めるんですか?」
「契約魔術は無属性魔法なので、無属性の魔法使いに、インクに魔力を込めてもらえばいいだけですよ。そうすれば魔力の込められたインクに変わります。」
「そんな簡単な話なんですね。」
カートリッジがそのまま使えるというのはありがたいな。
「ただ、無属性の魔法使いは少なくて、たいていはどこかの専属で働いていますから、フリーでお願いするのは難しいですね。」
「ええ!?そうなんですか?」
頼める相手がいないのであれば、出来ないに等しい。どうしたらいいんだ?
冒険者ギルドに依頼を出してみるしかないかな。無属性魔法使いがいるかも知れない。
「──作りましょうか?それ。」
「作る?」
「無属性の魔法石ならうちで手に入りますから、中に入れたものに無属性の魔法を付与出来る魔導具を作れば、無属性の魔法使いを探して頼まなくても、自宅で出来るようになりますよ。
属性付与の武器や、先日購入された弾丸を作るのと同じ仕組みです。」
「もし作っていただけるなら、非常にありがたいです!
でもいいんですか?本来なら、毎回工房にお願いして作っていただかないといけないものなんじゃ……。」
今作って貰っている盾だって、魔法耐性付与をお願いしているのだ。
「属性付与は、大きさと材質で値段の変わるものですから。
その程度の大きさのもので、なおかつ中身がインクであれば、100個作って銅貨1枚ってところですよ。
だったら属性付与出来る魔導具を作ったほうが、うちとしても楽なんで。」
ミスティさんがクスリと笑う。
「そうなんですね、そういうことでしたら、ぜひお願いします!」
「既にあるものを小さくするだけなんで、少し待っていただければ、すぐにでもお渡し出来ますよ?
どこかで時間を潰されますか?」
「あ、はい、ではそうさせていただきます。後でまた来ますね。」
俺はウキウキとヴァッシュさんの工房をあとにした。使おうと思っているプリンターのカートリッジのインクに魔力を込められるのであれば、スキャナーで本を取り込んで、さっそく印刷して試してみる事ができる。これで魔法陣を大量生産できれば、俺もはれて魔法を使うことが出来る。
俺は久しぶりにナナリーさんの店に立ち寄ることにした。店にはまだ準備中の札がかかっていたが、窓から俺の姿に気付いたナナリーさんが、ドアの鍵を開けてくれた。
「お久しぶりです!この間は本当にありがとうございました。」
ナナリーさんが朗らかに微笑んでくれる。
「体調はあれからどうですか?」
「はい、もうすっかり。万が一の時の為に、教えていただいた経口補水液も、毎日準備してるんですよ?
おかげでこの間同じ状態になったお客様を助けることが出来て助かりました。」
そんな事があったのか。作り方を教えておいてよかったな。
「それは良かったです。」
「開店前ですけど、よかったら中にどうぞ?何か召し上がりますか?
先日のお礼に作らせていただきます。」
「朝食を食べてそんなにたっていないので、軽くであればいただきたいです。」
「分かりました。」
「あ。」
「はい?」
「この間いただいた、ママガッソと、ナインテイルのタンの煮込みスープがあれば、それをいただけると嬉しいです……。」
「ああ、ありますよ?
ママガッソは持ち帰りもされますか?」
「そうしていただけると……。」
「はい。」
ナナリーさんはニッコリと微笑んだ。
「あの……、ナナリーさん、ちょっとお願いがあるんですが。」
「はい、なんでしょう?」
「実は、ナナリーさんの料理を食べさせてやりたい子がいまして……。
一見魔物に見えるんですが、精霊の子株なので、何も危険はないんですが、驚かせてしまうといけないので、あまり人に見せることがないんですが、店の中に出しても構いませんか?」
「営業前で他にお客様もいませんし、構いませんよ?」
「人見知りな子なので、最初は怯えるかも知れませんが、根は素直で優しい子なので慣れたら大丈夫ですので……。」
「まるでお父さんみたいですね。」
ナナリーさんが微笑む。
「はい、俺の子だと思ってます。」
「なら、ますます会ってみたいです。」
「ありがとうございます、──じゃあ、出しますね。」
俺はそう言って、マジックバッグからカイアを出した。見慣れない場所、見慣れない人が怖いのか、出るなり俺にしがみつく。
「はじめまして、私はナナリーよ。
お名前は?」
ナナリーさんはカウンターから出てきて、カイアの目線にしゃがんで、にっこり微笑んで話しかけてくれる。
「名前はカイアです。人間の言葉が話せなくて……すみません。」
