一章 2

 遡るのなら数十年前――いや、それ以上になるだろう。ある時代では、闘争を勝ち抜いた権力の象徴、土地の支配者たる証。ある時には、伝統やその志を相伝する為に。そうして、家を背負う人々の歴史は連綿と受け継がれてきた。しかし、群雄割拠の時代の流れや文明の発展により、その思想は影をひそめ、やがて血縁による集団として広く意識されるようになった。


 だが、時代の流れが変わる事になった四十年前――すなわち、怪禍の出現は世界のあり方に大きな影響を与えた。そして、人々に突如として与えられた脅威に対抗する力は、それを統治する制度も無く、力を持った者の倫理に委ねられる。唯一の希望が更なる混沌を齎すかに思われたが、結果的にそのような事態にはならなかった。当時の情勢が混迷の一途をたどらなかった背景には、人々から失われていったはずのモノが関係している。


 家として責務を負うという意識が薄れてからも、自らの土地の管理や祭祀などを重要視する者たちが残っていたのだ。それらの家は、対外的な施策を共同で行う内に、いつしか血縁をも上回るほどの繋がりを見せるようになっていった。そうした家同士の繋がりは、表立った権力を持つことは無かったが、数百年という歴史の中で、時に分家を生み出しながら確実に広がっていた。


 そして、怪禍と御霊使の出現に際して、逸速く行動を起こし、自警団として組織の体系化を行ったのが、それらの家の中でも特に規模の大きかった『万騎原まきはら家』である。以降、当主の万騎原昭まきはらあきらを筆頭に自警団は勢力を拡大し、次第に家同士の間にも序列が生まれるようになっていった。そのような流れの中で、同時にもう一つの家も同様にして組織化を図っていた。四辻晋作よつつじしんさくを当主とする『四辻よつつじ家』である。四辻家は先の万騎原家と異なり、武力を用いた組織ではなく、怪禍や御霊使の用いる術――御霊術の研究を主としていた。


 両家は互いに協力関係を結びながらも、その領分に干渉はせずに均衡を保っていた。そして、人々はようやく怪禍と拮抗した力の秩序を作り上げたのである。その後、十年に渡り争いは激化。また、御霊使側の技術の急速な発展によって、以前よりも拮抗した力を得ることになるのだが、皮肉にもそれは同時に戦いの規模を日本各地の至る所にまで広げてしまったのである。



 これらの争いに終止符を打つべく、万騎原・四辻の両家は掃討作戦を発案。自警団以外からも、年齢を問わずに御霊使を募り、更には極秘に開発していた新しい武装も導入された。そして、各地の防衛と同時に、怪禍の多く集まる地域の幾つかを発生源と断定し、大規模な攻勢をかけた。その中で、最も戦闘の激しかった地域が隠岐諸島であり、ここで数多の御霊使の指揮を執っていたのが『北浦きたうら家』である。


 後に『隠岐戦役』と呼ばれるこの戦いは、歴史の上では御霊使側の勝利に終わる。その後、怪禍が完全に消えることはなかったが、その数は大きく減少した為、争いは以前のように激化せず、偶発的な出現に対処するという状態に落ち着く。そして、万騎原・四辻に北浦を加えた三つの家は『御三家』として、御霊使の黎明を告げる象徴的な存在になり、大きな発言力を持っていた。だがこれは、本来ある筈のなかった家同士の序列をより明確に生み出した、という事でもある。


 これが色濃く浮かび上がっているのが、万騎原家と浅いながらも交流のあった、松田家の存在である。当時、まだ十歳であったにも関わらず、松田龍二は御霊使として非凡な才をその身に宿していた。当主である父は自分には無いその力を喜び、彼を争いの渦中に加わるように命じる。そこに、どのような思惑があったのかは不明であるが、結果として隠岐戦役の最前線である隠岐諸島での戦いにおいて、他を圧倒する活躍を見せ、万騎原家から正式に杯を貰い、御三家に一番近い地位にまで成り上がったのであった。


 そして、数十年の時が流れた現在において、それらの家は表立った権力や影響力は抑制されているが、水面下では確かな勢力図が描かれているのであった。




「――と、いうわけでございます」

 過去のあらましを語り終えた凪は、締めくくるようにそう言った。

「いやいや、ちょっと待て。肝心な話がまだ残ってるだろ! 結局、それが母さんとどういう関係があるんだ?」

「えーっと……つまりですね、御霊使を抱える家の地位は、その才能に依存する場合がある、という事です。まず、先の話にも出てきたように、松田家から高津家という分家が生まれます。それから、詳しい年代までは分かりませんが、それぞれの家系が続いていきます」

