第四章:その名は魔王シニスタール

スタール、病室で口移しされる

 試合継続不能につき敗北――それがスタールの先の試合結果であった。

 スタールの参加分の戦いは既に消化されていたので、御前試合の進行に滞りはなかった。

 遠くから見る観客たちも、あれほど手酷くやられているのに気力を振り絞ってまで立ち上がるスタールの勇姿を好意的に捉えていた。

 表面から見た御前試合は、特に問題はなかったであろう。



 ただし、あのスタールの不気味な姿を間近で目の当たりにしていた人にはそうは映らない。



 身体を食い荒らす寄生虫のように蠢く紋様の群れ。

 皮膚の表面をこぞって這い回る、あの生理的嫌悪を催すような光景は何と説明すればいいのであろうか。



 立ち上がる英雄というよりも、動かされている宿主。

 紋様に覆い尽くされた下で、意志も虚ろげに動く底知れぬもの。



 耳の底が痒くなるような、あの不愉快な、きちきちきち――という鳴き声が、側にいたものたちに異様な印象を植え付けていた。





















 第三章:その名は魔王シニスタール





















 晴れやかな空。

 人の気配もない未開の地にも、気分爽やかな春日和はやってくる。



「あはは、王様かあ。いいねえ、いい気分だねえ。早く全部の紋様を食べ尽くしちゃって、僕も全ての王様になりたいなあ」



 紋様の欠片が全て揃って完成するとき、その者は王になれる。

 模様の欠けた部分を綺麗に補完するには、その欠けた部分を自ら想像するか、もしくはその欠けた部分を持つものを食べるしかない。



 人間と違い、自分で紋様を補完することは出来ない魔物たちにとっては、とにかく様々な人々を平らげるしか選択肢がない。



「でもね、僕は腹ぺこなんだよねえ。人間だったらいくらでも食べられちゃうなあ」



 幸い、人間たちの中にはとても甘美なものがいる。紋様を一つしか持たない代わりに、その殆どを自ら補完するという――とても都合のいいものが。

 他の加護を得られぬ欠損品でありながら、その一つの加護を食べてくださいと言わんばかりに取り揃える、丁度よい獲物が。



 今日は妖精たちも歌い出しそうな穏やかな気候で、絶好の群集暴走スタンピード日和である。

 人骨を噛み砕いて舌なめずりをする少年の表情は、いつにも増して明るかった。























 あやふやな記憶を手探りで辿るような夢を見た。



 亡き母がよく口ずさんでいた子守唄も、孤児院で虐められていた過去のことも、死ねばよかったと呟く自分を叱った治療神官エイシェスのことも、全部が一緒になった夢だった。



 心の奥がざわついて、あまりいい気分がしない夢だったのに、もう少しだけ見ていたいと思ってしまった。



(全部が懐かしくて、もう少しだけ見ていたかったな)







 ――だから、目が覚めた起きがけのときに、不意打ちで口づけをされたことにスタールは飛び上がるぐらいに驚いた。



「!?」



「! ちょ、こら! 起きてるなら起きてると言いなさいまし!」



 目の前に馬乗りになっている女がいた。魔術の英雄ミテナ。昨日さんざん苦しめられた少女である。



(え、え、え、薬? 口の中に薬草がある、苦、何だこれ)



