第33話 人の心と魔物の心
極楽パブ『D.R』
二階 個室にて
「……でも驚いちゃった。私、その……てっきり興味持たれてないのかなって思ってたんだけど……」
程よい広さの部屋で、夜魔と二人きりの状況。
内部には何に使うのか分からないような物が飾られてる以外は、明るい色の普通な空間だった。
他の人に知られたら全力で怒られるような状況だが、その心配は一旦置いておく。
「まあ……ちょっとね。あの子は、知り合いのお気に入りだったみたいで。だから僕もそっちの趣味だって思われていたらしくて、強引に……まあ、されたわけなんだ」
……もしかして、不倫が発覚した父親の気持ちはこんな感じなのだろうか。それほどまでに今の状況はあまり経験したくない気持ちで、苦しいものだった。
夜魔の彼女は赤い髪をくるくると弄りながら、その群青色の瞳をちらりとこちらへと向ける。
「あ、そうだったの……? そういえばお兄さん、知り合いに紹介して貰ったって言ってたね」
「あ、ああ。困った奴だよ、全く……」
「……ふふ♪ でもこうして出会えたから、私はその人に感謝したいな……♪」
そう言ってポケットにしまっていた会員証をスルリと抜き取る彼女。
その手際に驚いたが、何かを書き込むとすぐに返してくれる。確認して見ると、綺麗な字で『セルフィ』と書かれていた。
「セルフィ……これは君の?」
「……はい! 私の、本当の名前です♪」
(本当の名前?)
頬を赤く染めながらもじもじとそう言う彼女から、何か特別な意味を感じるが……どういうことなのだろうか。
少し考えていると、すぐに彼女もはっとした様子で慌て始める。
「……ああっ、そう言えばお兄さん初めてだっけ!? あ、それじゃあ伝わらない!? え、ええと、こ、これはその……えと……」
「……慌てなくても大丈夫だ。まずはゆっくりと話をしよう」
「……お兄さん。ふふ、やっぱりあなた……優しいね……♪」
部屋に入って、特に異性でするような事は行わずに会話をする。ママさんとの約束もあるから、引き際は弁えないといけない。
「それで、君はいつ頃からここに?」
「私はかれこれ三年くらいここにいるよ。だから……技術には自信があります♪」
「そ、そっか。ちなみにここに来る前はどこに?」
「それは私達の村……っておとと!? え、えーと、野良魔物として活動してました♪」
「……村?」
明らかに嘘くさいのでそこを復唱すると、オロオロとし始めるセルフィ。どうやら言ってはいけなかった内容らしく、上目遣いでお願いしてくる。
「あわわ……お兄さん、さっきの言葉はどうか忘れて欲しいな……!」
「まあ、君がそういうなら……」
「ほっ……ありがと、お兄さん♪ あ、そうだ! 私もお兄さんのお名前を知りたいな♪」
「名前? 僕は……レオネスだ」
「レオネス! 素敵なお名前ね、レオネス♪ あなたは何をしている人間なの?」
夜魔は嘘が苦手な種族。故にそれを見抜く技術も持っていないらしいが……ここで嘘をついても考えることが増えるだけだろう。
「帝国で冒険者をしてるよ。まだ駆け出しだけどね」
「ボーケンシャ? 狩人みたいなもの?」
「狩人も街の人達から依頼を受けているんだよね? なら、大体似たようなものだと思ってくれていいかな」
「そっか♪ でも帝国かぁ……私、ちょっと怖い印象があるから苦手かも……」
「怖い印象?」
確かに王国から見た帝国のイメージが悪い可能性はあるかもしれないが、魔物視点から見てもそうなのだろうか。
「帝国の地下スラムって知ってる? 私の友達がそこへ稼ぎに行ってきて、ここへ戻ってきたんだけど、とても人間のエレメントを集めることは出来ない場所だって言ってたの」
「地下スラム……聞いたことないな。そんな場所があったなんて……」
「しかも行方不明事件が頻発してるみたいで、少し前から大変な状況になってるんだって。レオネスはこれから帝国に戻る予定なの……?」
「そう……だね。用事が済んだら戻る予定だ」
「……なら、気を付けてね? あなたにもしものことがあったら私、嫌だから……」
潤んだ瞳でこちらを見つめるセルフィ。
ある意味、ここで確信するが…夜魔が本心で話してくるというのはこういうことなのだろう。彼女はおそらく、本気で自分の身を心配してくれている。
「……ありがとう、セルフィ。君は優しいんだね」
「レオネス……」
魔物にも、心はある。だけどもお互いに相容れることは出来ない。それは価値観の違いだろうか、それとも……
