スタール、馬上試合に出る(1)

 かっぽかっぽ、と馬が歩く音に揺られながら、スタールは馬車の中で溜息をついた。



(……生半可な覚悟で選定の剣を抜いてしまった。泣いていた子もいたのに、僕は、本当に何をやってるんだろうな)



 馬車に乗っているスタールの手元には、選定された証の剣が収まっている。ある意味、スタールの後悔の種でもある。

 英雄叙任式の場を思い出す。祝福よりもざわめきと混乱が大きく、今更ながらスタールは少し胸がちくりと傷んだ。



『以上で、英雄叙任式を終わりとさせてもらう。この後、英雄たちには軽く軽食をとってもらった後、中央闘技場にて台覧試合を行ってもらう。貴族、市民に己の技量を見せつけるよう、存分に力を振る舞われよ』



 王の短い宣言で、波乱を生んだ英雄叙任式は閉式を迎えた。

 しばらくの休憩を挟んだ後に、英雄たちによる御前試合が行われる。



 中央闘技場に向かう馬車の中は、控えめに言って最悪であった。

 四人も不貞腐れている英雄がいる馬車に一緒くたに乗せるなんて、どうかしている、とスタールは思った。











「……んだよ、見せつけてんのか? あ?」



「我が娘ェ、それはいかんだろ。この坊主が立派なやつだった、お前は未熟だった、それでいいだろォが」



「うるせぇハゲ親父」



 膂力の英雄ビルキッタなんかは、不機嫌を隠そうともしない英雄筆頭であった。涙目で本気でむくれているので、単眼の精霊が手を焼いているほどである。



「我が姫よ、泣くな。我輩は、お主が最も優れた英雄であることを知っている。古龍の我輩が信じているのだ。心を強く持て」



「……っ」



「我が姫よ。誉れ高き円卓の騎士たちとて、最も誉れ高かった騎士は騎士王だけではなかった。湖の騎士、太陽の騎士、哀しみの騎士、聖杯の騎士。選定の剣に選ばれるだけが最高の騎士である条件ではないのだ」



「……ぅ」



 頑強の英雄ヴェイユに至っては、静かに涙をこぼして泣いていた。契約精霊の古龍が慰めている言葉が、かえってスタールに痛い。



「妾は気にしておらんぞえ。妾にとってはそちが一番の下僕。どうか泣きやんでたもれ?」



「……不覚。忍びは、泣かない」



「よしよし、妾はまっこと心強い。妾の愛しい下僕、そちに褒美じゃ」



 俊敏の英雄エスラはさっきからひっきりなしに精霊に目元を拭われていた。見たこともない鮮やかな着物を着た精霊で、古風な喋り方が印象的である。



(凄く気まずい)



「ね? でもスタールは堂々としていいよ。本当にスタールは凄いんだもの。二年間もの間ずっと諦めることなく、本当だったらもう二度と歩けないような怪我を克服して、今の君は誰もが認める英雄なんだもの」



 頭の上に乗っているククリは、さっきからずっと絶えずスタールのことを撫でていた。頑張ったね、えらいえらい、と誇らしげである。

 まるで飼い犬が披露宴で余興の芸に成功した、とばかりの褒め方である。

 それがさらにスタールに気に食わなかった。



 そんなスタールの様子に、腕を組んだ少女が不満を上げた。



「そうですわ、器用の少年! このアタシを差し置いて剣に認められるなんて、光栄なことですのよ? それなのに微妙な顔付きだなんて、あなたふざけてるんじゃなくて?」



「¡Sí que sí, señorita! (そのとおり!) セニョリータの言うとおりサ!」



「いいこと? アタシは魔術の英雄、つまり全ての英雄の中で最も有用で賢く知的で慎ましく素敵で麗しく風雅で愛らしく繊細で感じやすいチョリータ・ブリリアンテなのよ! アタシに勝利したことを誇りなさい!」



