第11話

 宿泊施設の部屋は4つ。そのうち3部屋が埋まっている。対策室設立以来の盛況ぶりだ。

 万が一、翼を出して暴走しても、逃げられたり、周囲に被害を出さないために、スタッフがついていられない時はここの個室に隔離することになっている。


「3人とも静かにしています」

 入り口ホールで見張りについていたスタッフが、2人の顔を見るとホッとしたように報告してきた。

 ここへ保護されて暴れたり、逃亡を企てたりする者も今までいないのだが、何か起こったらどうしようかと、見張りに付くスタッフは皆不安を隠さない。


 一番奥の部屋が、今はサントーロ牧師にあてがわれている。

 須藤と隼也が入っていくと、牧師はベッドの脇に静かに立っていた。

 牧師の携帯端末は没収されている。室内にあるテレビを見ていた様子もなく、ただじっと考え事でもしていたらしい。


「狭くてすいませんが、このままここで、お話させてください」

 須藤はそう言って、牧師にベッドに座るよう促し、自分はデスクチェアに腰掛けた。

 隼也の座る場所はなく、入り口を塞ぐように立っているしかなかったが、牧師の逃亡を防ぐ意味でも、そこはベストポジションだった。


「最初に言っておかなきゃならないのは、あなたがウィンガーだと分かったのは、マリーが話したからじゃありません」

 須藤の言葉に牧師は目を見開き、隼也も驚いた。真っ先にそれを言ってしまうとは思わなかったのだ。

「彼女は、最初、あなたのことは黙っているつもりだったようですよ。あなたに預けていた物を見つけられたくなかったんでしょうね」

「じゃあ…どうして…?」

 マリーが話していなかったというのは、牧師にとっては全くの想定外らしい。

「我々はウィンガー保護の専門家ですからね。いろんな能力者がいるんですよ」

 須藤がそう言っても、まだピンとこないようだ。マリーと違い、ウィンガーに関する情報に精通している様子はない。


「そういう人もいるんですね。私は…見つかる運命だったですね。分かっていたはずなのに…なんとかならないかと…」

 シーカーと呼ばれる能力者のことを簡単に説明すると、牧師は心底驚いた。

 語尾がかすれ、うなだれる牧師に、須藤はタブレットの画面を差し出した。

「これは何か分かりますか?マリーがあなたの家に預けていった物ですが」

 映っているのはプラタミールの注射器だ。

「注射、ですね。麻薬…ですか?」

 不安そうに画面に目を凝らす。

「麻薬扱いの薬品ですが、いわゆるドラッグではありませんよ。プラタミールという麻酔薬、聞いたことはありませんか?」

 プラタミールよりも、麻酔薬という言葉で牧師は思い当たったようだ。

「翼を出す薬ですか。聞いたことはありますが…なんで、彼女はそんなもの…」

「本当にあなたは彼女が預けた物を見ていなかったんですか?この箱を入れていたロッカーには鍵はかけていなかったのでしょう?気にならないはずがない!」

 須藤が語気を強める。牧師は体を震わせた。

「知りたくなかったんです!本当に…。私は、翼をコントロール出来てます。何も知らなければ、このまま、静かに生活できると思ったんです!」

 思わず立ち上がろうとした牧師を、須藤はサッと腕を広げて制した。


 空中のきらめき。一瞬ののち、それは須藤の背中で純白の翼の形を成していた。

 サントーロ牧師が息を飲む。隼也も体を強張らせて、呼吸が早くなるのを感じていた。

 もう、これまで何度も目にしている須藤の翼なのに、不意打ちで見せられるといまだに圧倒される。


「あなたは…あなたも、ウィンガー…そう、ハンターですか…」

 牧師が渇いた声をもらした。ハンター、という言葉に須藤がピクリと眉を動かす。

「マリーに聞きました。隠れたウィンガーを狩るための組織がこの街にあって、その中にウィンガーも混ざっているから、気をつけなさいと…」

 須藤の翼はすぐに消えた。

 牧師はじっと須藤を見据えた。


「蓮を正しい道へ導けなかった。それ、私の罪です。いくら責められても仕方ありません。でも、あなたは私の国でウィンガーがどんな目に合っているか知らないでしょう?あなたは、この国で守られ、もしかしたら憧れの目でさえ見られている。私の国ではそんなことは、絶対にない!」

 牧師の顔からは表情が消え、暗い陰りだけがその皮膚を彩っていた。


 暗鬱な気分で隼也は2人のやり取りを見守っていた。最初から口を挟む気はないから、傍観者に徹していると不思議と冷めた目になっている自分に気付く。

 気分が落ち込んでいるのは、牧師に同情しているからではなく、その視野の狭さに苛立っているからだ。


 アイロウにより、ウィンガー対応の指針は出されているものの、国によってその対応に大きな差があるのは事実だ。その国によって教育や生活水準に差があるのと同じだ、と隼也は思っていた。

