一章 7

「……っ」

 返す言葉は出てこなかった。それは、自分に向けられた言葉に衝撃を受けたからではない。これまで周囲に守られ続け、ようやく自らの意志で学院に来る事を選んだ。しかし、御霊使の存在を漠然とした心持で捉え、湊自身の中にある矛盾に対しても、確固たる答えを口にできない。情けなくもその事実を認めるしかなく、歯の根を鳴らした。


「無礼であると承知のうえで、口を挟ませていただきます」

 その様子を見兼ねた凪は、予定に無かった口を開く。


「確かに、傍から見れば、湊様の目的は身勝手なものかもしれません。ですが、御霊使として世の人を救う。その為の手段として、必要な力を身につける――これらの過程は、誰であれ同じはずです。そして、彼の目的自体が、人を軽んずるモノでもありません。だとすれば、その先の未来までをも否定されなければならないのは、何故なのでしょうか?」

 湊から見た普段の凪の様子とは異なり、毅然とした口調で疑問を返した。それを止めるべきか湊は悩んだが、不甲斐ない自分に代わって言葉を繋いでくれたのだと考えると、止めるわけにもいかず、そのまま黙って瑠璃の答えを待つしかなかった。


「今在る御霊使の世界とは、そういうものだからです」

 だが、その返答は実にあっさりとしていた。

「それが、答えだと仰しゃるのですか? そのたった一言で、理不尽を飲み込めと?」

 対して、凪は先ほどよりも少し語気を強めて言葉を返す。それを聞いた湊は、これ以上はマズいと判断して、凪を止めようとするが、

「はぁ……。どうやら、思い違いがあるようですね」

 瑠璃の方が先に話し始めた。


「怪禍と戦い、人々を助けたい。それは、この学院にいる……いいえ、この世界の御霊使の誰しもが思っていることでしょう。しかし問題なのは、この世界の在り方そのもの。愚かな者が作り出した枠組みは、個々人の価値観や事情を考慮してくれるほど優しくはありません」

「…………」

 その言葉から何かを察したのか、凪はただ黙って耳を傾けている。



「では、自らの目的の為に、意図せずともその枠組みから外れてしまった人間がどうなるのか。分かりますね? そこの……」

 何かを言おうとした瑠璃は、そこで口を閉ざし、ようやく異様さに気がつく。そして、椅子から立ち上がり、目の前にいる不思議な少女をまじまじと見つめた後に、

「……座敷童衆?」

 ひっそりとそう呟いた。


「な、なんですと……!? ざ、ざしきわらし……私が……?」

 その言葉に酷くショックを受けて言葉を失い、応援を求めるべくゆっくりと顔を向け、何かを訴えかける目で湊を見つめるが、

「え? 違うのか……?」

凪は崩れ落ちた。




「あの、すみませんでした。大事な話をしてもらってるのに……」

「いいえ、別に気にはしていませんので」

 未だ放心状態の凪を余所に、話の腰を折ってしまったことを謝った。

「では、話を戻しましょう。先に言った通り、世界の仕組みに問題はあれども、それは大した事ではないのです」

「それ以外にも、その……御霊使になる事を諦めろと言った理由があるってことですか?」

 少し落ち着きを取り戻した湊は、突きつけられた瑠璃の言葉を思い返しながら質問を投げかけた。


「……何故そのように思うのですか?」

「オレの勘違いかもしれないけれど、さっきの言葉は、否定するものじゃなくて……アドバイスなんじゃないかって思ったんです」

「随分と楽天的な発想をしていますね。アナタのそれは思い込みにすぎません。……もし、仮にそうだとしても――納得がいかない。という顔をしたままでは意味がありませんよ」

 湊の言葉に、一瞬だけ驚く様子を見せたが、すぐに表情を戻して話を続けた。



「先生に言われたこと……オレには、何が正しいのか、何が間違ってるのか、そんな主観的な物事すら決められません。さっきの言葉に答えを出せないのも同じ理由で……それは、きっとオレがまだ何も知らないから――自分の目に映った、狭い世界しか知らないからなんです」


 学院に来てからというもの、湊にとっては初めてのものばかりであった。それは勉学だけでなく、御霊使の社会に設けられたルールについても同じであり、自分が世間の常識とどれだけ離れて生きてきたのかを思い知らされた。そして、瑠璃から与えられた言葉に込められていたのは価値観。これもまた、自分の知らない常識の一つだと、そのように考えた末の結論であった。


