第三章:英雄たちのクインテット

スタール、馬術に励む

 翌日。

 ほぼ日課になった日干し煉瓦づくりを終え、これまた日課となったネズミの死体回収と毒団子の設置を終え、昼食を軽く食べて中央ギルドに依頼を確認しにきたときのことであった。



(――明日に英雄叙任式をやるから、それに参加してくれ、だって?)



「ああ、スタール君がまさか英雄だなんて知らなかった! どうかこの通りだ、頼む! 急に決まったことで私も詳細は知らないのだが、君に参加してもらわないと本当に困るんだ!」



 熱心に頭を下げてお願いしてきたのは、例の王宮儀典官、トビマァル・イラッチ氏である。

 写本作業では大変お世話になったのでよく覚えている。とにかく忙しそうな人であった。



「明日の英雄叙任式の後、再び聖剣の儀を執り行う予定だ。

 何、聖剣と言ったって切り株の上に突き立っている頑固な剣ってだけだ。スタール君はこいつを握るだけでいい。

 今まで誰一人抜けなかったんだから、無理して抜く必要はないさ」



「はあ」



「で、その後はコロッセオで英雄たちによる御前試合がある。馬の上に乗って、木刀やら何やらで打ち合うってだけの軽い試合さ。遊びみたいなものだ。君は馬の上にまたがって適当に、気楽にやるといい」



「え、ちょ、馬って、え、試合って」



「叙任式の前日の準備は、ここのギルドの職員に伝えてある。沐浴や祭壇への祈りの手順はそこで聞くといい。

 ――では幸運を祈るよ、若き英雄君!」



「ちょ、トビマァルさん、あの、待って!」



 畳みこむように言って、そしてそのまま出かけていく。

 やはりトビマァル氏はとてつもなく忙しいらしい。

 そして彼はスタールにとって、いかにもトラブルメーカー的な存在であった。



 英雄叙任式。現実味の全く沸かない言葉である。



「やったねスタール! 英雄だよ! これで晴れて君は英雄になれるんだ!」



「僕が……英雄、だって?」



 夢でも見ているのか、とスタールは呆けた気持ちになった。

 何もかもが急すぎて、とても気持ちの整理が追いつかない。

 どう感じていいのかも分からない。頭の中も真っ白である。

 ただ、全くの想定外のことに、胸だけが不自然にざわついていた。











 第三章:英雄たちのクインテット











 英雄。

 かつて憧れたもの。

 とうに諦めたもの。



「英雄叙任式は、位置づけとしては騎士の叙任式と似ているんだ。聖堂でミサを行って、教会から祝福を受ける。そして、国王自らの手で武具と兜と拍車を与える。これを以て、国王から『英雄』としての役割を叙任される、ということになるんだ」



「……」



 いつものククリの説明も、そぞろな気持ちのスタールにはあまり入ってこなかった。

 足元が浮ついている。気分が落ち着かない。

 高揚しているような、ぽっかりと何か胸に穴が空いたような、そんな不思議な感情で、どうにも居心地が悪かった。



「なあククリ、今日は、何をすればいいんだっけ」



「え、聞いてた? 前日の夜から、選定の剣が教会の祭壇の上に置かれるから、それに祈りを捧げるんだ。でもその前にきちんと沐浴して体を清めておかないとだめだからね?」



「そうじゃなくて、今から夜まで、僕は何を」



「うーん、じゃあ取りあえずバザールにでも出かける? それともボクとお話する? あ、それとも御前試合の練習で、乗馬と武器の扱いの練習でもする?」



「……最後、かな」



 上手く働かない頭でスタールが選んだのは、一番最後の選択肢であった。





















 中央ギルド職員に、人生で今まで一度も乗馬したことがないので練習したい、と相談すると、馬を一頭快く貸してもらえた。

 職員曰く、これは御前試合に出す標準的な馬だ、とのことだったが。



「落ち着いて、スタール。馬の上で姿勢を固くしちゃだめだよ。馬は乗っている人の合図を頼りに動くんだから、馬を混乱させるようなことはしちゃだめなんだよ」



(そんなことは分かってるさ! けど、初心者には難しい!)



 馬の上から何度もすっ転びそうになり、馬を何度もびっくりさせているスタールは、馬の扱いに四苦八苦していた。



「正しい乗馬姿勢は、身体が馬の動きに遅れずにきちんとついて行ってて、体重が左右均等にかかっていて、手綱にかかる力も左右均等、だよ!

 イメージして! 頭部を騎乗者の動きの支点にして、首と背中で馬の反動を吸収して、体全体で馬を誘導するように!」



(分かっている、けど!)



「きちんと頭、肩、腰、あぶみが一直線上になってる?

