スタール、馬上試合に出る(3)
頑強の英雄ヴェイユが負けた。
観客たちにとって、その衝撃は凄まじいものであった。
誇り高き模範的な英雄。人々に分け隔てなく優しい慈愛の騎士。
そして、粘り強く立ち回って勝利をもぎ取る、果敢なる勇者。
頑強の英雄――それは、最後の最後まで決して諦めない英雄であり、誰もがもう無理だと諦めた瞬間でも必ず立ち上がる、不屈の英雄である。
その頑強の英雄が、敗北を喫し大地に叩き落されたのだ。
完膚なきまでに。ものの見事に。激戦であったが、決着はとても明瞭であった。
全ては、器用の英雄の大一番の賭けが成功したからである。
曲芸のように空を舞い、綱渡りのような細い勝機を手繰り寄せた、とても器用な立ち回り。
粉砕された槍の残骸が飛び散る中、その勢い全てを重ね合わせた、見るものが圧巻されるような最後の一撃。
揉み合うように地面になだれ込んだ二人は、頑強の英雄を下敷きにするような形で地に伏していた。
スタールは、盾もろともヴェイユに馬乗りになった状態で彼女を組み敷いていた。
観客は、見るも見事な技量に惹き込まれ、白熱する勝負に手に汗を握り、そして困惑と動揺でざわめいた。
最後の攻防も含めて見事な幕引き。だが、この決着は。
万雷の拍手をもって讃えたい気持ちもあるが、今までずっと圧倒的だった存在が失われてしまったような喪失感――そんな思いが感じられるような、まばらな、しかし長い拍手が続いた。
「見事。見事だ。……勝負に不満はない。とてもよい、とてもよい試合だった……」
「我が姫……誠に申し訳ない……」
地に五体をなげうったまま、感じ入るようにヴェイユは呟いた。
極上の負けの味を噛み締めているような、少し苦い表情。寂しそうな、深い情緒を思わせる口ぶりだった。
「私は負けた。最後の最後に、盾から身を乗り出して、守ることを放棄してしまった。騎士の本分である守りを忘れ、最高の一撃でとどめを刺そうと欲を出してしまったんだ。
……いや、違うな。最後の最後、私が仮に盾から身を乗り出してなかったとしても、私はきっと負けていただろう。あの最後の一撃は、本当に素晴らしい一撃だった」
「我が姫……」
古龍がしおらしく首を折って、ヴェイユの顔のそばで泣いていた。
我輩が腕を折ってなければ。我輩のせいで我が姫は。
頬に顔を擦り付けながら、古龍はとても悲しそうな声で謝罪を繰り返していた。
見かねたククリが釘を刺した。
「その辺にしなよ、スクラマサクス。君の契約者のほうがずっと立派だよ。あまりぐずぐず言い続けるものじゃないよ」
「……ククリか。お主の坊主も大したものよ、根気も胆力も十分と見える」
だが、とスクラマサクスと言われた古龍が言葉を続ける。
「我輩は悔しくてならんのだ。もしも我が姫が腕を負傷してなければ、もしも我が姫が歩法を十全に活かせる地上戦であればとな。さすれば、そこの坊主ともっと良い試合をできたかもしれぬと」
「もういい、古龍殿」
ククリがなにか言いかけたのを見て、頑強の英雄ヴェイユは古龍スクラマサクスを制するように口を挟んだ。
「私は負けた。正々堂々と戦って負けたのだ。本当に良い勝負だった。胸がすくほどの思いだ。つまらない一勝よりも価値ある敗北だった」
それに、とヴェイユは僅かにはにかんで、いつもの如く世迷いごとを呟いた。
「私、恋しちゃったかも」
「は?」
「は?」
「は?」
控え室に戻るまでの間、頭がお花畑になりそうな話が続いた。
「う、うん! よく考えたら気のない異性を押し倒すなんて普通はないものな! あんなに大胆に組み敷かれるなんて、私、ちょっとどきどきしちゃったぞ! ああ、嘘、どうしよう、それってつまり、つまり……!?」
