昔話③


 それから、数百年の時があっという間に過ぎ去った。

 ある日、シオンは普段行かない森の奥へ散策しに行っていた。何か怖いものが出てきても、自分にはハルがついている。だから大丈夫。

 大きな洞穴を見つけた。相当深い。

 この洞穴を、住居として使えるかもしれない。そう思って、暗い洞穴を手探りで進んでいくと。


「……誰だ」


 ひときわ大きな、美しい竜がいた。

 青白の光る肌。結晶をいくつも張り合わせたかのような美しい一対の翼。宝石のように輝く瞳。


「精霊竜……」


 シオンが真っ先に思った言葉が、それだった。

 その竜からは、禍々しい雰囲気が微塵も感じられなかった。どちらかと言えば、精霊と同じ神聖な生き物だった。


「……へぇ、俺が怖くないのか」


 竜は流用に喋った。顔をシオンの目の前に持ってきて、お互いの瞳を見つめ合った。


「貴方からは……精霊と同じものを感じる……」

「ほう。……そういうあんたも、人間じゃあないな。どちらかというと、夜に生きる魔女の雰囲気だ」

「……そうだよ。私は魔法使い」


 シオンは『魔女』という言葉を嫌い、『魔法使い』と名乗った。


「私を、食べるの?」

「生憎だが、人間も魔女も喰わない主義だ。自殺を所望なら他を当たりな」


 竜のぶっきらぼうな態度に、シオンの心が傷つくのを感じた。

 それを見かねたのか、一人の精霊が一人洞穴の外から飛び入ってきて叱責する。


『こーらぁ、フロスティア! この子をいじめちゃ駄目でしょう!』

「はぁ」


 精霊はどうやら竜__フロスティアを知っている様子で、シオンを庇いながら叱った。その精霊はシオンによく食べ物を分けてくれたり、道を教えてあげたりしてくれる面倒見の良い姉のような存在だった。


『はぁじゃありません! 全く、耳貸せ馬鹿!』

「馬鹿とは人聞き悪いな!」


 精霊はフロスティアの耳元に飛んでいき、シオンに聞こえない声で耳打ちをした。シオンの事情を知っていた精霊の、配慮だったのだろう。

 耳打ちし終わると、精霊は外へと飛んでいった。シオンが呆然としていると、フロスティアは奥から金貨一枚取り出してシオンに渡した。


「……さっきの失言は謝る。詫びだ」

「えっ……待って。私……そんなつもりは……」

「そいつがありゃ、数日分の食事には困らないだろうよ。近くの人里にでも行って使え」


 シオンは戸惑った。

 金貨など渡されても、シオンには猫に小判も同然だった。

 物々交換や自家栽培が主流だったかつての村暮らしでの常識は、数百年経った今では通用しないのだ。


「どうした? いらないのか?」

「いや……私、これの使い方、分からない……」

「人里に住んでたんだろ?」

「……自分達で育てたり、ものを交換するのが普通だったから、それを渡されても、私には使えない」

「……」

「……ごめんなさい。じゃあ、私は帰ります」


 シオンはそう告げて、洞穴から足早に出て行こうとした。すると背後から、フロスティアに襟を掴まれ引き留められた。


「きゃっ」

「まあ待てよ。……そうだな。数百年前と今じゃ人間共の常識は全く違う」

「……?」

「……だが、また人間と暮らしたくはないのか? 元は、人間に育てられた身だろ。恋しくはならないのか」

「……ならない。私は魔法使い、人間と一緒には暮らせない」


 人間と暮らせば、また不幸になってしまう。


「魔法使いだったら、なんだって言うんだ?」

「え……?」

「今と昔は違う。人間の寿命は短いからな、この数百年だけで魔法使いに対する考え方だって変わってるかもしれない。お前はそれでも嫌なのか?」

「……人間は、弱いから……」

「弱いのは、お前の方だ」

「!?」

 フロスティアに言われて、驚きのあまり、それまで俯きがちだった顔をあげた。


「魔法使いなのに、人間によく似ている。……あんまり強くは言わないがな、お前は自分の弱さを、種族の違いを盾にして言い逃れしている」

「……そう、なの……?」

「なんでお前はそう自分に自信がないような顔をする? ……つまりは、そういうことだ。自分から変わろうとしない限り、お前はずっと、今のままだぞ」

「……」

「……分からないことがあったら、また来ればいい」


 そう言い残して、フロスティアは洞穴の最奥に戻っていった。

 シオンは心の中にもやもやとしたよくわからない感情を残したまま、自分の寝床へ帰った。

 小雨が降り始めた。雨音を聞きながら、シオンは寝転がってぼうっと外の景色を眺めていた。


(……そうだ……あの日から……)


 あの日から、自分は自分の存在に、価値を見いだせなくなっていた。

 それまでずっと、村の人達の役に少しでも立とうと頑張っていたのに。どうして、こんなことになってしまったのだろう?


『浮かない顔をしているね』


 シオンに語りかける声。ハルの声だった。


「……私の、存在価値ってなに?」

『難しいことを聞くのね。誰かに何か言われたの?』

「今日、精霊竜に会った……その竜に」

『……そう。貴方の存在価値……私やこの森にいる精霊達の為じゃ納得できない?』

「でも、それは私からは何も出来ていない……村にいた頃は、皆で助け合っていたのに、今は私が助けられてばっかり……」

『誰かの役に立つことが、シオンにとっての自分の存在価値なのね』

「うん……」


 誰かの役に立たなければ、誰かに必要とされなければ、シオンは自身の存在価値を見いだせなくなってしまう。


『……シオンには、難しいことかもしれないけれど』


 ハルが、一つの提案をした。


『旅をするのよ。この世界はシオンが思っているよりも広い。そこでシオンがどう感じるのかは私にも分からない。けれど、自分探しの旅、いいと思うよ』

「自分探しの、旅……?」

『色んなところに行って、色んな人達に出会って、シオンの考えに、何かヒントをくれるかもしれない。……いきなりだから、頭の片隅にでも、置いてくれればいいわ』

「……」


 シオンが考えついたこともないことを、ハルは言った。いや、本当は解決策の一つとして、すでに考えていたのかもしれない。

 シオンは自分で決めることが、怖くなっていた。だから、ハルに助言を求めた。ハルは、シオンの思っていることをわかりやすく代弁しているに過ぎない。

 次の日、シオンは再びあの洞穴へ訪れた。


「……竜精さん」

「フロスティアでいい」

「フロスティア……さん」

「さんもいらない。何か用があってきたんだろう」


 シオンはフロスティアを前に、緊張した表情でいた。

 しかしシオンは、言いたいことを伝えねばならない。


「……私は……旅に、でます」

「……そうか」

「あいさつにだけ、来ました。……それでは」

「待て。一人で行くのか」

「……そう、だけど……」


 本当は、一人ではなく、ハルも一緒だ。だが、それを言えるほど、その時のシオンは強くなかった。


「俺も、一緒に行ってやる」

「…………えっ?」

「これほど便利な移動手段もないぞ。それとも、俺がいると邪魔か?」

「……いや……意外、だったから」

「意外か。確かに、ここらの精霊に知れ渡ったら、お前と同じ反応をするだろうな。……いつ出発するつもりだ?」

「今日……だったんだけど、明日にする」

「なら、明日の朝だ。また、ここに来い」

「分かった。……あっ」

「まだ何かあるのか?」

「大したことじゃなくて……私の名前はシオン、っていうの。……それだけ」


 それだけ言って、シオンはさっさと洞穴から出て行った。

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