スタール、本試合に出る(3):あるいは機械仕掛けの宇宙論
戦い終わって控え室に座り込んだとき、(あ、もう立てないかも)とスタールは思った。
戦いの高揚で忘れていた痛みが急にぶり返し、体中の筋肉が強張り、頭がぼんやりとする。
長時間走ったかのように、肺がずっとひりついて痛い。
疲労が体の全面にこびりついて、四肢全部が重たくなったように感じた。
もう十分頑張った、という謎の満足感が急にスタールを竦ませる。
(あれ、これ冗談抜きで立てないかも)
力が入らない。力の入れ方を忘れてしまったかのように、細かく体が震える。
こういうときはどうすればいいのか、とスタールは目をつぶった。深呼吸をして平静を取り戻そうと考える。しばらく呼吸に集中する。
ぐるりと暗闇が回った。
(駄目だ、これ目眩を起こしてやがる、平衡感覚が狂って気持ち悪い)
目を使いすぎたかもしれない、とスタールは勘付いた。
こめかみを抑えて揉みほぐそうとするも、全然改善の見込みはなかった。
「……眼精疲労だね、スタール。分析の目を手に入れた君の目はとても良くなったけど、集中しすぎると目眩に似た症状に悩まされるんだ。それにスタールは魔力枯渇を起こしかけているよ」
「何だって……?」
「魔力もあまりないのに、あんなに魔術を使うから疲れちゃったんだよ」
「あんなに……? 僕は、ルーンで槍を飛ばしただけだぜ? それに炎を発動しただけさ」
「そんなことないよ。
「……」
スタールはその瞬間、次の戦いの計算が狂ったことを悟った。
最後の勝負は、完全にルーン文字を頼りに戦いを運ぶつもりであった。
「はは、笑えねえや」
突如、スタールは次の戦いが恐ろしく怖く感じた。
高揚感と万能感が一瞬で衰え、自分がただの少年に戻ったようになった。
それも、片手と片足がうまく動かない少年。
「……ククリ、励ましてくれ」
「ん? どしたの? いいよ」
「……はは、あいつらすげえな、英雄って怖いな」
――無名の英雄、器用の英雄が三連勝した。
御前試合の思わぬ結果に、闘技場は異様な熱気で湧き上がっている。
あの器用の英雄は、今までの戦いで英雄たちを華麗に、そして見事に制してきた。もしかしたらこのまま四人目も倒すかもしれない――と前代未聞の偉業に期待が寄せられる。
そう、スタールはついにその領域にまで、指がかかっているのである。
中央に相対するスタールとビルキッタは、その歓声の中心にいた。
「なあ、とっくに英雄だぜお前。見てみろよこの大歓声。全部お前を応援してやがるんだぜ。やべぇだろ?」
「……そうか」
「あ? しゃきっとしやがれよ、おい。顔色わりぃぞ?」
膂力の英雄、ビルキッタの声が聞こえてくる。
疲労でどっぷり身体が衰弱しているからか、自分が話しかけられているという感じがしない。夢の中にいるような浮遊感。
そういえば、英雄に任命されたのって最近のことだったろうか。まだ英雄になることに現実味が湧いてこない。
「んだよ……てめえもしかして疲れてやがるな? そんなんじゃ一撃で俺が決めちまうぞ?」
「……それはいやだな」
「じゃあ、しゃんとしやがれよ。お前、強ぇんだろ? こう見えて俺、お前との戦いを楽しみにしてるんだぜ?」
「……すまない、期待に応えられないかもしれない、実はもう倒れそうなんだ」
「……かー! お前なー!」
急に膂力の英雄は不機嫌な表情になった。ギロ目の三白眼がますます釣り上がる。
スタールの煮えきらない態度が癇に触ったらしい。
「何だよ! お前、疲れ切ってへろへろなのかよ! 倒れそうってまじかよ! お前なー! そこは俺との戦いにスタミナを残しておくってのが筋だろうがよ!」
「……疲労っていうか、ダメージだな。まあ、最善は尽くすさ」
「あー! もういい! いいぜ、ハンデをやる! お前、俺を一発ぶちかませ!」
「は?」
突飛な提案にスタールは素っ頓狂な声を出してしまった。
理解を超えた話で、疲れた頭には処理が難しかった。
「ハンデだよ! ハンデ! こんなへろへろのお前をぶちかましても、俺的に勝った気がしねえ! 俺は正々堂々やりあいてぇんだよ! 分かるだろ!?」
