ひとたちの生き方①
ザー、ザー……。
突然の土砂降り。街の住民たちは皆外套を被って建物の中に急ぐ。
街からだいぶ離れた森の中。そこに、大きなお屋敷があった。
「遠方から、お疲れでしょう。こんな雨に降られてしまって……今晩はここで雨宿りをしていっても宜しいですよ」
森の奥深くに存在する大きなお屋敷で雨宿りをしようと立ち寄ったシオンは、人の住む屋敷とは知らず少し恥ずかしげに屋敷の主人である彼、イアンのあとをついていた。
「ごめんなさい、その……誰か住んでいるなんて、思わなくて……」
「あはは、無理もないね。こんな森の奥に、僕一人で住んでるわけだから」
「一人で?」
「昔は大勢いたんだけどね。気がつけば、皆僕を置いていなくなってしまいました」
ドアを開けると、そこは天井に届きそうなほどの高さがある本棚がずらりと並んだ、大きな図書館だった。中は火でも焚いているのだろうか、図書館の中はほんのりと暖かく、雨に濡れて冷たくなった体を温めてくれる。
本棚の奥に、テーブルを真ん中に、ソファが向かい合わせになるように置かれており、その周りは分厚い本や試験管のような物が散乱していた。
「ありゃ~……ごめんね、ちょっと汚いところで……すぐ片づけるからね」
「い、いえ、お気になさらず……これは、何かの実験?」
「そう。本当は本の近くに薬品置いたりするのはいけないんだけどね~、時間があまりないって思うと……」
「時間がない?」
「あっ……えっと……シオンさんとぬいぐるみ君は旅人なんでしたね。少しぐらいは……ひとまず、茶菓子を持ってきますから、ソファにでも座ってくつろいでいてください」
そっとソファに座る。ソファもテーブルも、それなりの年数を重ねた年代物だ。
テーブルの上に置かれた試験管は綺麗な光を宿し、また別の試験管には黒ずんだ燃え殻のようなものが入っていた。近くに置いてあった本には、手書きで文章がかかれている。実験結果のまとめだろうか。
しばらくテーブルに置かれていたものを眺めていると、奥の部屋からイアンが茶菓子を持って帰ってきた。バスケットの中にはパンケーキとビスケット。二人分の紅茶。
「はい。もうずっと一人暮らしだからこんなのしかなかったけど……」
「ぜ、全然大丈夫です! ……いただきます」
ビスケットをかじると、やや湿っていた。
イアンがテーブルの上の試験管を手に取ると、シオンの視線に気がついた。
「気になる?」
「あ、ごめんなさい。綺麗だったから……」
「綺麗だよね。数十年研究して、やっとできたんだ。光の塊。これを応用できたら、もっと面白いことが起こるだろうなあ」
「良いじゃん、続けてみろよ。時間がないっていうのはよくわからないが、やるだけやってみるのもありだと思うぞ?」
「そうですね。時間の許すかぎりは、いくらでも」
外を見ると、相変わらずの雨模様だった。現時刻は五時を少し過ぎた頃。この時間でこの雨では当分止まないだろう。止んだとしても、暗くなってしまっては移動が困難だ。
「……今晩は、雨が止みそうにない。先ほどの件、少しお話しましょうか」
イアンが自分の紅茶を少しだけすすってから、少し間をおいて、こう言った。
「____魔法使いなんです、僕」
一瞬だけ、空気が変わったように感じた。
シオンは、なぜだか聞き覚えのある単語に、危うくそのまま流してしまいそうになった。彼女も、数百年の時を生きた、種族としての『魔法使い』であるから。
「えっ……?」
目を丸くしたまま呆然としていると、イアンは右手で頭をかきながら笑って、
「……なんて、そう信じてくれないものですよね」
「魔法使いって、本物の……?」
「今の僕はね。昔は、ごく普通の人間でした」
さらに混乱し始めるシオン。
人間が魔法使いに? 種族まで変わってしまっている、そんなことがあり得るのだろうか。生まれながらにして魔法使いとして生きてきたシオンには理解できないものだった。
一方フロスティアは、ああ、と知っているように声を漏らした。そして、イアンにこんなことを問いかけた。
「……後悔はしてないのか?」
フロスティアの言葉に、イアンは拍子抜けした。それからまた少しだけ笑って、小さくうなずいた。
「全く後悔していない、って言えば嘘になるんですけどね。誰にも邪魔されないで、魔法の実験をするのは楽しい。それで生まれた魔法の数々も。でも、それよりもずっと、僕から離れていった人たちの数の方が、多かったかな」
「貴方は、人間であることをやめてでも、魔法の実験をしていたかったの……?」
