一章 1
晴れ渡る秋空の下を流れる風が、緩やかな時間を運ぶ。見飽きた教科書から目を離すと、授業をしている先生の声を真剣に聞いている生徒もいれば、そうでない生徒もいる。そして、一つ空いた空席。いつもと何ら変わらない光景であった。
昨晩の出来事が、実は夢だったのではと思ってしまいそうになるが、同じ体験を共有する人がいる。今朝方にも、本当に起きた出来事として互いに再確認していた。決して、それを悪夢だったと思いたいからではなく、むしろ自分の知りたかった、僅かな気がかりの正体が分かったからこそ、夢でなくて良かったと思っているのである。
(さてさて……!)
浩介は、時計に目をやる。一秒一秒を確かに刻むのを眺めながら、授業終わりを待ちわびていた。本当は、すぐにでも教室を飛び出して会いに行きたかったが、あえてそのようなことはしなかった。そして、鐘の音が鳴ると同時に席を立ち、教室を後にした。
「よしよし! 早く行こうぜ、聡子!」
聡子も、ほぼ同じように教室から出てきた。示し合わせずとも合流した二人は、そのまま廊下を一目散に駆け抜ける。
「あいつが、開口一番に何て言うか賭けようぜ!」
「うーんと、そうだなぁ……。あ! 分かった、ごめんだ!」
「ひひっ。それじゃあ、賭けにならねぇよ!」
目的地は決まっていた。そこに、目的の人物がいる保証は無いが、二人は一切の疑問を持たずに走る。扉を開ければ、退屈そうに寝そべっているに違いないし、自分たちが来たと分かれば、きっとまた笑ってくれるだろう。そんな確信があった。
しかし、その予感は半分だけ外れることとなる。
「「みーなーとくん! 遊びましょ!!」」
屋上の扉を豪快に開き、外の光を浴びながら二人はいつもと変わらぬ調子で声を張り上げた。
「やっぱり、相変わらず騒がしいな二人は……でも、良かったよ、ここで待ってて」
「……あらら?」
そこには、確かに湊の姿がある。だが、いつもの様子とはまるで違っていた。
「湊様! まずは、しっかりと謝ってあげてください!」
少し照れ臭そうに笑う彼にそう言うのは、見覚えのある小柄な少女。
「あ、そうだ! 昨日の子!」
聡子もしっかりと覚えているようで、驚きながらも興味ありげに見つめている。
「はい。昨晩の事は……本当に申し訳ありませんでした」
「いやいや、ウチらこそ大変に貴重な経験をさせていただいて――」
礼儀正しく頭を下げてくれる凪に対して、聡子はたどたどしく応えた。
「あー、えっと……どゆこと?」
「まぁ、その……とりあえず無事でよかった。それに、灰奈からも聞いたけどさ――信じて待っててくれて、ありがとな」
一方で状況の飲み込めない浩介に、湊は普段では口にしない言葉を述べる。そして、そのまましばらくの間、少し景色は違うが、いつも通りの談笑が続いた。
「へぇー、凪ちゃんって言うんだ……うん、可愛い! 湊くん、持って帰っていい?」
「ダメに決まってるだろ!」
「えぇー、いいでしょ。湊くんが行っちゃうんだから、代わりにさ!」
「いや、そうだから一緒に連れてかなきゃ――って、あれ……? もしかして、灰奈から何か聞いてるのか?」
凪を膝に座らせて抱きかかえる聡子から出てきた意外な言葉に、湊は驚かされると同時に、自分の口から言い出そうとしていたことを先に言われてしまい、困った顔をする。
「うん。今朝にね、凄い読みにくかったけど、何か色々書いてあるメール貰ったんよ」
「なんだってー!!」
驚いているのは浩介も同じようであった。
「うぉー! 俺には、何も連絡なしだなんて……焦らしてくれるぜ、灰奈ちゃん!」
しかし、驚いた所は要点ではなく、自分だけ連絡を貰っていないという所であるらしい。
「そっか……まぁ、ちゃんと話そうとは思ってたからさ――」
そして、意を決した湊は、一呼吸置いてからはっきりと告げる。
「オレ、向こうの学院に行くことにしたんだ。だから……半年って短い間だったけど、二人にはちゃんとお別れを、って。あと――」
「あ、やっぱそうなのね。まぁ、頑張ってらっしゃいよ、湊っち。それで、いつ帰ってくるんだ?」
「うん、ウチも同じ感じかな。そうだ! 都会お土産よろしくね!」
「あの……私が口を挟むのも忍びないのですが――えっと、何かもう少し……」
少し緊張した湊の言葉に対して、まるで旅行にでも行く人を見送るかのように、実にあっさりとした言葉が返される。そのことに、凪の頭の上には、きっと疑問符が浮かび上がっていることだろう。
「いいんだよ、凪。これで合ってるから――じゃあ、浩介、聡子……行ってくる!」
