スタール、本試合に出る(4):そして紋様は哭く

 一般に、体に紋様を刻んだり紋様の入った服を着ることによってその人の能力が底上げされるのは、血が共鳴するからだと言われている。

 人の血には膂力、頑強、俊敏、魔力、そして器用の加護が人の目に見えない形で溶け込んでいるとされていた。



 英雄たちのように一つの加護しか身体に宿していないものたちも、他の紋様と共鳴するからことはある。頑強の英雄が俊敏の紋様に共鳴したり、魔術の英雄が膂力の紋様に共鳴したりすることも不思議ではない。



 英雄同士の御前試合は、この紋様の共鳴を意図して開かれている。

 戦いを通じて、互いの理解や親睦を深めあい、そして紋様の共鳴による互いの能力開花の促進を狙っているのである。



(もちろん、共鳴だけが目的ではない。自らを苦境に追い込み、血が覚醒するのを促す意味もある)



 紋様の加護の真理に行き着くには、自らを深く見つめ、自分の生命の鼓動に耳を澄ませる必要がある。もちろん自分の加護の性質を深く理解し、修行を積むことによっても同じ境地には至る。だがもっとも手っ取り早いのは、もっとも生命の鼓動に深く触れる瞬間――生死の境を彷徨うことであろう。



 そして、それを乗り越えたものだけが、選定の剣を手にする証を得る。

 選定の剣は呪うのではなく、血を強制的に湧き立たせる祝福の魔剣なのだから。





















 痛みが途絶え、疲労が消え失せる。

 度重なる負傷でくらくらしていた視界が嘘のように鮮明になり、音一つ一つが識別できるほどにやけに綺麗に聞こえた。



 スタールは、一つの仕組みだった。

 世界の仕組みが、歯車の噛み合い方が、次の瞬間の予測が、何だか全て理解できてしまうような全能感があった。



 何がどう動くのか分かってしまう。

 物事の予測に足るほどの情報量がスタールに舞い込む。



(痛くない。不思議だ。さっき膂力の英雄に致命的な一撃をもらったと思ったのに)



 人には、世界がスローモーションのように見える瞬間があるらしい。

 スタールはまだ、その領域には至ってない。

 だが、今のスタールはいろんな物事が同時にすんなりと理解できる奇妙な感覚を味わっている。

 一枚のパノラマをぱっと見ているような、いろんな情報が一人でにスタールに飛び込んでくるような、かちかちかちと世界を写す影絵が目まぐるしく切り替わるような感覚。



 レンズか何かで物を覗き込んだように、意識を集中させた対象が仔細にわかった。

 目に飛び込む全てが、単純な仕組みだらけだった。



(何だか人形になったみたいだ。いや、自分が人形だったことに今更気づいたみたいな感覚だ)



 世界の見方ががらりと変わったかのように。世界の秘密をこっそり見つけてしまった子供みたいに。

 機械仕掛けの世界の仕組みを見つけてしまった。



 スタールは、自分自身が一つの仕組みだと気づいた。

 手が動き足が動き、曲がる関節を持った一つの自律人形。どの筋肉が何に繋がっているのかを理解した今は、身体を奇妙なぐらいに自在に動かせた。



 痛みや疲れは稼働部位への負荷だと気づいた。身体の構造にやや無理を強いる、細かい所に無駄が残っている運体法。

 無駄な負荷のかからないように体を動かし始めたとき、痛みと疲れは心なしか軽くなった。



 自分という人形を操っているような感覚。



 今までは、気持ちや意志で身体を動かしていた。

 前に進む、走る、飛ぶ、仰け反る――全てスタールの思いが先立っていた。

 だが、仕組みが見えてしまった。

 どこの何にどんな力を与えれば、身体がどう連動してどう動くのかが見えてしまった。



「――――――――」



(膂力の英雄が何か言ってるな。信じられない顔をしてる。だろうな、僕は今、口から血をだらだらとこぼしているんだから)



 脳が焼け切れそうな痛み。

 腹の底からせり上がってくる不快感。命をごぼごぼと口から吹きこぼしているような背筋の冷える感覚だった。



 だが、それはそれとして身体は動く。

 最適で素晴らしい、無駄のない、流れるような動き。

 あの頑強の英雄ヴェイユや俊敏の英雄エスラでさえ、ここまで洗練された動きは出来ないであろう。



 スタールは今、信じられない気持ちだった。

 体中の重りが取れてなくなったような、今にも走り回りたいほどの高揚感だった。



 何せ、痺れていた右腕が、筋を手酷く痛めていた足が、今軽やかに思うがままに動くのだから。



「――――――――」



(分かっているさククリ。僕だって死にたいわけじゃない。痛いのはごめんさ。だからほら、無理はしてないだろう? 避け続ければ死にはしないんだから)