「つまりもなにも我が姫よ、お前は倒されただけだ。早く次の試合に向けてしゃんとせよ」
「昨日よろしくって言ったよね、よろしくってこういうことなのかな、押し倒しちゃうけどよろしくってことなのかな、だとしたら私、OKしちゃってよかったのかな、え、嘘、え、待って、怖い」
「我が姫よ、我輩はお主が怖い」
「嘘、どうしよう、運命なのかな……だって私、同い年ぐらいの男の子に負けたのは初めてだもの……これって運命の人だよね」
「我輩から一つ忠告をくれてやろう。我が姫の運命認定は安っぽすぎる。すぐに運命にするな」
「ぅぅ……だめだよぉ……凄く見られてるよぉ……」
「安心せよ我が姫、あれは珍獣を見る眼差しだ」
正鵠を射た表現。少なくともスタールには、あの思考回路が同じ生き物のものとは思えない。以前よりも酷くなっている気がするのは気のせいであろうか。
「きゃー素敵ー! 近いうちにボクも押し倒されちゃうね?」
「へえ、お望みなら枕の下に敷いて寝てやるよ」
「あ、それボクたまにやってるよ?」
「え」
思わぬ衝撃発言。ククリ曰く、妖精は狭いところに挟まるのが好きらしい。あっけらかんと言うものだから、そういうものなのだろうかと一瞬納得してしまった程である。
先程の試合の緊迫感はどこかへ消えてしまったらしい、とスタールは控え室にて脱力した。
第五試合、魔術の英雄ミテナとの戦いを前にして、スタールは作戦を考えた。
(ヴェイユの作戦は戦いの定跡から考えたら正しい。膂力の英雄との序戦では、一発負けもあり得るから奇をてらわずに守りを固めた。揉み合いになったり膠着になったら、捨て身の一撃の強さで不利だから、無理をせずに優位を重ねて勝ちを拾った。
ただし短期決戦にならないから、体力の損耗は激しかったはずだ。ただでさえ鎧を着込んでの長期戦は疲れるのに、膂力の英雄の攻撃にずっとさらされるんだから、疲労も尋常じゃなかっただろう)
そこで二戦目、奇襲のシールドトンファーである。
守りの硬い、長期戦を好む英雄だと思われているからこその相手の裏をかく一撃。油断があればあの一撃で全て終わっていた。
(馬の体力の損耗も、二戦目ならばあまり気にしなくていい。三戦目からは馬から降りるんだから。そう計算していたからこその試合運びだった)
自身の体力と馬の体力、そして手の内が明かされたこと、それらを鑑みたときに一戦目と二戦目とで戦略を変えてくるのが普通である。同じ戦略を取り続けるのは現実的ではない。
そう考えたとき、次に戦う相手、魔術の英雄ミテナの戦い方は注意してかかる必要があった。
(初手からして常道にあるまじき戦い方。馬を使って逃げ回って、攻撃の当たらない距離から魔術を乱発してひたすら攻め続ける。まあ、俊敏の英雄はあの驚異の速さで全てかわしたり弾いたりしてたけど……)
果たして二戦目はどうくるか。同じようにしてくるか手を変えてくるか。
仮に同じだったとして、もし自分が同じように攻め続けられたら、どのようにして勝てばいいのだろうか。
勝ち目はあるだろうか、と自問する。
(いや。どっちだって同じだ。相手が手を変えてくるか同じ手でいくか、そこはどうでもいいんだ。一つはっきりしているのは、今回奇襲に打って出るべきは僕の方だ。向こうは逃げ回って戦うだけで圧倒的に有利なんだ。向こうは奇をてらわずに勝てる。なら、僕の方が先手を打って奇襲で勝たないとだめだ)
かちん、とお互いの盾を交差するようにぶつける。少し遅れて後ろで盛大なラッパの音が鳴る。
