第8話 敗北者

「護るため…。」

瑚羽は静かな声で呟いた。


 言葉も表情も幼い子供には見えない紗沙を見つめる。自分よりはるかに年下の少女だが強い心を持つと分かった。多くのことを乗り越えてきたのだろうと思った。

そうでなければここまで強くなれない。


「わたしはそう思う。」

紗沙はしっかりとした口調で言った。


 まっすぐに自分の想いをぶつける少女の言葉に瑚羽は静かに自分のことを考えるようだった。何かを想うようだった。


「大きな力を持つ者同士はいずれぶつかります。どちらが強いのか。また、どちらが上に立つのか決めるために。」

玉水は静かに話す。


 大きな力を持つ者同士はぶつかることになる。そのために多くの者が巻き込まれて理由なく傷つく。いつの時代も弱きものが犠牲となる。


「ぶつかる。」

紗沙は首を傾げた。

その先に何があるのか。未来があるのだろうか。


「その先にあるのは戦争です。」

玉水は紗沙を見つめる。


 強い力は色々な方面に大きな影響を及ぼす。その力のぶつかる先にあるのは戦争だ。

すべてを支配するために力で相手を抑圧する。邪魔な存在を排除するため。従わせるために争う。それが愚かだと、醜いことだと誰も気づかない。

戦争では多くの血が流れる。力を持たない弱き者が犠牲となるのが戦争だ。


「戦争…。」

紗沙は静かな声で言った。


 玉水は戦争について愚かで残酷なことだと知っていることを教えてくれた。

とても悲しかった。怖いと思って泣いたことを覚えている。

はるか昔から人間たちは戦争を何度も繰り返してきた。過ちだと気付かずに時代を超えて繰り返してきた。その度に多くの血が流れ、弱き者が犠牲となった。


「奴隷は戦争の敗北者だ。」

瑚羽は言った。


 それが彼ら4人のような人々。戦争の敗北者の子孫たちだ。


 紗沙は何も言わずに玉水を見上げた。それが答えなのかと答えを求めるように。

否定してほしい気持ちがあったが、賢い子は分かっていた。それが事実だと。


「そうです。戦争に負けた者は見せしめとして人間として扱われることなく生きる他なかったのです。」

玉水は悲しそうに言った。


 負の連鎖は戦争から始まった。大きな力を戦争で失った。

敗北したことで大きな代償を払った。敗北者は逆らうことへの見せしめとされた。

彼らはそのためにだけ生かされた。敗北者として勝者の所有物となった。

何世代もずっと支配されてきた。その血が流れる限り終わりはない。彼らには希望も未来もない。ただ生きる。それだけだ。


「同じ人間なのに…。」

紗沙は悲しそうに言った。


 人間はモノでも誰かの所有物でもない。

髪の色や瞳の色、肌の色が違う。人格も違うが、それは小さなことだ。

すべての者の身体の葉赤い血が流れる。その身体に生命が宿る。

生命は等しく尊く、何物にも代え難いものだ。

皆、この世に生まれた時から自由だ。誰もが己のために生きられるはずだ。己の人生を選べるはずだと信じていた。

だが選べない者がいることを知った。


「そうですね。」

玉水は静かに頷いた。


「奴隷は生まれてから死ぬ時まで敗北者として生きていくしかない。他に生きる道がない。選ぶこともできない。」

瑚羽は淡々とした口調で言った。


 敗北者として生きるしかない現実を知っている。見せしめとして生かされる者がどんな人生を送るのか末路を知っている。

血が受け継がれる限り続いていく。ただ、勝者の下で己の意思はなく所有物として生かされる。

悪夢は永遠のように続き、光のない闇の世界に生きる。


「そうか。」

紗沙は静かに頷いた。

自分のすべきことが分かった気がする。


「紗沙。その昔、彼らのような人々は、この王国だけではなくどの王国にも存在したのですよ。私たちの故郷にも存在していました。」

玉水は静かな声で言った。


 幼い少女に大切なことを伝えなくてはいけない。彼らのような人々は自分たちの故郷にも、どの王国にも存在していた。

その時代においては特別なことではなかった。


「でも…。」

紗沙は言葉を飲み込んだ。


「なくなることはない。」

瑚羽は諦めたような瞳で言った。


「なくならない…。」

紗沙は考えるように言った。


 どの王国にも存在していたことをなぜ自分が知らないのか考える。今日まで知らずに生きてきた。

この王国へ来るまで知らなかった。


 玉水と旅をして5年になる。2人で七宝中を旅してきた。

いつでも自由に色々な場所へ行った。多くの人々に出逢い、友人となった。

自分の目で多くのことを見てきた。つらいことも悲しいこともイヤなことも多くあった。時には見たくないようなこともあったが見てきた。


 だが、彼らのような人たちを見たことはなかった。知る限り一度も見たことがない。

自分は存在も言葉も知らなかった。

1つだけ分かることは、現在の故郷には存在していない。過去にはいたかもしれないが今はいない。


「100年ほど昔のことです。黄金王国が他の王国の中心となり、その差別は、一応は撤廃されたのです。」

玉水は言った。


 過去の黄金王国には存在していた。このことを伝える日が来ることは分かっていた。思っていたより早かった。もう少し先であってほしかった。


「でも残っているよ。」

瑚羽は言った。

この王国には残っている。100年前に終わらなかった。


「本当に終わらせるためには永い年月と何よりもそのための惜しみない努力が必要となるのですよ。」

玉水は静かに微笑んだ。


 まっすぐに優しい瞳で紗沙を見つめる。教え導いていくために言葉を選ぶ。

永い年月、ずっと続いていたことを終わりにすることは容易ではない。

難しく大変なことだ。

それは人間の心が関わる複雑な問題だ。多くの障害があり高い壁がある。

だが超えなくてはならない壁だ。未来はその先にある。

すぐに終わることはない。終わらせるためには永い年月が必要だ。多くの人々の惜しみない努力が必要だ。その努力が力となる。群衆の力ほど強いものはない。不可能はない大きな力となる。


「永い年月。」

紗沙は静かに言った。

どれくらいの年月だろうかと考える。なぜ時間が必要なのか。


「それほど根は深く、とても複雑な問題なので時間が必要なのですよ。」

玉水は静かな声で言った。


 何百年もの間、続いていたことがそう簡単に終わるわけがない。それだけ根が深い問題だ。


「そうか。」

紗沙は静かに頷いた。


 この王国は30年、遅れていると言った玉水の言葉を思い出す。ここへ来てその意味が分かった気がする。


「まだ残っていたのですね。」

玉水は静かに言った。


 この王国の現実は知っていたから覚悟をし、受け入れたつもりでいた。だが、現実は甘くない。

なくなっていてほしいと願い、できれば見せたくなかった。


「表向きには、なくなったことにしているらしい。でも現実にはなくなっていない。」

「表向き?」

瑚羽の言葉に紗沙は首を傾げた。


「他の王国に向けてそういうことにしているのですよ。他の王国と対等であるということ。同じ立場だということを示したいのですよ。」

玉水は静かに答えた。


 それが答えだ。体裁のために周りの王国に隠している。だから珊瑚王国は取り残されているのだ。

紗沙は静かに考えこんだ。



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