スタール、音楽魔術を練習する
バスドラムとスネアにハイハットを織り交ぜた打楽器音。
トランペットやサックスの金管楽器音。
加えて、ハーモニカの音や、指笛を応用したハンドフルート、サンバホイッスル、尺八などの笛系統の音まで口で再現する頃には、ミテナもシャムシールも二人して驚いていた。
というよりも、若干引いていた。
「……なるほど。噂には聞いていましたが、これほどに上手なものでしたか。さすがは器用の英雄スタール殿」
「……え、え、え、えええ……?」
シャムシールが言葉を選んで褒めているところに、心なしか気遣いを感じる。普通は戸惑うだろう。だからむしろ、ミテナの反応は至極当然であった。
「え、なんでですの……? 普通、詠唱の練習って言ったら、半分は魔術言語の学習で、半分は音楽理論を詠唱技法に取り込むんじゃないですの……? どうしてそれがこんな面白人間みたいな……?」
「面白人間言うな」
ちょっとショックである。耳が痛い。スタールから言えば、面白人間はむしろ他の英雄たちだと思っていたので、こんなに無邪気にまっすぐ指摘されるとは考えてもいなかった。しかも反論できないのが痛し痒しというものだ。
「……実は、声真似もちょっとできるんだ」
「うええ!? アタシの声じゃないですの!?」
「案外単純だよ。声真似。楽器の音真似のついでに練習していたんだ」
声真似の練習は、喉のいい訓練になっていた。
地声と裏声を繰り返す。地声から裏声までの音域を確認し、どのくらいが限界の音域なのかを確かめる。
喉の使い方も工夫する。商人のガラガラした声。女の子の高い声。神父の落ち着いた声。
声質がさほど似ていなくても真似をする。語尾の特徴や、発音のイントネーションを真似すれば、意外とそれっぽい声に聞こえる。
口と舌の使い方も意識する。大きく口を開けて、はきはきと喋る。小さく口をすぼめて、音を意図的にくぐもらせる。単純な技だが、結構応用が利く。
声帯を開ける練習をする。上あごと喉の境目を意識しながら声を共鳴させることで、喉を絞めて出す裏声よりもなめらかな高音を出せるように集中する。
喉の筋肉も鍛える。あごの下の二重あごになる場所に指を添えて軽く押し込みつつ、同時に舌の根っこ側に力を込めて指を押しのける。イメージはあくび。口を閉じたままあくびすると喉の筋肉に力が入る。その次は、おへそを覗き込むように下を向きつつ、手のひらでおでこを上に押し上げる。喉の筋肉を使って顔を下に向けるのがコツである。
ハミングによる練習も行う。普通のハミングではなく、舌の先端を、下の歯の前歯に当ててカーブを作りながら、上あごから舌の根元までを広げて震わせて発声する。始めは口腔内で響かせるようにして、慣れてきたら鼻の付け根で共鳴させるようにハミングする。
メラニー法による発声法も練習する。女声に近寄せる方法。喉仏を使わないように喉を絞めて、上側の声帯を使わず下側の声帯だけを震わせて、やや鼻にかかったような声で発声を行う。うがいをするときのように喉を締めるのが近い。慣れるまでは喉を直接手で触りながら確かめつつ発声を行う必要がある。
鼻腔共鳴で歌声の乗りをよくする。女声になるとどうしても、ひっくり返った感じの弱い声になるが、鼻腔共鳴で倍音を増やすことで声質を変える。鼻の頭を触ったときにびりびりと震えるようにして鼻腔共鳴をものにする。鼻腔を震わせるため、発声練習は「あー」や「おー」ではなく「にゃー」のようなナ行音(鼻腔音)で行う。
コンタクト・ジャグリングなど大道芸をしながら腹式呼吸を意識しつつ声真似やボイスパーカッションの練習――そんなことを続けてきたスタールは、持ち前の器用さでかなりの幅の声を使い分けることができていた。
「相手と同じ声でうまく呪文の間に割り込めば、詠唱妨害ができる。ミテナとの練習試合で術式暴発を何度かやってみせたけど、魔法陣に呪文を混ぜ込むやり方だけじゃなくて、詠唱に声を混ぜ込む方法もできたら便利かなって」
「うわあ」
「何言ってんのか理解できないみたいな表情だな」
困ったような、当惑しているような変な顔。
ミテナでもこんな顔をするのか、というのはちょっとだけ痛快だったが、それはそれとして、これを何とか魔術に応用したいのがスタールの思いである。
このままではいろんな楽器の声真似や人の声真似ができるだけである。せっかく詠唱スキルが身についたのであれば、間接的ながらもそれを活かす道を探りたいところだ。
「で、宗教系魔術と、伝承民話系の魔術で、この詠唱技術を活かせる方法を教えてほしいんだけど――」
「……軍楽隊、のほうが近いですわね。あなたの声は本格的に楽器ですもの。ですわよね?」
ミテナはちらっとシャムシールの方に目配せをした。続きを促すようなしぐさだった。
それを受けてシャムシールが言葉をつづけた。
「なるほど。国賓歓待や被災地慰問など、王家の執り行う儀式における国家演奏・聖歌斉唱を行う儀仗隊――つまり王国軍楽隊の音楽魔術を学びたいというわけですね。それを詠唱魔術に活かしたいと」
王国軍楽隊。
そういう話になるんだっけ。
と口に出すのは憚られたので、スタールはとりあえず神妙に頷くことにした。
「――Corps,Horns Up!」
号令と共に、兵隊たちが各々楽器を構えて演奏準備に入る。
シャンドール城の中庭に滞在している王国軍楽隊たちの練習風景である。