 スタールは驚きで色々と記憶が吹き飛んだ。

 口の中が薬草のせいでとても苦い。しかも何だかぴりぴりする。鼻に抜ける匂いがつんとしていて主張が強かった。

 飲み込んでいいのかさえ分からない。が、意を決して飲む。喉に引っかかる感じがして、スタールは顔をしかめた。



 魔術の英雄ミテナは、気恥ずかしさを誤魔化すように早口でまくし立てた。



「……か、感謝なさい。アタシが調合した治療薬でしてよ。あなたの身体があんまりにぼろぼろだから、見るに見かねてこのアタシが手ずから、治療を申し出ましたことよ!」



「……苦いんだけど」



「アタシだって苦かったですわ、男の子なら我慢なさい!」



「……」



 よくわからなかったが、彼女なりに気を使ってくれたらしい。

 流石に口移しは驚いたが、寝ているときに喉に詰まらせるほどの量ではなかったので問題はないといえば問題はないのかもしれない。



「……ありがとう」



「別に。当然のことですわ。もし感謝してるのなら、今度アタシが同じような目に遭ったときに……」



「……」



「……っ、何でもありませんわ、忘れてくださいまし」



 沈黙。そして気まずい空気。

 何を言おうとしたのかはスタールにも分かったが、気付かないふりをしてやり過ごすことにした。







 そんな矢先に。



「おーい、鍋持ってきたぞー! ミテナも腹減ったろ、一緒に食うぞー!」



「ああ! この度の御前試合の盛況として、陛下から馳走を賜ったのだ! ミテナ殿も、スタール殿の看病は私に任せて、ここいらで休息を取るといい」



「薬食同源。私たちも傷ついた。食が必要」



 ずらずらと病室にやってきたのは他の英雄たちであった。

 三人が三人、山盛りの食材を持ってきており、この病室で本格的に鍋を始める気持ち満々といった次第である。遠慮がないな、とスタールは思った。



「……何で馬乗りなのお前」



「スタール殿……?」



「わあ」



 そういえばこの状況、見られてはまずかったのではとはたと思い当たる。口移しをされてたこともあって顔も近い。流石に一言ぐらい弁解は必要かもしれない。

 だが、肝心のミテナは、頬を染めて口元をわなわなさせて慌てふためいていた。











 庶民の食事はだいたいバリエーションが決まっている。城塞都市ともなれば新鮮な食材が届くことは稀であり、近場で手に入る食材もほとんど決まってくる。

 加えて、衛生面や調理の手間を考えると、必然的に食事はパンや塩漬けの保存食や煮物が多くなるため、だいたい代わり映えがないものになる。



 だが、生活が少しばかり裕福になると話は変わる。

 食の歴史の発展は、氷魔術の存在と保存用魔道具のおかげで様々に変化した。新鮮な食材も日持ちするようになって、城塞都市でも海産物を口にする機会もしばしば生まれた。



「これはマダラメオオウツボの唐揚げだ。血液や粘膜に毒素があるから加熱して失活させないといけないが、白身の湯引きや唐揚げは絶品とされる」



 マダラメオオウツボ。ウツボの一種。

 皮膚から毒素を含んだ保護粘液を出し、臼上の歯で獲物を粉砕する凶悪な魔物。厚い皮と小骨があって調理に手間がかかる魔物。

 そして、大型かつ美味な食材。



「これはダイオウザガミの清酒蒸しだ。生息地が砂泥地だから、水洗いしても少し砂が残っているが、身の詰まり具合が尋常じゃなくてぎっしりしていて美味しい」



 ダイオウザガミ。蟹の一種。

 鋏脚は頑丈で、たくさんのとげがあり、はさむ力も強い厄介な生物。波が穏やかな内湾の砂泥底に生息し、肉食性が強い魔物。

 そして、大型かつ美味な食材。



「これはトゲオオヅチグソクエビのバター蒸しだ。弾力のある剥き身を、レモン風味のさっぱりした付けダレに身を浸して食べる」



 トゲオオヅチグソクエビ。ロブスターの一種。

 腕の鋏が大きく、大槌という名がついている生物。生息地は温帯の浅瀬であり、ギイギイと威嚇音を出して攻撃してくる好戦的な魔物。

 そして、大型かつ美味な食材。



 ――と、隣に座るヴェイユが嬉しそうに紹介してくれたのは、色とりどりのとても美味しい料理の品々である。

 が、しかし。



(鍋……? ここから更に鍋……?)



 スタールは黙々と口を動かしながら考えた。

 どれも美味で絶品。満足なことこの上ない。

 しかし、量が量である。

 鍋以外の料理だけで十分満腹なのに、さらに鍋料理までついてくるのだ。



 普通の人で考えると十人ぐらいは満腹になる――下手すれば二十人ぐらいで食べるぐらいの量の食材。

 それを英雄たち四人して淡々と食べ続けるのだから、男のスタールのほうが驚いてしまった。



 牛肉、豚肉、鶏肉を満遍なく入れた鍋を突きながら、ビルキッタが口を開いた。



「――なあ、スタール。お前さ、身体は大丈夫か?」



「え? ああ。食事ぐらいなら支障は出ないけど」



「そうか……ならいいんだが。ほら、食事も進んでねえみたいだしさ。その、何ていうか」



「……え?」



「……すまん」



(急にしんみりされても困るんだけど、え、何でビルキッタはこんなに落ち込んでいるんだ)



