序章8-2

 湊と灰奈が、喫茶店を出発した頃。暗い森の中、辺りには壊れた鳥居や、長い間放置されたのか、ボロボロになり草で覆われた祠がある場所に、少年と少女の姿があった。二人は、手足を糸のようなもので縛られ、身動きが取れない状態にある。だがそれ以上に、この場から逃げられない要因が存在していた。


 人間の子供ほどの大きさをした蜘蛛。そのような化け物が五、六匹もおり、二人を逃がすまいと取り囲んでいたのであった。そして、その蜘蛛たちのボスらしきモノは、さらに異質な存在感を持っていた。八本の脚は、それだけで一メートル程の長さがあり、腹部は硬い殻に覆われて大きく膨れ、全長は四メートルにもなるだろう。


 しかし、一番異質なのは、前胸部らしき部分が無く代わりに、口元には蜘蛛の上顎が付いた、限りなく人間の上半身に近い形をしたものが、腹部と結合しているのであった。そして時折、遠くを眺めるように見つめては、

『……ケガレ……タマシイノ』

 と、人間の言葉らしき音を発していた。そんな、この世のモノとは思えない光景を前に、ついに耐えきれなくなったのか、黄色い声が響く。


「キャーッ! 嫌っ! 食べたりしないで!」

「ちょっと、何してんの浩介! 気持ち悪いよ、それ……」

 体をくねらせながら、わざとらしい叫び声を上げる浩介に、聡子は冷静にツッコミを入れる。

「いやー、それよりさ腹減ったんだけど、弁当の残りってもう無い?」

「当たり前でしょ……残ってたとしても、昨日の奴なんだからお腹壊しても、ウチは責任取れんからね」

 こんな状況だというのに、二人は相変わらずの様子であった。

「はぁ……相変わらずなのは良いけどさ、浩介は怖くないん?」

「ん? あぁ、そうだな……特に怖いとは、思わないな!」

 溜息交じりの質問に、いつもの笑顔で応える浩介の度胸を、聡子は呆れを通り越し、感心すらしていた。

「そう言う聡子こそ、割と平気そうだけどな……それとも、ホントはちびってるのか?」

「そんなわけ無いでしょ、バカ浩介! ……でも確かに、何でかな? ウチも怖いなんて思わないな」

 どうやら、聡子も浩介と同じく、恐怖を感じている様子は無いようであった。


「そりゃあ、あれだな。やっぱり、こういう危機的状況には、ヒーローがやって来るって決まってるからだな!」

「ふふっ。そうかも……ヒーローかは、分かんないけど。昔、ウチらが、変われた時みたいにね」

 ヒーローなど、浩介の言ういつもの冗談。この二人以外はきっとそう思うだろう。だが、確かに思い当たる人物とその出来事が、聡子にはあった。そして、二人は在りし日の事を思い出す。



 今から半年程前、高校生になる直前の事。田舎の町という事もあり、小学校の頃から変わらない周りの人間は、浩介を『馬鹿な事をやるキャラ』と決めつけていた。中学校を卒業するまでは、浩介自身もそれを不快に思わずに認めており、そのように振舞い続けていた。


 だが、高校生にもなると、そんなキャラを当たり前のように続ける事に対して疑問を抱き始めるも、周りの面々は変わらずそういう人間だと思い続けており、浩介は次第に人間関係に退屈と疲れを感じるようになっていた。

 その、自己意識と周囲の思い込みによる板挟みに悩んでいる事に気付いていたのは、幼馴染である聡子ただ一人であった。しかし、多感な時期である中学生の頃辺りから、浩介と話す機会も無くなり、周りの人間と同じ目線で眺めている事に罪悪感を感じてしまい、尚更彼女は声を掛ける事が出来なくなっていた。

 

 そんな高校生になってから少しが経った時、学校に大きなニュースが流れる。どうやら、転校生が来るらしい、とのことであった。その珍しい出来事に、生徒たちは大いに盛り上がっていた。そして、転校生が始めて来た日、ちょっとした事件が起こる。

(げ……俺のクラスか……)