 足を踊らせて軽やかに避ける。遊ぶようにぎりぎりを躱す。



 半年間眠りっぱなしで鈍ってしまった全ての感覚が冴え渡り――否、生まれてこの方ずっと揺りかごの中で微睡んでいたようなぼんやりした世界だった。

 ぼんやりと見て、ぼんやりと聞いて、ぼんやりと感じて、ぼんやりと生きていた。



 それが、今は何と鮮やかなことであろうか。



 きちきちきち、と走馬灯が回る。

 色んな仕組みがとても精巧に絡み合っていることが見えてしまったスタールは、それらをもっと試してみたかった。



 誰も知らないような大きな秘密を見つけてしまった今、スタールの感情は久しく冒険心と好奇心で騒いでいる――。





















「あ、れ」





















 ぷつん

 と

 光景が、止■り



 膂力の英■ に、

 抱き止め られた



 スター■  は ■





 ■






















 スタール

 Lv:10.02

 STR:4.36 VIT:5.79 SPD:3.81 DEX:126.83 INT:9.29

[-]英雄の加護【器用】

 竜殺し

 王殺し

 精霊の契約者+ new

 殺戮者

[-]武術

 舞踊

 棍棒術

 槌術+ new

 剣術+

 槍術++++

 盾術+++++++

 馬術+++++

[-]生産

 清掃+++

 研磨++++

 装飾(文字+++++ / 記号+++ / 図形++++)

 模倣++++

 道具作成+++

 罠作成+

 革細工

 彫刻

 冶金++

[-]特殊

 魔術言語+++

 魔法陣構築+++

 色彩感覚+

 錬金術

 







――――――――――








 めしり、と体を守るための骨が内臓ごと潰れる音を聞いたとき、手を出したビルキッタのほうが、気が滅入りそうであった。



「あっ」



 やべえ、と首と背筋の間がぞわりと寒くなった。

 今のは完全にやりすぎであった。いくら相手が突然胸を触ってくるような変態だからといって、何もあんな目に合わせなくたっていい。



 毬のように跳ねる身体。口からぼど、ぼど、と跳ねるたびに溢れる血。

 戦槌を使わずに素手でぶちのめしたのに、まさかこんなことになるとは思っていなかった。



(やべえ、まずった)



 てっきり強いと思い込んでいた。

 事実、さっきまでの接近戦は、なかなか見どころがある立ち回りであった。

 びっくりするほど手応えがなかったりすることもあったし、ふらついているのが見て取れるところもあったが、それでも時折見せる冴え渡る技巧が、中々粘りのある試合運びをさせていた。



 べしゃり、と地面に沈んだあの少年は、もう立ち上がる気配もない。

 とても危険な倒れ方であった。



「なァお前ェ、ありゃいかんだろォ。あの坊主が咄嗟に身を引いたからあれで済んだが、下手すりゃ死んでたぞォ」



「……悪かったよ、クソ親父」



 直ちに周囲が慌ただしくなる。

 闘技場の脇に控えていた救護班の治療神官たちが、顔色を変えて矢継ぎ早に指示を飛ばしていた。



 まただ、とビルキッタは顔を曇らせた。

 人と戦うと、手加減に失敗する。

 思い切りぶんのめしていい戦いは、彼女の得意とするものである。どれだけ際限なく力を振るっても問題はない。

 だが、人と戦うとなると彼女は苦手である。

 人はあまりに脆い。戦って褒められた記憶がほとんどない。



(は、最近じゃあ誰も俺に近寄りもしねえよ。俺に話しかけるやつもほとんど居ねえ。触るやつなんかもってのほかだぜ)



 我が娘、とこの単眼の精霊は言ってくれる。

 ぶっきらぼうだし頭も良くない精霊だが、ビルキッタにとっては、この妖精が父親代わりのようなものである。

 他の人間たちは、怖がって距離を置くのがほとんどである。



 強いて言えば、この単眼の精霊の他に、近くにいてくれるような存在なんて、ここにいる英雄たちの他にはそうそういなかった。



 そう、ここにいる英雄たち。

 付き合ってるほうが疲れるぐらい真面目なヴェイユ、何を考えてるのかさっぱり分からないし協調性のかけらもないエスラ、いちいち張り合ってくるし面倒くさいしうるさいミテナ。

 


 ぶっきらぼうで頭の良くないビルキッタのことを怖がらない三人の英雄。



 だから、彼女は。

 実は少しだけ、スタールと仲良くなりたいと思っていた。

 仲良くなれるんじゃないかと期待していた。

 初めまして、と挨拶をしたかった。

 なのに、彼女は。



(……馬鹿みてぇだな、俺。馬鹿なんじゃねぇの)



 仲良くなれそうな人間が一人、消えた。

 怖がって距離を置く人間が一人、増えた。

 それは、ともすればビルキッタが殺してしまいかねなかった。



 何が仲良くなれそうだ、どの面下げて――と自己嫌悪で溜息がこぼれそうになったその時。



 ぞわり、と肌が震えた。



 びた、びた、と口から血をこぼして立ち上がる、目も虚ろで挙動の覚束ない少年がそこにいた。



 生きている動きじゃない、と思うような不気味さだった。

 隣にいる機械の妖精の絶叫さえ、彼には聞こえていないらしかった。



 器用の紋様が、少年の身体を覆い尽くしている。

 死体に群がる虫のように、蠢いては渦巻いて、彼の肉体を這い回っている。

 濃厚な死の匂いを身に纏いながら、それでも彼は平然としていた。



 きちきちきち――と彼の器用の紋様から、あたかも羽虫が喉の奥で鳴く音が聞こえた。

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