昔話①
何百年と昔の話であったかは、もはや定かではない。ただ、人間にとっては気の遠くなるような遠い昔話に過ぎず、人間達のほとんどが、その出来事を忘れてしまっている。
王国というものが、まだまだ小国と背比べをしているような時代の話。
山の麓に、小さな人間達の集落があった。総人口が百人いるかいないかという、非常に小さな村だったが、彼らはお互い助け合い、これと言った争いが起きることもなく、平和な日々を過ごしていた。
ある時、若い男性が森に入り、薪にするための木と、山菜を採りに深い森の中をさまよっていた。
それはいつも通りのことだった。日常から外れることのない大したことのない仕事の一つであり、生きるために必要な責務である。
やがて、目的のものが篭一杯になったところで、雨が降り始めた。男は急いで、村の我が家へ戻ろうとしていた。
そのとき、目に入った。目に入ってしまった。
森の中にぽつんと置き去りにされていた、小さなバスケットだった。
「村の者が誰か置き忘れたのか……?」
バスケットにかけられていた布をそっとめくると、予想外のものが目の中に飛び込んできた。
赤ん坊だったのだ。まだ生まれて間もない。
雨に打たれ、このままでは衰弱して死んでしまう。男は若干躊躇したが、置き去りにされていたバスケットを両手に抱え、妻の住む家まで持って帰っていった。
バスケットの中には赤ん坊と、小さな紙切れが入っていた。
紙切れに書かれた言葉は人間には到底読めない言葉が連なっていた。
「これは……魔の文ですよ。きっと魔女の子に違いありません」
「だが……いくら魔女とて、赤ん坊だ。放っておいては、罰が当たる。きっと親に捨てられたんだ」
男は妻を何度も説得し、ようやく承諾した。
赤ん坊に付けた名前は『ハルシオン』だった。平穏を意味する名前。その名前の通り、これからも、平穏で何事もなく、平和に暮らせるよう。
少女の成長は、人間に比べ遅かった。立って歩き始めるようになってから、その成長の遅さは著しくなった。
言葉は問題なく覚えていく。饒舌に言葉を喋る幼子という、人間では決してあり得ない光景を生み出した。
いつしか少女は、誰から教わることがなくとも、自ら魔法を使うことが出来るようになっていた。だが、それはほんの一瞬見える幻想のような、空中に生み出された儚い魔法。
その魔法を生きていく中で自然と身につけていたのだ。
「シオン」
「はーい?」
育ての母となった女は、それなりの年数を重ねやや小皺の目立つお年頃になっていた。
部屋で遊んでいたハルシオン__両親からは、シオンと呼び親しんだ少女を引きとめ話した。
「綺麗だね。それは魔法?」
「まほうって?」
「シオンがやっている、きらきらしたものだよ」
「これ?」
シオンは言われて手を振りかざすと、まるで宝石のような光がきらきらと空中に輝き、そして消えていった。
「そう。……それをね、お外で絶対にやらないって約束できるなら、今度私と一緒にお外に散歩に行きましょう?」
「ほんとう?」
「うん。お外で魔法は使っちゃ駄目。お家の中でなら、お外から見えないようになら使っても大丈夫だよ」
「わかった!」
シオンはもう、約束を守れるだけの年齢になっていた。
といっても、実際の年齢はすでに二十歳弱。本来なら、とっくに大人と変わらぬ扱いを受け、労働など何かしらの責務を背負って生きていくべきなのだ。
しかし彼女は魔女。人あらざる存在なのだ。
人間よりはるかに長い時を生き、その長い人生の中で魔法に携わる影の世界の生き物。人間と同じ世界に生きるものではないのだ。
「まあ、お宅にそんなお子さんが?」
「うちの子と同じくらいね~。お友達になれるわ」
外に出て初めて思ったことは、ちょっとした不安と恐怖だった。好奇の目を向けられることは初めて外に出たというシオンからすれば、それなりの不安を煽らせてしまう。
そんなシオンもしばらく経ったあとには友人を作り、子供達と遊びはじめ、しばらくは安泰だった。
しかし年の取り方の遅さに、だんだんと周りも疑いの目を向け始めた。
あれは、魔女の子ではないかと。
表面上、優しく接してくれている子供達や大人達も、その笑顔はどこか作り笑顔で、シオンはその状況に、息苦しさを感じた。
「……お母さん」
「なあに」
もう五十をすぎる程になった母に対して、シオンはようやく十歳前後の外見になっていた。
初めて村の人達に顔を出し、共に遊んだ子供達はもう大人達の仕事を手伝える青年達になっていた。
「私って、魔女?」
「…………そう、ね」
「!」
その事実は、まだ幼かったシオンの心にのしかかる。
「だけどね、シオン」
「……?」
「それで落ち込まないで、村の人に良いことをしてあげなさい。悪いことをしたら、素直に謝りなさい。周りと違っていても、貴方がそれに挫けずに頑張っていけば、村の皆も認めてくれるわ」
その言葉を聞いて、シオンは昔のような元気を取り戻した。
体はまだ十歳台。だが、精神面では、もう年頃の少女に相違ない。彼女は自分で判断し、やらなければいけないことを理解していた。
時に村の者の仕事を手伝い、また時に、励まし合い。
『魔女』という言葉に縛られなくなったシオンは、次第に村の者にも受け入れられるようになった。
「シオンちゃん、今日はこの荷物をお爺さんのところまで送ってやってくれないかい? 割れものだから、落とさないようにね」
「はい!」
年をとりにくい体とは、裏を返せば、いつまでも現役でいられる強い体を保てるということ。
幼少期若い主婦だった女性は、皆体の自由が徐々に効かなくなり、労働が困難になり始めていた。そこでシオンは、そういった人達の助け綱となり、毎日一生懸命に働いた。
晴れ晴れとした姿を見て、遠い昔赤ん坊だったシオンを拾った老婦は、影でそっと微笑み見守っていた。
村は、いつまでも平凡に、平和に時を過ごすと誰もが思っていた。
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