昔話②


 __破滅の危機。

 世界はどん底に陥れられた。明日にはきっと、世界がなくなってしまうかもしれない。

 そんな瀬戸際の状況に立たされた人々の心はどんどん荒んでいき、発狂する者も現れた。

 不安定な気候は、世界の終焉の予知であったのかもしれない。心もさながら、世界まで。その破滅の危機に穏やかに過ごせる生き物は誰一人といなかったのだ。

 たびたび起こる嵐によって、村は壊滅状態にまで追い込まれてしまった。復旧が追いつかないのだ。

 そうした異常な天候が続くのも、『破滅の危機』という、世界の終焉の危惧によるものだった。そんな状況下に置かれて、心の弱い者__人間達は、どのような行動に出るか。

 大抵の者は、絶望へと突き落とされた。自殺に追い込まれる者もいた。その反面で、冷静に世界を見守る者もいた。


「一体、何がどうなっているの……?」


 村の人々は皆、破滅を恐れ、そしてその恐怖を紛らわそうと、誰かにその罪をなすりつけようとし始めた。


「シオン」

「はい」

「貴方は……この奥に隠れていて」

「え……?」


 度重なる暴風雨で建物の屋根がほとんどなくなり、村人には雨をしのぐ場所がなかった。

 しかし、シオンの住む家には、ずっと昔からシオンを隠し育たせるために作った隠し部屋があった。それは、井戸につながる小さな地下室だった。そこなら、多少の雨をしのぐことも出来る。


「そんな……お母さんとお父さんも入ろう……! ここなら雨がしのげる! もう体も強くないのに……!」

「私達はもう老い先短い。それに、私達はまだやるべきことがある。せめて、貴方だけでも生きるのです」


 そう言って、シオンを隠し部屋に押し入れてドアを閉めた。

 その時丁度、正面玄関から雪崩のように押し寄せてくる醜い村人達が、ドアをばんばん強く叩きながら言い放った。


「出てこい、災厄の魔女め!」

「お前がいるから、俺達はこんな目に遭ったんだ!」


 魔女、という存在は、彼ら自身の弱い心を正当化するために丁度良い存在だった。

 人間は簡単に手のひら返しをする。自分の立場が弱くなれば、隣人でさえも悪人にしてしまう。


「いるんだろう!? 出てこいよ!」

「この裏切り者が!」

「お前等のせいだ!」


 罵声を浴びさせる者のほとんどは、幼い頃、シオンと共に地を駆け回り遊んだ若者達だった。そんな皮肉な光景をシオンが見たらどうだろう。悲しみのあまり、自らを死に追いやるに違いない。


「お母さん、開けて! どうして……嫌……! 皆で生きて……!」


 六十を過ぎた体でも、子供一人を扉越しに抑えつけるだけの力はまだ残っている。

 心惜しいが、仕方ない。それが、シオンを守るための唯一の方法なのだから。


「いたぞ!」


 やがて若者が、壁を登ってなくなっていた屋根の上から家の中へ進入を始めようとした、その時。

 大きな雷が、村の中心に落ちた。


 ______


 シオンは、一人うずくまっていた。

 結局は、『魔女』という自分が、この村をこんな目に遭わせてしまっていた。

 扉越しからは、わずかに炎の燃え盛るような音と、静かに降る雨の音が聞こえていた。

 その時、扉に火が移り、形を保てなくなった扉が、シオンめがけて倒れてきた。


「!」

 幸い、致命傷ではなかった。しかし、肌は酷い火傷を負い、髪が焼け焦げとても無事という状況ではなかった。

 そして、扉がなくなってしまったことによって見た、目の前の惨状。

 村人は、見る影もなかった。当然、シオンの両親も。焼け落ちた瓦礫に埋もれ、その姿は伺えなかった。

 瓦礫がまた一つ落ちた。シオンの頭上へ。


「いぎっ……!」

 ローブに移った炎が、ゆっくりとシオンを包み込もうとした。シオンはすぐに、そのローブを脱いで捨てた。

 膝をつき、火傷を負った手を地面についた。炎のせいで、地面は酷く熱かった。このままでは、自分も死ぬ。


「……おかあさあん」


 自分も皆のあとを追って死にたい。そう思っていると、先刻の母の言葉を思い出した。


『貴方だけでも生きるのです』


 自分が助けを求めた母は、最期にそう言った。

 シオンは、焼けてぼろぼろになった体を起こし、家を出た。村を離れ、かつて自分が捨てられていた、あの森へと急ぐ。

 不思議とそこへ行くのが安全だと、知っていた。


「……」


 力尽きて、森の中で倒れ込んだ。

 もうすぐ死ぬのかもしれない。それは嫌だ。『生きろ』と言われた。生きるしかない。


「……助けて……」


 その声が届いたのか、森のどこかから声がした。


『酷い! この子怪我してる!』

『今すぐ治してあげようよ!』


 それは、森に住む精霊達の声だった。

 シオンがここに捨てられて、死なずに生きていたのはきっと、この森に住む精霊達に守られていたからなのだろう。

 精霊の力は偉大だった。あれほどの火傷が、みるみるうちに消えて治っていく。

 そこでシオンは、本当に精霊に守られているのだと確信した。


 それから一晩が明けた。

 シオンは意を決して、村へ戻ることにした。

 森を出て、見た光景。

 __そこには、本当にあったかも疑わしくなるような、全焼し全てが灰となったかつての村が広がっていた。

 現実を受け入れられずに口から吐き戻された自分の感情の滝を思いのまま流した。

 それでも、嗚咽が止まらない。一度膝をついた体が起きようとしない。

 あまりにも悲惨な光景を前に、現実から逃れたい気持ちでいっぱいになった。

 これで本当にひとりぼっち。

 誰を頼りに生きていけばいいのだろう。

 何十年も一緒に暮らした両親も、村の皆も、『破滅の危機』によって、たった一夜で全て消えていった。


「一人は……寂しいよ……」


 そうつぶやいた瞬間、シオンは自身の奥底から、何かの魔法が自分を包み込んでいるような感覚になった。

 自分の魔法、されど自分の魔法のように感じない。

 それに驚いているうちに、シオンはそれまで心の内に募っていた悲しみが、ぱっと途絶えた。心の平穏を取り戻したかのような。


『一人は、寂しい?』

「え?」


 シオンは驚いた。

 自分の中から、声がした。自分よりも少し大人めいた若い女の声だった。


『私がそばにいるよ』


 優しい声は、シオンの心に響いた。そして、その声は自分を本当の意味で守ってくれるのだと不思議と確証を持っていた。


「貴方は誰?」

『そうね……。貴方がシオンだから、私はハル』


 ハルとシオン。二人で一人。

 心の弱いシオンを、ハルが助けながら、自給自足の生活を始めた。森の精霊達はそれを見かねて、お手伝いをした。雨をしのげる小さな寝床も作った。

 幼い日々の寂しさも、ハルといれば紛らわせられる。ハルは、自分のことを何でも知っている。

 直接見ることは出来ないけれど、ハルは確かに存在していた。


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