 目線を上げて遠くを見ている? 肩甲骨が真っ直ぐで、肩の力は抜いている? 足は自然な状態で、ふくらはぎの内側は馬の腹に触れるぐらいで、膝と足首の力は抜いている?」



 矢継ぎ早に言われても混乱するだけである。

 妖精に指示されてあたふたとするスタールは、馬にとってもやりづらいらしく、先程からあんまり上手く意思疎通ができていなかった。



「姿勢が前のめりになると、馬が走ったとき宙に浮きやすくなるよ! かといって姿勢が後ろになると、今度は背中に大きな負担がかかって馬の動きについて行くのが大変になるよ! 体重は基本的に真下にかけるイメージで!」



 スタールが今行っているのは、常歩じょうほから駈歩かけあしまでの一連の走法である。

 だが、この駈歩かけあしが左右非対称で衝撃が走るため、重心の維持が難しく、また身体が何度も宙に浮いて手綱の制御や足の制御が効きにくいという難点があった。



「気を取り直してもう一回、さあ常歩に戻って!」



 手綱をぐっと引っ張って制止をかける。

 よく調教されているのか、それだけで馬は意図を読み取って、駈歩かけあしの動きを止めた。



 そのまま、ふくらはぎでお腹を圧迫し、足首を上下させて馬の腹をこする。

 常歩じょうほの合図である。すぐさま、ゆっくりと馬が前に進み始める。



「うん、常歩じょうほは形になっているね! そこでゆっくりスラローム!」



 左前足を前に出すタイミングに合わせて左足に合図を送る。同時に体重をやや右側に預けて、身体で右に誘導する。

 そうすると馬は、右方向に進行方向をゆったりと変える。

 今度はこれを左に、また今度は右に、と交互にスラロームを行う。

 このスラロームに関しては、手綱を使うよりも身体で合図をしたほうが都合がよかった。



「じゃあ、今度はあぶみから足を外してスラロームをやってみて!」



「え? 体重のバランスはどうやって取るのさ?」



「スタールの問題点は座り方だよ。坐骨でバランスを取る感覚を掴んで! 緊張して太ももやふくらはぎを締めたりしないで、常に坐骨でバランスを取ること!」



(そんなことを言ったって馬が揺れるんだから、落ちないように体を固定しないといけないじゃないか)



 内心で反論しつつも、恐る恐るあぶみから足を外す。

 馬が暴れる予兆は今のところない。

 だが、やはり身体が揺れて、バランスを取るので精一杯である。

 その上で、馬に間違った指示が伝わらないようにするのは、かなりの困難を伴った。



(これでスラロームなんて無茶だ、無理にもほどがある!)











「できてしまった……」



「ね! できるでしょ! 」



 しばらく頑張ると、徐々に体重の預け方のコツがつかめてきた。

 振り返れば、シーツの清掃の際にぐらつく足場で踏み洗いしたり、ドブさらいの時にぬかるんだ足元で踏ん張る練習は何度もしたものである。

 体重のかけ方は、そのときにある程度体得したらしい。

 そもそもよく思い返せば、この足で歩くときも、自然と重心を調整してこけにくいようにして歩いていた。

 重心の調整は、コツさえつかめばスタールにとっては簡単なことであった。



 スタールはこのとき、自分の過ちに気づいたのだった。

 器用な反面、あぶみを使って体重を分散させることばかりを覚えてしまっていたのである。

 そうではなくもっと根本から、座り方から変える必要があったのだ。

 小手先の技術でその場しのぎをすると、もっと先の段階で躓くという好例であった。



(これは乗馬に限らない。きっと、日常的に、色んな場面でこんなことがたくさん出てくるはずだ。器用さにかまけて、正しい作法を学ばなかったなんて、ざらにありそうだ。特に僕の場合は、歩き方や手の使い方まで普通の人とちょっと違っているのかもしれない……反省しないとな)



 余裕が出てきたのか、乗馬以外のことにも考えが巡るようになってきた。

 そろそろ頃合いかもしれない、と思ったスタールは、馬の速さを軽い速歩へと切り替えた。











『軽速歩では、立って座ってを繰り返すの。馬が早くなると、上下の揺れが大きくなるから、座ったままだと反撞で跳ね上げられるから、軽速歩で立ったり座ったりを繰り返して反動を抜いた方が乗りやすいんだ』



 ククリの助言を思い出して、スタールは馬の上で立ったり座ったりを繰り返した。

 今度こそあぶみをしっかりと踏み、脚で立ち上がるのではなく馬の反動を利用して立ち上がる。膝の力は抜いてあくまで自然に。



『慣れてきたら、手綱から手を離して、立ったり座ったりを練習したほうがいいよ。手綱を握ってると、手綱につい頼りがちになるから、馬の反動が変に手綱に伝わって間違った指示を与えかねないし、馬が頭を下げたりしたときに手綱が前に引っ張られて、身体が前につんのめってバランスを崩しかねないからね』



 手綱には頼らない。身体でまずは馬を制御する。

 もっと速く走るときに、適切な手綱の制御をするためには、速歩ぐらいなら手綱に頼らないで乗りこなせるような乗馬技術が求められるのだ。



(立ったり座ったりを繰り返して反動を抜く感覚を掴んだら、これを背中で反動を吸収する感覚に応用する。座ったままでも、体全体で反動を逃せるようにするんだ)



