スタール、王宮料理人に料理技術を教わりながら大道芸の練習に勤しむ(3)

 厨房に出入りを繰り返すうち、スタールは不思議なことに気がついた。

 獅子王アンリの食事は、必ず仮面姫が給仕役となって部屋へと運ばれる。そして食事する姿は誰にも見せないのである。



 食事を運ぶのは、毒の混入を防ぐために、最も信頼の置ける配下でなくてはならないだろう。

 そして食事の瞬間を狙った暗殺を防ぐため、第三者との食事は滅多に取らないのだろう。



 だがしかし――為政者が周囲に、健啖かつ元気に食事をする姿を見せておくのは大事なことである。

 戦時中の環境であれば、為政者が食事する姿を見せないというだけでも「もしや国王は病気なのではないか」などと要らぬ邪推を招き、外交や内政にも少なからぬ影響をきたすものである。

 それをわざわざ隠れて食事するのは、自分の求心力が揺るがぬという確固たる自信があるのか、それとも細心の注意を配っている証拠なのか、定かではない。



(そういえば、ククリも食事はしていたような)



 普通、精霊は食事もしないし、睡眠も取らない存在だと思っていたが――彼女はまるで生きているような素振りをしている。

 それとも、精霊は生きている存在なのだろうか。





















 4日目~6日目。

 ブーシェの担当者から、肉や魚の切り分け、パン粉のまぶし方を勉強。アントルメティエの総括担当者から、前菜の調理、スープ、野菜、パスタやスターチの調理も一通り勉強。

 コンタクトジャグリングは2つほどの水晶玉を手で回せるようになり、リンキング・リングも滑らかに見えなくもないつなぎ方を見つける。

 また、この頃から鹿革の鞠を使った一人フリースタイル蹴鞠フットボールを少しずつ勉強することになる。とりあえずはリフティングから開始。調子がいいときに10回続くぐらい。

 ボイスパーカッションは、基本の音となるバスドラムの低く深い音、スネアの唇を通る破裂音、ハイハットの歯の裏と舌の間を息を通すような音、それぞれが安定して出るように練習。8ビートと16ビートを繰り返しながら息継ぎのタイミングを探る。



 7日目。

 模擬戦と指導稽古。

 膂力の英雄ビルキッタからは、基礎体力の向上のためバーピージャンプを学ぶ。ジャンプと同時に腕をピンと上に伸ばし、着地後すぐに腕立て伏せの姿勢に移行、腕立て伏せ1回後すぐにジャンプに移行するだけ。この動作をなるべく素早く20秒~30秒続けるだけだが、見た目以上に高負荷な全身運動である。以降、隔日でバーピージャンプは続けることにする。

 俊敏の英雄エスラとの柔術は、受け身や投げられ方を学ぶばかりだが、足技の一つ「内股」は、技をかける側は簡単だが技を返す側は難しく、相手の虚を突いて投げる駆け引きの要素が強く、俊敏の英雄エスラより長い手足のリーチを生かせるので積極的に練習した。跳腰も同じ要領で練習を実施。

 頑強の英雄ヴェイユとの盾術は、この頃から、木刀を持ったり、先端に布を巻いた木槌を使ったりと、実際の兵士を意識する戦いを実施するようになる。最初の攻め手はかなり雑でお粗末だったが、徐々に形になってきたのか戦いの運び方を褒められる。



 8日目~10日目。

 アントルメティエの担当者のうち、ポタジエから(ソーシエから学んだ基礎を伸ばす形で)スープ調理を、レギュミエから野菜の調理を学ぶ。

 コンタクトジャグリングは同時に2つまでなら体を転がすことができるぐらいになった。3つを転がすのはまだ至難の業だが、感覚的にはコツをつかみつつある。

 リンキング・リングは、あえてお客様に一つ輪を握らせて目の前で通す、すでに通しているのにわざとらしく金属の輪同士をこすって「今からつながる」など言葉で惑わせる、持ち替えた瞬間にすんなりキーリングの溝から入れる、全然関係ないタイミングでわざとらしく指ではじくなど、意識の誘導をいくつか練習。たまに失敗するが、最初の時を思うと十分に滑らかに動作できるようになった。

 一人フリースタイル蹴鞠フットボールのリフティングは、その最中に足を鞠の下にくぐらせることに成功。しかしそもそものリフティング自体が安定せず、20回前後が限界である。

 ボイスパーカッションは、スネアのメリハリをつけるために口の中の手前のほうで空気を溜めて音を出すことを意識し、ハイハットの音は息をそのまま吐くオープンハイハットも織り交ぜてフィルインの種類を増やすことに。得意なリズムパターンをいくつか自分で作り、安定するように反復練習を実施。



 11日目。

 模擬戦と指導稽古。

 まだ模擬戦では誰にも勝てない状態。馬の勢いと機動力を生かすことができた乗馬戦とは違い、地に足を付けた一対一の戦いは依然不利であると実感。それでも頑強の英雄ヴェイユとの勝負はいいところまで粘れるようになり、魔術の英雄ミテナとの戦いでも相手の魔術をところどころ逆改変して術式暴発を意図的に引き起こすなど戦いの引き出しを増やす。膂力の英雄ビルキッタ俊敏の英雄エスラは依然として圧倒的だったが、防戦一方ではなくカウンターは返せるようになった。





















