序章7
翌朝、昨夜の事が気が気でなかった湊は、予定よりも早くに目を覚ましてしまった。窓から差し込む朝日が眩しく、鳥の鳴き声が良く響き渡るほどに静けさが漂っていた。
「……とりあえず、ゴミでも出しに行こう」
言われた通りに袋を二重に括り、重い足取りで玄関を出てゴミの回収場へと向かった。その途中、アパートの裏側にある庭のようなスペースに人の気配があるのを感じた。
(まさかな……?)
湊はゴミを捨て終えたその足で、自室に戻る前に少しだけその場所を覗いてみることにした。
「ふぅー……ハァッ!」
そこには、集中した様子で刀の素振りをする灰奈の姿があった。規則正しく、一切の乱れを見せずに力強く振るわれる刀の流れは、彼女の流派特有のものなのだろう。そして、一通りの決まった流れが終わったのか、刀を納めて一礼をしたところで、ようやく湊の存在に気が付いた。
「お、おはようございます……」
「……何か用?」
湊は、一向に視線の合わせようとしない灰奈に昨日の事をどう説明するべきか悩んだままであった。
「あの子、妹なんかじゃないでしょ? もしかして、あれが式神?」
「分かるのか……!?」
「えぇ、何となくだけどね。それよりも、あの子どこか……いえ、何でも無いわ」
何かを言い淀んだ灰奈であったが、とりあえず昨夜の誤解? は無事解けたようで、湊は安心した。
「それよりさ、例のピクニック。ちゃんと来るだろ? 一時に現地集合だから……そうだな、十二時半になったら迎えに行くから、それまでに準備しとけよ?」
「はいはい。分かったわよ」
結局、灰奈は言われるがまま同席することになった。しかし、昨日程の抵抗感は見られず、むしろ楽しみにしているのではないかと、湊は心の中で思い、彼女に悟られぬように一人ほくそ笑んだ。
午後十二時三十分——約束の時間になったので、湊は隣人の部屋を訪ね、呼び出しをする為にチャイムを押そうとしたその前に、扉が開かれた。
「びっくりした……それにしても、時間ピッタリだな」
「私、時間には厳しく生きてるから」
そう言いながら現れた灰奈は、昨日までの制服姿ではなく、私服に着替えていた。
「……それ、私服か?」
灰奈の私服は、スキニーデニムに白Tシャツ。という、想像以上にシンプルなものであった。
「そうだけれど、何か変?」
「いや、別に……ただ、こうさ、微妙に期待と違うというか……」
元々、細身で足の長い体系である灰奈には当然似合っていることは間違いないのだが、そのシンプルさがやけに馴染んでおり、意外性が無いという点に対して、湊には思うところがあるようだった。
「下らないこと言ってないで、早く行くわよ」
そして、灰奈に促されるまま、二人は目的地へと向かった。
集合時間は一時となっていたが、その十分前、少し早く到着してしまった。だが、聡子と浩介も同様に早く到着していたようで、湊と灰奈の姿が見えると、嬉しそうに手を振りながら声を掛けた。
「おはよー! 灰奈ちゃんも来てくれたんだね! ウチ、お弁当頑張って作った甲斐があるよ!」
「え……? 灰奈さん、可愛い服って約束では……?」
「そんな約束してないわよ!」
開口一番からいつも通りの二人。それに馴染んでいる灰奈の姿に、湊は少しほっこりしていた。
「ちくしょー! なぁ、聡子の奴と服交換してもらうようにさ、湊からも言ってやってくれよ」
シンプルな灰奈とは対照的に、聡子の私服はグレーのロングワンピースにキャスケットを合わせた、ボーイッシュで可愛い仕上がりとなっていた。
(なるほど、浩介の言うことも一理あるな……)
「湊くん……まさか、変なこと考えてないよね?」
まじまじと二人を見比べていた視線に気が付いた聡子に釘をさされ、湊は我に返り、慌ててそんな事は無いと首を振った。
「ホント馬鹿ね、アンタ……まぁ、それよりも。綺麗な場所ね、ここ」
「だろ? 娯楽とかは無い町だけどさ、意外と良い場所があるんだよ」