「ずーっと昔の話、屋敷に一人の魔法使いがやってきてね、そのときに見せてもらった魔法がすごく綺麗だったんです。自分も魔法を使いこなせるようになりたいって言ったら、この魔法は、人間には到底できないものだって言われて」
「だから、魔法使いになったのか」
イアンはまた、先ほどと同じように小さくうなずいた。
「ねえ、人間が魔法使いになる方法って、どういうもの?」
「不老長寿の術、不食の術を習得すればいい。魔法使いは、年を取らないし人間の数倍長生きだ。生きるための食事もいらない」
「あはは、ぬいぐるみ君は物知りだね。そう、僕もそうやって魔法使いになった。……けれどね、少し問題を起こしてしまって」
「え?」
「元々、僕の体は病気に弱くて外出も多くなかった。それに術式をかけて魔法使いになったから、体の負担が大きかったみたいでね……。もうあと、半年生きれるかどうか」
寿命を削ってでも、自分で生み出したい魔法があった。人と違う存在になっても、自分の周りから人がいなくなっていったとしても。その結果、自分が生み出したい魔法を生み出すことに成功した。
目の前で突然余命を宣告されても、シオンはあまり動揺しなかった。彼は『後悔』していないのだから。ならばその運命は必然であった。
「……勇気がありますね」
「勇気……そういわれると、自分に自信が持てますね」
その夜。
屋敷の客室のベッドにうずくまり、シオンはその日の夜を過ごした。その中で、イアンとの会話が頭の中をぐるぐると回っていた。
(わからない……私は……なにがしたいのかな)
フロスティアは、外の木々の下ですでに眠っていた。ぬいぐるみの中にずっといるのは、それなりの体力を要するらしい。
フロスティアが宿っていない、普通のぬいぐるみを腕の中に、シオンは一人長い夜を過ごした。
「すっかり晴れましたね。シオンさん、ぬいぐるみ君、どうかあなたたちに神のご加護があらんことを」
「……イアンさんも、お元気で」
翌日。長い夜が明け、雨もいつの間にか降り止んでいた。雨上がりの土の匂いが風に運ばれてきて心地がいい。
イアンと別れ、シオンは森の中を歩いていた。あたりには水たまりがあり、青い空を映している。
「天気が良いのになに暗い顔してるんだ」
昨日と同じように、ぬいぐるみに宿ったフロスティアが話しかけた。シオンは自分でも気がつかないほどに暗い表情で森をとぼとぼと歩いていたらしい。
「何か大きなことを決める……って、自分を変えられる?」
「急にどうした?」
「昨日のイアンさんの話を聞いて……引っかかったの」
「ああ……まあ、人それぞれだ。自分で決めたことを最後までやり遂げられる力があれば変わるだろ」
それを聞いて、シオンはさらに暗い表情になってうつむいた。立ち止まって、悲しい顔をして、涙をぽろぽろ流しながら。
「……いまのわたしじゃ、まだ、かわれない……」
決断する勇気は、大きすぎる。今の自分では、抱えきれない。
あの日にすべてが消え去ってから、シオンは自分の自信をなくした。生きている価値さえも見いだせずにいた。孤独で生きていたから、誰かに教えてもらうこともできなかった。勇気づけてもらうこともできなかった。
そんな、大きなことはいきなりできない。
「……とりあえず、涙は拭いとけ。あとは俺が背負って飛ぶさ。最近魔物が多いって噂が……」
フロスティアが、そう提案したそのときだった。
物影から近づく黒いもの。それは、人のものではない、異質なもの。
低いうなり声をあげて、その影はシオンめがけて襲いかかってきた。それは、魔物だった。
「いやあぁっ!!」
地面にたたきつけられ、魔物が上からのしかかる。首にかかろうとしたところを、シオンが腕を出して庇う。腕に強くかみついて、シオンの頭にもかじりつく。
「ガァアアアアッ!!」
そのとき、ただならぬ殺気を持ったものが、シオンと魔物の背後に現れた。フロスティアが通常の体に戻って、魔物を威嚇した。体格差の大きい魔物は、その体と怒りに満ちたフロスティアの目を見て一目散に逃げていった。
「おい、大丈夫かシオン!」
すぐにシオンの元へ駆けつける。腕からの多量出血、頭部も噛みついた跡があり危険な状態だ。
「痛いの……フロスティア……」
「ここから近い街を探そう。そこの医者に急いで治療してもらうんだ」
フロスティアはシオンの襟を口先でくわえ、空を跳び始めた。
「少しの間我慢できるか?」
「だいじょうぶ……」
遠目で確認できた街が一つ。その街へ、ものすごい勢いで飛んで向かっていった。
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