 スタール

 Lv:10.78

 STR:4.93 VIT:6.52 SPD:4.11 DEX:146.12 INT:10.18



 [-]英雄の加護【器用】

 竜殺し

 王殺し

 精霊の契約者+

 殺戮者

 [-]武術

 舞踊+++ new

 棍棒術++ new

 槌術++ new

 剣術++ new

 槍術+++++ new

 盾術+++++++++ new

 馬術+++++

 投擲術++ new

 柔術+++ new

 格闘術(脚術+) new

 [-]生産

 清掃+++++ new

 研磨++++

 装飾(文字++++++ / 記号+++++ / 図形++++++) new

 模倣+++++++ new

 道具作成+++ 

 罠作成+

 革細工

 彫刻

 冶金++

 料理++++++++ new

 解剖++ new

 曲芸+++ new

 歌唱++++ new

 演奏+++ new

 [-]特殊

 魔術言語+++++ new

 魔法陣構築+++++ new

 色彩感覚+++ new

 錬金術++ new

 詠唱++ new





















 他の四人に勝てない状態が続く。

 この状態でなおもククリの言葉を信じ、このまま奇抜な練習を行うのは、そろそろ精神的に厳しかった。

 やはり根本から間違っているのではないか、と疑念が頭をもたげる。魔王を倒すのであれば、この50日間はきちんと戦闘技術を伸ばすよう訓練を続けるべきだと。



 それでも、スタールは踏みとどまった。

 目の前の結果に飛びついて強くなりたい、という誘惑に、彼は耐え忍んだ。



(……僕はククリを信じると決めた。僕のために泣いてくれた彼女を信じるんだと、そう決めたんだ)



 幸い、スタールは分析の魔眼を通して、自分の成長を目で確認することができる。

 いたずらに無意味なことをしているようでも、数値の成長が停滞していないことが分かる分、焦りは紛れる。

 器用さを表すDEXの値が、修道院病院を出てからわずかに数ヶ月ほどで1.5倍ほどに増えたのだから、きっと今のやり方は無駄ではない。



 ただ、それでも。

 器用になったからと言って、それが一体何になるのかは今でもよく分からない。

 無駄なことばかりをたくさん覚えて、遠回りを延々と繰り返して、分かりやすく信じられる強さの結果さえ何一つ掴めていないまま、ただただ器用になっていくだけ。



 ひたすら、器用に。



(……違う、惑わされるな。できることの幅が増えているんだ。馬にも乗れる、盾で身を守れる、刃の研磨もできる、魔術だってできる、色んなことができるようになった。どれもこれも、僕が器用の英雄だからだ)



 器用全振りの英雄。

 経典にも名前の残っていない、ただ器用なだけだと軽んじられてきた、詳細不明の英雄。

 他の英雄たちと肩を並べて戦い、魔王を討伐する偉業を成し遂げた――尊敬すべき人。



 そう、今まで自分が信じきれなかった、誇るべき英雄の一人。



 ――スタールが、ずっとずっと英雄に憧れているのはわかっているけど、自分もれっきとした英雄なんだから、自分を信じて。自分の戦い方をね。

 ――君は、自分が器用な英雄であることを、本当に誇りに思っている?



 訓練方針を皆で話し合ったときのククリの言葉が蘇る。

 あの時のククリの言葉は、思い返すと、どこか寂しそうな口ぶりだった気がする。



(ククリ、お前はずっと、僕のことを凄いと言い続けてくれていた。器用の英雄である僕の力を認めていたんだ。

 僕が、僕自身が、自分のことを、器用の紋様の力を、信じきれてなかったんだ)



 告白すると、スタールは【器用の紋様】の力をそれほど誇らしいと思っていなかった。

 膂力、頑強、俊敏、魔術と比べると、呪いの一種だとさえ思っていた。

 今もなお、心のどこかにわだかまりが残っていないかと言うと、嘘になる。



 それでも。

 それでもなお。

 ひたすら、器用に。



 ――ね、ね、すごいでしょ? 君はもう特別な存在なのさ! 英雄にはならないなんて嘘ついちゃだめさ、だって君はもう英雄なんだ!



(ククリ、僕は、【器用】の力を信じる)



 ひたすら、器用に。



『我が器用の名にかけて。望むは一つ、最後の英雄なること。

 誓うは一つ――最弱でも英雄に意地でもなってやるってこと!』



 ひたすら、器用に。



 ずっと昔。

 英雄になってやると意地になっていた、小さな子供の頃の気持ちが、まだ少しだけスタールの中に残っている。





















 ア・カペラa cappellaとは、簡素化された教会音楽の様式である。起源を遡ると、グレゴリアン・チャントがある。

 宗教によっては、声のハーモニーのみを重んじて聖歌伴奏をつけることが禁じられるものも存在する。それらは長い年月の中で、アカペラとして技術を発展させてきた。



 それらがやがて、宗教音楽から離れて在野に下るうちに、声でパーカッション効果を出す「ボイスパーカッション」へと変遷するのであった。



(予感はあった。ボイスパーカッションの練習を積み重ねることで僕が得た技能は「歌唱」「演奏」「詠唱」の三つ)



