第3話

 ドレスを選び終わったところで、時計を見上げると夕焼けが部屋の中を照らしていた。選び終わってから時間が経つのはあっという間で、気づいたらオフィーリアはベッドの中にいた。

 居ても立っても居られず、もそもそとベッドから這い出て、裸足でペタペタと歩き窓辺に腰かけた。もし、リリアが居たら注意されるだろうなと思いながらオフィーリアはそこから見える庭園を眺めた。その庭園は緑があふれていて、現実逃避へと誘っていた。

 窓に手を這わせて息を吹きかけると、手を這わせていたそこから霜が降り見事な雪の結晶が現れた。月夜に照らされてキラキラと輝くその結晶にオフィーリアは触れ、今度は炎の魔法でその雪の結晶を跡形もなく、消した。それはオフィーリアたち王族だけが使える魔法の一つであり、他人の目に映すことはことは禁忌とされている魔法だった。本来、魔法と言えば唱えて魔法陣を形成し発動するという方式なのだが、オフィーリアが持つ魔法は一般の魔法とは違っていた。彼女は王家の血筋であり姫なのだから使えるのは当たり前だった。

 通称その魔法はルピナージェの秘宝と呼ばれていて、別名:女神の秘宝ルピリアとも呼ばれ、地の繁栄をつかさどる女神ルピナージェの加護で守られたウェルヴァインの王族だけが使える秘宝であった。

 自由自在に扱うものが想像する形で実現する魔法。魔法使いなら誰でも一度はあこがれるだろう。魔法陣を組み立てず、頭に浮かべるだけで願うだけで簡単に発動できるのだから。その秘宝の原理はまだ解明されてなく、本物の加護として古から伝わる神秘的なものだった。

 王位継承争いもルピリアで決めていた時代もあったが、いつからかルピリアの決闘で王位を決めるのは野蛮ではないかと反論が出てルピリア決闘は廃止された。そんな歴史のある代物を何気なく使っているオフィーリアであったが、国を跨いでしまうと今のように容易にルピリアは使えなくなる。

 ルピリアを封じるという解決策も過去に行われてきたみたいだが、そもそもルピナージェから受け取った恩恵を現代魔法で封じられるはずもなく失敗に終わる。その失敗をオフィーリアは知っていたし、見られてはいけない、知られてはいけないのだからフェルズ帝国に着いたときは用心しなければ。

 窓辺はやはり冷える。爪先が冷えてしまい、手先もかじかんでいた。またオフィーリアはルピリアを使って手足を温めた。温めながら思った。

 いよいよ、明日が来てしまう。

 送られてきた肖像画をちらりと見たけれど、婚約の時を考えたくはなくてぼんやりとした印象しか覚えていない。もっとじっくりと見ておけばよかったと後悔するが、明日には会えるのだから良いかと言い聞かせてぎゅっと目をつぶり、呟く。

「あぁ、もう明日…なのね」

 体はすっかり温かくなっていたけれど、こんな気持ちでは眠れるはずがない。明日が来るのが怖くて、体を震わせた。怖いのはきっと、現実を見てしまうからだった。今まで王女と言われてもこの国でぬるま湯に浸りながら生きてきた。それが脆く崩れてしまう。外の世界に興味はあるが、戦争だ、魔物だ、と騒ぎ立てられる危ないところには行きたくはなかった。オフィーリアが思う外の世界とはそんなものだった。

 どうして王女の私が自らの国を出なければいけないのか、反論したい気持ちももちろんあったが、自分の主張や意見を言えずに、自分の感情に気づかぬふりをして見過ごしてきた。だから、後戻りは今更できなかった。

 主張の激しい兄と弟を見ていると、どこかオフィーリアは置いてけぼりを感じていて、血がつながった兄弟なのになぜかいつもどこか遠くで会話を聞いているようで悲しかった。

 床に足をつくと、また足先がだんだん冷たくなってくる。ウェルヴァインの夜は酷く冷える。そのため、夜出歩くには分厚いガウンか毛布が必要だった。洋服掛けに掛けられているガウンに袖を通し、オフィーリアは寝室を出た。寝室を出ると扉の脇に二人の騎士がいた。もう交代の時間は終わったのだろうか。