 正直なところ、転校生の事などどうでもよかった浩介は、自分と同じクラスである事を知らされ、内心面倒だと思っていた。


 そして、その転校生は教室へと入って来た。転校生の少年は、身長こそ少し低く百七十は無い位であるが、小さめで丸い輪郭、目にかかるほどに伸びた真っ直ぐな髪にくっきりとした二重。と、比較的整った顔立ちをしているが、その雰囲気は今までに出会ったことの無いほどに暗く、感情を持ち合わせているかすら怪しい様子であり、自己紹介も非常に簡素で、良くも悪くも話題の中心となった。しかし、クラスの人間が声を掛けるも、反応は薄く、浩介からはあえて周りと距離を置いて遠ざけているように見えた。

(……何だ、アイツ。変な奴だな)

 浩介は、その少年と関わらないようにしようと決めていたが、話し掛ける事を諦めた他のクラスメイトから、いつもみたいに馬鹿なキャラで絡みに行くようにと無茶振りをされてしまう。当然、その期待を裏切る事の出来ない浩介は、休み時間を見計らって、渋々声を掛けた。

「やあやあ、転校生くん! よろしく頼むよ!」

「…………」

 自分の中で精一杯の明るい笑顔で挨拶に向かうも、転校生は目線すら合わせずに沈黙していた。

「それで、どこから来たんだ? しかも、わざわざこんなド田舎なんかに」

「…………」

 浩介は再び話題を振ってみたが、微動だにする事なく、完全に無視をされているようであった。その後も、何とかならないかと繰り返し話し掛けてはみるものの、一向に進展は無く、次の日、また次の日と連日その攻防が繰り広げられた。


 そんなある日の放課後のこと、もはや惰性となった絡みを続けていると、初めて少年が口を開いた。

「……あのさ、何が楽しくてこんな事してんだよ」

 それは、決して浩介に心を開いたからこその言葉では無く、明らかな敵意がこめられた言葉であった。

「何でって……そりゃあ、折角だから仲良くなれればって——」

「嘘だな」

「……!」

 浩介の苦し紛れの言い訳は、一瞬で見抜かれてしまった。恐らく、この少年は最初から浩介が渋々やっている事にも気づいていたのだろう。だからこそ、端から会話をする気など無かった。

「下らない理由なら、もう関わらないでくれ」

 少年は、冷たく言い放つと教室を出ていき、浩介は教室に取り残されて呆然としていた。たまたま教室に残って、その一連の様子を見ていた他のクラスメイトたちは、茶化すように「残念だったな」と、声を掛ける。だが、浩介はいつものように笑って誤魔化す事が出来ないほどに意気消沈してしまっており、それからしばらくは誰も声を掛けられなくなっていた。その噂は他のクラスにも広まり、転校生と浩介の話題は半ばタブーのような扱いになっていた。


 しかし、そんな様子を見かねた一人の生徒が、下校中の浩介を待っていた。

「や、やあ浩介くん。奇遇だね!」

「……聡子?」

 浩介が、自宅の前まで着いた頃。そこには、不器用な笑顔を浮かべながら、あまりにも不自然な態度を装う幼馴染の姿があった。


「いやー、何か久し振りって感じがするなー。昔はさ、ここの公園にもよく来てたよね」

「あぁー……そうだっけな」

 聡子に言われるがまま、一先ず近場の公園に移動すると、何をするでも無く、ただベンチに座りながら話を始めた。

「あ! あのブランコ、子供の頃に一回転出来るか試してみよう、って言って大怪我しそうになったよね。今にして思えば、二人とも馬鹿な考えしてたよね」

「……今だって、まだガキのままだし、俺が馬鹿なのも変わらねぇよ」 

 聡子は、何とかして盛り上げようと話題を振ってみるも、浩介は素っ気無い返事をするばかりであった。浩介自身、悪気があるわけでも、決して彼女が嫌いなわけではない。しかし、話をする事が無くなってから、更に時が経つに連れて二人の間には、妙な蟠りが生まれてしまっていた。それは、聡子も同じように感じていたのだろうか、やがて無理に上げていたテンションを維持出来なくなり、しばしの沈黙が訪れた。