「¡Sí que sí, señorita!(そのとおり!) セニョリータの言うとおりサ!」



 やかましい、とスタールは思った。

 百歩譲って魔術の英雄ミテナはいい。だが、あの契約者を全肯定する暑苦しい鹿は何なのだろうか。赤いバラを口に咥えている姿も含め、いかにもキザったらしいのが癪に触る。

 癖が強い契約者同士だ、とスタールは思った。



「……ありがとう、ミテナ。でも僕は別に、選定の剣に選ばれたからって他の英雄より優れているとは思っていないよ。あの過酷な剣の選定に何度も立ち向かおうとした皆のほうが、僕よりも遥かに英雄らしくて気高いよ」



「あら殊勝ね。でも勝者の余裕にも聞こえますこと。……そうよ、誰もあなたに負けたとは思ってないわ。よろしくて? このアタシ、何度でもあなたに立ち向かいますわ」



「それは辞めてくれ」



「え、それは困りますわよ!」



(どう困るんだよ。意趣返しに困るってことか?)



 この一連の会話で、おおよそミテナの人柄が理解できた。尊大で好戦的で負けず嫌い。慎ましく愛らしく繊細だなんてよく言えたものである。

 いずれにせよ、むくれている一名と泣いている二名と同じ空間で、はばかることなく誇るつもりは一切ない。



(それに、僕は本当に彼女たちに勝った気がしないんだ。この剣に腹が立ったから引っこ抜いてやるって思ったのは事実だし、身体をきたしてるからなんて変にうじうじせずに最弱でもいいから英雄になってやるって思ったのは事実なんだけど、でも)



 自分よりも強くて、自身も信念も心意気もある、まさに英雄らしい四人のことを尊敬しているから。

 そんなスタールにとって、選定の剣に選ばれてしまったという意味は重たく感じられた。





















 御前試合は、馬上試合による一騎打ち二回と、地上に降りての一対一の試合二回で構成されている。

 試合はなるべく公平を期すため、いずれの英雄も一回ずつは戦うことになるよう組み合わせられている。

 これはそれぞれ好きな英雄を応援している観客が不満を抱かないようにするための工夫であり、複数回戦う形にすることで興行としても街全体が盛り上がるようにする狙いもある。

 スタールにとって差し当たり重要なのは対戦表であった。







 ■馬上試合

 膂力の英雄 vs 頑強の英雄

 魔術の英雄 vs 俊敏の英雄

 器用の英雄 vs 頑強の英雄

 俊敏の英雄 vs 膂力の英雄

 魔術の英雄 vs 器用の英雄



 ■本試合

 俊敏の英雄 vs 器用の英雄

 魔術の英雄 vs 頑強の英雄

 膂力の英雄 vs 器用の英雄

 俊敏の英雄 vs 頑強の英雄

 膂力の英雄 vs 魔術の英雄







(……なるほど、見た目は公平だ。心なしか僕の試合間隔だけ他の人よりも間が詰まっていることを除けば)



 はっきりとは言えないが、恣意的にも見えなくもない試合表を眺めて、スタールは嫌なものを感じ取った。

 極力の公正さを守りながらも、最もスタールにとって不利な試合対戦表になっている。

 試合と試合の間に取ることができる休憩の数で言うなら、スタールが一番少ない。偶然なのかもしれないが、嬉しくない偶然である。



 もしや誰かが、ぽっと出なのに選定の剣に選ばれたスタールを気に食わないと手を加えたのだろうか――などと考えたところで、埒があくはずもない。

 運が悪かったのだと割り切るしかない。



(……運が悪かった? なんで僕がそんなことを気にしなきゃいけないんだ? 何を残念がっているんだ?)



 激しい鉄戟の音が鳴り響き、スタールはようやく我に返った。











 膂力の英雄ビルキッタと頑強の英雄ヴェイユの一騎打ち。

 両者ともに譲らない攻防に、観客は大いに沸き立っている。

 息を呑むほどに強烈な膂力の一撃を、頑強なる盾が防ぎ潰す。

 見ているものが引き込まれるような派手な馬上試合。まさに英雄の戦いらしい戦いだと言えた。



「……」



「わー、凄いよね。ね、見て見て。普通の馬上試合だったら槍と盾を装備するけど、あの膂力の英雄は、最も腕力を発揮できる戦槌を手に取ってるね。頑強の英雄のほうも、馬にまでラメラーメイルを着させてカタフラクトの騎士っぽくして防御力を高めているし……って、スタール?」