 少しだけ困った様子を見せた後に、凪はわざわざ紙とペンで図を描きながら説明を続ける。

「そして、松田龍二、高津琴音様。このお二人が生まれ、松田のみが地位を上げます。すると、高津家の当主は、まだ八歳だった一人娘の琴音様にこう言います――どうして遠くとも血の繋がりのあるお前は何も出来ないのか、と」

 凪にとって、余程話しにくい事だったからであろうか、深刻になり過ぎないように軽い調子で語っていた。


「それから、琴音様に対して様々な意地悪が続きました。ですが、琴音様はこれといって気にする様子はありませんでした。そんなある時、歳が近かったということもあるのでしょう、松田龍二がたまたま高津家を訪れた際に、その意地悪を見るに見かねて、琴音様を松田家に引き取りました」

「え……? それじゃあ――」

「ひとまず、この話を最後まで聞いてください。いいですね?」

 口を挟みかけた湊は黙って頷き、その続きに耳を傾ける。


「こほん……。さて、これにて高津家は終わりを迎えようとしていました。ですが、ある一人の子を養子とすることで事無きを得ました――それが、虎太郎様になります。そして、御両親が亡くなられ、虎太郎様が当主になった頃に琴音様と婚姻を結びました。これが、今から二十年ほど前のお話です……。ですので、松田龍二という男が戸籍上は叔父であるが、実際の血縁は意外と離れている。という言葉の意味になります」

「そんな事が……」

「えぇ。この世は、間違いなく歪んでいます。だからこそ――」

 自分の記憶にある幸せだった家の景色を疑ってしまうかのような事実に、湊は言葉を失った。それに対して、

「……いえ。やっぱり、何でもありません」

 凪は、何か言葉を投げかけようとしたが、思い直したのか途中で口を閉ざした。



「……でも、それは過去の話だから。たとえ、血の繋がりが薄いからって、龍二さんがオレにとって大事な人であることに変わりはないからさ」

 しばしの沈黙の後、湊は不安そうな顔をする凪に語り掛けた。

「確かに、松田龍二の行動は大きな影響を与えたと思います。ですが、これは事実であって――真実ではありません」

「それは、どういう意味なんだ……?」

 まるで謎を問い掛けるかのような口ぶりに、湊は思わず聞き返す。


「約束をしてくれますか? 何を信じるのか、誰を信じるのか。その決断を他に委ねないという事を……」

 凪の真剣な言葉と表情に、湊は強く頷いてみせた。

「先の高津家にまつわる話は、事実だけを見ればただの身内だけの騒動になりますが、ここにもう一つの事実を加えると、少し違った見え方がしてきます――それは、虎太郎様が養子になる以前から、松田龍二と深い親交があった。ということです」

「……!」

「これをどう捉えるか、それによって真実は変わってくるのではないでしょうか」

「もしかして……いや、それでも――オレは、自分の目で確かめるまで、真実への結論は出せないよ。それに、さっきの御三家の話だって、気になるところがいくつかあったけど、それも同じだ」

「ふふっ。それで、いいのです」

 その言葉に安心したのか、凪は成長を喜ぶように笑っていた。


「湊様。あなたは、既にこの歪んだ世界に関わってしまっています。ですが、椿さんだけじゃなく、他の人も救いたいと決意をするならば、避けては通れない道です――なので、今度こそ目を背けずに、向かい合ってください。虎太郎様や灰奈さん、そして私からも……」

「あぁ、分かったよ。ちゃんと、自分で自分の決断を背負えるようになるから……その時が来るまでは、一緒に居てくれ」

 湊は、照れ臭そうに笑いながら言った。



「あ、そうだ。最後に一つだけ聞いておきたいんだけど、その御三家の勢力図って今はどうなってるんだ?」

「それについては、私よりも詳しい方が居ると思いますので、学院に着いてから調べてみてください。ですが、一つだけ忠告を――家の話というのは、人によってはとても重要な意味を持つ場合があるので、むやみやたらに踏み込み過ぎないことをお勧めします」

「え……? いや、そうだったっけな……うん、分かったよ」

 凪の言葉に、一瞬疑問を抱きそうになったが、湊は一人の少女の顔が思い浮かんだ。彼女は、自分が綾瀬という家の名を背負うことに強く責任を感じていた。だからこそ、自分は共感を持って、信頼を預けることができていたのであった。

 しかし、この時は知る由もなかった――両者の間には、既に良からぬ因縁尽があるということを。


「さぁ、到着しましたよ!」

 そして、長い間電車に揺られていた二人は、ようやく目的地にたどり着いたのであった。

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