人里離れた湖畔にて③


「お姉さん!」


 先程の、聞き覚えのある可愛らしい声が響く。シルフィードの声だった。


「さっきはごめんなさい! 怪我はしてない……?」

「うん、大丈夫。でも、よくここまで……」

「抜け道を見つけてそこから入ってきたんだ。……よかった、あのあとお姉さんが死んだりしたら……」


 うるうると涙ぐむシルフィードの頭に手を置いて、そっと撫でた。


「……元気出して。私は生きてるから。湖に戻ろう」


 シルフィードは涙を手で拭い、自身の起こす風でシオンを浮かび上がらせて湖の方へ戻っていった。

 崖の中にいたときには気づかなかったが、太陽はすでに山の方へ沈みつつあり、青色と赤色が美しいグラデーションを描いていた。


 湖に到着して服を着替える。

 不意にシオンは、昼から何も食べていないことに気づいた。

 それでも特にお腹は減らないし、生きていく上で支障がない。元々魔法使いという種族は、人間が生きるために必要な食事も睡眠も不要なのだ。

 食べ物は嗜好品であり、生きるために食べることはない。

 それでも、シオンは毎食欠かさない。睡眠は人より多いかもしれない。ここ最近は、よく疲れがたまっている。

 それは、人間と同じように生き、過ごしてきた名残だ。かつて自分が皆と同じ人間だと思っていたときと同じ生活。


「何か食べるもの、ないかなあ……」

「ん? お姉さんお腹空いてるの?」

「お昼から何も食べていないの。この森に何か食べられる木の実とかある?」

「それなら沢山あるよ! ちょっと待っててね!」


 シルフィードは意気揚々と目の前から姿を消していった。これで、今晩は困ることはないだろう。

 シオンはフロスティアの元に戻った。すでに目を覚ましており、湖に映る夕焼けをぼんやりと見つめていた。


「シオン、お前どこに行っていた?」

「ええと……シルフィードがいたから、その子と少し……」

「そうか。ああ、昼寝が過ぎたな。夜の間にでも街に出て宿でも探すか?」

「今日はいい。ここで泊まろう」


 しばらくたって、両手に抱えきれないほどの木の実を持ってきたシルフィードとともに夜を過ごした。

 シルフィードは妖精達に許可をもらって、炎を焚くことにした。

 夜はまだ肌寒い。どれだけ外で過ごすことが増えても、体がそれに慣れることはない。

 炎を起こすと、小さな赤い炎が目の前でめらめらと燃えていた。


「……」


 赤い炎に、昼間見た夢がフラッシュバックする。

 炎……小さければ、人に温もりを与える存在であるのに。大きくなればあっという間に全てを飲み込んでしまう。


「お姉さん? もしかして、あまり美味しくなかった?」


 表情に表れていたらしい。シルフィードがシオンを気にかけて声をかけてくれた。


「ううん、美味しいよ」


 精霊は自然の具現だ。この炎と同じように、元はただの自然現象でしかない。

 そして精霊は、言動に裏表を持たない。喜怒哀楽がそのまま自然の力となる。

 だから単純で分かりやすい。無駄な気を遣うこともない。疑心暗鬼にかられることも。


(人はどうして、そうも上手くいかないの?)


 甘酸っぱい木の実をかじり、無数の星が煌めいている夜空を見上げてそう心の中で嘆いた。



「また来てねお姉さん……ばいばい」


 湖畔を発つ。シルフィードが名残惜しそうに、目尻にたまった涙を拭きながらシオン達に大きく手を振って見送っていた。

 シルフィードと語り明かした夜はとても楽しかった。休憩というに相応しい空間だった。


「昨日の夜は楽しそうだったな」

「そう……? 確かに、あの子といろいろお話するのは楽しかったな」

「お前は、精霊相手には生き生きと話せるんだな。人間相手でもそれでいいのに」

「……そうできたら、いいんだけどね」

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