灰奈の罵倒を受け流した湊は、自慢げにモミジの木を指差した。そして、学校から少し離れた場所にある商店街の、その裏を歩くと見つかる小さな川を辿り、少しずつ広がる川幅に沿って行った先には、鉄が錆び始めた古い橋がある。そこを境に、河川敷には紅葉し始めの木々が続いている。そんな場所が、今日の開催地となっていた。
「おーい! もう準備出来たから始めようや、お二人さん!」
風の中を黄落し、地面や川を少しずつ色づけていく葉。その川の流れを見つめていた二人が、その声に振り返ると、レジャーシートを広げ終えた浩介が手招きをしていた。
「おう! 今行くよ!」
湊が浩介の声に応えて歩き出した。その後ろ姿を見ながら、
(今日を……いえ、今この時だけを楽しんでしまっても、罰は当たらないわよね)
灰奈は、一人で密かにそう決意をして、後に続いた。
それから四人は、重箱に詰められた聡子の手作り弁当を味わいながら談笑を楽しむ。その筈だったのだが、お弁当のほとんどは欲張りな一人の男に味わい尽くされてしまった。
「いやさいやさ! やーっぱ聡子の料理は最高だわな!」
「……お前、少しは遠慮しろよな」
湊から浴びせられる冷たい視線を気にも留めずに、浩介はそう言いながら、満たされたことを示すように自らの腹を叩く。その悪逆非道な行いに対して、聡子は怒るどころか不敵な笑みを浮かべていた。
「ふっふっふっ……こんな事もあろうかと、ウチはちゃーんと用意してあるんよ!」
そして、そう言いながら持ってきていたカバンの中から、先程の重箱とは別の箱を取り出して、中を開けてみせた。
「なにっ!? 甘味が満載じゃないか!」
そこには、花見っぽさ満載の串団子に和菓子の王道おはぎ、さらにはクッキーやらガトーショコラなど、和洋折衷とにかく甘味と呼ばれる物が何でも詰め込まれていた。
「あーあ、浩介はお腹一杯だろうから、これはウチら三人で食べようね!」
「まぁ、オレもこうなるだろうと思って、コーヒー淹れてきたから。さて、のんびりと甘味を楽しもうか」
わざとらしい口調の聡子の主張と湊の気遣いに対して、浩介は相当悔しそうな顔をしながら歯ぎしりをしていた。
「よし、分かった! そっちがその気なら、この勝負乗ってやる!」
浩介は謎の宣戦布告をした後、お腹を空かせるつもりなのだろう、河川敷を走り始めた。
「……馬鹿ばっかね」
灰奈の方は、悪態をつきながらも、主に和菓子を中心に手を休めることなく味わっている辺り、相当気に入ったようであった。
「灰奈ちゃん、和菓子好きなん?」
「えぇ、そうね。いえ別に、洋菓子が苦手という訳ではないのよ。ただ、昔はよく食べていたから、口が和菓子の方に馴染んでしまってるのかしら」
「へぇー! 何か、意外だよ。てっきり、都会の人はみんなオシャレなお菓子が好きなんだと思ってた!」
「その発想は安直すぎるだろ、聡子……」
三人は、そこから始まった和菓子談議に花を咲かせていった。合わせる飲み物はやっぱり日本茶が良いわねだの、いや意外とコーヒーも合うんだぞ、等々下らない話をしながら、灰奈も楽しんでいるようであった。
「そういえばさ、灰奈ちゃんの学校ってどんな所なん? あ、部活とかもやってるのかな。あの時、竹刀持ってたから、ひょっとして剣道部とか?」
談笑の途中、ふと聡子が質問を投げかけた。御霊使の世界を何も知らない彼女は、灰奈がただの高校生だと思っているので、特に意図の無い質問であった。だが、湊の方は別の意味で気になる話題であったので、黙って耳を傾けた。
「そうね……私は——」
「馬鹿だな、聡子は! 俺の目に狂いが無ければ、灰奈ちゃんはな、夜に忍ぶ正義の戦隊ヒーローなんだよ!」
灰奈の言葉を遮り、いつの間にか帰ってきていた浩介が割り込む。いつもの突拍子も無いボケであると、そう思った聡子は呆れた顔をしたまま、ツッコミを任せようと湊の方に目を向けた。
(あー……意外と鋭いかもな、浩介の奴)
中らずと雖も遠からずといった浩介の指摘に、湊は黙ったまま灰奈の言葉を待った。
「正義のヒーロー、ね……確かに、そう思う人はいるかもしれないわね」
