第10話

「やっぱり、彼女、しゃべりましたか…ここへ来ることになった時、きっとそうなんだと思いました」

 ルイス・サントーロは穏やかに話し始めた。須藤も向田も口を挟まずに、牧師の言葉を待った。


「アニタ…今はマリーと呼ばれていますか…久しぶりに会って、日本いると思いませんでしたから、私、ビックリしました。でも、私たち、何も言いません。翼のことは知らん振りです」

 ちょっと首をすくめて、ため息をつく。

「だけど…蓮のこと、知ったら…ウィンガーのこと、バラされたくないなら、蓮のこと、口出さないでと言って脅してきたんです。ウィンガーとして国に帰れば、私の家族、どうなるか分からないと言って。ー私のお父さん、お母さんはもう亡くなりましたが、ずっと面倒をみてくれたおじさんがいます。大事な友達も。でも、一番怖かったのは…そう、私が殺されることです。私は…死ぬことは怖くありません。だけど…」

 うまく言葉を繋げられず、牧師はシャツの袖口をいじりながら、目を伏せた。


「…昔、見ました。田舎の町で、ウィンガーがロープで縛られてて、沢山の人が叫んでいました。早く殺せって、みんな叫んでるんです。何人かの人が前に出て、銃で撃ちました。何発も、何発も…。撃ったのは家族の人たちだと後で聞きました。撃たれたウィンガーは何も言わないで…なにも、抵抗、しません。ただ、涙をこぼしてました…。あの光景を思い出すと…あんな姿になるのは嫌だと…」

 向田は居住まいを正した。

「あなたにも事情があるのは分かります。しかし、そのために子供を犯罪に巻き込むのは言語道断です。まして、あなたは聖職者じゃありませんか」

 向田の言葉に牧師はまっすぐ、顔を上げた。

「そう…私は、自分の恐怖心に負けました。そして、蓮をマリーに差し出したんです。許されないことです。蓮に…蓮に、会わせてください。あの子に謝らなければなりません。あの子の怒りも憎しみも、全て私、受け取らなければいけません」

 向田はじっと牧師を見返した。

「わかりました。ただし、その前にマリーのことを話してください。さっき、アニタと言いましたね。それが本名ですか?」


 30分後、隼也は警察関係者とともに、また教会の前にいた。だが、目的地は教会の裏にあるサントーロ牧師の自宅、正確には自宅敷地内にある物置だった。


 自宅の西側にあるその建物は、物置とはいっても小さな小屋、と言っていいくらいの大きさがあった。扉はカードキープラス、暗唱番号という、結構なガードの固さだ。

 カードキーは牧師から預かってきている。

 扉を開けると、中は綺麗に整頓されていた。


 私物よりは、教会のイベント等で使う品物が多いらしく、『調理器具』とか、『衣装』などと書かれた段ボールが積まれている。

 聞いてきた通り、入ってすぐ右手にスチール製のロッカーがあった。


『歪んでいて、引っ張ってもすぐには開きませんが、カギはかかってません。思い切りやれば開きます』

 牧師が言っていたように、ちょっと引っ張っただけでは扉は開かず、知らなければ鍵がかかっていると思うだろう。

 警察官の1人がロッカーの側面を押して、歪みを矯正する様にしながら扉を引くと、ガゴンっと大きな音を立てて開いた。


 三段に分かれた棚にはどれにも古びたボール箱や、何かの部品をまとめたビニール袋が押し込められている。

 一番上の棚の箱を退けると、その奥に比較的新しい箱があった。

 ボックスティッシュほどの大きさのオレンジ色の箱が2つ。持ってみるとそれなりの重みがあるが、それぞれ入っているものは違うようだった。


 マリーが保管しておいて欲しい、と頼んでいったという箱だ。牧師も中身は知らないと言っていたが、須藤や向田はマリーの素性に関わるものではないかと予想したようだ。

 その予想通り、一つ目の箱を開けるとパスポートが出てきた。ただし、5冊もある。


「これは、これは…」

 警察官の1人が呆れたようにもらした。

「007ばりだな」

 当然、偽造パスポートばかりだ。全て名前も国籍も違う。中には『エリナ・サイトウ』なる日本国籍のものすらあった。

 パスポートを開いてワイワイしている横で、隼也はもう一つの箱を開けた。


「…?」

 一瞬では何が入っているのかわからなかった。

 透明なプラスチックのケースが5個ほど入っている。箱の横幅ちょうどに収まっている平べったいケースを取り出して、ハッとした。

 滅菌パックされた注射器だ。なんらかの薬液が既に充填されており、パックを開けたらすぐ使えるようになっている。

 正規品として販売されている物なのか、全て英語表記だが、シリンジにはきちんとラベルが貼られてた。


「プラ…タ…プラタミール?!」

 ラベルを読んで思わず隼也は声を上げた。

「あの女、なんでこんな物…どっから手に入れたんだよ!」

 翼の強制発現に使用されるプラタミールは麻酔薬の一種で、当然医薬品。それも劇薬扱いだ。一般人が普通に買えるものではない。そもそも、ウィンガーであるマリーがどうして、翼を発現させるための薬品を持っているのか?

