その5

 僕は先程と同じコーヒー、彼女はアップルティーを持って席に戻る。お互いに一口を飲んだところで、今度は僕から仕掛けた。

「矛盾が解消される仮説を二つ考えてみたんだけど」

「うん。教えて」

「一つ目は、君が見た年上の君もまた、タイムスリップでこの時代にやって来たという可能性。ただこの説について君は否定的だ」

「だって、未来から来ましたって感じが全然しないから」

「そう。そして、不思議なことに、その感想はそっくり僕が君に抱くものとまったく同じなんだ。……二つ目の仮説は、年上の君は正真正銘、この時代に存在する君であり、未来から来たと言っている、今、僕の目の前でアップルティーを飲んでいる方の君が嘘を吐いている可能性だ。この場合、君は自分が十年前の世界から来たにもかかわらず、なぜか未来から来たと言っている。あるいは、何者かによってそう思い込まされている、ということになる」

 一瞬、彼女はその瞳に動揺の色を宿したが、すぐに態度を落ち着かせて、「そんなことない」と否定した。

「わたしにはちゃんと記憶があるし、どうして今、ここにいるのかってことにもしっかり理由づけできる。わたしたちの未来についても、ここでは言えないけど、ちゃんと知ってるつもり。今、あなたとこうやって話をして、確信できてるの。だから、信じてよ」

「だったら、未来のことを話すんだ。それが証明になる」

「……趣味とか、好きな食べ物とかでいい?」

「駄目」

「好きなタイプも言うから」

「駄目。未来に起こる出来事を、話すんだ」

 彼女はやり場のない両手でアップルティーのボトルをもじもじと弄る。

「でも、もしもだよ。もしもわたしが将来起こることを言ったとしても、それって今の段階じゃ、本当に起こるかどうか、誰にもわからないよね」

「そうだね。だけど敢えて訊こう。わざわざ未来からこの時代を選んで来たんだ。近いうちに何かが起こるんだろう? それを僕も一緒に観測すればいい」

「……未来が変わっちゃうかもしれないし」

「僕とこれだけ喋っている時点で、もう未来は変わっていると思う。そうだね。口で説明するのが難しいなら、その場所に連れて行ってもらっても構わないよ。そこで何か奇妙なことが起これば、僕は君のことを未来人だと信用する」

 彼女は躊躇いがちに答えた。

「それは、わたしだって、できればそうしたいけど……。どうやってそれを見せたらいいのかわからないし、どうやってそこに行けばいいのかもわからないの。本当に、わからないの。……うーん、どこまで言うのが正解なんだろう」

「言えないなら、僕は信じない」

「言えないっていうか、なんて言うか、わたしにはできないって言うか」

「確かに、未来から来た科学者かエージェントにしては抜けすぎているね」

「でも、そこも良いでしょ?」

「今は褒めてない。君に無理なら、君を送り込んだ人間を紹介してくれればいい」

「えっと、そういう人はいなくて。もっとはっきり言うと、わたしは別に送り込まれたわけじゃなくて」

「自分でタイムマシンを作ったってこと? でも、あれは――」

「わたしに作れるとは思えない?」

「作れるの?」

「作れないけど」

「だろうね」

「だろうねって。あなたは知ってるの?」

 彼女はむすりと睨んできた。「一般教養程度なら」と僕は躱す。

「未来に行くよりも、過去へ行く方が難しいって言われているよね」

「そうなんだ」

「時間は不可逆性を持っているからね。未来へ向かって流れるだけで、逆流することはできない。進行方向に、未来にだけ進めるタイムマシンには、冷凍保存、いわゆるコールドスリープとか、特定の人間に対する未来への進み方を遅らせるって手法がある。例えば、十年間氷漬けにされた人間が息を吹き返したら、彼は十年若い姿で十年後の世界に降り立つことができる。これはタイムトラベルと言えるよ」

「なるほど。なんか思ったより原始的。それで、過去に行く方法は?」

「過去に行く。あるいは過去と未来を往来する。そのために必要なのは、ワームホールだ」

「ワームホール。映画とかで聞いたことある」

「だけど、このワームホールを作るという工程が凄く難しいんだ。必要な材料なんかはここでは省くとして、そうだなあ、映画の世界では、登場人物たちは思い思いの時代に飛んでいるけど、実際に作るとなるとこうはならない。いろいろと制約が出てくる」

「制約?」

「簡単に言うと、遡れる地点には限度があるってこと。想像に難しくないとは思うけど、そこを通っていく以上、ワームホールには入り口と出口が必要なんだ。だとすればだよ。記念すべき一つ目のワームホールをどこまで遡って作れるのかといえば、その限界値は当然、〈ワームホールが設置可能な技術が形成された地点〉になる」

「つまり」と、彼女は一息吐いた。「わたしたちは西部のカウボーイの時代には戻れないってことだね」

「いや、そうとも限らない。誰かがその時代に既にワームホールを完成させていて、それを設置していれば、あるいは」

「ばれないの?」

「看板の後ろとかに、上手に隠せば」

 僕のジョークに彼女が笑った。

「じゃあ、あなたはわたしが十年前から来たかもしれないって言ったけど、その場合、十年前の時点でワームホールは完成してたってことになるんだよね。わたしたちの知らないところで」

