スタール、英雄叙任式に参加する(1)
牡羊の月の七日――シャンドール中央大聖堂にて。
いつもならば、熱心な教徒たちが決まった時間に祈りを捧げにくるぐらいだったのが、今日ばかりは異様な人だかりが出来ている。
これから執り行われる世にもめでたい式典を、ひと目でも見ようとやってきているのだ。
だが、実際に大聖堂に入ることができるのは貴族位を持つ人々だけである。
それも並の貴族では、後ろの方にしか座れない。
王国の大貴族と称される人々だけが、祭壇のそばに座ることを許されていた。
大聖堂の中に人がこれ以上入らない、というわけではない。
むしろ大聖堂の礼拝堂の中は、厳粛な式を滞りなく執り行うために、きちんと空間に余裕を持たせて人々を配置していた。
全ては、国王陛下がその場にいるためである。
獅子王と誉れ高い、圧倒的な存在感を誇る国の統括者。
魔王領地の奪還戦争を続ける一方で、国内の司法行政制度を整え、商工業を奨励し、教育の振興にも努める為政者。
貴族に対して官職を与えたり、軍内部で昇進させたり、王領地を譲ったりと、彼らの権力の強化を許しながらも、その圧倒的な求心力から揺るがぬ忠誠心を取り付けている名君。
彼その人が、この世の支配者である。
獅子王アンリは、そう人々に信じさせるほどの、息もつけぬほどの威圧感を身にまとっていた。
「……初めてのことだ。何か申し開きがあるならば申してみよ」
獅子王の言葉は、先ほどから静まり返っている大聖堂によく通って聞こえた。
言葉の矛先が向かっているのは、国王より遅れて入場してきた四人の英雄たちに対してである。
何か申し開きがあるならば申してみよ、と獅子王は言った。
その言葉には人を責め立てるような響きは一切なく、ただ、この狼藉にどれほどの処遇が相応しいのかを見定めようとする重々しさがあった。
その言葉に王の臣下たちは顔色を失っているほどである。
王の言葉は絶対である。
特に獅子王のそれは、並の人間にはどうしても抗えない得体の知れない力があった。
下手をすれば、実体の窺い知れない神々よりも、荘厳なる重圧。
それが、獅子王陛下と恐れられる現国王なのである。
だというのに、である。
「わりぃ、腹が減ったから外に出かけてた」
「……胸のどきどきが収まらず、ずっと街壁の外周を走っておりました」
「明るくて迷った」
「ごめん遊ばせ、ぐっすり寝てましたわ」
こいつら正気か、と耳を疑いたくなるような言葉が返ってきた。
膂力の英雄、ビルキッタ。空腹のため街中に出かけて遅刻。
頑強の英雄、ヴェイユ。胸の動悸のため街壁の外周を走って遅刻。
俊敏の英雄、エスラ。明るさのため道に迷い遅刻。
魔術の英雄、ミテナ。寝坊のため遅刻。
いけしゃあしゃあ、という言葉があるが、これはひどいとスタールは思った。ククリも隣で肩をすくめていた。
「だってよ、前もだりぃ英雄叙任式やったし、別に俺たち二度もやらなくていいんじゃねぇか?」
「……返す言葉もありません、陛下。でも、今日はよろしく頼まれたので、もしや殿方からのデートのお誘いなのではと失礼があってはいけないと思い、外壁を走るついでに着替えのおめかしの服を買ってですね、その」
「夜のほうが道がわかる」
「星々の下で夢を見ることは、大いなる祖父母の霊、この世の万象の霊と対話することですわ。このアタシ、おかげさまで体調は万全でしてよ!」
(こいつら、ぽんこつだらけか?)
