その4
僕は目の前の少女をまじまじと見る。服装、髪型、言葉遣い。例えば、彼女を構成する要素の一部を次々とランダムにスポイトで吸い取って、この世界の上に一滴ずつ落としていったとしても、世界の色は微塵も変わりはしないだろう。決して存在感が希薄なわけでも、その逆で透明感に満ちているわけでもない。だが、彼女は、未来から来たにしては、やけに〈今〉に馴染みすぎている。
彼女が未来人であるとしたうえで、彼女の見たドッペルゲンガーが、時間軸の異なる時代の彼女本人であると仮定する。となれば、未来から来たと自称する彼女Aがこの時代で出会うべきもう一人の彼女Bは、彼女Aよりも過去の時間軸に存在しているということになり、必然的に、彼女Bは彼女Aよりも若くなければいけない。
ところが、彼女Aは、彼女Bの方が年上だったと言っている。
「パズルが成り立たない。つまり君はどこかで嘘を吐いている。一部か、あるいは全部か」
彼女は胸の前で両手を振って、「吐いてないってば」と懸命に否定する。
「そもそも、ドッペルゲンガーってわたし言ったよね? そのドッペルゲンガーさんがわたしじゃなくて、本当にただのそっくりさんだって可能性もあるよね? ……うん、ある!」
「それはない」
僕は否定した。
「なぜなら、ドッペルゲンガーは確実に未来人の話と結びついているから」
彼女は手の動きを止めて、恐る恐ると訊ねてきた。
「どうして、そう言えるの?」
「僕が言うんじゃない。君の中ではそうなんだ」
黙ったまま小首を傾げる彼女の仕草は、早く先を話せというメッセージなのだろう。
「君は、自分が未来から来たことを僕に証明できないとわかると、少し考える時間を作った。そのあとで一体、何を話すのかと思えば、ドッペルゲンガーだ。タイムトラベルとオカルト。一見、相反する内容の話題だけど、あれだけ深く悩んだあとで、突拍子もなく話題を切り替えるだなんて、普通は考えられない。普通は」
「でもわたし、高校の時は偏差値六十八くらいあったよ」
その〈普通〉ではない。
「……訂正する。ほぼ、考えられない」
「なんかよくわからないけど、馬鹿にされた気分」
「とにかく、僕が言いたいのは、君が会ったドッペルゲンガーが年上なはずがないということだよ」
「そんなこと言われたって、年上だったんだもん。あの感じだと、十歳くらい上かな」
「……十歳。十年か」
「ん? どうしたの?」
「いや」
彼女の口から初めて出た〈十年〉という数字には、何か意味があるのだろうか。彼女は記憶を掘り起こしながら、
「でも、十年経っても全然可愛かったよ。いや、むしろ魅力が増してたかも」
「君は自分が好きだね」
「あなたもわたしのこと、そのうち好きになるかもね」
彼女の瞳は冗談とも、冗談でないとも言っていない。僕を翻弄させたいにしては、やり口が雑だ。本心が読みきれない。彼女はわざとらしく、「あ」と閃いたふりをして言う。
「そういえば、ドッペルのわたしは一人じゃなかったんだよ」
「誰かと一緒だったってこと?」
「うん。男の人。同年代くらいだし、腕組んでたから、恋人か旦那さんかも」
僕は一人で腕を組む。
「その男の特徴は?」
訊ねると、彼女は途端に顔をにやけさせた。
「もしかして、気になる? 妬いてる?」
「気になるけど、妬いてない。僕は今、純粋に謎解きをしてるんだ」
「なんだ。お疲れ様です」
「君がけしかけたんだろう?」
コーヒーに目を落とす。会話が弾んでいるわけではないが、だいぶ温くなってしまった。彼女のキャラメル・マキアートもすっかり温くなってしまっただろうかと見ると、じゅうじゅうとストローで最後の一滴を吸い終えるところだった。おかわりを提案すると、「いいね」と彼女も席を立った。
注文の列に並んで立っていると、突然彼女が僕の腕に自分の腕を絡めてきた。あまりにも自然な動作に茫然としていると、「こんな感じだったよ」と声がする。僕を使って自分が見た光景を再現したらしい。
「ここでこうやって一緒に並んでた。わたしもそんなにじっくり見るわけにはいかなかったし、詳しくは言えないけど、結構いけてる人だったなあ」
「他には?」
「二人ともこの時代に馴染んでたから、タイムスリップで来たとか、そういう感じじゃなさそうだった。気づいたのはそれくらい」
「そう」
「あーあ。結構いけてる人だったなあ」
「僕を比較対象に使わないでくれ」
電子決済で手早く支払いを終える前の組とは対照的に、僕はポケットの財布から現金を取りだした。その一部始終を見ていた彼女が、「前時代的だ」と興味津々を装いつつも皮肉を言った。
ご馳走しているのだから、悪口はやめてもらいたいものだ。
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