「もしくは、冷凍保存の方かもしれない」

「かちこちは嫌だよ。車の方が良いなあ」

タイムマシンをわざわざ車型にするなど、余程の物好きがやることだ。

「それで、君が乗ってきたタイムマシンはどんな形をしていたの?」

「それはね」と口を開きかけた彼女が、はっと我に返るのがわかった。

「まあ、そうそう口は滑らせないか」

「ううん。そうじゃなくて」

「そうじゃない?」

「うん」

 彼女は自身の前髪を撫でて言う。

「わたし、タイムマシンに乗ったことないよ」

「それは、タイムマシンに乗っている間の記憶がないって意味じゃなくて?」

「違う。そんなこと絶対ないって言いきれる」

「じゃあ、どうやって未来から来たんだ」

「まだ絶対の確信があるわけじゃないんだけど、見方を変えれば、ある意味、わたしは未来から来てるんだろうなって考えてる」

「見方を変える」

 僕は彼女を見る。しまった。油断していた。いつの間にか形勢が逆転している。

「だって、ストレートに言っちゃうと、本当かどうかも怪しかったし。わたしが何も言えなかったのは、未来が変わっちゃうことが怖かったから。でも、あなたの話を聞いているうちに、なんとなく確信が持てて、きっとこの先も大丈夫なんだろうなって思えた。ありがとね」

 彼女がにこやかに微笑む意味を僕は知らない。

 返答に困っている僕に気を遣ってか、「出ようよ」と彼女が席を立つ支度を始める。

「お散歩でもしながらさ、もっとお互いのことを話そう」

「話すって、何を」

「いいからいいから」

 僕が向ける疑いの眼差しなど気にも留めず、彼女が急かしてくる。

「話すことなんていっぱいあるでしょ? 趣味とか、好きな食べ物とか、あとは好きなタイプとか……。そもそも、お互いの名前だって知らないわけだしね」

「ああ、名前か。僕の方はなんとなく、君の名前には見当がついていたけど」

「え? あなたってもしかして超能力者?」

「いや、単に君が会話の中でドジを踏んだだけだよ」

「それって、なんか心外」

「トークテーマが悪かったね」

 余裕泰然を振る舞ってみるものの、未だ彼女の意図が掴めていない。このまま誘いに乗ってしまってよいものかと思い悩む。僕はただ、コーヒーのためだけにここに来ただけであって、未来と関わる気などさらさらなかったはずなのだ。それが、蓋を開ければどうだろう。未来から来たと豪語する彼女に気を取られ、ドッペルゲンガーの話に花を咲かせ、タイムトラベルについても語ってしまった。僅かでも彼女に対して好感を抱いてしまった僕のミスだった。

 もう素直に訊ねてみるしかない。ようやくその決心が固まったのは、彼女が僕の腕を引いたときだった。喫茶店に居合わせた人たちの視線が痛い。僕は彼女を連れて足早に店を出ると、人通りが疎らであることを確かめて言った。

「君は何者なの?」

「何者? 何者かあ。難しい質問だね。一応、まだ何者でもないのかなあ」

「わかった。もっとはっきり言おう。君は僕の敵? 味方?」

 なぜ僕の口からそんな言葉が飛びだしたのか、彼女に心当たりはなさそうに見えた。

「……味方だと思う」

「思う」

「……うん。信じて。わたしはただ、あなたのことを知りたいだけで、わたしのことをあなたに知ってほしいだけ。ここから始まるの。それじゃ駄目かな。理由にならないかな」

 僕を見上げる彼女の瞳は儚くも美しかった。たくさんの不安と、ある種の覚悟すら灯った眼差しこそが、彼女の答えそのものだった。

 そして僕は、ようやくすべてを理解した。

 彼女が、自身を未来からやって来たと形容した理由も。

 突然、ドッペルゲンガーの話を持ちだした理由も。

 未来が変わってしまうからと、質問に答えようとしなかった理由も。

 喫茶店の入り口に立っていた理由でさえも。

 彼女はとうに結論に達していた。対する僕は、自分の身を案じることばかりに集中しすぎていて、彼女が必死に送るサインに気づいていなかった。思えばヒントはどこにでもあったのだ。

「僕たちは、本来なら違う世界に生きるべき人間なんだ」

「大丈夫だよ。わたしには見えてるから、未来。ほんのちょっとだけど」

「呆れた」僕は能天気な彼女の態度に肩を落とす。「そういうのは〈未来人〉と言うんじゃない。〈予知能力者〉と言うんだ」

「あっ、言われてみるとそっちのが正しいよね。あなたに引っ張られちゃって」

「まあ、満更間違いでもない」

「うん。満更間違いでもない」

 彼女は嬉しそうに頷いた。

 僕たちは通りを歩き始める。ふと隣に目を遣ると、穏やかな風がまるで別れを告げるように、彼女の柔らかい髪を撫でている。

「本当は、あの喫茶店で張り込みしてたんだよね。この前見たあの人は、本当にわたしと同じ人だったのかな。もう一回来るかなって。だから、振り返ったらあなたがいてびっくりしちゃった。……見つけた、わたしの運命の人って。そう思ったら、嬉しくなっちゃった」

 彼女の目には、この先の僕たちの姿が見えているのだろう。それならばもう、心配はいらない。僕は彼女の勇気を信頼している。

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