第5話 スペアリブのビール煮とアスパラガスとキノコのバターソテーと切り干し大根の煮物
「──はい、どちら様ですか?」
ゆっくりと警戒しながらドアを開けると、ドアの前に立っていたのは、どこか見覚えのある若い女性だった。
こちらの世界に知り合いなんていないんだが。はて。
警戒した様子の俺に、目の前の若い女性は、何やら困惑したような、ガッカリしたような表情を浮かべている。
俺は首をかしげて思い出そうとし、この世界で会ったことのある女性は、最初の村で話しかけた相手だけであることを思い出した。
「ええと……、1度お会いしたことがありますよね?」
俺が思い出したことで、女性ははにかんだ笑顔を浮かべた。
「はい。
こちらに家を建てられたんですね。
どうなさったかと心配していたところに、急に家が出来たので、ひょっとして、と思って。」
果たして本当に心配だったからなのかどうだかな。
昨日まで家がなかったところに突然家が出来たのだ。気になって当然だろう。
好奇心から覗きに来る奴もいたぐらいだしな。
ただ、昨日覗いていた奴は、明らかに男だったので彼女ではない。
「ああ、そうでしたか。
──別に森の木は切り出していませんから、どうぞ安心して下さい。
他に用事がなければ、これで失礼します。
それとあまり、若い女性が1人で男の家を訪ねるべきではないと思いますよ。
……お互い変な噂をたてられても困るでしょう?」
心配なんて言うくらいであれば、あの日あんな風に目の前から彼女が逃げ出さなければ、俺だってもう少しご近所さんに親しみを持って接するところなんだがな。
彼女は大分若く、年の頃は高校生くらいか。
割と可愛らしい見た目をしているし、実際こんなところを見られて変な噂をたてられても困るというのも本音だった。
ましてやあの、イカツそうな父親に乗り込んでこられでもしたら、最悪だ。
「──あ、あの!
食事とか……お困りじゃないですか?」
彼女は何もない俺の家の中を、俺越しに見ながらそう言った。
現代のものを見られないようにする為に、すべて片付けてしまったから、家の中には確かにパッと見何もない。
彼女には、俺が新天地で困っているように見えたのだろう。
だが、だからと言って知らない人間にジロジロ家の中を見られるのは、気持ちのいいものではなかった。
「──大丈夫です。では。」
俺はそう言って素気なくドアを閉めた。
やれやれ。
せっかくのツマミは冷めちまうし、ビールも泡が抜けちまうじゃないか。
元々は彼女のいた村に住もうとしていた俺からすると、今更過ぎる提案だったし、もうあの村の人間たちと、関わりたくもなかった。
せっかくの気持ちのいい酒が台無しだ。
俺はササッとツマミだけを昼ご飯代わりにして、今更飲む気のしなくなった、気の抜けてしまったビールは他に使うことにした。
その間に洗濯物を済ませてしまおう。
洗濯排水も出来れば流用したいんだがなあ。
重曹で匂いも汚れも落ちるのだが、肌触りが悪くなるのが難点だ。
おまけに重曹に含まれているナトリウムが土を塩化させるから農業には使えない。
アルカリ性で洗うという、市販のマグネシウム洗濯用品はぶっちゃけ使えないし……。
マグネシウムを水に溶け出させて、水酸化マグネシウム水溶液で洗うという謳い文句なのだが、実際マグネシウムが水に溶けるにはとても時間がかかる。
粉末ならともかく粒状じゃ、とても洗濯の最中に必要な数値まで溶け出さない。
かと言って、汚れが落ちる程の金属マグネシウムを加えると、特に温水を入れた洗濯機で使う場合、反応が早くなって、水素ガスが大量に発生し、火花でも近くにあろうものなら爆発の危険すらある。
悩んだ挙げ句、生分解性の液体石鹸を使うことにした。土や川に排出された際に微生物によって分解され、無機物へ変わるタイプのものだ。
生分解性が高いほど環境への負荷が低くなる。
洗濯機でも使えるし、これが一番いいだろう。
市販のマグネシウム洗濯用品の洗濯排水が、農作物に必要な成分を含んでいるというテレビの特集なんかもあったから、排水流用の点においては、そこは魅力なんだが、そもそも汚れが落ちないから、洗濯という点においては微妙に感じてしまう。
洗濯洗剤を決めた時点で、ふと、室内に防水パンも排水エルボもないことを思い出した。
しまった……。これじゃ室内に置けないじゃないか。
外に置いてもいいんだが、あまりこの世界の人たちに、現代のものを見られたくはないんだよなあ……。
そういえば、風呂に入ったものの、風呂の排水口もないのだ。オマケにトイレも。
これは大規模な工事が必要になるぞ……。
そもそも地中を通すから、家を作る前に本来作っておくものなのだ。
現代っぽい家を出して貰えば良かっただろうか。
だが、それはそれで目立ってしまうだろう。
そもそも下水道がないから、汚水枡を作っても流す先がない。
風呂と洗濯排水はともかく、トイレは流す以外の方法を考えてなくてはならないかも知れない。
俺は盛大にため息をついた。
取り敢えず、洗濯機は、外に専用の小屋を作って、雨をよけることにした。
排水ホースの出せる穴をこしらえたので、排水もそのまま出来るし、室内に排水工事を行う必要もない。
そういや婆ちゃん家は、ベランダに洗濯機を置いて、そのまま排水を流していたっけ。
俺は発電機に洗濯機をつなげて、洗濯を始めようとして、ふと、風呂の残り湯を使うことを思いついた。
風呂は入ったばかりでまだあたたかい。
時間が経つと雑菌が繁殖するから、やるなら今だ。
本当は風呂の残り湯を流用する場合には、体を洗って垢以外の汚れや髪の毛が混ざらないようにした方がいいのだが、今思いついたから仕方がない。
重曹も入れちまったなあ、と思いながらも、今回は諦めることにした。
バスポンプを出して発電機とつなげて、風呂の残り湯を洗濯機に入れてやる。
風呂の残り湯を使う場合、洗いにだけ使って、すすぎはキレイな水でおこなう。
この排水が流れる先に畑を作れば、直接水がやれて便利だな。
土がまったく耕された形跡がないから、土作りから始めることにはなるが、まあのんびりいこう。時間はいくらでもあるのだから。
風呂と洗濯はこれでいいとして、トイレはやはり浄化槽を作るべきだろうか?