 己のおかれた環境を呪っても仕方ない。恵まれた環境を羨むより、自分のいる場所での最良を望めばそれでいいではないか。それが嫌で逃げ出すのは構わないが、そのために他人を、増して子どもを人身御供にするのは身勝手としか言いようがない。

 この男は聖職者には向いていない。隼也は心の中で断じた。


「彼女はプラタミールを南條蓮に使っていたんですよ。彼女の方は黙秘していますが、蓮は認めています」

 須藤はゆったりと足を組み直し、淡々と続けた。

「彼はまだ自分で翼を出すコントロールをできないようでね、翼を出してその身体能力を使いたい時は彼女がチクッと…」

 須藤が注射を打つ真似をする。

「この薬は副作用もあるんです。吐き気や頭痛、倦怠感はもちろんのこと、使用後、しばらく意識が朦朧としている間は自白剤の効果が得られる」

 牧師の瞳が揺れた。

「マリーは蓮から家庭の事情などもそうやって聞き出していました。日本人と結婚すればお金に不自由しないと思っていた母親が、言葉もわからない国で働かなければいけない現実にガッカリしていることとか、父親の浮気のこと、学校でいじめにあっていたこと、それで…」

 硬く塗り固められたような牧師の顔を須藤はじっと見つめた。

「家のお金を持ち出したり、万引きをしたりしていることも、マリーは知っていたんです。翼のこと以外にも弱味を握られた蓮は言われるままに窃盗グループに加わるしかなかったんですよ。子供をそこまで追い詰めてもまだ、関わりたくなかったから仕方ないと言えますか?」