「あ、ああ、分かるけど」
「ほら、だから思いっきりこい! どこでもいいぜ! 恨みっこなしだ!」
「……」
そんなことを言われても、とスタールは困ってしまった。
ちらりとククリを見ても、ククリは肩をすくめて首を振るだけである。
「……顔面でも? 目とか行くけど?」
「……お、おう……その、二言はねえ……」
「……」
「……ちょ、まじかよ……いや、二言はねえけど……」
本当に潔いことである。ギロ目を泳がせてぎくりとした顔になっても発言を引っ込めないところが、彼女の侠気をよく表していた。
「……じゃあ全力でうさぎ跳びで闘技場十週してもらおうかな。そっちの方が体力的にはイーブンな気がする」
「……え、きつくね?」
「……きつい?」
「……いや、やるけど……やるけど、なんか間抜けな絵面で恥ずい……」
(やるんだ……)
何だか急に緊張が抜けてしまった。
さっきまでの戦いが張りつめたものばかりだったので、落差が凄い。
「じゃあうさぎ跳びはなしで。一発行くよ」
「……わあ、スタールって遠慮なく一発行くタイプなんだ……」
「そりゃそうだろククリ。こういうのは遠慮せずに行くべきさ」
妖精の白けた視線を感じながらも、スタールは腕を振り回した。
顔面ビンタがいいか、腹パンがいいか、それとも飛び蹴りがいいかもしれない。
ちょっと後悔してる顔の膂力の英雄を見ていると、少し元気が出てくる。いい気味である。
よく考えると、こいつのせいで昨日仮眠できなかったので、仕返しは妥当なところであろう。
「じゃあ目をつぶれ、ビルキッタ」
「……なあ、何やるか見えねぇのはちょっと怖いんだが」
「……二言は?」
「……に、二言はねえけど……」
「あと手を頭の後ろに回して腹を出せ。いいな」
「……ちょ、え、こいつまじのやつか、怖、ちょ」
顔を強張らせるビルキッタ。だが、スタールがしばらく無言で見つめるとしぶしぶと従う。
途中、ククリからの物言いたげな視線が強くなったが無視をする。
ぱしん、ぱしん、と戦槌の具合を手のひらで試していると、流石にビルキッタは何かを言いかけて、いや二言はないと口を閉じた。目を閉じているので怖さもひとしおであろう。
「……身から出た錆って言うしな。口は災いのもとだ」
「……く」
強張っている顔を十分堪能したスタールは、満足げに頷くと、そのままビルキッタに直接手を出した。
――即ち、胸を触った。
「ひゃっ」
すぐさま手が飛んできた。
ばしん、と盾がうるさいほど震えた。受け止めたスタールがよろめいたほどである。
膂力の英雄はギロ目を見開いて顔を赤くして怒鳴った。
「て、てッめええええ!!」
「もうちょっとハンデが欲しいんだけど」
「あの世で言いな! この変態野郎!」
戦いの火蓋は、少々風変わりな形で切って落とされた。
(まずいな、序盤を征したつもりだが、いつの間にか不利にされてるな)
前の三戦の反省点は、序盤を相手に征されたところである。
スタールの凌ぎ方がまずかったのも多分にあるが、世には機先を制するという言葉もある。三戦とも機先は相手に制されていた。それ故か、三戦とも苦しい状況を打破するのに難儀した。
盾術の歩法。魔術の刻印。体術の呼吸。
学んだ全てを活用し、相手の勢いを殺して立ち向かう。ときに定石通りの一手、ときに裏をかく奇策。
接近戦を維持できれば優位に立てる、とスタールは勝手に思い込んでいた。
いざというとき機転の効かない足だからこそ、中距離帯は不利である。
運足法と運体法を高めたからこそ、近距離〜ゼロ距離帯は自分に優位な間合いを保てる。
今までの多種多様な奇策を見せてきたからこそ、何処かに仕込まれるルーン魔術や飛来する槍や選定の剣や、更には盾さえも、相手は警戒せざるを得なくなる。
実際のところスタールは、殆どスタミナ不足で魔力も枯渇しかかっているのだが、相手からすればそんなことは分からないであろう。
この精神的優位を保つために、あえて急に戦いを開幕させた。
胸を触ったのも立派な作戦の一つである。
だがしかし。
(単純に、彼女が強すぎる)
