その3
散々あぐねた末、彼女は意外な切り口で攻め込んできた。
「ねえ、わたしがドッペルゲンガーに会ったって言ったら、どうする?」
「どうする」
僕はその返しを期待しているであろう彼女のために、先程とまったく同じ反応を演じた。
「どうもしないかもしれない」
「えー。なんでまたどうもしないの? 普通、気になるでしょ」
「それは話せる話なんだ」
「ドッペルゲンガーの話をしても、わたしたちの未来は変わらないでしょ? あ。でも、もしかしたら変わるかもしれないのかあ」
彼女が何を言っているのか、僕にはさっぱりわからない。僕は子どもの頃から物理的に可能であるとしてタイムトラベルは信じていたが、ドッペルゲンガーのようなオカルト的な類いのものに対しては常に疑いの眼差しを向け続けていた。
「ひょっとして知らない? ドッペルゲンガー」
こちらの反応が薄いことに利口ぶり始めた彼女に対して微かな苛立ちを覚えつつ、存じていますと応じる。不思議なことに彼女の瞳は本気だった。これでは、先程の未来人発言との打って変わりように僕は驚いています、とは軽々しく言えまい。
「世界には同じ顔をした人間が三人いると言われているね」
「そう! そして、わたしはそのうちの一人に会っちゃったみたいなんだよね」
「いつ?」
「先週くらいかな」
「どこで」
「ここで」
彼女の指はあろうことか、この喫茶店のテーブルを指差していた。
「この時代の話ってこと?」
重要な点を確かめると、彼女はしっかりと首を縦に振った。
「たぶん、向こうはわたしに気づかなかったかもしれないけど。でも、ちょっとまずいことになったかもって」
「どうして」
「ほら、あるでしょ」
彼女は少し不安げに続けた。
「ドッペルゲンガーに出会っちゃうと、その人は死んじゃうって噂」
僕は周囲に溢れるささやかな喧騒と真剣に困惑する彼女との対比に力が抜ける思いだった。
「なんだ。よくある噂だ」
「よくあるから噂になるんだって!」
一理あると感心する。
「僕はドッペルゲンガーの存在自体には懐疑的だけど、その噂については尤もだなと思う」
「えっ、そうなの? へえ、そうなんだ。……なんで?」
大袈裟な反応に、僕は肩をすくめてみせる。
「どうしてヒントを持っている君の方がぴんときていなのか不思議だよ」
「ヒントって?」
「タイムトラベル」
彼女は「タイムトラベル」と復唱し、三秒後には同じトーンで「わかりません」と呟いた。
「仮定」僕は人差し指を立てる。「君は未来からやってきた。とすれば、時間を巻き戻ることで過去の世界に生きている君と出会うこともあるかもしれない」
「あるかも」
「そして、この場合においてドッペルゲンガーに出会うということは、本来、同じ時代にいてはいけない存在が互いを認識してしまうという事象を指す。未来の君が過去の自分を発見するだけならまだしも、過去の君は未来の君がまさかこんなところにいるとは思いもしないわけだ。するとここにタイムパラドックスが起こる。生まれた矛盾を修正するために、例えばどちらかの存在が抹消されてしまってもおかしくはない。……納得した?」
「うんうん。ばっちり。写真の中にいるはずの自分の姿が薄くなったりするやつね」
「有名な演出だね。それで、君が会ったもう一人の君は、いくつくらい若かったの?」
何年後から来たのか鎌をかけてやろうと訊ねると、彼女は「え?」と目を丸くする。それは僕の想定していたものではない、まったく意外な反応だった。
「……あれ? もしかしたら、間違えちゃったかも」
「間違えた」
「あっ、なんでもない。こっちの話! えーとね」
彼女は慌ただしい表情をひとしきり見せたあとで、観念したらしい。テーブルの下で膝を合わせたような改まった姿勢で言う。
「実は」
「実は?」
「……実は、わたしが会ったドッペルゲンガーって、どう見てもわたしより年上だったんだよね」
「まさか」
僕は笑った。それでは筋が通らない。
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