可哀想なことに、この儀式を取り仕切る王宮儀典官たちは死人の顔になっている。
当然トビマァル氏も顔面蒼白となっていた。
死罪もあり得るほどの狼藉。ただ一点、彼女たちは英雄であるという点において、全てが許されている。
「汝らの処遇は別室ですでに評議した。重要な儀式への遅刻、および祭壇で祈りを捧げていないという儀式への冒涜、加えて汝ら自身の先の狼藉を鑑みて、市民への社会奉仕一週間と王宮兵士への技術指導一週間に処す」
(こんな狼藉沙汰の手打ちとしては軽いな。無意味な罰よりも貢献を以て贖いとする采配か)
寛容な処罰。
舐められた態度を許すような真似は、一歩間違えると臣下の増長を許すことになる。
だが、王家の威信が揺るがぬ絶対的なものであるときは、度量がある判断と映る。
この獅子王アンリは、自分の威信がびくともしないことを確信しているようであった。
「――本来今日は、国家を上げての祝福の日であり、聖なる大天使に祈りを捧げる日でもある。慶事の日に処罰は相応しくない。
特に今回は、栄えある器用の英雄殿に宣託が降りたという、余にとっても願ってもない幸運の式典でもある。
新しい英雄の誕生を心より祝うと共に、これからの汝らの無事と活躍を祈って叙任式の挨拶の言葉としたい」
すんなりと。
その時スタールは、いつの間にか自然と叙任式の始まりの挨拶が終わっていることに気がついた。
「膝をついて頭を垂れよ」
(……え)
重圧がスタールを支配した。
それは他の四人の英雄も同じであった。
圧倒的かつ絶対なるもの。
言葉に抗えない経験は、スタールにとって初めてのことであった。
「では司祭。叙任式を始めよ」
叙任式は、一旦始まってしまえば順調に進んだ。
まずはミサが開かれ、聖歌隊が「祝福の歌」を歌い上げる。
司祭による挨拶と、短い祈りが捧げられる。
王宮儀典官の手により典礼書が開かれ、聖大天使祭について書かれた文章を司祭が説法する。
途中、ククリがこっそりとスタールに耳打ちした。
「んふふふ、スタールが作ったやつだよね、あの典礼書。覚えてるよね? 聖大天使祭の項は天使のレリーフを入れるのがとても大変だったよね」
(ああ、覚えているさ。あの時は細い線が中々乾かなくて、とても苛々したものだ)
聖大天使祭の解説が終わると、次は英雄叙任式について書かれた文章の解説に移行する。
――かつてこの大陸には、五人の英雄がいた。
巨人族の王と戦ったとき。
膂力の英雄は、その大地も砕く一撃で、巨人の片腕を圧し折った。
頑強の英雄は、その城塞の如き守りで、巨人の猛撃を何度も防いだ。
俊敏の英雄は、その疾風怒濤の速さで、巨人を斬撃の嵐に叩き込んだ。
魔術の英雄は、その圧倒的なる魔力で、巨人を地獄の業火に包み込んだ。
そして、器用の英雄は――とても器用だった。
古龍族の王と戦ったとき。
膂力の英雄は、その大地も砕く一撃で、古龍の翼を圧し折った。
頑強の英雄は、その城塞の如き守りで、古龍の息吹を何度も防いだ。
俊敏の英雄は、その疾風怒濤の速さで、古龍に斬撃の嵐を叩き込んだ。
魔術の英雄は、その圧倒的なる魔力で、古龍に神代の雷撃を見舞った。
そして、器用の英雄は――とても器用だった。
屍人族の王と戦ったとき。
膂力の英雄は、その大地も砕く一撃で、屍人の軍勢を薙ぎ払った。
頑強の英雄は、その城塞の如き守りで、屍人の進軍を何度も防いだ。
俊敏の英雄は、その疾風怒濤の速さで、屍人へ斬撃の嵐を叩き込んだ。
魔術の英雄は、その圧倒的なる魔力で、屍人へ浄化の光を浴びせかけた。
そして、器用の英雄は――とても器用だった。
妖精族の王と戦ったとき。
膂力の英雄は、その大地も砕く一撃で、妖精王の魔術を薙ぎ払った。
頑強の英雄は、その城塞の如き守りで、妖精王の魔術を何度も防いだ。
俊敏の英雄は、その疾風怒濤の速さで、妖精王へ斬撃の嵐を叩き込んだ。
魔術の英雄は、その圧倒的なる魔力で、妖精王へ終焉の氷柱を打ち込んだ。
そして、器用の英雄は――とても器用だった。
聞きながら思い出した。
子供の頃のスタールは、この文章が嫌いだった。
器用の英雄が、ただ器用なだけであることが、とても悔しくて惨めであった。
正直なところ、今でも好きな文章ではない。
そんなスタールの様子を見ていたのか、そばにいたククリは「ふふ」と笑って、歌うように唱え上げた。
スタールにとって初耳の言葉を。
「機械仕掛けの王と戦ったとき。
膂力の英雄は、その大地も砕く一撃で、機械仕掛けの王の軍勢を薙ぎ払った。
頑強の英雄は、その城塞の如き守りで、機械仕掛けの王の攻撃を何度も防いだ。
俊敏の英雄は、その疾風怒濤の速さで、機械仕掛けの王へ斬撃の嵐を叩き込んだ。
魔術の英雄は、その圧倒的なる魔力で、機械仕掛けの王へ滅びの呪文を刻み込んだ。
そして、器用の英雄は、とても器用に、機械仕掛けの王を解体して、最後となる王の紋様を飲み込んだ。
かくして、五つの紋様は人の子が受け継ぐことになり、紋様を失った魔物たちは衰退していった」
(え?)