 この頃になってくると、ようやく馬も、少しばかりスタールを信頼し始めたらしかった。指示がきちんと通るようになってきて、ここに来てスタールは乗馬の楽しさを少し実感した。











「乗馬の武器は槍と斧と剣があるけど、スタールの場合は槍がいいと思うよ! 馬の速さを活かして、槍を相手に突き刺すんだ!」



 馬上試合にはいくつかの形式がある。

 団体戦トゥルネイ一騎打ちジョストか。

 一本勝負か、お互いに武器を変えての三本勝負か。



 今回の英雄叙任式の後で開かれる御前試合では、馬上試合での一騎打ち、馬から降りての一騎打ち、が想定されているという。



「足の踏ん張りがあまり効かず、利き腕もあまり力が入らないとなったら、スタールの選択肢は槍が一番だよ! それが一番相手のバランスを崩しやすいよ!」



 馬上試合では、怪我や死傷者が出ることを防ぐために、ランスは木製の折れ易い物となっており、先には王冠状のソケットがつけられている。

 これにより馬上試合の怪我人はぐっと減ったとされる。



 右手にランスを、左手に盾を持って高速ですれ違う。

 そしてすれ違いざまに一撃を食らわせて、相手を落馬させる。

 まさに、由緒正しい一騎打ちのやり方であった。



「刺突の衝撃は一点集中で強いし、何より中距離からのリーチを活かせるから、馬上での一瞬の交差を前提に戦うなら短い武器より有利なんだ。

 それに、地上に降りての実戦でも、穂先で打撃して脳震盪を狙ったり、足払いして相手を転倒させたりもできるし、扱いも比較的楽だから、初心者にはおすすめだと思う」



 ククリの勧めるままに槍を手に取ったスタールは、慣れない武器の重さに振り回された。



 揺れる馬上での槍の使い方は、はっきり言って中々難しかった。

 馬の反動を槍に乗せて渾身の一撃。

 しかしその後、ふらつかないようにバランスを取るのに慣れが必要である。



「最初と比べると、遥かに良くなってるよ! 一日だけでこんなに形になるなんて、ボクの想像以上だもの!」



(いや、まだまだだ。こんなにバランスを取るのが難しいなら、実践で思いっきり攻撃を受けたときひとたまりもない)



 褒めちぎるククリに反して、スタールの心情的には余裕がない。

 少しでも技術を高めないといけない。

 そんなスタールの焦りが垣間見えるような、ただひたむきな練習が繰り返された。



















 スタール

 Lv:9.91

 STR:3.94 VIT:5.25 SPD:3.58 DEX:118.87 INT:8.77

[-]英雄の加護【器用】

 竜殺し

 王殺し

 精霊の契約者

 殺戮者

[-]武術

 舞踊

 棍棒術

 槌術

 槍術+ new

 盾術 new

 馬術++ new

[-]生産

 清掃+++

 研磨++++

 装飾(文字++++ / 記号++ / 図形+++)

 模倣+++

 道具作成+++

 罠作成+

 革細工

 彫刻

 冶金++

[-]特殊

 魔術言語+++

 色彩感覚+

 錬金術





















「なあ古龍殿。彼のことをどう思った?」



「どうって、どういうことだ? 我が姫よ」



 中央ギルドの厩戸のそばで囁き合う影が二つ。

 その視線の先にいるのは、諦めずに馬の上で武具を振るっている少年の姿がある。



「彼、器用の英雄のことだ。最初はとても馬術が下手だった。だが気付けば、彼は見違えるほどに馬を乗りこなしていたじゃないか。見どころがあると思わないか?」



「ふむ、我が姫は物好きであるな。仕方あるまい、答えて進ぜよう。

 あれは器用の英雄の特性だ。器用の英雄に選ばれたものは、どんな技術であれ非常に早く要領を掴み、体得するのだよ」



「なるほどな。あれが貴殿の恐れる竜殺しか」



「まさか。恐れてはおらぬよ、我が姫よ。ただ我輩は、老婆心ながら忠告をしておるのだ」



「……」



「我が姫よ、お主はこういう『努力する人間』が好きであろう? それがいかにも我輩には心配なのだよ」



「まさか、心配には及ばんさ。相手がどんな人間であれ、我が頑強の名にかけて正々堂々。それが私の戦い方だとも」



 ならばよいが、と心配そうな声を遮るように手で制して、娘は真剣に少年を見た。

 ワイバーンの襲撃から姫を助けた少年、片手と片足が思うように動かなくなった少年、それでもめげずに英雄を目指している少年。



「……頑張るのだ、器用の英雄殿。私は貴殿のような人が好きなのだ」



「……我輩は心配になってきたぞ」



 呆れるような古龍の声は、既に誰の耳にも届いていなかった。

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