現時点で汲み取り式のトイレは、汲み取りにくる業者がいるわけじゃない。
それか、そのまま肥料に出来る仕組みが何かなかったっけな?
俺は風呂を洗剤のいらないブラシで洗って、洗濯機に使って残った風呂の湯をかきだして外に捨てた。
トイレの問題は色々考えたが、すぐには解決策が思いつかなかった。
洗濯機の洗いが終わり、ポリタンクから新しい水をいれてすすぎにうつる。
その間に、庭に物干し台を設置した。
朝のうちに干せなかったが、これだけ日当たりがよければ、夕方までに乾くことだろう。
洗濯物が乾くまでに、着替やタオルなんかを出して、寝室のタンスにしまった。
この時間が勿体ないので、俺は夕飯の下ごしらえをすることにした。
メインは既に下ごしらえをすすめているから、副菜の準備だ。
切り干し大根を出して水につけて戻す。
日が暮れかけた頃、外を見に行くと、すっかり洗濯物は乾いていた。
畳んでタンスの一番奥に閉まってから、夕飯作りを開始した。
洗濯物が乾くのを待っている間に、俺は色々下準備をしてあった。
まずはメインだ。
俺はクーラーボックスの中で浸け置きしておいた豚肉のスペアリブを取り出した。
たっぷりと1キロ。明日もこれを楽しむつもりだ。
玉ねぎのすりおろしたものと、ニンニクと生姜のチューブをそれぞれ小さじ1程度。
醤油とみりんをそれぞれ大さじ2、そこに気の抜けたビールを350ミリから450ミリ程度入れてある。
ビールは後から加えてもいいのだが、その方が肉が柔らかくなるのだと先輩に言われて、俺はそのやり方でやっているが、ビールの味があまり染み込むのが好きでなければ、後で煮立たせる時に加えてもいい。
スペアリブをつけダレから出して、フライパンで中火で、全体に少し焦げ目がつくくらい焼いてやる。
この時つけダレは捨てずに取っておく。
ケチャップを大さじ3、ハチミツを大さじ1、お好みでバルサミコ酢を大さじ1と、つけダレを加えて煮立たせる。
沸騰したら弱火で蓋をして20分程煮る。
肉が柔らかくなったら完成だ。
スペアリブが煮えるまでの間に、千切りにしておいたにんじん、しっかり水気を絞った切り干し大根とともに油で炒める。
この時戻し汁をとっておく。
最初に炒めることで、切り干し大根の独特の乾物臭をとばす。
短冊切りにした油揚げを入れたら、戻し汁を200mlいれて、顆粒だし、醤油大さじ1、みりん大さじ1、砂糖少々を加えて混ぜ合わせ、弱火にして落し蓋で10分程煮る。大根の甘みが戻し汁に出ているので美味しくなるのだ。
俺は顆粒だしを使うから煮汁を水分のすべてに使うが、出汁をちゃんと取る人なら、出汁を200ml、または出汁と戻し汁を半々の割合にするのがよい。
出汁なしで戻し汁だけ使うと味がぼやけて美味しくなくなる。
スペアリブと切り干し大根が煮えるまでの間に、クーラーボックスから、昨日使ったキノコの残りを取り出し、石づきをとって、追加で出したアスパラガスとともに、強火でバターで炒める。
これでカセットコンロは3つ目だ。
直接3口あるコンロが欲しいところだなあ。
アスパラガスは根本から5センチくらいを切り落としておき、薄く斜めに切っておいたものだ。
きのこがしんなりしたら、塩コショウで味を整えて、更に盛り付けて完成だ。
10分経った頃に、落し蓋を外して箸で混ぜ合わせる。少し煮汁が残っている程度なら完成、煮詰め具合が甘ければ、更に数分煮てやって、切り干し大根の煮物の完成だ。
冷蔵庫で数日持つし、冷凍すれば1か月はいけるので、俺は常備菜としてよく作る。
今日の夕飯はスペアリブのビール煮と、アスパラガスとキノコのバターソテー、切り干し大根の煮物だ。
米は先に土鍋で炊いて、しっかりとおひつに保存しておいて準備万端だ。
「いただきます。」
あふっ!あふっ!ウマっ!
やっぱり米だよなあ。
切り干し大根とアツアツのご飯だけでも飯がすすむ。
スペアリブもしっかり柔らかくなっていて、ナイフとフォークを準備しておいたが、切らなくてもいいくらいだ。
俺はそのままかぶりついた。
豪快に噛みちぎる。ヤバいな、たまらん。
やっぱりそろそろ冷蔵庫を準備すべきだろうか。
たがそうすると、発電機を24時間稼働させることになる。
窓をあけておかなくてはならないから、防犯上それはいかがなものか。
トイレの問題もまだあるし、家が問題なく使えるようになるまでは、まだまだやることが山積みだったが、うまいものを食べて腹いっぱいになると、そんな悩みはどこかに吹っ飛んでしまう俺だった。
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