スタール、英雄たちと共に選定の剣を使いこなすことを決意する(1)
魅了の姫、太陽の姫、顔を失った姫、サマサ。
彼女の名は、この国の遥か古くの言葉、古代ファールシー語で太陽を意味するشمس(シャムス)から由来している。
太陽のように明るく輝く娘であるように。そのように願われて名付けられた名前通りに、王女サマサは溌剌とした女性として育った。貞淑で落ち着いた女性が理想とされるこの世界において、彼女は元気が過ぎると注意されるほどの明るい娘であった。
――あの痛ましい事件で顔の半分を失うまでは。
「王族とは生まれついた外交道具。友好と親睦の象徴として、力ある貴族や他国の王族と結婚させられる運命にある。だが、顔に傷ある女は役に立たぬ」
そんな傷物を寄越された国や貴族は、自分を馬鹿にされていると思うだろう。
お前には様々な習い事や教養を仕込んできたが、これで大方水の泡となった。
お前は自分を竜に襲われた被害者だと思っているだろうが、世間の殆どはそんな同情など抱きはせぬ。お前を迂闊な女と謗り、好奇の目で見るだけだ。
厳格な父王アンリの言葉は容赦がなかった。
とある言語学者曰く、
いつも慣れ親しんだ自分の顔の半分を失って一番傷ついているのは娘のサマサ自身なのに、その娘を苛烈な言葉で叱責し、厳しい現実を淡々と突きつけ続けた。
半ば枯れた彼女の涙が、再び堰を切ったように溢れ出す。側にいた側近たちが皆して心を痛めるほどの叱咤。子供にはあまりにも酷な言い回しであった。
「故に、お前には居場所をやろう」
父としての言葉ではなく、王としての言葉。
犯罪者に裁決を言い渡すようであり、失態を犯した臣下に挽回の機会を与えるようでもある、厳格さと慈悲に溢れる為政者の口調。
――王家の武器となれ。名はシャムシール。獅子の鉤爪として生きるがいい。
「かつての私、第八王女は顔と地位と過去を喪いました。そして今は、名前と心臓を王家に捧げております。新しく貰った名前はシャムシール。とても気に入っております」
「私は契約の元、王家の武器として生きております。クラゼヴォ・モル様、スクラマサクス様、袙扇様、エスパダ・ロペラ様、そしてククリ様と同じく、私シャムシールは王家に絶対の忠誠を誓う一つの武器です」
「英雄は選定の剣で選ばれますが、王家の武器は王家との契約で選ばれます。貴方たちが選定の剣に願いと誓約を交わしたように、王家の武器は、王家に願いと誓約を結んだのです」
「血の契約という言葉があります。血は強力な契約の媒介です。もしも選定の剣――祝福の魔剣が血を沸き立たせる剣ならば、王家の紋章は、血を支配する紋章です」
「英雄たち全てが選定の剣を自在に使えるようになること――それが我々、王家の武器に課せられた使命です。血に溶けた紋章の力と、血を沸き立たせる剣の力は、重ね合わせることで何倍にも効果を高めるのですから」
「魔物の大群を打ち払い、魔王を討ち取るために――皆様にはあと二ヶ月で、選定の剣を使いこなしていただきます」
『古都ラリベラに魔物の群れが襲いかかる。しかもただの魔物の群集ではなく、魔王の一角が率いる群集である。これを見事退けてみよ』
獅子王アンリから仰せつかった仕事、
本来、
1000人で相手にできる魔物は30匹〜50匹程度。ちょっと無理をして100匹に届かない程度である。これ以上になると、砲兵や魔導兵を駆使して消耗戦を行い、街を捨てる覚悟で当たらないといけなくなる。
それほどまでに、魔物というのは凶暴であり人類の脅威なのである。
(……妥当な数字だろう。小型な魔物ならともかく、人より体格の大きな魔物を考えたら、一体に十人がかりでやっとのはずだ。僕が姫様を助けようとしたあの時、たしかワイバーン相手に兵士十人ぐらいが群がって何とか拮抗していたんだから)
スタールは記憶の奥底にあった、かつての出来事を思い返していた。
姫に向かって一直線に襲いかかるワイバーン。
それを近づけさせまいと奮戦する兵士たち。
もちろん体格差もあるが、高低差を活かして速度をつけて体当たりを繰り返したりする狡猾さもあって、ワイバーンは強敵であった。
あのときスタールがワイバーンに体当たりをして、もろとも地面に叩きつけられたのは偶然のことである。亜竜相手となると、十人の兵士が命を賭してようやく互角になれるのだ。
「スタンピードでは、平均して魔物100匹近くの群れが現れて街を襲う。それだけでも限りなく災厄に近い。小さな集落ならば見捨てることも検討しなくちゃいけない。
魔王の率いるスタンピードとなればもっと脅威的だ。私達はそれを防がないとならない」
頑強の英雄ヴェイユが神妙そうに告げる。
会議卓に大判の地図を広げながら、彼女は一点を睨んでいた。
古都ラリベラ――歴代の英雄たちの墓場である。
「数百匹の魔物たちは、人間の軍のように街を包囲するなんてことはできないだろう。流石に数百匹では周囲を覆いきれない。
だが、勢い任せにただ一点を突破することなら可能だ。そしてそれこそが考えられうる最悪のケースだ」
「魔王がいるからな」
ヴェイユの言葉を引き継いだのは、意外なことに膂力の英雄ビルキッタだった。知略や軍略とは縁遠いと思われていた彼女だが、大局観はあるらしい。
「魔物が何匹だろうが、魔物の大群をどんな規模の軍で迎え撃とうが、魔王をラリベラ内に入れてしまえば終わりってことだ」