 パスポートに群がっていたメンバーも全員、こちらの箱を覗いていた。


「もしかして…」

 年配の私服警官が言った。

「あの子供に使ってたのかもしれんですな」

「子供?南條蓮、に?」

 首を傾げる隼也に警官は頷いた。

「あの女と南條蓮、いつも一緒に行動してたって、連中が証言してるんですよ。盗んだ物は最終的に南條に持たせて逃すんですが…1番足が速いからって理由で。リーダーの浪岡がそう決めたって言うんですが、女の方は逃走用の運転手なのに、車で待機しないで南條と一緒に待機してるのが普通だったそうですよ。浪岡もそれでいいって注意もしなかったらしいですわ」

「そうか…まだコントロールがきかなくて、必要な時に翼が出せない時はコイツを使うってことか…」

 隼也にも状況は読めてきた。


(あのガキ、都合よく使われてたわけだ)

 別に同情するわけでも、憐憫の情が湧くわけでもない。ただ、

(馬鹿なガキだな)

 と、思った。

 さっさとウィンガーです、と名乗り出て、保護されていればこんな騒ぎにもならなかったはずだ。

 ロッカーや、発見されたプラタミール入り注射器を撮影しながら盛り上がっている警察官を尻目に、隼也は外へ出た。何が見つかったか、早目に須藤に知らせた方がよさそうだ。


 向田の両脇には須藤とあかりが腰を下ろしていた。

 3人の前に座ったマリーは平然と足を組んでいる。

 サントーロ牧師を一旦別室へ待機させ、同じ面談室でマリーの聴取を始めるところだった。

 マリーはこの状況を面白がっているようだった。


「オー。3人もいるのね」

 入ってくるなり、そう呟いたのは、自分1人に3人ががりか、という意味らしい。

 須藤も向田も、一筋縄ではいかない女だと用心していた。

 牧師いわく、

『彼女に会ったのは5年近く前です。当時はアニタ・マルティネスと名乗っていました。たしか、20歳になったばかりだと言ってましたね…』

 その名前も偽名の可能性が高い、となれば年齢も信用はできないが、5年前で20歳なら、今は25歳前後ということだ。しかし、昨日とは打って変わって化粧を落としたその顔は30を越しているようにも見えた。

 黒い瞳が挑むような光をたたえて3人を見ている。用心のため、両手を繋いでいる手錠が時折、カタカタと鳴った。


「さて、お話の前にまずは本当の名前を教えてもらえませんかね」

 向田の言葉に、マリーはパッと目を見開き、笑った。

名前って何?私が自分のことだってわかれば、それが私の名前でいいじゃない?」

 向田はため息をついた。

「だ、か、ら。マリーって呼んでくれればいいのよ」

 妖艶な笑みを浮かべて、見つめてくるマリーに、向田は無言でタブレットの画面を差し出す。

 そこには、教会で押収されたパスポートの写真が表示されていた。

 マリーは笑顔は消したものの、さほど動揺した表情も見せず、ただ足を組み直した。


「あなたが、ルイス・サントーロさんに預けていた物ですよね?顔写真は全てあなたのものですが、5冊のどれにもマリーという名前はないんですよ。いや、この場合、5つも別々の名前のパスポートがある時点で大問題ですがね」

 マリーは答えず、ジロリと向田を見た。

「どうでしょう、ねぇ?この中に本当のお名前はあるんですか?」

 向田の口調はマジックの種明かしをねだる子供のようだが、じわじわと相手を追い詰める嫌らしさがある。

 須藤はこの場は向田に任せ、マリーが暴れた場合の警護役に徹することにしていた。

 この室長がそれなりの人物であることは知っていたが、実際こういう場に同席するとなるほどな、と聞いていた情報が実感として入ってくる。

 マリーが口を開こうとした瞬間、

「私のじゃない、なんて言わないでよ」

 向田は満面の笑みで、冗談めかして言った。マリーがグッと唇を噛み締めて黙り込む。

「これが見つかったってことは、他にも何が見つかったか、わかるでしょう?そちらに関してもいろいろ教えてもらいたいことがありますねえ」

 マリーの両手が固く握られていく。

 表情は変わらないが、須藤はマリーから目を離さず、背中に緊張を走らせていた。

 マリーの口角が上がる。微笑みではない。怒りと憎しみで引きつっているのだった。

「ーー」

 その口元から、ビブラートがかかったような、聴き慣れない言葉が漏れる。響きからしてポルトガル語か。

 その場にいた3人ともポルトガル語の知識はなかったものの、おそらく、聞くに耐えないような言葉であることは理解できた。

 マリーは肩で息をつくと、ダン!と大きな音を立てて前へ乗り出した。


「ルイス・サントーロはね、根性なしのふにゃふにゃ男よ!ああいうの、日本では"玉なし"って言うんでしょ?」

 あからさまに挑発するような物言いに、あかりが顔をしかめる。

 一応、記録係りということで、ノートパソコンでやりとりの記録を取っているのだが、面談室へ入って以降、あかりはマリーと目を合わせていない。女性同士だからこそ、強い反感を持つ相手なのだろう。