緊張がほぐれて笑顔が戻った湊は、言いかけた言葉を口にはせずにそのまま立ち上がり、戸惑う凪を連れて扉へと向かう。
「湊くん! またね!」
「元気でやるんだぞ、湊!」
そして、手を振りながら笑顔で見送る友達の声を背に、学校を後にした。
「……あの、湊様」
「うん?」
「あのような形で、よろしかったのですか? また。なんて無いかもしれないのに……」
学院に行く前に、持っていくべく最後の荷物を取りに行く為に、喫茶店へと向かっている道すがら、不安に思う凪が尋ねた。
「あぁ、大丈夫だよ。そりゃあ、少しは寂しいけどさ。いいんだよ、オレたちは――いつも通りであることが一番大切なんだ」
「……?」
結局、凪にはその意味が分からなかったが、湊にはしっかりと二人の気遣いが伝わっていた。それは、思い過ごしかもしれないし、勝手な解釈かもしれない。
自分を取り巻く世界が変わっても、いつでも帰れる場所がある。おそらく、あの場所で二人に謝って、大層な決意と別れをしてしまっていたら、変わっていく事に不安しか感じなくなってしまうだろう。でも、変わらないモノだって、きっと大切なんだ。と、いつも通りを演じる二人は、言いたかったのだろう。
(なんて、考えすぎかもしれないけどね)
湊たちは喫茶店に着くと、しばらく使われることもなくなる器具を丁寧に片づけ、荷物の整理が終わったところで、カウンターに置かれた二通の手紙に気が付いた。
「これ……龍二さんからだ。オレと、ほら凪にも」
そして、一通を凪に渡してから、湊は中を開いた。
『親愛なる高津湊へ
あのやさぐれた男の子供とは思えない程に、お前はよくできた奴だ。
色々と隠されてきた事、まだすべての真実を知ったわけではないと思う。もし、それを知りたいと思うのなら、自分で確かめろ。
椿ちゃんについても、再び相見えた時、湊が何を思うかは分からない。これからは、御霊使としてのお前自身の目でもって、見て感じるんだ。そして、後悔の無い決断をしてくれる事を祈っている。
御霊使になっても、贔屓には出来ないが、俺はいつまでもお前の味方だ。それは、忘れるな。
追伸
学院に行ったら、山吹瑠璃という人物を訪ねるといい。彼女なら、きっと力になってくれるはずだ。
松田龍二(本当は叔父じゃない、ごめんね)より』
「龍二さん……」
その手紙を読んだ湊は、改めて自分が御霊使になるという道を歩きだしたという実感をした。しかし、どうにも気になって仕方がない点が一つあり、凪の方に目をやると、
「ふん!」
彼女は何とも言えぬ表情のまま、目を通した手紙をバラバラに破り、ゴミ箱へと突っ込んでいた。
「凪!?」
「あぁ、すみません。お気になさらず。あまりにも無礼な内容だった、というだけですので」
一体、どんな内容だったのか気になるところであるが、笑顔のまま毒突く凪に対して、それ以上の追及は不可能だった。
結局、湊は何も聞けずに、出発の時間が差し迫った電車に乗るべく、急ぎ足で駅へと向かうことになった。
「ふぅ……やっと、落ち着けるな」
「えぇ、ようやくですね」
そして、人の少ない車内のボックスシートに腰を掛けたところで、立て続けの出来事にもようやく一段落がついた。昨日は、あれから家に帰ってからというもの、早急に戻らなければならなくなった灰奈を見送り、引き払う為の片づけと荷造りを同時に行い、諸々の時間の調整をしていたのである。
「それにしても、こんな急に学院に通えだなんて……大丈夫なのかな」
「あの男のすることですから、結果は心配せずともよいかと」
「あぁ、そうだ――」
相変わらず龍二に対して手厳しい凪の言葉で、湊はどうしても聞いておきたかったことを思い出す。
「さっきの手紙に書いてあったんだけどさ……本当は叔父じゃない。ってどういう意味だと思う?」
「……知りたいですか?」
湊の言葉に、凪は少しだけ顔をしかめて質問を返す。
「あぁ、少しずつでも知りたいんだ――何も知らないのは嫌だから」
「……分かりました。ちなみに、湊様は――御三家というものをどこまで知っていますか?」
「ごめん。まったく……」
「折角時間もありますから、この機会に御霊使にまつわる御家についても知っておいてください。それからでないと、この世に根付く問題との関係も理解できませんので」
前置きを終えると、凪は慈しむような表情で語り始めた。
「松田家と高津家。そして、琴音様とのご関係。これらの始まりというのは――」
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