 であれば、このボイスパーカッションを魔術に活用すれば――と考えたわけである。



 音楽魔術の練習を行うにあたり、スタールが知恵を借りようと思いついたのは、魔術の英雄ミテナと、仮面姫シャムシールであった。



「聡明ですわね! 全ての英雄の中で最も有用で賢く知的で慎ましく素敵で麗しく風雅で愛らしく繊細で感じやすいチョリータ・ブリリアンテたるこのアタシに魔術の歴史を請うなんて、見どころがありますことよ!」



「私もまた獅子王より英雄の皆様をサポートすることを仰せつかっております。魔術の英雄ミテナ殿ほどではありませんが、お役に立てますよう微力を尽くします」



「……よろしくお願いします、シャムシール様。ミテナもありがとう」



 ミテナに声をかけたのは当然、魔術の造詣の深さからである。そして仮面姫に声をかけたのは、王宮の関係者の視点で、音楽儀式の知識を教わりたかったからであった。

 儀式関連の話なので、王宮儀典官のトビマァル氏に渡りをつけるのが最良ではあったが、トビマァル氏はあまりにも忙しい。

 なので、王宮関係者の中で声をかけられる相手としては仮面姫しかいなかったのである。



 アタシへの感謝が軽いですわ! と怒られた気がするが、そんなことは些細な話であった。











 音楽魔術。

 正確には、魔術儀式に音楽を用いることは古くから考察されてきた。



 かつての魔術師アレイスター・クロウリーは小論『活性化熱狂』において、天才を作る儀式を女、酒、音楽の三要素として解釈し、音楽の儀式的意味を考察している。



 宗教的儀式においても、教会は賛美歌を作り上げ、合唱理論や楽譜を構築し、そうして神学は音楽と共に発展した歴史がある。



 伝承民話を戯曲化すること、死者を鎮魂歌で慰めること、祭事に祝いの音楽を流すこと――音楽は魔術と縁深い存在である。



「他にも、戦場でも音楽は有効活用されております。鼓笛隊は、戦陣での信号伝達で活躍しておりますし、突撃指令の際に兵士を鼓舞する役割もあります」

 

 シャムシールの説明は簡潔で分かりやすかった。

 つまり、冠婚葬祭などの催し事や、戦場での兵士の鼓舞など――人の感情を時に鎮め、時に揺り動かす魔術として音楽はあった。



「……つまり、音楽は様々な場面で付与魔術バフとして機能していると」

 

「逆ですわ。様々な場面で使われすぎて・・・いて、神秘性はすっかり零落し、理論も思想や形式が散らばって、機能しているとは言いがたい混沌状態なのですわ。それ故に、殆どの場合は天才しか術式を編み上げられない状態でしてよ」

 

 今回スタールが相談しているのは、ア・カペラにより魔術を発動できないか、の可否である。



 ミテナからは想像以上に厳しい角度からのコメントがあった。

 曰く、音楽理論として体系だった研究が残っているのは宗教楽曲がほとんどであり――逆に言えば、地方の原住民の祈祷師シャーマンの歌とは互換性のある理論が存在しない。

 

 つまり、宗教系魔術との親和性はよいが、伝承民話系の魔術とはあまりよくないのである。



「もしくは、古くから伝承されてきた祈祷師の歌と祈りを魔術に応用することもできるでしょうけど――その場合は、数多くの伝承民話を学習し、それを理解する必要があることでしょうね。よろしくて?」



「……ミテナはどう思う?」



「鶏が先か卵が先か、という話ですわ。歌と演奏を魔術に使いたい、ではなく、魔術の儀式のために歌と演奏を使うのが本来の魔術師のアプローチでしてよ。

 使いたい魔術が宗教系の体系に組み込まれているのか、伝承民話系の体系に組み込まれているのか、それによって答えは変わりますわ。

 あの時、御前試合で見せた高位魔術――大天使サンダルフォンの息吹を見るに、あなた、典礼書や典礼言語には詳しいと考えてもよろしくて?」



「……少し手ほどきがあっただけだ」

 

 かつてククリが教えてくれた、様々な魔術の知識を思い出す。

 典礼書作りの時も、ドブ浚いでの魔術触媒作りの時も、スタールはかなりの魔術的知識を学んだ。

 典礼言語、文字象形、印形――もちろん、毎日ずっと魔術に真剣に打ち込んだ彼女ミテナには叶うべくもないが、そんな彼女に「詳しい」と言われるのであれば、相当良質な学習の手ほどきを積んできたのであろう。



 すべて、あの小憎らしい悪戯な妖精のおかげである。



「であれば、宗教魔術を学ぶのが順当ではなくて? 聖歌にあるポリフォニーの技法を練習しているのでしょう? ほら、拡声魔術や詠唱固定を利用して、一人で時間差で混声合唱を実現する――」



「いや、そういうのじゃなくて、打楽器や弦楽器の音の口真似をしているんだけど……」



「え?」

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