「――さて、単なる蒙昧な田舎少年かと思っていましたが、少し評価を改めなくてはいけませんね。はぁ……いいでしょう。そこまで自らの無知を卑下するのなら、時代錯誤な少年に少しだけ授業をして差し上げます」

 瑠璃はそう言うと、本棚から資料を取り出し、その場で講義を始めた。




「御霊使の始まりについては既に知っていますね? 怪禍という脅威が人々の前に現れた際、自らを御霊の使いと名乗り、初めて術を用いた人物たちは差別化の為に『原初御霊使』と呼ばれます。そして、その出現を機に、同じく術を用いる御霊使という存在は、次第にその数を増やしていきました」


「こうして、彼らは人に仇なす脅威を退ける存在として認知され、十年間の戦いの中で救世主となります。十年間、つまり隠岐での戦いというのが一つの区分になるのです。ではここで、仮にこの時代の御霊使を『第一世代』と定義しておきます。この区分において、原初御霊使を含む第一世代は――怪禍と戦い、力なき人々を守る英雄であった。と、言うべきでしょう。それは、アナタの知っている、松田龍二という人物も含めてのことです」


「それから、怪禍という悲劇を恐れた人々は様々な組織を体系化しました。原初御霊使を当主とする御三家もその一つです。同時に、現代にも通じる、御霊使の法や制度が急速に整備されていきました。ここで重要になるのが、怪禍との戦闘、すなわち清祓の制度化についてです」


「原則として、清祓は一人で行いません。これは、第一世代の人々の経験に基づいて定められました。そこには、殲滅の確実性を上げるだけでなく、どれだけ被害を減らせるか、という意図が組み込まれています。一方で、制度化は進んでいきましたが、御霊術を行使すること自体に制限は掛けられず、個人の良識に委ねられていました。つまり、学院の設立に伴う資格制が出来上がるまで、罰則に明確な基準が無かったということです。さて、ここでもう一つ区分を設けます。こうした資格が作られるまでの御霊使を『第二世代』と定義しましょう」


「一見すると、順当な進歩に思えるこの世代交代こそ、現在に繋がる悪習の根源である。そう考える人は数少ないですが、腐りきった人間を目の当たりにしてきたわたくしには、そうとしか思えませんね。では、何が問題になっているのか。それは、急速な変化が齎す歪みに順応できる者とそうでない者の間に生じた軋轢が、更なる負の連鎖を作り出したこと。そして、物事の捉え方の多様性を認めなかったこと。これらがその問題の根底でしょう。分かりやすくする為に、これまでの話から幾つかのキーワードを取り上げましょう」


「一つ、英雄とは? 才を備え、自己の犠牲を厭わず、力なき人々を助ける者」

「二つ、組織とは? それぞれの役割を持った個人が、目的を果たす為の共同体」

「三つ、被害とは? 生活を送る人々が、その当然の権利を脅かされること」


「これらの言葉は、その一つ一つを見れば、意味を取り違えたりはしないはずです。しかし、御霊使という存在にこれらの要素が加わった結果、歪な絶対的価値観が生まれてしまった……」


「第一世代は、個人の持つ能力がすべてであり、死と隣合わせという極限の悲劇を経験したからこそ、英雄と呼ばれるべきなのです。しかし、彼らは平穏な時代がどういうものかを知らない」

「第二世代は、先人たちに守られ、ある程度平穏な時代に生まれた存在。第一世代の人々を英雄であると讃えました。そして、同じ力を持つ者として憧れを持ちました。しかし、彼らは死が身近にある悲劇を知らない」


「そうした者たちが、御霊使に求める使命とは――被害を減らす為に自己を犠牲にし、組織が機能する為に代わりが利く役割を持った存在であることです。それぞれの時代を履き違えた英雄主義は、今も変わらず残っています。つまり、世間的にはこれが模範的な――良い御霊使、ということなのです」


「当然、そうした御霊使だけではありません。時に、世界の在り方に異を唱え、それを変えようとする者もいました。しかし、崇高な理想を抱く者ほど、孤独の果てに現実と理想の狭間に堕ち、そこに潜む絶望や悪意に染められ、新たな犠牲が生まれたこともあるのです」



「――これらの歴史の流れが生み出した、現代の御霊使に付きまとう悪意。それに相対する答えを持たなければ、アナタの理想は実現しません。下手をすれば、先に命を落とすかもしれません。鬼を殺すのは誰かに任せてしまってもいい、それに人を救えるのは御霊使だけではありません。これは、アナタの生き方に関わることです。この機会に、よく考えてみてはどうですか?」

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