「……今の僕が興味を持っているのは、あの盾術をどう盗み取るかと、あの盾術をどう破るかだよ」



 呑気にはしゃいでいる妖精とは対照に、スタールは難しい顔をしていた。

 膂力の英雄の一撃は、いかにも痛快で苛烈である。

 それなのにあの頑強の英雄は涼しげに受け止める。受け流したりかわしたりして相手のバランスを崩し、時には強く受け止めて相手の手を痺れさせたりもする。見ていて迫力があるのは膂力の英雄だが、駆け引きが巧みなのは明らかに頑強の英雄である。



 あの盾術を盗み取りたい、そして何とかして打ち破りたい。

 そんな気持ちが心のどこかに芽生えつつあるのをスタールは実感している。



「ふうん? じゃあイメージトレーニングする?」



「イメージトレーニング? ……頭の中で想像するだけのあれか? そんなので効果があるのか?」



「あるよ、ちゃんとね」



 鉄同士の激突する音が激しくなるのをよそに、ククリは自信満々に答えた。



「頭の中で、体の動かし方を細部まで意識して。あの夜、盾を使ってどんなように体を運んだのか思い出して。それをなぞるように、もう一度再現できるようにイメージするの」



「……再現するようにイメージか」



「そう。あの感覚を忘れないように、頭の中で何度もなぞり直すの」



 言われながら、スタールは妖精の言葉通りにイメージを整えた。

 再現。再現。再現。

 あの時何か掴みかけたような感覚がどんなものだったかを手探りで思い出す作業。理想の体の動かし方はどんなものだったかをイメージする作業。



「……掴めそうなような、掴めなさそうなような」



「本当はイメージトレーニングって、実際に身体を動かすのとイメージトレーニングとを交互にやって、頭の中で身体を細かい動きを把握するためのものなんだけどね。でもスタールなら大丈夫。目が良いもの」



「……再現か、難しいな」



 自分がもしあの場で戦っていたとしたら。

 昨日馬に乗ったときの感覚と、昨日盾を振り回したときの感覚が蘇る。自分はあんなに上手に衝撃をいなせているだろうか。自分はあれほど強烈な衝撃に耐えられるだろうか。



(……なるほど、実際に体を動かしながらイメージトレーニングをするっていう理由がわかった気がする。これは、細部のイメージが現実に合っているかを確かめたいかも)



「んふふ、大丈夫だよスタール。焦らなくてもいいよ。器用な君には、模倣の才能があるんだからね」



「……模倣の才能?」



「そうだよ。よく見ててね。英雄たちの戦いをよく目に焼き付けて、君の糧にするんだよ? 今までボクは何度も星座早見盤アストロラーベを細かく眺めて、君を導くために調節を頑張ってきた。この御前試合だって、君の運命を大きく左右する出来事なんだからね」



 法水写瓶。まさに水一滴もこぼさないように。

 そうククリは意味深に微笑んだ。





















「続いて、第三試合! 西門から入場するのは、激戦の末、膂力の英雄を制した誉れ高き騎士、頑強の英雄ヴェイユ! 対して東門から入場するのは、選定の剣に選ばれた少年、器用の英雄スタール!」



(遂に、始まった)



 音魔法によって拡張された声が周囲に反響し、観客もうるさい程に盛り上がっている。

 はっきり言って、前の二試合が素晴らしい内容の試合だった。膂力と頑強の、見ていて迫力のある正面対決。俊敏と魔術の、めくるめく戦況の変わる技巧的な対決。



 盛り上がりきった客席を前に、スタールは一抹の不安を感じていた。客に失望されるのではないか。失態を犯さないだろうか。果たして無事にいい勝負を演じられるだろうかと。



(いや、気にするべきはそこじゃない)



 ヴェイユとスタールが両者定位置について、盾と槍を構える。今回の一騎打ちジョストは王国にとって最も歴史の古いとされている自由形式であり、武器の制約はなく矢来(※両者が衝突しないよう設置される柵)もない。

 つまり、魔術の英雄の試合のように逃げ回って魔術を乱れ打つも自由だし、俊敏の英雄のように相手の背後を執拗に狙うのもよい。



 試合開始のラッパが鳴る。頑強の英雄は真っ直ぐこちらに突進してきた。


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