その2
僕は、彼女が向けてくる期待の眼差しから目を逸らしつつ訊ねる。
「持ってないの? スポーツ年鑑を」
「うん」
「じゃあ、どうしろと」
「いいからいいから」
目的が判然としない。果たしてこのまま会話を続けていくことで、彼女は彼女の望む結末に辿り着けるのだろうか。僕にはとてもそうは思えなかった。
「質問。今から何年後の未来から来たの?」
「ちょっと待って。たぶん」
彼女は指を折り始めるも、その動きを途中で止めて、「あっ」と困惑の表情を作った。
「ごめん。言っちゃいけない情報だ、それ。ほら、その情報を明かしちゃったら、未来が変わっちゃうかもしれないし。そんなことになったら、タイムポリスとかに捕まっちゃうよ」
「過去改変罪?」
「確か、そんな罪状だったかも。なんで知ってるの?」
「僕が今、偶然そう名づけたから。……なるほど。それはともかく、君が金輪際話せないというなら、もう何も答えようがないよね。例えば、プロ野球で今年優勝するチームを教えてくれって訊ねても、君の立場では答えられない」
「うん。わたしって野球に興味ないから、全然わからない」
「そういうことを言いたかったんじゃないんだけど」
僕は息を吐いた。この話は終わりだ。
「君は、未来の出来事を語ることができない。僕は、君が未来から来たと確信できる情報を得ることができない。結論として、君の発言には真実性が見出せない」
「信じてくれないの? わたし、未来のこと知ってるのに」
「信じてほしいなら信じさせるだけの証拠を提示するべきだよ。第一、君が未来人であるという証言を僕が信じることによって、君が得るメリットは何かあるの?」
彼女は「うーん」と短く唸ったあとで、一転、けろりとした表情になる。
「ないかも」
「ないんだ」
「うん。でも、知り合いに未来人がいるって、すごく人生が豊かな人っぽくない? 連れて行って、友達の前で自慢できるよ。こいつ未来から来たんだぜって」
「それ、僕のメリット?」
「そう」
僕は目の前の彼女に焦点を定めつつ、知人に彼女のことを紹介するシチュエーションを思い描いてみる。
「きっと笑われると思う」
「わたしの存在は誰かを笑顔にするって証明できるわけだね」
どこまで本心なのか、彼女は己の前向きさを見せつけるように笑う。喫茶店はそこそこ繁盛していたが、客然り従業員然り、誰一人として僕らのあべこべには気づいていないようだ。
彼女に触発されたらしい。僕は自ずと唇を緩めていた。
「君の言うことは正しいのかもしれない。現に僕は少しだけ元気を貰えた気がするよ」
「それならよかった。ナンパした甲斐があったね」
「ナンパじゃない。店の入り口に君が立っていたから」
「声をかけた?」
「声をかけないと君が邪魔で入れなかったんだ。そもそも僕が何て言って声をかけたか覚えてないの?」
「見つけた! 僕の運命の人!」
「……そうか。君のことはよくわかった。じゃあ、未来から来たって君の言葉も嘘――」
「入りたいんですけど、どいてくれませんか」
「なんだ。本当のことも言えるんだ」
「う、嘘は吐いてないよ。だって、些細なきっかけで生まれる恋があったって、ほら、素敵でしょ?」
気を落ち着かせるために、僕は手元のコーヒーを飲む。この店のコーヒーは本当に美味だし、ありふれていて素朴で、どんな世界にも馴染む。僕の舌にもよく合う。自称未来人を前に、こちらも未来の話など野暮だが、例えば、十年後の世界にあっても変わらぬ味が提供され続けているという安心感を抱けるとすれば、それは実に素晴らしいことだ。そういう類いの希望は、この先を生きてみようという微かな光を与えてくれる。もちろん、例えば僕が自殺を考えていて、このコーヒー一杯に救われたといった具合のきっかけには繋がらないまでも。
僕は純粋にコーヒーのために喫茶店を選んだと説明したつもりだったが、彼女は僕が自分に見惚れたからお茶に誘うついでに入店したのだと主張して譲らない。
「君は僕が好きなの?」
「好きっていうか。そう言われちゃうと、うーん、よくわからない。現時点では即答しかねます」
「ああそう。よかった。僕もだよ」
「まあ、そりゃそうだよね。だけど、わたしって、自分で言うのもなんだけど、結構可愛いと思わない?」
何を言いだすかと思いきや、である。だが、口は達者だが、表も裏も飾らない彼女の純朴さを、不服ながら好ましいと感じ始めていた。
「それはどの時代の基準で?」
「もちろん、あなたの時代の基準で。フューチャー・ガールはお嫌い?」
彼女はいずれの時代においても概ね魅力的に映るであろうウインクをする。あまりにも違和感がないのでコメントに困ってしまうところだ。
「いまいち未来感が足りない」
「だから、未来なんです! ……こうなったら、かくなるうえは」
「懲りないなあ。はっきり言っておくけど、別に僕は君を否定したいわけじゃないんだ。君は君が言うように、もしかしたら本当に未来から来たのかもしれないし、あるいはそれは嘘で、ただここの時間の流れに沿って生きている現在人かもしれない。妥協案だ。そういう結論で良いじゃないか」
「それじゃ駄目」
「何が駄目なの?」
「それは」と区切ったあとで、彼女は口を閉ざしてしゅんとなる。その先の言葉は、ひょっとすれば〈過去改変罪〉に抵触してしまうのだろうか。
僕はコーヒーを飲みながら、ゆっくりと彼女の発言を待つことにした。
彼女はキャラメル・マキアートをストローで吸いながら、ぼんやりと考えごとをしている。詩的な表現の中でも特段履き潰されたそれを援用するならば、その姿はまるで初恋に夢を見る少女のようだった。
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