目の前にいるのは大胆不敵かつ傲慢不遜に笑う少女、魔術の英雄ミテナ。彼女こそが、これからスタールが倒さなくてはならない対戦相手である。
「ごきげんよう、いたずらっ子くん。さっきの試合は素晴らしかったですわ。頑強の英雄に勝つなんて、これぞ大番狂わせってやつかしら」
「それはどうも。僕も君の試合に感嘆したよ。俊敏の英雄との試合、あれは君が勝っていてもおかしくはなかった」
「それはどうも。でもごめん遊ばせ。今はもう、このアタシがこの試合に勝つ瞬間しか想像できなくってよ」
「そりゃ結構だ。夢を見るのは自由だからな」
言葉だけは威勢よく。負ける気は一切ない。たとえ本当に勝ち目が薄くとも、だからといって卑屈な態度で挑むつもりはさらさらなかった。
(こちらの馬にも疲労はあるが、ずっと走り回っていた向こうの馬の方が消耗は激しいはずだ。それに、この僕以上に向こうは疲れているはず。何せミテナはずっと魔法を撃ち付くめだったからな)
両者ともに距離を取る。
どう突撃してやろうか、とスタールは頭の中で一計を案じていた。
いっそ殆ど真正面からぶつかりに行ってやろうか、それともいきなり盾を投げつけてやろうか――といくつか想定を立てて、身を構える。
試合開始のラッパが鳴った。
「――はッ!」
馬に檄を飛ばし、初っ端からぶつけていこう――とスタールは決断した。
短期決戦。どんな戦いでも、初手が一番相手の不意を突ける。
だがそれが失敗であった。
初手に奇襲をしかけることが読まれていたことが、スタールの誤算であった。
何かの管を咥えていた魔術の英雄ミテナは、ふぅ、と薬臭い煙を吹きかけてきたのだった。
(――煙!? 目くらましか!)
煙薬と歌。前戦と趣向を変えてきた。
一瞬怯んだスタールだが、すぐに取り直し、勢いを乗せた槍の一撃を相手にぶつける。
衝撃。だが、手応えがまるで違う。
「っ……やりますわね、器用の少年! でも盾術を最近特訓して身につけたこの天才肌のアタシには効かないですわ!」
(芯を捉えた感覚がなかった、手に伝わる感触が変だ、というか頭もくらくらするし、身体がふわついているような感覚だ)
これはもしややられたか、とスタールは距離をおいた。
あの煙が感覚を麻痺させて幻覚を起こしているのだとしたら――。
煙から脱出して一旦体勢を整えてから突撃しよう、と考えたスタールはその時点で失策に気づいた。
(違う! 距離をとった戦いは相手にとって絶大に有利なんだ! 距離を意地でも離しちゃいけなかったんだ!)
瞬間、背後から集中砲火が飛ぶ。
馬を急旋回して盾で防ぐ。
火の矢、石つぶて、奔る光条――切れ目がなく断続的に打ち付けるような衝撃。盾が腕ごと小刻みに震え、圧力に押し返されそうになる。
奇妙な煙薬と急旋回でバランスを崩しかけていたところに畳み掛けるような攻撃で、体勢を戻す契機が全くない。苦しい姿勢を強いられ続け、スタールは敗北の危機にあった。
(槍を杖代わりに――!)
接近戦ならあるまじき禁忌。自ら武器を放棄して、苦しい姿勢を相手の前にさらけ出すなど愚の骨頂。
だが遠距離から魔術を叩きこまれるこの戦いにおいては有効な緊急対応策となる。
「スタール! 気をつけて! 砂絵の動物の
(何だって?)
苦しい体勢で雨の如く浴びせられる魔術を盾で防ぎながら、スタールは間隙に垣間見た。
砂の大鷲が、砂のコヨーテが、砂のとんぼが、砂のカメが、砂のハチドリが――全身にペトログリフを施された動物たちが、魔術の英雄の周りに群がっているのを。
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