「……ねぇ、レオネス」
気が付けば、ゆっくりと距離を縮めてきていたセルフィ。そしてこちらの手を包み込むように持ち上げてから、その形の良い胸へと押し付けられる。
「セルフィ……」
「んっ……♪ 聞こえる……? 私の鼓動、受付であなたの目を見てから……収まらないの……♪」
触っていると、彼女の鼓動はさらに早くなっていく。それは人間と変わらないような速度と、温もりで……自分と同じく、生きている証明だった。
「だ・か・らっ………♪」
そのまま体重をかけられ、床へと押し倒される。その息遣いは荒く、肌はしっとりと汗ばんでいた。
「さっきの名前の意味、教えるね……?」
「……ああ」
「このお店では……普通は、会員証にお店で使ってる仮の名前を書き込むんだ……♪ そうすれば来店してすぐに三階へ行けるようになるんだけど、本当の名前は……伴侶にだけ教えるの……♪」
「……伴侶。つまり、君は……」
「ずっと純血は保ってきた……♪ 小さい村だけど、言い伝えを信じてきた……♪ 祭壇でお互いの初めてを捧げると……永遠の幸せが約束されるって……♪ あなたも初めてだって、すぐに分かったから……私、嬉しかった……♪」
「……大切な、名前だったんだね」
「うん……♪ だからここでは、最後まで出来ないけど……♪ 私、あなたをたくさん気持ち良くさせてあげたい……♪ たくさん、たぁくさん……♪」
「……そうか」
熱のこもった、愛の告白だった。
とても如何わしいお店に努めているとは思えない純粋な気持ち。そして、ずっと待ち焦がれていたというひたむきな思い。
だからもしも。また別の出会い方をすることが出来たとしたら……彼女の思いも報われたのだろうか。
「……あれ……?」
彼女の胸に触れている手に、意識を集中させる。腕から伝えるのは……自らが宿す、魔神の力。
「……!! なに、この……力……!?」
「……セルフィ。君の気持ちへの答えは、これだ」
きっと、伝わるはずだ。結ばれない運命なのだと。自分が魔神だと知ったのなら、彼女はきっと……
「あんっ♪ す、すごい、私……♪ もう、だめ……!! もう、限界っっ……♪♪」
(………………ん?)
……明らかに、彼女の様子がおかしかった。しかし、気が付いた時にはもう既に……いろいろと遅かった。
やがて彼女は自らの腕で自重を支えきれなくなり、こちらへとのし掛かる。
「……セ、セルフィ……?」
「んはぁ……♪ 私、今にゃにをしゃれたのぉ……?」
(……!?!? こ、これは……一体何が起こったんだ!? ちょ、ちょっといいかい魔神!?)
『どうした、宿主よ』
彼女が脱力して動けない内に、急いで魔神へと現状を尋ねる。正直、これではとても説得したとは呼べない。
(そ、そうだな……これは、一体、何がどうなっているんだ!?)
『落ち着け、宿主。我が力は魔物の根源。夜魔は対象のエレメントを吸う生き物だ。その一番効率の良い方法が肉体的な接触となる』
(いや、ならどうしてこんなことに!?)
『夜魔にも個体差はあるが、吸収に悦楽を見いだす種がほとんどだ。そして宿主は我が力を直接、目の前の夜魔へと注いだ。だからこそ、吸収と同時に過剰な快楽を受けた結果となっただけだ』
(……そういう、ことだったのか……ありがとう、魔神……)
魔神からの説明を理解してくると、頭が冷えてくる。つまりは籠手を出現させる際の力が彼女へと流れ込み、それが強烈な快感となってしまったということだった。
意識を現実に戻すと、力の抜けたセルフィの声が聞こえてくる。頬擦りされながら聞くその声は、とても背徳的で、甘いものだった。
「はにゃぁ……♪ レオ君……あなた……♪ 私、幸せ……♪ たくさん…気持ち良くさせて貰っちゃったぁ……♪」
(…………どうしようか、この状況)
ただお楽しみをしてしまっただけのような結末。どうしようもないとはいえ、ここは自腹を切って、動けない彼女の看病を努めるのであった。
─────────
しばらくして
「えっと、あなた……じゃなかった。レオネス、話って?」
彼女が正気を取り戻してから、率直に本題へと移る。さすがに誤解されたままだと、街で出くわした際にとてつもない誤解を受けそうだったからだ。
「……セルフィ、君に伝えたいことがある」
「…!! はい、あなた♪ 私、準備は出来てます♪ 子供は、何人欲しいですか……?」
(……くそっ、言いづらい!!)