「「え……?」」
聡子と浩介の二人は、まさか灰奈がボケに乗ってきたとは考えられず、困惑していた。
「ごめんなさい。隠していたわけではないのだけど……私の学校は、普通じゃない特殊な所なの」
「えっと、その……嫌じゃなければ教えてくれる? ウチ、灰奈ちゃんの事、もっと知りたいから」
少しだけ頭の整理がついた聡子は、なるべく平静を保ったまま尋ねた。
「……分かったわ。少し複雑な話になるわ。まず、二人は御霊使と怪禍って聞いた事くらいはある?」
この田舎町では、その言葉を耳にする機会は少ない。だが、災害規模の怪禍が発生すると流石にテレビでニュースにもなる。とはいえ、わざわざ気に留めた事の無い二人は、一応知っている程度の知識しか無い。その事を踏まえた上で、灰奈は話を続けた。
「都心の方ではね、小さな規模の怪禍も含めると、意外に多くの数が発生してるの。この辺りのような地方では、まだ詳しいパターンは解明されていないけれど、出やすい場所とそうでない場所があってね――それはともかく、御霊使という仕事って実は身近にあるものなのよ。だから、その御霊使を育成する為の養成所のような場所。そこが、私の学校——
聡子と浩介の二人にとっては、自分たちの知る現実とはあまりにかけ離れた世界の話であり、何が何だか分からない顔をしていた。しかし、湊は真剣にその話に聞き入っていた。
「ん……? 湊、お前は知ってたのか? 灰奈ちゃんのこと」
「え、まぁ……少しくらいはね。それに、オレにも関係の無い話ってわけじゃないからさ」
妙に真剣な顔をする湊に浩介が尋ねると、変にはぐらかすのも違うだろうと思った湊は、初めて二人にその事を打ち明けた。
「へぇー……ウチには何だかよく分かんないけど。でも、とにかくカッコイイね、灰奈ちゃん!」
「え?」
得体の知れない世界の住人として、気味悪がられるかもしれないと思っていた灰奈は、聡子の直球な感想に驚いていた。そんな感想を抱いていたのは聡子だけでは無いようで、
「なんだよ、湊もそうだったのかよ! うん、とにかく頑張りたまえよ、お二人さん!」
「どの立ち位置から、モノ言ってんだよ……」
浩介も同様に、あっさりとその存在を受け入れていた。馬鹿なのか、懐が深いのか、いずれにしてもこの二人が優しくて良かったと、湊は心の中で思った。
「というか、今さらだけど。こんな話して大丈夫なのか、灰奈?」
「えぇ。普通の人、それも怪禍を見た事の無いような人には、例え怪禍が側にいても気付く事すら出来ないでしょうから」
湊にとっては初耳の情報であった。その意味を詳しく尋ねると、
「そもそも、怪禍が能動的に人を襲うという事は、稀なケースなの。どちらかと言えば、自然的な災害のように突発的に現れるものよ。言い換えれば、生き物のように生態系を持っているわけじゃないから、この世界の何処にでも存在すると考えてもいいわね。だからこそ、普段からそれが身近に存在すると理解している御霊使たちでない限り、察知する事が出来ないの。そして、怪禍自体も自らの存在を認識する御霊使に惹かれるから、普通の人はまず関わる事が無いってことよ」
「えっと、いまいち理解が……」
急にややこしくなった話について来られなくなった聡子が頭を抱える。
「……例えば、どこか遠い国で事件が起きたというニュースを見ても、普通の人は可哀そうだなとか、遺憾だなとは思うでしょう? でも、次は自分が同じように巻き込まれる。とは思わないのと同じように、あなた達は考え過ぎなければそれで大丈夫よ」
「灰奈、もう理屈っぽい話をしゃべるのは止めてやれ……二人の頭がパンクする」
結局、どれだけ理解したのかは分からないが、難しい話が続き、目が点になっている状態の二人にこれ以上の話は必要無いであろう。
「はぁー……難しい話聞いてたらお腹空いてきちまった。おはぎ、貰うぞ」
浩介は溜息をつきながら、僅かに残されていた甘味に手を伸ばしたその時。
カァーッ! カァッ!