マーチングバンド。
金管楽器とスネアドラムのロールを音楽的特徴とする、管楽器と打楽器のみの合奏。
すなわち弦のないオーケストラ。
彼らの演奏には、王家の伝統と共に歩んできた矜持の重みがある。
王国軍楽隊とは、ぬるま湯に甘えた気楽な集団では決してない。
ある時は、命を賭して、戦場での音楽による情報伝達任務を行う。
ある時は、命を賭して、式典や行事における演奏任務を行う。
ある時は、命を賭して、市民の慰安や兵たちの士気昂揚のためのパレードを行う。
「あればビューグルです。クラリオンや軍隊ラッパといったほうが通じるかもしれません。突撃、進め、止まれ、弓放て、弓休め、などの合図をあれで行うのです」
「太鼓は?」
「太鼓も信号に使うのですが、魔術の爆発音と紛らわしいのでやや廃れ気味ですね。鼓長(ドラムメジャー)は指揮杖で指揮を執りますが、信号はラッパ信号を用いています」
仮面の下から、シャムシールが淡々と説明を入れる。
いつもならばククリが自慢げに蘊蓄を語ってくれるところだが、今回はその役目の彼女はいない。代わりに仮面の女給のシャムシールとが補足説明を入れてくれた。ミテナもちょくちょく補足は入れてくれるが、ほとんどシャムシールの独擅場であった。
「遡ること千年。徒歩による行軍中の歩調を統一するため、古代
ぶーぷくぶーぷくとラッパの音を真似るスタールのそばで、仮面姫は丁寧に説明を続けていた。
楽器の説明がクラリネットの説明にまで差し掛かると、高音や速い経過楽句(パッセージ)が要求されるためオーケストラのヴァイオリンに近い役割である、だとかよくわからないところまで説明が波及していた。
彼女はやけに丁寧だが、真面目過ぎる。
聞いているスタールのほうがやや疲れを覚えていたが、せっかくの機会に話を遮るのは失礼にあたるので、何とか説明についていこうと集中を新たにする。
「弦楽器付きのオーケストラと違って、王国軍楽隊のトランペットの奏者はずっと吹きっぱなしになることが多いのです。弦楽器がないのでメロディ楽器になりがちなのはトランペットなのです」
隊列を組み、歩きながら演奏、演技する一連の反復訓練をドリルというらしい。
号令者のコールに従って、気を付け、休め、構え、などを規律正しく行うため、王国軍楽隊は機械的な正確さも求められる厳しい部隊である。
そのきびきびとした動きをぼんやりと眺めつつ、スタールはふと仮面姫の方をちらりと横目で見た。まだ喋っている。話のネタがまだ尽きないらしい。彼女の知識量には驚くばかりである。
「有名な軍楽隊と言えばメフテルハーネです。ペルシア語で軍楽隊員のことをマフタルمهترといい、メフテルハーネمهترخانهとは、マフタルの家、マフタル達の集会という意味なのです。王国軍楽隊は、そのメフテルハーネを参考にして作られています」
けたたましい音のするズルナという管楽器と、左手で持つダウルという太鼓は、テュルク系の軍楽の特徴らしい。
テュルク系国家(オスマン帝国)の軍楽隊であるメフテルハーネはもちろんのこと、王国軍楽隊もまたズルナとダウルを使いこなせるという。
ジェッディン・デデン。
テクビル・ヴェ・ジェンク・マルシュ。
メフテル・マルシュ。
ユレクレル・カバルク。
聞きながら、勇壮な曲調の演奏が多いな、とスタールは感じた。
(なるほど、戦闘中のバフ魔術か。精神的に鼓舞するだけじゃなく、力が沸くような感覚があるな)
一論によると、魂が音楽と共鳴することで魔力の循環が生まれる……という考えがあるらしい。
音楽魔術とは、曲と魂の共鳴が根幹にある。使う楽器や音楽理論に派生はあれど、魂に響かない音楽魔術は、おしなべて効果が薄い。
(音楽と魂の共鳴、か)
王国軍楽隊の演奏を聴きながら、スタールは黙々と考え込んだ。
もしも、通常の詠唱法ではなくあえてこのボイスパーカッションの技術を学んだ意味があるのだとすれば。
(……音楽魔術を通じて、魂の共鳴の方法を習得しろ、という意味なのか?)
ククリの狙いは、血の共鳴を優先する前に、魂の共鳴を優先したいということなのだろうか。
流石に深読みのしすぎだ、と思考の海から帰ってきたスタールは、仮面姫の「……もう一度説明しましょうか」という冷たい声を聞いてぎょっとする羽目になった。
メフテルについて、とある
それを再現するには、今のスタールの声量では到底足りない。
スタールの詠唱の目標は、音楽魔術を身に着けて、味方への能力支援を行う、というものになった。
明快なリズムと一つ一つ力強いビート。
ずっと聞いていると脳裏にすりこまれてしまいそうな固定的な拍子を軸に、和音を跳躍させて長調と短調の頻繁な変化を入れる、アラトゥルカという曲調。
音楽を分解するように、一つ一つの楽器の音を器用に聞き分けながら、それを口真似する。
音楽全体とそれを構成する楽器の関係の仕組みを必死に探る。
スタールはもはや、手探りで音楽魔術と向き合っていた。
世界の仕組みに気付くあの瞬間が、もう一度やってきたらいいのに。
声を記録する水晶にたくさんの声を吹き込みながら、スタールはいくつもの声を繰り返し記録して重ね合わせて、少しずつその音楽魔術を本物の演奏に近づけていくのだった。
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