昔話④


「__そう、私はあの日からシオンの隣にいるの。シオンが寂しい時はいつもそばにいて、草木が眠る時間になってもお喋りにふけていたわ。私とシオンは二人で一人なの。私がいないとシオンは生きてはいけないの」


 目の前の少女は、歌うようにくるくると回りながら話した。

 外見はシオンとほとんど何も変わらないというのに、正反対、真逆、対照的。そういう言葉が似合う少女だった。


「……なぜ、シオンはお前の存在を俺には言わなかった?」


 ハルというシオンの片割れ、人格の存在があること自体に、特別な感情は抱いていない。むしろ、彼女の存在がシオンの心の安泰を保っているのだと考えると、彼女の存在はありがたいもの。

 そのことを事前に言ってくれていたのなら、フロスティアもそのことをふまえ、シオンと接していただろう。


「恐れたから」

「恐れた……?」

「貴方に私の存在を知られると、私はシオンにとっての唯一無二の存在ではなくなってしまう……シオンはそう考えたんでしょうね」

「知られることも嫌だったと?」

「シオンにとっては私が全てだったのよ。私しか信頼できる者がいなかった。シオンは私が、貴方と交流を持つ事によって自分から離れてしまうって、思ったんでしょう」

「交流はいらないとしてもか」

「シオンの価値観は貴方とは違う。シオンなりの考えがあるし、私はそれを尊重しようと思っている。貴方こそ、どんな考えを持ってシオンと一緒に旅をするって決めたの? 単なる気まぐれなんかじゃないでしょう?」


 シオンの考えがある。ハルの考えも、また別として存在している。

 ならば、フロスティアの考えは?

 今でこそ、シオンとフロスティアは互いを大切に思い合っている旅仲間である。が、出会って間もない頃は、相容れない存在。反りの合わない者同士。フロスティアと出会って、旅をすると決めるまでの時間は、長くはない。一日二日で決まったもの。そんな短期間で、何がフロスティアの心を動かしたのか。


「……人間に似ている魔法使いのシオンに興味が湧いた……じゃ、理由にはならないのか?」

「その理由は、そんなにも貴方の心を動かしたもの?」

「……いいや、俺にも分からない。ただ何となく、シオンの旅の手助けでもしてやろうと思った。ちゃんとした動機はない」


 あの日、シオンが洞穴を訪れて「旅に出る」と、何の恐れも感じさせない表情で言った時。

 __なぜ、あんなにもシオンに積極的になれたのか。その答えは、フロスティア自身にも分からなかった。

 生き物の心とは、曖昧模糊として綺麗に線引きの出来るものではなく、その時その時で絶えず動き、心の色が変わっていくものなのだろう。

 そんなぼんやりとした感情をくみ取って何とか相手に伝えようと『言葉』という手段を用いて、己の人格を知ってもらおうとした。

 シオンも、フロスティアも、それが得意ではなく。


「似た者同士だったから、でしょうね」

「何?」

「これは、次会うまでの宿題にするわ。……さあ、もうすぐシオンが起きてしまう。私はここでおいとましないと。……私に会ったことは、シオンには内緒にしておいて」

「待て、まだ話が……」


 フロスティアが言い掛けた頃には、目の前が眩い光に包まれ、また元の湖畔に戻っていた。


「ん……ぅ」


 フロスティアは隣で眠っていたシオンの存在に気づいた。

 シオンはぱっと目を覚まし、上半身を起きあがらせた。


「……? フロスティア……?」

「……湖畔だ。妖精の住む森だから、人が入り込む事はまずないだろうよ」

「……あぁ……そっか……」


 シオンはそれまでの出来事を思い出したように顔をうつむかせ、再び顔をあげて湖の方を向いた。

 遠くには針葉樹がそびえ立つ深緑の森が広がり、山が幾つもあった。街には、あれだけ多くの人間が縦横無尽に行き交っていたというのに、この森は、静かだった。

 わずかに、人間ならぬ他の生き物の気配も感じた。鳥や野生の動物達、或いは姿を隠し辺りを飛び回る妖精の気配かもしれない。


「気が済むまで休めばいい。焦る旅でもないんだからな」

「……うん」


 フロスティアは体を丸め、今度は自分が休む番と言わんばかりに目を閉じ、眠りについた。



「……っ」


 思わず、震えた声を噛みしめ、恐怖を押し殺す。

 声に出せば、フロスティアは必ず起きるだろう。そして、開口一番に自分を気にかける言葉を言うだろう。

 だから、シオンは声を殺して、誰にも気づかれないように、静かに泣いていた。


(……怖い、夢を見た)


 昔の夢だった。

 本来ならば、郷愁に浸って懐かしむべき夢だった。

 せめて、夢の中だけでも、幸せになってみたかった。

 いつまでも平穏な日々が続き、やがて訪れる両親との別れも、人間とは違う存在だと理解していた自分なら、その苦しみを越え、いつまでもその明るい声と表情を保って、また日常へと戻っていったのだろう。

 ……夢は記憶の写し鏡。捏造の記憶は夢に現れてはくれない。


(……怖くない……だって、ハルがいるんだもの……)


 シオンはもう幼子ではない。

 だが、なぜだろう。過去の、幸せだった頃の自分と比べると、今の自分はずっと未熟で情けなくて、何も出来ていない。

 ……なぜ?


(こんなに泣き虫なのも、こんなに誰かに何かしてあげられないのも、こんなに、弱いのも……)

『そんなに思い詰めないで』


 またいつものように、彼女に慰められてしまう。


(私は、いつからこうなってしまったの? 昔はあんなに容易く出来ていたものが、今は少しも出来ないの)

『今、シオンは頑張って自分の壁を越えようとしている。過去を乗り越えようとしているのよ。今はその壁が、自分よりも遙かに大きくて、登りきれないだけ。たくさん足場を積み上げるの。そうしたら、いつか自分にも届くぐらい、高いところにたどり着くわ』

(いつかって、いつ? それは、私が旅をしている間に越えられるの? 私が生きている間に、登りきれる壁なの?)

『まだ足場を積み上げたばかりだから、てっぺんが見えない。だから不安を抱くのも、しょうがない。だけど苦は永遠には続かないの。シオンには、その苦が、少し長すぎたのかもしれない。けれど、その分楽がある。シオンが苦労してきた分だけ、シオンは幸せになれる』

(……せめて、私の目の前を照らしてくれる光が欲しい……。なんでもいい、それを目印に、自分の力だけで、歩いていきたいの……)

『……シオンは、一人でなんでもやろうとしすぎる。暗さで周りが見えないのね。……光は、シオンが自分で作るのよ。そしてその光で周りを見て。たくさんの人がいるはず。そこの竜も一緒にいる。そういう人達と一緒に歩んでいくの。暗闇でも、皆が一緒なら怖くないでしょう?』

(……他人が少し、怖いんだ……。いつか私を裏切って、置いてってしまうと思って、近寄れない)

『竜が、いつかシオンを裏切るって思ってるの?』

(……それは……)

『色んな人がいるわ。その中には、シオンに酷いことをする人もいる。でも、逆の人もいる。その手をどう受け取るかは、シオンが決めることよ』


 そう言って、ハルの声は消えてしまった。

 ハルと話すと、心が落ち着く。あれほど流した涙も止まっていた。

 まるで、魔法にかけられたような。


「魔法……」


 そう言えば、フロスティアは街での騒動の時に、ハルが表に出ていた間に使った魔法のことを話していた。

 あれは、一体何の魔法だろう?



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