盾をもつ腕が痺れる。盾の表面が凹み、身体が軽く浮き上がるほどの衝撃。油断していれば肩からごっそりと持っていかれそうになる。
恐ろしいことに、攻撃の初動を潰すなどスタールが威力を殺す努力をしてこの有様なのである。
これでもし少しでもしくじったら、と思うと肝が冷える。
武器の相性も悪かった。
相手の武器は戦槌。即ち、リーチは短いが扱いは簡単で、近距離において威力を発揮する武器である。近距離戦は向こうも望むところなのである。
こうなってくると、接近戦を想定して戦槌を武器に選んだのが失策になってくる。いくら技量をさほど要さない戦槌とはいえ、お世辞にもスタールの戦槌捌きは巧いとは言えず、相手のほうが巧い。
槍や剣を持ち込んでないわけではないのだが――悠長に武器を持ち替える暇が見つからない。
(舐めていた。器用の紋様の加護があるから、いずれすぐに槌術も身につく、という計算で動いていた。相手の槌術の動きをよく観察していれば自分の槌術の成長に活かせると思っていた。完全に勝負を甘く見ていた)
終始押されっぱなし。
一撃が命取りとなる攻撃の中、少しでも間違えば即座に負ける危険な戦いが続く。
もっと魔力があれば。
もっと体力があれば。
もっと足が動けば。
ないものをねだっても状況は打破できないが、スタールは悔しさを噛み締めていた。
「――は、甘いぜ。お前の一撃は弱っちいんだよ」
ばちん、と何かが弾けた。
少し遅れて、それはスタールの戦槌が吹き飛ばされたのだと理解した。
急いでスタールは相手のがら空きの胴体に盾をぶつけこむ。
だが相手は、ギラついた目を細めて顔を歪めて痛がるだけで、響いていなかった。
(あ――)
そうか、とスタールが己の失策に気づく前に、相手が動いた。
盾が動かない。何か大きな力で縫い留められているようにびくともしない。
信じられない力で、相手が盾を掴んでいる。スタールの腕を
逃げられない――スタールの本能が最大限の警鐘を鳴らしていた。
「肉を切らせて骨を断つ、ってな」
(そう、接近戦が有利だなんて思い込みは、相手が僕の攻撃を恐れているときだけに成り立つ。相手がもし一発もらってもいいという捨て身の賭けに出てきたときは――)
骨身砕ける一撃。
視界が白く染まった。
走馬灯とは、影絵が回転しながら映るように細工されている灯籠のことである。
灯籠は二重構造となっており、内側の筒には人や馬の絵を切り抜いた紙を貼り、外側の枠には白い紙を貼る。
そして真ん中に火を灯せば、内側の筒が熱気で回転し、切り抜きが明かりの影となって外枠の紙に絵となって映るのである。
くるくる回る影絵。
スタールは、この光景をどこかで見たことがある。
(……そうだ、僕が小さい頃、ワイバーンにおそわれて死にかけていたときに見ていたじゃないか)
それは、ワイバーンに襲われて半年間意識を失っていたかつての頃。
ずっとセピア色の光景の中に閉じ込められていたスタールは、この影絵をただひたすら眺めて過ごしていた。
影絵はストロボスコープのように点滅を繰り返して、スタールの記憶を掘り起こすように色褪せた光景を映し出している。
母の子守唄。教会のステンドグラス。襲ってくるワイバーン。賑やかな孤児院。
きちきちきち、と
気が付けばスタールは、その音を自分の心臓の音に重ねていた。
――器用の紋様が溶け込んでいる自らの血。
そういえば、ククリに言わせれば、人間はとても精巧な構造の生き物らしい。
精緻な仕組みには命が宿る。そんな言葉が浮かんでは影絵の中に消えていく。
きちきちきち。
誰かの心臓の音がする。
(命は大いなる仕組みだよ、
どこかから懐かしい声が聞こえてきた。
意識を失っていた半年間もの間、自分の繊細な命が色褪せなかったのは、不思議な何かが自分の命を繋ぎ止めていてくれたから。
どくん、と心臓が跳ねる音がした。
続けて身体が内側から熱くなる奇妙な感覚。じわじわと芯から手足の先へ。まるで炉が熱を生み出しているような気分がした。
大いなる仕組みが、この世の様々な物事を動かしている。
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