第3話 大切なこと
「紗沙。」
玉水は何度も呼んできた愛しい子の名を呼ぶ。
「ん…。」
「おいで。」
玉水は、首をかしげた紗沙の身体を起こして抱き上げた。
幼い少女と同じ目線になり向き合う玉水の表情は真剣だった。
これから大事なことを伝えなければならない。それがよく分かる表情だった。
「紗沙。この王国のことで1つ覚えていてほしいことがあります。それは、とても大切なことです。」
玉水は落ち着いた口調で言った。
「分かった。」
紗沙はしっかりと頷いた。
何か分からないが大切なことだと感じた。玉水がこんな言い方をすることは珍しかった。その表情からも余程のことだと理解した。表情も声のトーンもいつもと違い別人のようだった。
そして紗沙は知っていた。この王国には重大な何かがあるということを知っていた。
どんなことが起こるか分からないが、ここまで来たのだ。引き返すことはできない。
「この王国は貧しいのですよ。」
「え。」
玉水の言葉に紗沙は驚いた。
「この王国はその昔、珊瑚王国というその存在自体を長い間、他の王国に知られていいなかったのですよ。」
玉水は静かな声で言った。
幼い少女に伝わるように分かりやすく言葉を選ぶ。始まりから話していく。
はるか昔のこと。七宝国となる前のことだ。
この王国は他の王国に存在が隠されているかのように知られていなかった。
誰も知ることのない時代のことだが、今の時代につながる。過去から現代、未来へとつながっていく。
「知られていなかった?」
紗沙は静かに尋ねた。
どういうことか考える。他の王国に知られていないことが貧しい事とのつながりが見えてこなかった。
「そうです。知られていなかったので、この王国は長い間、孤立していたのです。」
「孤立…。」
玉水の言葉に紗沙は静かに頷いた。
幼い少女は、玉水の言葉の意味を1つ1つ考えていく。
「ええ。この王国は他の王国とのつながりのないまま歴史を重ね、そして取り残されていったのですよ。」
玉水は静かに微笑んだ。
この子はまだ幼く知らないことも理解できないことも多い。それでもこの子に伝えていくことが自分の役目だと分かっている。だが、時には伝えたくないこともある。
珊瑚王国は長い間、他の王国と関りがなかったため、孤立していた。繋がりのないまま歴史を重ね、独自の文化を創り上げた。この王国だけの固執した文化だ。
ずっと他の王国を知らずにいたので他の文化を見てこなかった。だから閉鎖的な小さな世界だ。自分の王国だけで積み重ねたものだけを信じた。それがすべてだと多くの民が信じた。
そしてこの王国は時代の中に取り残された。
「そうなのか。」
紗沙は玉水の言葉を考える。
1つずつ頭の中で整理していく。情報を組み立ててまとめていく。答えを見つけるために情報をつなげていく。
「孤立していたので、この王国はすべての事が遅れているのですよ。あなたが知っているどの王国よりもね。」
玉水は核心に触れた。
この王国を歩いて行くためには必要な知識だった。立ち止まることのないよう、迷うことのないよう知っていてほしい。
「遅れてる?」
「文明も生活も遅れているのです。」
紗沙の問いに玉水は静かな声で伝える。
この王国は文明も生活もすべてが遅れている。
とても狭い世界にいる。他の王国との関りやつながりを持たなければ偏って世界は狭くなる。
だが、それは変えていける。広げていける。門扉を開けて行けばいい。そうして進化を始めて未来がある。
他の王国と交流し文化を知ることで王国の進化につながる。そして限りない可能性が広がる。自分たち独自の狭い世界に固執してしまえば王国は進化なく止まり、取り残されていく。
「文明と生活。」
紗沙は首を傾げた。
どういうことなのか分からない。文明も生活も遅れているとがどういうことなのか。遅れていることをどう比べるのか。誰が決めるのかよく分からない。
「広い世界を知り、他の王国と交流し、つながりを持ち互いのことを受け入れていくのですよ。その先に未来があります。広い世界を知らなければ遅れていきます。」
玉水は穏やかに微笑んだ。
他の王国と交流し、つながりを持ち互いを受け入れた先に王国の民たちの未来がある。広い世界を知ることがなければ遅れていく。
「どうなっていくんだ?」
紗沙は静かに問いかける。
その先がどうなっていくのか。どうつながっていくのか全体のつながりがまだ見えてこない。見えているのはほんの一部だと気付いた。
あまりにも複雑な問題だ。王国という規模も大きく手に余る問題だ。だから多くの情報が今の自分には必要だ。
分析するための情報であり、この王国を知るための情報だ。すべてにつながる答えを探す。
「貧富の格差が生まれます。」
玉水は落ち着いた声で答えた。
この王国に潜む闇。この王国を歩いて行けば目に見えて明らかになることだ。幼いこの子には、まだ理解できないことだからこそ伝える必要があった。立ち止まることがないよう迷わず進めるよう伝えて心の準備をさせる。
「え…。」
「進化により王国が豊かになります。王国が豊かでなければ、王国内の貧富の格差は大きく広がっていくのです。」
玉水の表情は真剣だった。
貧富の格差が広がることがあってはならない悲しいことだが現実だ。進化がなければ格差は手が付けられないほどに広がっていく。
だが広い世界を知ること。その先に王国の進化がある。
進化が王国を。そして民を豊かにする。人々の心が豊かになれば世界が広がる。
だからこそ王国は進化し続けていかなければならない。豊かでなければならない。
すべては民のため。その心が平和であるように。豊かであるように進化を続けなければならない。王国にはその義務がある。
「そうなのか。」
「ええ。この王国は、あなたの知っている世界より、どの王国よりも30年、遅れていると思いなさい。」
玉水は静かに言った。
この30年の年月の差は大きい。埋まることのない大きな差がある。外からは見えない内面だが、はっきりと分かるだろう。
「30年…。」
紗沙は静かに呟いた。
その30年の年月がどれほどの時間の流れなのか分からない。今の段階で分かることは、他の王国と同じだと思ってはいけない。そういうことだ。
「戸惑うこともあるでしょう。」
玉水は静かに微笑んだ。
幼い少女を静かに見つめる。まだ11歳の幼い少女だ。戸惑うことも立ち止まることもあるだろう。
いつでも動けるほど歩いて行けるほど強いわけがない。心も成長の途中だ。すべてを受け入れるには幼すぎる。
「うん。」
「けれど、あなたも私もこの王国でそのことを受け入れていかなければなりません。それは大切なことです。」
玉水は静かに伝える。
自分が幼い子に難しいことを言っていると分かる。すべてを受け入れるなど大人でも容易ではない。
それを幼い少女に課す。重荷を背負わせることになる。酷なことだと分かっているが、この子は逃げられない。
「分かった。」
紗沙は明るく笑った。
「紗沙。これから、あなたにはつらいことや苦しいこともあるでしょう。けれど、あなたはどんなことも乗り越えていくのですよ。」
玉水はにっこり微笑んだ。
いつでもこの子に自分のすべての愛情を注ぐ。愛するために名を呼ぶ。
長い人生だ。これから先、この子にはつらいことや悲しいこともあるだろう。だが、どんなことも乗り越えてほしい。
そして自分の運命に立ち向かってほしい。いつでも強い心で前を向いてほしい。
「うん。」
紗沙は明るく笑った。
「良い子ですね。」
玉水はにっこり微笑んだ。
この子は本当に良い子だ。物分かりが良すぎるくらいだ。この子の年なら、もっと我が儘でもいい。
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