「……それでさ、何があったん? 最近、いやもう少し前からかな?」

 沈黙を破った聡子は、先程よりも声のトーンを落としてから本題を切り出した。ずっと気になっていたけれど、何もしてあげられないかもしれないけれど、それを聞かずにはいられなかった。

「うーん……何があったってわけじゃないんだけどな。ただ……きっと、退屈なのが嫌、なのかな? いつも当たり前みたいに、俺が馬鹿やって周りが笑ってくれる。でも、それで良いのか分かんねぇで悩んでたから……多分それに、気付いてたんだ」

「それって、例の怖そうな転校生くんの事……?」

 上手く言葉に出来ない浩介の意図を汲み取った聡子が、話題になっている少年との出来事についてを聞きづらそうにしながら口にすると。浩介は、頭をうなだれて無言の肯定を示した。


「そっか……じゃあ、言われた通りに、もう関わらなければ?」

 その様子を見た聡子は、少し意地悪そうな笑顔を浮かべながら尋ねた。

「それは出来ない……自分でも分からんけど……何か、放ってはおけねぇんだよなぁ」 

「浩介……それって、恋だよ!」

「そんなわけあるかい! 恋にはもっとな、トキメキとロマンってもんがあるんでぇ!」

「あはは! なにそれ!」

 浩介は、答えた事に対して聡子が茶化しながら返すと、自分でも驚くほど自然に声が上がっていた。それはまるで、いつもの自分を取り戻すかのようであった。

「ほらね、やっぱり浩介は浩介だ。ならさ、迷ってなんかないで、行動あるのみだよ! ウチにも出来る事があるなら、手伝ってあげるから!」

「聡子……そうだよな! っしゃあ! 気合い入れて、リベンジかましてやんぞ!」

 浩介は、聡子の言葉に触発され、奮起を誓った。そして二人はその後、作戦会議を始めて明日再びの挑戦に挑むのであった。


 翌日、浩介と聡子はあえて学校を遅刻していた。昼休みの頃を見計らって、万全の準備をしてから教室に向かうと、教室中がざわつき始めた。しかし、そこに例の転校生の姿は無く、何処に行ったのかをやたらと他人行儀な周囲の人間に聞き、その足取りを追っていった。後ろから「ついに、頭がおかしくなったのか」と言われようが、そんな事はもはや気にも留めずに、ようやくたどり着いた場所は、普段誰も立ち入るはずの無い屋上であった。何故か鍵の掛かっていない扉を少しだけ開くと、そこには、鞄を枕代わりし、ラジオを聴きながら寝そべり、退屈そうな顔を浮かべる転校生の姿があった。

(じじぃか、アイツ。でも、なんだろうな……)

 いつもの態度からは想像も出来ないその姿に、浩介は一瞬だけ戸惑ったが、すぐに聡子に目配せをしてから、いよいよ意を決して、まずは浩介が扉を思いきり蹴り開けた。


「おどりゃ、ワレ! ここを誰のシマや思うとんじゃ!」

 浩介がそう言い放った瞬間、寝ていたはずの少年は即座に立ち上がり、慣れているかのような反応で、本気の敵意がこもった視線を向けてきた。

(怖っ! 暗殺者か、コイツ!?)

 その迫力に、思わず後ずさりしてしまいそうになったが、転校生は声の主である浩介の姿を見ると、先程までの異常な警戒心を解き、呆れた様子でその場に座り込んだ。それもそのはず、浩介はどこから調達してきたのか、龍の刺繍が入った長ランを纏い、額には『喧嘩上等』と筆で書かれたハチマキを締め、手には竹刀を握っていた。その上、左目を隠す黒い眼帯を装備し、もはや時代錯誤とも呼べないほどの仮装をしているのである。


「おめぇさん、新しく来たって噂の奴やな。おぅ、ワシらのボスに、ちゃんと挨拶したんか!?」

 眉間に、これでもかというほど皺を寄せながら、浩介が言う。そして、次の瞬間には、

「その辺にしておきな!」

 その台詞と共に、腕を組みながら聡子が現れた。その姿は、これまたどこから調達してきたのか、学校指定では無い古臭いセーラー服に、普段は掛けない眼鏡、三つ編みのおさげと、やたら清楚な衣装であった。恐らく、影の番長という設定なのだろう。


