一章 3

 電車から降り、駅の改札を通り抜けたところで、二人の周囲にある異変が訪れた。都会と呼ぶには少し寂しい駅は、閑静な住宅街と小さな商店街に囲まれている。

「……湊様、気が付きましたか?」

「あぁ、もちろん」

 辺りを見回してみると、時間は正午頃であるというのに、駅前の人通りがやけに少ない。

「ここ、東京じゃないんだな……」

「…………。いえ、あの、そういう事ではなくて……何か感じませんか、と」

「あぁ。綺麗な街並みだな」

「はぁっ……」

「冗談だから、そんな顔しないでくれ……」


 心底あきれた顔をする凪とやり取りをしている間に、同じようにこの駅で降車した人々は、疑問に思うこともなく、駅から離れるように皆が同じ方向に歩きだしている。さらに、駅に近づこうとする人もおらず、次第に閑散としていった。

「これは……」

「恐らく、人払いの類の術かと……」

「……! それじゃあ」

「えぇ。僅かにですが、気配がします」

 怪禍との遭遇。確かに、灰奈から珍しいものでは無いと聞かされていたが、到着してから早々に出くわす事になると、湊は思ってもいなかった。

(霊符は……よし、あるな)

 そして、汗が滲む手を握り直し、いざその気配の元へと向かおうとしたが、

「さぁ、湊様。巻き込まれてしまう前に、私たちも避難しましょう」

「……え?」

 凪によって止められてしまった。


「まさかとは思いますが、ここがいつもの町では無いことをお忘れで?」

「……? 分かってるよ。でも、何もしないわけにはいかないだろ?」

「どうやら分かっていないようなので、改めて言いますが――あちらでは、松田龍二の監督という名目がありました。ですが、こちらではそれがありません。つまり、今の湊様は無免許という事になりますので、むしろ何もしない事が正解です」

 反論の余地もない理由に、湊はそれ以上食い下がることは出来なかった。

「……分かったよ。でも、どこに行けば――」

「――こっちよ、バカ湊」


 一足遅れてその場を離れようとした湊達の後ろから、聞き覚えのある声が掛けられる。

「灰奈!」

「まさか、こっちに着いて早々に巻き込まれてるなんて……疫病神ね、アンタは」

「相変わらず、厳しいな……」

 別れてからそう時間は経っていなかったが、キツイ言い回しも湊には懐かしく感じられた。

「あの、再会を喜びたいところなのですが、湊様と私は早くここから離れた方がよろしいのでは? 灰奈さんのお邪魔をするわけには……」

「それなら、大丈夫よ。今日の私の仕事は、区域内の避難誘導と雑用だから。まぁ、そうは言っても、人払いは済まされてるから、こんなとこに残ってるのはアンタたちだけよ」

 そのように説明をした後に、灰奈は通信機で仕事の完了を伝え、次の指示を待っていた。


「――はい、分かりました。では、そのように」

「……それで、結局オレたちはどうすれば?」

「とりあえず、余計な事をしないように私と一緒にいること。それからは……まず、先生の判断を――と、思ったけど、説明するのも面倒ね。とにかくついてきて」

 湊は、言われるがままこれから何が起こるのかも分からず、黙って灰奈の後を追う。

「さ、この辺でいいかしら」

 そして、線路に沿った坂道を上り、駅のホームが見下ろせる橋の途中で立ち止まった。

「……何をするんだ?」

「いいから、よく見ておきなさい――これが、御霊使の戦い方よ」




「――えぇ。それで、そちらの判断は?」

 駅のホームには、ベンチに座りながら通信機で連絡を取っている人物と、そのすぐ側で待機している女性の二人。そして、ホームを駆け回る小さな白い犬と黒い犬の二匹。

「――冗談はほどほどにしてください。一体どこにそんな根拠があるというのですか? はぁ……もう結構です。あなたではお話になりません。あとはこちらで対処いたします、それでは」

「あらま。大変ですねー先生は」

 先生と呼ばれた女性は、切れ長の目にワインレッドの瞳。ミディアムヘアに、くすみの入った暗めのマットアッシュ。如何にもクールな女性らしい出で立ちであった。

「他人事ではありません。早速あなたにも仕事をしてもらいますよ」

「はーい。いつでもいけますよ!」

 そして、先生はゆっくりと立ち上がり、白い犬を足元に呼び寄せてから、淡々とした口ぶりで指示を送る。

「結界の展開用意、三点」

「位置は?」

「両翼、距離2.21。前方、距離3.12」

「主柱はどれにします?」

「正面、向かいの位置。あの子が誘導します」

「――誘い込み型ですね、了解しました」

 息の合ったやり取りは、可能な限り簡潔に行われているようであった。そして、指示を受けた女性は線路を正面に、ホームのギリギリの所で膝をつき、両手を地面に添えた。その反対側のホームには、いつの間にか黒い犬が行儀よく座っている。


「ワン!」

 と、黒い犬が吠えてからは、瞬く間の出来事であった。線路の中心辺りから、黒い影――怪禍が出現したと同時に、それを囲うようにして三本の石柱が隆起。それらの間を繋ぐ、目には見えない壁に阻まれ、怪禍は行き場を失った。

「先生、来ます!」

 そして、なんとか逃げ道を探そうとした結果なのか、怪禍は二人の居る方向へと進路を取りながら、実体を持ち始める。

「……せめて、安らかに眠りなさい」

 だが、先生の手にいつの間にか握られていた白銀の拳銃から放たれた一撃は、怪禍が完全に実体を持つ前に、それを霧散させた。


「――清祓完了。ご苦労様でした」

「いやぁ、相変わらず無駄が無いね」

「初動で無駄な手間を掛ければ、後になって余計な仕事が増えるだけです。そんな事も分からない愚か者に従う義理など、わたくしにはありません」

「……毒舌も相変わらずだね」

「何か不満でも?」

 まるで、何事もなかったかのように仕事を終えた二人と二匹は、駅員に通常の業務に戻っても大丈夫であると伝えると、その場を後にした。


「そうそう、見学者の子はちゃんと見てたのかな?」

「はて? 何の事でしょうか?」

「またまた、そんな事言っちゃって! しっかりと見せてあげてたんでしょ?」

「……わけのわからない妄言です。それ以上、ふざけた事を言うのなら置いていきますよ?」

「あー! 待ってよ、瑠璃ちゃん!」




 一方、本物の御霊使の戦いを初めて目の当たりにした湊は、言葉を失っていた。

「どう? これが、今の御霊使の戦いよ。まぁ、今回のは規模が小さいけど、基本はこの通り。一般人に気付かれないように誘導、怪禍の出現予測、逃がさない為の結界、そして清祓」

「チームの連携……御霊使も進歩しているのですね」

 灰奈の言葉に、代わって凪が応えた。

「そうよ。だから、あの時のような突発的な戦闘は、本来は稀なものよ。アンタの思ってるような――誰かの為に戦うなんていうのは、違うかもしれない……それでもやるの?」

 灰奈の試すような言葉を黙って聞き入れていたが、湊の心は既に決まっている。

「あぁ! むしろ、燃えてくるね!」

「えぇ。そうこなくっちゃ」

 そして、三人はそのまま坂を上り、その頂上にある目的地へと歩みを進める。やがて見えてきたのは、二、三十メートルはあるであろう、白く大きな建物であった。

「これが……」

「ようやくここまで来ましたね、湊様」

 湊にとっては、ここからすべてが始まる。


「まぁそれじゃあ、改めて――夕日降学院へようこそ、歓迎するわ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る