完全に自業自得だった。どうやら先ほどの魔神の力を使ったことは、こちらからたくさんの愛情を受けたと勝手に解釈されていたのだ。
ここで断ろうものなら、帝国でもごく稀にギルドに並ぶ、遊んでから捨てた男への復讐依頼のようになってしまうのだろうか……
「ぼ、僕は、その……」
「……うふふ、たくさん欲しいんですか? もう、欲張りさんなんですから♪」
「………………」
無言で、ただひたすらに集中して魔神の籠手を出現させる。おそらく、今までで最も素早く。
「あれ?あなた、それは……?」
「セルフィ、心して聞いてくれ。僕は……ふぐっ」
しかし、決死の告白をしようとした瞬間に顔を胸で抱きとめられる。そして、暖かく優しい声色で言葉を紡いできた。
「……あなたが何者であろうと私は構いません。私は生涯あなただけを愛し、そして……あなたさえ良ければ、永遠に愛されたいのです……♪」
(……………………………………………)
もしも、あの紙を普通に返却していたら。もしも、魔神の力を使わずにちゃんと言葉で説明していたら。
このような結果にはならなかったのだろうかと思いながら再び、静かに覚悟を決めるのだった……
──────────
極楽パブ『D.R』
受付にて
「というわけで皆さん、お世話になりました♪ 私、これからは夫と共に未来へと歩んでいきます♪」
「コトリ……! あんたならきっと幸せになれるよ。頑張んな!」
「コトリ嬢が大空へと旅立つか。ああ、祝福しよう。汝に幸あらんことを」
「わ、私も応援してます……! コトリお姉ちゃん、お幸せにね……!」
「じゃあな、コトリ。たまには顔出せよ、酒くらいはサービスするから」
「名受付魔が旅立つなんて……寂しくなっちまうねぇ。あんた、コトリのことを頼んだよ。必ず、幸せにしてやってな」
「は、はい。任せてください。必ず、幸せにしてみせます……」
セルフィのお店での名前はコトリらしく、男性の夜魔も含む他の従業員から祝福の言葉を送られる。
どうやら彼女のひたむきな思いは他の夜魔にも知れ渡っていたようで、その人気ぶりからして皆に好かれていた娘だったのだろう。
こうして、依頼を達成しながら……そしてセルフィをお持ち帰りしながら、お店の外へと出る。
「えっと、仲間が待ってる場所があるんだけど……その、時間は大丈夫かな……?」
「何を言ってるの、あなた? あなたが向かう場所なら、私はどこまでもお供いたします♪」
「…………そっか」
完全に言い訳することを諦め、皆が待つ『ほころび』へと帰るのだった……
──────────
オカマバー『ほころび』
店内にて
待ち合わせ時刻よりもだいぶ遅れてお店へとたどり着くと、二人で一緒に扉を開けて中へと入る。もちろん、その反応は驚きで固まるようなものだった。
「……えっと、今戻りました。遅くなってごめん」
「……レオ! もう、遅いわよ! 私心配で、しん、ぱいで…………」
「無事だったか、レオ、ネス……?」
「………おいてめぇ。その幸せオーラ全開かつ、美人でナイスバディなお姉さんは誰だ?」
「初めまして皆さん。私、セルフィと申します♪ レオネスの……夫の永遠の伴侶です♪」
「「……えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?!?!?」」
その衝撃的な告白に、全員が驚きの声を上げる。まさかの事態に、ママさんですら驚いていた。
「ふ……ふははははは!! おいおい、何をどうしたらそうなるのだ、レオ!! お主、そこまでプレイボーイだったか?」
「あら、あらら? でもあなたが向かったのは極楽パブ『D.R』よね? そ、そうなるとその、あなた……夜魔ってことになるわよねぇ!?」
「はい、その通りです。でもたくさん可愛がってもらって……種族の壁なんて、もう壊されちゃいました♪」
頬を赤く染めながらとんでも発言をするセルフィ。
しかしそのすぐ近くで、シャルが今まで見たことのないオーラを放ちながら佇んでいた。
「………………レオ?あなた…………」
「シャル、待って欲しい。これには深い深い事情があって」
「……お前は勘当だ!! 二度と俺の前に姿を表すんじゃねぇ!!」
「ジーノも待ってくれ! お願いだ、話を聞いてくれ!!」
「いやいや、まさかこんなことになるなんてねぇ。逆に夜魔を沈めてくるなんて、私にも予想出来なかったよ……」
こうして、夜のバーに響いた叫び声。既に夜更けだというのに、それはしばらく収まることはないのだった……
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