「カイアちゃんて言うのね?よろしくね。」
ナナリーさんの、何にも臆さない、悪意のない朗らかな微笑みに、カイアもニッコリと微笑んだ。
「かわいい……!」
自愛の眼差しでカイアを見つめるナナリーさん。やっぱりいいなあ、ナナリーさん。
「じゃあ、料理作って来ますね。
カイアちゃんも少し食べるかな?」
「そうですね……、発酵食品をまだ食べさせたことがないので、ママガッソが口にあうか分からないのですが、ナインテイルのタンの煮込みスープは大丈夫だと思います。」
「じゃあ、カイアちゃんの分は小さく切っておきますね。」
「助かります。」
しばらくして、ナナリーさんが料理を運んできてくれる。
「はい、おまちどお。熱いからお父さんに冷まして貰ってから食べてね?」
とカイアに微笑んでくれた。
俺はナナリーさんが小さく切ってくれたナインテイルのタンに、ふうふうと息を吹きかけてから、カイアの口に運ぶ。
「熱くないか?」
カイアはナインテイルのタンをモグモグと食べながら、目をキラキラとさせている。
気に入ったらしい。
スープも冷ましてやってから口に運ぶ。
スープも気に入ったようだ。
そんな俺たちの光景を、ナナリーさんが微笑ましげに見ていた。
俺だけが食べているママガッソに、カイアが興味を示す。
「これは少し大人の味かもしれないぞ?」
ほんの少しだけ切って食べさせてやったところ、少しむずかしい顔をした。
発酵食品は独特な味だからなあ。やっぱりカイアにはまだ少し早かったか。
「やっぱり苦手みたいですね。」
「そうですね。まだ小さいので。」
俺とナナリーさんが顔を見合わせて笑う。
「カイアちゃんはこれをどうぞ。」
そう言って、パンに生クリームとオレンジ色の果実と、黒い何かの挟まれたサンドイッチを出してくれた。
一口食べたカイアが、あまりの美味しさに目を丸くして、ピョルルル!ピョルルル!と喜んで、俺にも食べるよう差し出してきた。
これは……。杏と粒あんのクリームサンドか!柔らかくしたクリームチーズに粉糖を加えてよく混ぜたものを、泡だてた生クリームに加えて、杏のシロップ漬けのシロップの水分を切り、食パンに粒あん、クリーム、杏のシロップ漬けを挟んだものだ。
この世界で粒あんにお目にかかるとは!
「とても美味しいです。
カイアも喜んでますよ。」
「それは良かったです。昔おじいちゃんが勇者様の武器を作った際に、この粒あんっていうのを教えて下さって、それを元に聖女様が祖母と考案した料理なんですよ?」
勇者は前世が日本人だったのかな?
「この粒あんは、どこででも手に入るんですか?」
「元になる植物は勇者様が広めて作ってるところもありますけど、甘くして食べるのはうちの家系くらいじゃないでしょうか?
普通に煮豆として食べられてますね。」
「そうなんですね、もったいない。」
「ねえ?こんなに美味しいのに、豆を甘くするのが気持ち悪いみたいで。
でもお店に出すと、そうと分からずに、みなさん美味しいって召し上がって下さいますけどね。」
そう言ってナナリーさんはいたずらっぽく笑った。
「──大変美味しかったです、ごちそうさまでした。」
「はい、じゃあ、これ、お土産の分のママガッソです。」
そう言って、油紙を敷いた、なにかの植物で編まれた弁当箱を出してくれる。
「そういえば先日お借りしたお弁当箱、持ってくるのを失念してしまいました。」
「また今度で結構ですよ。またいらして下さいますでしょ?」
「はい、じゃあ、その時にまた。
カイア、お外に出るから、またマジックバッグの中に入ってくれ。」
カイアはマジックバッグの中に入る前に、ナナリーさんにバイバイと手を振った。ナナリーさんも笑顔で振り返してくれた。
俺はヴァッシュさんの工房に戻った。そろそろ出来た頃だろうか?
俺が工房に立ち寄ると、ミスティさんが出てきて、ちょうど出来ましたよ、と魔導具を渡してくれた。代金は預けているお金から引いておきますね、と言われたので、そのまま魔導具をマジックバッグにしまった。
さっそく帰って試そうと思って帰ろうとした瞬間、俺はエドモンドさんに自動乾燥機能付き食器洗浄機だけを渡して、コボルトの集落から預かってきた、お茶や食器を渡すのをすっかり失念していたことを思い出した。王宮におさめる分を取りにいったというのに。
エドモンドさんも何も言わないから、そのまま帰ってきてしまったのだ。
俺はルピラス商会に立ち寄ることにした。
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