 黙々と。

 影のある表情で彼女は口を開いた。



「その、何ていうかさ。三人も英雄を相手にして、ぼろぼろだったお前をさ、俺がとどめを刺してしまったわけじゃねえか。……それも、すげえ重症っていうか」



「……? ああ、まあ、僕が意地を張ってリタイアしなかったからね」



「……それなのにさ、お前、あれだけひでえ怪我なのに、すげえ執念で立ち上がってさ。しかも血反吐を吐きながらさ。もう戦いは決着が付いて、戦闘続行不能ってなってるのに、お前は聞き入れもせずに戦いを続けようとしてさ」



(……え、そんなことになっていたのか?)



 自分の知らない間にそんなことが起こっていたのか、と少し驚くスタールだったが、顔を伏しているビルキッタには気づかれていなかった。

 悔しそうに彼女は続ける。



「……すまねえ、俺が間違っていた。俺が無茶させちまった。へろへろだとか、俺が一撃で決めてしまうとか、死闘をくぐり抜けて覚束ない体力のお前に、色々と失礼なことを言っちまった。お前はすげえ立派だ」



「はあ」



「……すまん。お前が食事も喉を通らない大怪我だってのは分かる。だから謝らせてくれ」



「……ん?」



 話が噛み合っていないような違和感。

 少し考えてスタールは理解した。もしかすると、自分たち基準で食事も喉に通らないとか言っているのではなかろうかと。



 考えてみれば彼女たちは健康すぎる。

 あれだけの激しい運動をして、あれだけの大怪我を負って、今はというとけろりとたらふくのご馳走を食べている。

 人一倍運動したし、人一倍怪我をしたから血が必要である――なんて話どころではない。人の三倍や四倍は食べている。

 昼間の激戦を知っている身からすれば、呆れ返ってしまうような光景であった。



 気まずさにまごまごしている膂力の英雄に代わって、俊敏の英雄が口を挟んだ。



「無理して食べなくても、いい。けど、食べるなら言って」



 鍋の具材をよそいながら食べる彼女曰く。



 食薬の味は六味に大別される。

「酸」は収斂、固渋の作用。「苦」は瀉下、燥湿の作用。「甘」は補益、和中、緩急の作用。「辛」は発散、行気、活血、滋養の作用。「鹹」は軟堅、散結、瀉下の作用。「淡」は滲泄、開竅、健脾の作用。



 今の症状が、熱・温・平・涼・寒の五気のいずれを必要とするかを見極め、上記の六味で手を施す。

 これぞ食薬の基本、五気六味の考え方である。



 他にも、「酸味」は「肝経」に入りやすく、「苦味」は「心経」に、「甘味」は「脾経」に、「辛味」は「肺経」に、「鹹味」は「腎経」にそれぞれ入りやすい。

 食薬自身が染み込んで作用を発揮しやすい人体の特定部分の考え方とその経路を、帰る経路と書いて帰経と言う。



「健常な肉体は、忍びの極意。高天原神道流の東洋医術。参考になった?」



「まあ、何かに応用できそうではあるな」



「もっと知りたい?」



「まあ、おいおい聞かせてくれ」



「そう」



 一番細身で華奢な体つきなのに、俊敏の英雄エスラもまた、他の三人に負けず劣らずよく食べている。健啖家とでも言うのだろうか。

 そろそろ腹もくちくなってきたスタールは、他の英雄たちより一足先にデザートに手を付けていた。



「……ときにスタール殿」と隣でヴェイユが思い出したように言った「目を覚まされたのならば意識が戻った旨を王家に報告しないとならんな。スタール殿のことを心配されていたからな」



「ああ、そう言えばそうだな。食事に夢中で忘れていた」



「明日は英雄五人揃って獅子王陛下に謁見する必要がある。何でも宣託ホクムが降りたとのことだ。重要な内容なので人払いもさせているらしい」



「重要な宣託、ねえ。人払いが必要になるってどんな内容なのか想像もつかないけど」



「とうとう魔王が現れたらしい」



「え?」



 スタールは耳を疑った。


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