「姉御! しかし、このモンがですね……」

「いいんだよ。それよりもお前、部下を集めてたって事は、例の仕事は済んだんだろうね?」

「はい! 姉御が大事にしてる五円玉、全部綺麗に磨いておきやした!」

「違う、それじゃねぇ! 舎弟共を何に使ってんだ! 隣のシマの奴を締めたかって聞いてんだよ!」

「でも、姉御……いっつも、良い出会いがありますようにって、大事そうにしてるじゃないですか!」

「そういう事は、言わなくていいんだよ!」

 

 いきなり始まった、理解し難い世界観で進んでいく二人の漫才に、初めは呆れた顔で眺めていた転校生も、少しづつ聞き入っているようであった。そして、

「もういいんだ、素敵な出会いってのは、案外近くにあるもんだからね」

「姉御……」

「……こーくん、やっと気付いて——」

「よし! これからも二人で、しっかり五円玉磨いていきやしょう!」

「馬鹿たれ! もういいよ!」

「「どうも、ありがとうございました」」

 ようやく漫才を終えた二人がお辞儀をしてから顔を上げると、

「……あっはは。何だよ、それ」

 ついに堪えきれなくなったのか、初めて笑い声を上げた。その様子を見た浩介と聡子は、ハイタッチを交わして喜んだ。


「よっしゃ! 俺の勝ちだな!」

「いやいや、ウチのおかげでしょ!」

 尚も続いてしまいそうな二人の掛け合いに、

「……ほんと、馬鹿な奴だな」

 少年は、そう呟いた。浩介にとって、いつも言われ続けてきた『馬鹿』という言葉。だが、聞きなれたはずの言葉だというのに、この瞬間だけは、どうしてかやけに心地が良く聞こえた。

「それで、結局何がしたかったんだ?」

 そして、初めて向こうから口を開いて聞かれた質問に、浩介は少し悩み、ようやく答えを出す。

「退屈そうにしてるその顔に、一泡吹かせてやりたかったのかな……多分?」

「多分、って……どういう事だよ?」


 それは、浩介自身への答えでもあったのだろう。退屈になってしまうほど、当たり前のように笑われ続ける事に、このままでいいのかと悩んでいた自分が嫌だった。しかし、人に笑ってもらう事がこんなにも楽しいのかと、改めて感じる。だからこそ、自分はこれでいいんだ、こうありたいんだと、今は胸を張って言う事が出来るだろう。

「まあまあ! そんな事よりさ、これでウチらは友達だね! えっと……」

「――湊。そう呼んでくれればいいよ」

「そっか! よろしくね、湊くん!」

「あ、俺も忘れんなよ! よろしくな、湊! ……あと、ありがとな」

 こうして、三人は親友となり、その先の時間を共に過ごした。この時の出来事は、浩介と聡子にとって分岐点であり、大切な思い出でもあった。自分の知らない所で起きていたその事実を、湊が知り得る事は決して無いだろう。しかし、二人にとっては、自分の在り方を変えてくれた、大切な幼馴染との縁を繋ぎ直してくれた、かけがえのない親友なのである。



「そんな事もあったよね。あの時の衣装、今思えば凄い恥ずかしかったな……」

「そうか? 俺、割と気に入ってたけどな」

 依然として、辺りには化け物の姿が蔓延る危機的状況。だというのに、二人には恐怖心など欠片も無い。

「だからさ、きっと……ううん。絶対来てくれるよね!」

「あぁ、アイツは来るよ。それでもし、また怖い顔してたらよ、二人で笑わせてやらなきゃな」

 その時、覚悟を決めて信じ続ける二人の思いを受け取ったかのように、一羽の鳥が舞い込んだ。

『……!』 

 鳥に反応したボスの大蜘蛛は、静かに視線を向けた。そして、水で形作られたその鳥は、周りの蜘蛛たちの注意を引くように空を自在に飛び回った後、大蜘蛛の上体をめがけて落下し、衝撃を与えて飛び散った。それを合図に、一人の少年の姿が現れる。


「浩介、聡子! 助けに来たぞ!」

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