一瞬の隙を突き、そのおはぎはものの見事に、黒いカラスに奪い去られてしまった。その光景に、浩介以外の三人は思わず笑い声をあげてしまった。
「あんの、カラス野郎! 絶対、許さねぇ!」
「まぁ、天罰だと思って諦めろ」
湊は、本気で憤慨している様子の浩介を笑いながら宥めた。
「いやー、珍しいものも見れたことだし、そろそろお開きにしよっか!」
「えぇ、そうね。その……楽しかったわ、ありがとね聡子ちゃん」
「ううん! ウチも、灰奈ちゃんが居てくれて楽しかったよ、来てくれてありがとね」
一方の聡子と灰奈は、無事に友情も深まっていたようで、沈んだ夕日が僅かに残した紅い空を背に綺麗な青春劇が繰り広げられていた。
そして、帰り道でのこと。
「あ、そういえば言い忘れていたのだけれど、例の怪禍が予測通りに別の場所で見つかったらしいわ」
「え? そうなのか。そりゃあ良かったな。いや、それならもっと早く言ってくれよ」
前を歩く聡子と浩介に聞かれないようにこっそりと、思い出したかのように告げる灰奈に、湊は呆れた様子で言葉を返した。
「仕方無いでしょ。今朝方に連絡が来たのだから……ついうっかりしてただけよ」
「さては、今日のピクニックが滅茶苦茶楽しみだったんじゃ——」
「何か言った、バカ湊?」
笑顔で凄む灰奈に返す言葉も失った湊は、何でもない。と、一言だけ残した。
「とにかく、そういうわけだから。任務が終わった私は、近い内に戻ることになるわ」
「まぁ、そうなるよな」
いつか終わるとは思っていたが、やけにあっさりとした解決を迎えてしまい、湊は大した別れの言葉も思いつかなかった。名残惜しくないと言ったら嘘になるだろうが、それでも自分にとっての普通の日常が返ってくる。ただそれだけの事だと、そう考えていた。
「それで……アンタは——」
「おーい! ウチらは家こっちだから、二人とはここでさよならだね」
一方の灰奈は、何かを言いかけていたのだが、聡子の声に遮られてしまい、湊には届かなかった。
「おう。もう真っ暗だから、気を付けて帰れよ! じゃあまた、学校で!」
(学校で、ね……そうよ、私が湊に何をしてあげられるっていうの……?)
二人を見送った湊の言葉に、灰奈は先ほどまで口にしそうになった言葉をしまい込んでしまった。
「さて、オレ達も帰るか。今日はもう疲れたし、さっさと布団で寝たいな」
「……えぇ、そうね」
妙に歯切れの悪い灰奈の言葉が少し気になったが、湊はあえて追求したりはせずに、自分たちのアパートへと歩き出した。
人のすれ違いとは奇妙なもので、少しのズレが大きな歪みを引き起こす事もある。そしてこの時、数多の人々のすれ違いが、既に大きな事件の発端になっていると、湊は思いもしなかった。だが、それを知ってしまった時、どれほど今日という日を後悔する事になるだろうか。しかし今は、それを知らずに唯々眠りに就くのであった。
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