「ああ。どんな都市も外からの攻撃には強く、内側からの攻撃には弱い。古都ラリベラも例外ではない。もしも魔王に踏み入られては、どんな被害が及ぼされるか想像だにつかない。
古都ラリベラは、重要な交易地であり、かつ宗教的な聖地でもある。魔王に滅ぼされるわけにはいかない」
「要するに魔王をどう凌ぐか――シンプルでいいじゃねえか」
「……」
犬歯を剥き出しにして嗤うビルキッタと、神妙な顔のままのヴェイユ。二人の英雄の表情は対象的であった。
「魔王率いるスタンピード。だが、大将首を上げたら後は有象無象さ。俺から言わせりゃ、陣頭指揮を取る知性のあるやつがいるかどうかで戦局ががらりと変わるはずだ」
「逆に、その大将たる魔王を打ち取ることができなければ全てが終わる。魔王とはそれほどの驚異だ」
「想像もつかねえな」
「五対一でも勝てるかどうか――契約精霊の助力を合わせたら十対一か。それでも魔王に勝てる保証はない」
「選定の剣を使いこなせなければ、か?」
「ああ――そうだったな」
二人はここで一旦、スタールに顔を向けた。
現在の選定の剣の持ち主。最も新顔の英雄認定者。
そして、仮面姫との出逢いにまだ戸惑いを隠せないでいる一人の少年。視線に気づいたスタールは、ようやく我に返ったらしかった。
「あ、えっと、ごめん。何だったかな」
「……ぼーっとしやがって、やる気あんのか?」
「ふふふ、何でもないぞスタール殿。ぼんやりしている顔も素敵だったぞ」
「えっと……?」
膂力の英雄ビルキッタからは呆れたような視線を感じるが、それよりむしろ頑強の英雄ヴェイユの視線のほうが居心地が悪い。
逃げ場を探したスタールは、とりあえず目があったビルギッタの続きの言葉を促した。
「スタール。分かってると思うが、あと二ヶ月で俺たちは、選定の剣を使いこなせなきゃいけねえんだ」
「……ああ、あの仮面の姫もそう言ってた」
「選定の剣を使いこなすっていうのは、あの剣を握ったときに浴びる、身を焼くほどの呪いを乗り越えることだけじゃねえ。俺たちは、紋章の力も使いこなさなきゃいけない」
「……そんな話だったな。あの剣は血を沸き立たせて、紋章の力を強制的に引き出すものだって」
「俺たち四人が選定の剣に選ばれなかったのは、剣の力に身体が付いていかず、紋章の力を十分に引き出すことができていなかったから。早い話が英雄として未熟だったから、ってことになる。だから――あの選定の剣に認められるぐらいに、力を引き出す必要がある」
「……」
祝福の剣、とあの仮面の姫は言っていた。
紋章の力を強制的に引き出すあの剣は、それこそ常人が握れば、負荷に耐えきれずに身が焼けるほどの苦悶を与えるが、紋章を使いこなしている場合においては、その負荷を乗り越えて、大いなる力を与えると。
そしてスタールは、その大いなる力の一端を味わっているらしかった。
(大いなる力――あのときに感じた世界の仕組みのようなものだろうか)
御前試合の最後の戦いを思い返す。
あの走馬灯の中に感じた、世界の仕組みを暴いたような万能感。
きちきちきち、と自分を含めたすべての
自分の心臓の鼓動が歯車の律動と重なり、自分の胸の内が反応炉のように熱くなった、あの一瞬。
時計じかけの宇宙論。
いつもククリが
選定の剣の力を引き出すことが出来たら――もう一度あの力を引き出すことが出来たら。
「心当たりがあるみたいだな」
「……君との戦いで、少しだけ手がかりを掴んだ気がする」
「……。あのときのお前、鬼気迫っていたぜ。多分あれを使いこなせってことだと俺は思う」
悪い、と小声で謝るビルキッタ。どうやらあの時のことをまだ申し訳なく思っているらしかった。
当のスタールはというと別段酷い目に遭わされたようには感じていないのだが――確かに五人の中で一番の大怪我をしてしまったが、まあ、それは降参もせずに食い下がったせいなので、仕方がないと割り切っている。
「恐らく、スタンピードを食い止めるには魔王を討ち取るほかないと思う。そしてそのために、私達五人は死にものぐるいで選定の剣を使いこなす」
声に真剣味を取り戻したヴェイユが、手を地図に伸ばした。
会議卓の地図、英雄の墓標ラリベラに駒が五つ並べて置かれる。
「二ヶ月。実質十日でラリベラに到着すると仮定すれば――」
残り五十日の間に、全員強くならねばならない。
「忠実なる王家の武器、シャムシールよ。お前は魔王をどう見る?」
「恐れながら獅子王陛下、魔王の動きは奇妙かと思われます。魔王自ら魔物を率いて人の地に攻め込むことは、過去になかったことかと」
「己の領地を空けて人族を攻め滅ぼそうとは、随分な積極策と見える。もしや魔族たちは、互いに覇を競うことをやめて手を組んでいるのかもしれん」
「獅子王陛下。宮廷司祭のヨクハに占わせましょうか」
「手が空いたときでよい。あれも暇ではない。それよりも魔物の封印術の解明を進めよ。被災者弔問の名目で、各都市の術式の調律に出向いているのは、事が急を要するからである」
「は。聖天使祭は既に――術式に組み込まれております」
「では、事を進めよ。……魔物たちが焦るのも分かるものだ。あやつらの打つ手立ては、英雄の墓を暴くこと、古の王たちの心臓を取り戻すこと、王家の血を絶やすことのいずれかしかないのだから」
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