「五人の英雄たちは、紋様を独占せずに、人々に分け与えることを選んだ。
紋様を英雄たちが独占すれば、かつての魔物たちと同じように、強大な王の台頭を許すことになる。
だから、すべての人々の血に、いずれの紋様も混ざり合うように溶かして、人々へと紋様を分け与えた。
それ故に人は、全ての紋様を使いこなす。
それぞれは薄く弱まったが、全ての紋様の加護に適性を持っている。
ただし、ごく稀に一つの紋様しか受け継がないで生まれる子供が現れる。
生まれながらの天賦の才により、己の血で紋様を作り上げてしまった、王の紋様の申し子。
膂力、頑強、俊敏、魔術、器用の紋様によって身体を作り変えられた、特殊な器の子供である」
(そんな物語、僕は知らない)
「人の血を喰らいすぎた魔物は、血に溶かされた紋様を蓄える。
そしてやがて、長い歳月を経て王を名乗るだろう。
紋様に適性をもつ者たちは、彼ら魔王を討伐して、再びその器に紋様を閉じ込めなくてはならないだろう。
そしてもう一度、数多の人々に紋様を分け与えなくてはならないだろう――」
耳元に小さな感触があった。
ククリが口づけをしたのだと気付くのに時間がかかった。
呆気にとられていると、ほら、スタールの番だよとククリが促した。
(え、あ)
司祭が手をかざして英雄たちの頭に乗せて、彼らに祝福の言葉を授ける。
そして、王の手で剣を手渡され、英雄はそれを三度抜いて三度納める。
王が右肩を杖で叩き「汝、民を守ることを誓うこと」と言葉をかける。
王が左肩を杖で叩き「汝、誇りと栄誉を守ることを誓うこと」と言葉をかける。
最後に王が、杖を額にかざし「汝、主君を守ることを誓うこと」と言葉をかける。
「……王殺しか」
(え?)
ぽつりと気になる言葉が聞こえたが、式典の進行は止まらなかった。
いよいよ英雄叙任式の最後となる、選定の剣を引き抜く儀に移ることになった。
目の前に用意されたのは、リンゴの木で出来た無骨な台座とそれに付きたった剣。
これを各自が手に握って引き抜いていく、というものである。
「これより選定の剣の儀に移る。ここからは王宮司祭ヨクハが、この場を取り仕切らせていただく」
祭壇に登ったのは、年若い司祭であった。
根暗そうな外見と硬い声。融通の効かなさそうな人だとスタールは感じた。
「この台座に鎮座するは、選定の剣である。英雄はそれぞれ柄を握って、願いを一つ、誓約を一つ言って剣を引き抜くこと。
選定の剣の呪いと苦悶に打ち勝ったとき、その者は英雄たちの統率者に選ばれる」
そこまで言い切った王宮司祭が剣の柄に手を伸ばすと、瞬間、
(炎!? え、何だそれは!?)
その細い手が炎に包まれ、黒い煙が立ち上り、腕はみるみるうちに爛れ、耳には生々しく痛々しい音がぶちぶちと聞こえてきて、
「――このように、資格の無いものが剣を引き抜こうとすれば、剣の呪いによって大きく負傷するであろう」
抑揚のない言葉で、その王宮司祭ヨクハが手をその場にいる皆へと見せつけた。
絶句するような凄まじさ。
神聖な式には似つかわしくない、凄惨で痛ましい腕の有様に、貴族たちは面食らっているようだった。
英雄たちとて例外ではない。
顔をしかめるもの、唇を引き締めるもの、目を離さないもの、痛ましさに慄くもの、様々な反応があった。
じぶじぶ、と嫌な音を立てながら司祭の腕がゆっくりと再生されて行く。そのまま司祭は英雄たちを促した。
「さあ、願いと誓約を口にせよ」
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