「オフィーリア様、何かございましたか?」

ガジャリと鎧を動かして一人が訪ねてくる。

「いいえ、少し眠れないから庭園に散歩に行こうと思って」

「我らがお供いたします」

 断ろうかと一瞬悩んだが、何かあってからでは遅いと気づきオフィーリアはお礼を言った。長い廊下を騎士たちと歩き、中央階段を下りる。

「付き合わせてしまってごめんなさい」

「いえ、これが我らの仕事ですので気になさらないでください」

 ブノワとウジェーヌは長年、騎士を務めていた。この二人は幼いころから知っていた。オフィーリアはよく、かくれんぼをしてこの二人を困らせたりしていた。

「よく、私あなた達とかくれんぼをしてたわね」

「…そんなこともございましたね。あの頃より、とても大人びてお綺麗になられました」

「飾りものの鎧の中に隠れていたときは本当にびっくりしましたよ」

 三人で思い出話に花を咲かせていると、さまざまな思い出が蘇ってきて苦しくなった。

 あと一カ月もすれば、この国からオフィーリアはいなくなる。一緒についてきてくれと言ったら騎士や侍女は何人が来てくれるのだろうと考える。あちらの国からは10名までと指示されているので何十人も連れてはいけないだろう、これまで関わってきた色んな人の顔が浮かんでは消えていく。

 外の風が、土の匂いが鼻をかすめてオフィーリアは思い詰めていた息を吐き出した。庭園に着いた。自然の匂いがする、月夜に照らされた庭園は見事なもので、花は夜なので咲いてないものと、月夜に咲く花が入り交じり、蕾や若葉、木々がそこに生き生きと輝いて見えた。

 空気を読んで騎士たちは入口のところで足を止めた。

「何かございましたらすぐ、参ります」

「ありがとう」

 大きい水たまりができていて、それを飛び越えるようにオフィーリアは嬉々として庭園に足を踏み入れた。何か嫌なことがあるとこの庭園で癒されていた。

 背の高い木々でできたアーチを潜り抜け、カーライヤの苗があるところまで行く。

 カーライヤとはウェルヴァインの名産品である植物で、お茶にもなるし美容成分が入っていることが近年わかり、今話題沸騰中の花だった。見た目も華やかで貴族に好まれている。

 もうすぐ行けばカーライヤだと、オフィーリアは角を曲がったその時。そこに一つの影があった。あまりに驚きすぎて声が出ず、生唾を飲み込む。どうして庭園に人がいるのだ。ここは外部のものは入らないように警備は怠ってないはずなのに。

 黒髪が印象的なその人は人差し指を立てて、声を出すなと合図される。

「まさか、こんなところで会うとは」

 小さな声で低く囁かれ、その男はオフィーリアを見下げた。夜空のような深い瞳に見つめられ、たじろいでしまう。男はすらりとした長身で短髪の黒髪を風に靡かせ、立っていた。

 オフィーリアは何となく、目の前のこの男が誰なのか理解した。記憶の中の、肖像画の顔の輪郭がおぼろげだったが男を見つめていると誰なのかわかった。

 目と目が交差する。お互いが面と面向かって話すのはこれが初めてだった。互いにどういう人物か周囲から特徴や性格を言われていたが、いざ対面すると、どちらも声を発せずにいた。

「お初にお目にかかります。アシル・エルヴェシウスです。本来ならば、明日正式な形でご挨拶に伺うはずでしたが、」

 左胸に手を置いてアシルは貴族のお辞儀をした。さすが王太子とでも言おう、丁寧に、幼き頃から叩き込まれたその挨拶は綺麗に決まった。

 高い鼻量に、薄い唇、冴え冴えとしている瞳の中に知的なものがちらりと伺えた。

「一足早く、あなたに会えたこと…俺は嬉しく思います」

 想像していたよりもずっと優しい声音でしゃべるのだなとオフィーリアは思った。

 黒く、静かな湖畔のようで、穏やかな印象であった。格好が全身黒で統一されていたからか烏のようだと思った。無言で立っているにも関わらず、そこにいるだけで目立ち、影響を与える雰囲気にオフィーリアの周りにはいない人間だ。

 棒立ちのまま何も言わないのは無礼に反するなと、かじかんだ手で胸を押さえ、一息吐いてから夜着の裾を両手で広げてお辞儀を返した。広がったロングスカートの隙間から冷たい風がほのかに入り込み、彼女の四肢を冷たくする。

「ご挨拶、ありがとうございます殿下。オフィーリア・ド・ヴィルパンと申します」

 銀と薄水色の混ざった髪の毛がふわりと揺れて、それは月夜に光る銀の糸のようだった。薄暗い夜でも、その髪は月夜や日の光を浴びると不思議と輝く。

 オフィーリアのシミ一つない肌は丁寧に風呂場で磨きかけられきめが細かく滑らかで、スカートを持った手がゆっくりと下される。

 オフィーリアの澄み渡る空の色をした瞳は少し憂いで陰っていたが、まだ少女のあどけなさが残ってはいたがかえってそれが美しさをさらに引き出していた。

「はじめまして、アシル王太子殿下。お初にお目にかかります。…お話しするのは初めてですね」

「そうですね。ですが私は一度、貴女を見かけたことがあるんですよ。あの時は声をかけることは出来なかったですが」

 いつの話だろうとオフィーリアは疑問に思ったが、社交界デビューの宴を言っているのであればそれが答えだなと思った。あの宴しか出ていないので

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