「ああ、もう、最悪だわ!何が神様の導きよ!うまく逃してやろうと思ってたのに、自分から出てきて喋っちゃうって!信じらんない!!」

 そこからまたひとしきり、ポルトガル語や英語混じりで悪態をつく。向田は罵詈雑言の流れが落ち着くのを待って、本題へ切り込んだ。

「さて、こうなったら、洗いざらい喋りませんか。あなたはどこの誰なんです?」


 対策室に戻る車の中で、隼也はマリーは何が目的であの少年たちと関わっていたのだろうと考えていた。

 少年グループのリーダー浪岡をはじめ、メンバーたちは運転の上手いマリーをグループに引き込んで、都合よく使っていると思っていたようだが、話を聞いた警察関係者の見立てでは、どうもマリーの方がうまくグループに潜り込んだ、と言った方がいいらしい。協力者を装って、好きなように彼らを動かしていた、というのが警察の見立てだ。

 だがそこには、ウィンガーで、しかも素性の分からない外国人を悪者に仕立てれば手っ取り早い、という思惑も感じ取れる。


 牧師の話では、マリーと出会ったのはアメリカにいた時で、学生の時はヨーロッパの方へ留学していた、と話していたという。

 5つもの偽造パスポートを所有し、マリーが世界各地を転々としていたことは確かだろう。

 そんな人間が、少年たちのお粗末な犯罪に手を貸して自滅するとは。

 彼らとつるんでいた理由としては金、というのが一番考えやすいが、スリや窃盗の稼ぎなどたかが知れている。

 牧師もマリーから金銭の要求はされていないと、話していた。


『私、大してお金ないの彼女は知ってました。マリーが要求したのは、彼女が蓮と接触することに口出ししないことです。知らん振りしてたら、私のことも知らないふりしておいてくれる、言いました。あと、保管しておいて欲しいものがあるから、物置を使わせて欲しいこと、頼まれましたね。何を置いて行ったのかは見てません。時々、荷物の持ってきたり、持っていったりしていたようです。…ええ、鍵は渡していました…』

 まったく、あの牧師ときたら、完全に犯罪幇助じゃないか。

 蓮の母親の通訳を依頼され、ついでに南條親子についても話を聞かせて欲しい、と言われた時、牧師はついにその時が来たのだと理解したという。

 ウィンガーであることを告白する時が来たのだと。

 隼也に言わせれば、『その時』はもっと早くてよかったはずだ。そしてそれにも関わらず、こちらから指摘されるまでウィンガーだと名乗り出なかったのは、あわよくばバレずに済むと思っていたからだろう。

 素直に調べに応じているからと言って、同情の余地はない。


 対策室へ戻ると、すぐに須藤がやってきた。押収してきた品物にはさして興味もないのか、警察関係者に任せている。

「一息入れようよ」

 隼也の顔を見るなりそう言って、給湯室へ有無を言わさず向かう。

 給湯室にはコーヒーメーカーが置いてある。とは言っても、豆は最低ランクのもので、大して美味いコーヒーが飲めるわけではない。

 慣れた手つきで隼也の分も須藤が入れてくれた。


「…お疲れですね」

 スティックシュガー2本とミルクも2個注ぎ、念入りにかき混ぜる須藤に隼也は思わず言った。

「まぁ、ねぇ」

 須藤は否定せず、壁に寄りかかって、コーヒーを口に運ぶ。その甘さに満足そうな吐息を漏らしたものの、彼の顔は冴えなかった。


「あの女は一回部屋に戻したよ」

 普段あまり聞かれない、須藤の苛立ちを含んだ口調に

(珍しく、てこずってるな)

 隼也は意地の悪い笑みが浮かびそうになるのをこらえた。

 部屋、というのは上の階の宿泊施設のことだ。

「なかなか、口割らなくてね。まずはパスポートにあった名前で出入国記録を検索してる」

 なにかそれで手掛かりが掴めれば良いのだが、どうも須藤はあまり期待していないようだった。

 お湯に苦味をつけただけのような液体を口に運びながら、首を回し、肩をほぐす。

 まあ、いくらかは"一息いれた"気分になれる。


「あの牧師さんは強制送還ですか?」

 須藤は頷いた。

 本人も翼を隠して国を出てきたことを認めているし、他の選択肢はないだろう。

 須藤はコーヒーを飲み干すと、カップをゴミ箱へ放り、めいっぱい、伸びをした。

「そうだね、まず、牧師さんと少年のほうを片付けておこうかな。桜木くん、」

 隼也に視線を向けた須藤の顔にはいつも通りの、ちょっと人をからかうような笑みが浮かんでいた。

「一緒に来てよ」

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