 膝に置いた牧師の手が硬く握り締められていくのを隼也は見ていた。




 アイは緊張の面持ちでマリーの前に座っていた。

「女性に話聞く時には女性がいた方がいいから」

 そう須藤に言われたのはほんの数分前だ。あかりが他の仕事を抱えているらしく、かわりにアイが須藤、隼也と一緒に面会室に入ることになった。

「ただ座っていればいいよ」

 そうは言われたものの、一応メモを取る用にタブレットを持ってきてみた。


「あら、今度は若い子ね」

 マリーが、わざとらしい笑顔を向けてくる。アイはただ顔を強張らせた。

「さっき、ルイスさんと蓮くんを会わせました」

 須藤はマリーの様子はお構いなしに話し始めた。

「難しい年頃ですねぇ。牧師さんがウィンガーだと知って、蓮くん相当怒ってましたよ。彼なりに牧師さんのことを信頼していたのに、裏切られた気分なんでしょう」

 マリーは広角を上げて笑った。

「とうとう、告白したのね。あの弱虫」


 *****

 実際のところは『相当怒った』どころか、『ブチ切れた』と言った方がいい。

 翼を出した蓮が牧師に飛びかかり、牧師も翼を出して応戦するという、最悪の事態になった。しかし、止めようとする隼也を須藤は制した。

 宿泊施設内の蓮の部屋。中の備品に多少の被害が出ても、入り口さえ封じておけば壁を突き破って逃げ出すことなどできない。

 闇雲に暴れ回る蓮に対し、牧師の対応は鮮やかだった。コントロールできている、と自分で断言するだけはある。

 牧師は蓮を正面からしっかりと抱きしめた。

「ごめんなさい。すいません。もっと早く言わなきゃいけませんでした。君を、マリーに近づけてはいけなかった…」

 低く、呻き声を漏らしながら蓮は全身で呼吸していた。

 *****


「あの子、プラタミールで強制的に翼を出させられたり、いいように使われてたのに君のことは悪く言わないんだよね。ルイスさんよりよっぽど信頼されてる」

 須藤のフレンドリーな笑顔にマリーも同様の笑みを返す。

「そりゃあね、親切にしたもの、私。学校行きたくないなら行かなくていいこと教えて、お金もあげた。ゲームも買ってあげたわ」

「翼のことは、君以外に聞けなかっただろうしね。頼りにするしかないよなー」

 須藤は笑顔のまま、身を乗り出した。

「でもさ、君には利益があったのかな?そう、蓮を仲間にしてどうする気だったの?」

 マリーは笑顔のまま、首をすくめた。

「んー、ボランティア、ね。コントロールのやり方教えて、お金の稼ぎ方教える。仲間、紹介する。私もウィンガーだもの。孤独、恐怖、よく分かる」

「仲間って、あのろくでなしの連中…」

 思わずボソッとそう漏らした隼也は、したり顔のマリーと目が合って舌打ちした。

 アイは横目でチラチラと須藤と隼也を伺っている。


「そう思うなら、早く彼を登録させてほしかったな。翼のコントロールと同時に行政の方からのいろいろなケアも受けられたはずだ」

「へえ」

 マリーはパッと目を見開いた。

「そうなの。私、日本のシステムよくわからないから。親と離されて連れて行かれるの、かわいそうだと思ったのよ」

 隼也は思わず口を開きかけて、須藤に肩を叩かれた。

 マリーはそんな隼也に、艶っぽい眼差しを向けた。美人、とは言えない顔立ちなのに、男をドキリとさせるのに十分な色気はある。


「情熱的な人ね。じゃあ、その熱意に応えて教えるとね、キューピットクラスの天使って大した力ないの。私なんか翼があったって、足もそんなに早くならないし、力持ちにもならないし。車の運転は上手になるんだけどね。蓮も同じ。ああ、私より力は強くなるみたいだけど。…それなのに、ウィンガーだ、天使だって大騒ぎされちゃう。すごく…迷惑、なの」

 隼也の眉間に縦じわがよっているのを、敢えてまっすぐに見ながらマリーは続けた。

「でもね、キューピットクラスにもいいことあるのよ」

「翼を隠せる、か」

 須藤が口を挟む。

「あなた、頭いいのね」

 マリーはちょっと口を尖らせた。


 隼也は蓮を拘束した時のことを思い出した。

 ジャージの上着一つで覆い隠せる程度の翼。そういえば、マリーもショールのような物を持って歩いていた…

 翼を出した後に上着などで覆い隠してしまえば、周囲に知られずに活動することも可能なわけだ。

 ウィンガーとしては羨ましい話かもしれないが、一般的にはヒヤヒヤさせられる話だ。


「同じキューピットクラス同志。いろいろ教えてあげたいと思ったのよ」

 そう言うマリーの口調には、思わず納得したくなるような、真摯な響きがかんじられた。だが、

「ウィンガー同志の助け合い、ね」

 須藤の顔からは笑顔が消えている。

「君、他にもウィンガーを知ってるような話し方だね」

 マリーは笑顔を消さない。

 須藤は宙に目を向けた。

「前に保護したウィンガーの子…東南アジアの出身だったんだけど、隠れて日本に来てたんだよ。いろいろ理由はあったみたいだけど、日本を選んだのはウィンガーのコミュニティがあるって噂を聞いたから、らしい」

 アイと隼也が同時に須藤に視線を走らせる。真ん中に須藤が座っているから、お互いの顔は見えなかったが、2人とも須藤の言葉に衝撃を受けたのは分かった。 


「その子のお父さんが、現地で聞いた噂だって言うんだけど、全く、荒唐無稽だよ。あ、荒唐無稽って分かるかな」

 マリーにチラッと視線を向け、なんとなく通じていそうだと思ったのか、須藤はそのまま続ける。

「日本人のウィンガーも知らないような噂が海外で広まっているって、ねぇ。でも、君と話していると、そんなコミュニティの存在を感じちゃうんだよねー」

「それって、他にも隠れ天使を知ってたら売れ、っていうことね」

 まだ宙に視線を向けている須藤の首元を、マリーは凝視する。口元とは対照的にその目はもう笑っていなかった。

 ゆっくりと、須藤はマリーと正面から見つめ合った。


「ハンター。裏切り者のウィンガー」

 マリーは一音ずつ区切るように、ハッキリとそう言った。

「ウィンガーのコミュニティなんて私だって知らないわ。でも、おとなしく隠れているウィンガーを表に引きずり出すアンタたちが、ハンターって呼ばれているのは知ってるわよ」

 須藤が相好を崩す。

「僕は誰も裏切ってないんだけどなー。むしろ社会貢献して、ウィンガーがお役に立つことを証明しているつもりなんだけど。ハンターって呼び方も好きじゃないけど、まあ、仕事の性質上そう言われても仕方ない。ただ、あくまで狩るんじゃなく、保護だと言っておきたいね」

 マリーは鼻先で笑っただけだ。

「ああ、もしかして誤解してるかもしれないけど、シーカーは僕じゃないよ。日本政府もこの街の状態を危険視しててね。様々な能力者を派遣してきてるんだ」

 それも、少々正確さに欠ける言い方だけど、と思いつつアイは身を強張らせた。

 もしかしたら、実はそこにいる彼女が…なんて言い出すのかとも思ったが、須藤はアイの方は見ようともしなかった。

 ここで、アイが能力者だとマリーに明かす気はないようだ。


「シーカーもいる、となれば隠れ天使が見つかる可能性はずっと高くなる。君の知ってることがあるなら早めに教えて保護につなげてほしい」

 マリーは表情も変えず、ゆっくりと肘をついて首を振った。

「隠れている者同志がどうやって分かるの?知るはずないでしょ」

 コ、コン!と素早いノックの音がした。隼也が立って鍵を開けると、ほぼ同時にドアが開く。入って来たのは向田だった。

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