第9話
面談室へ向かおうとしていた向田を呼び止めた隼也は、手短に牧師がウィンガーであることを伝えた。
県内在住のウィンガーは、対策室で全員把握している。牧師はリストにない。
向田から柔和な笑顔が消え、口元が厳しい線で結ばれた。
驚いたとか、緊張が走ったとか言うより、なにかスイッチが入った感じ。それは隼也の背筋にも電流を走らせた。
(このオヤジさん、ただ者じゃないかも…)
どこかからの天下りか、人脈を持ってるだけの『名前だけ管理職』だろうと向田を見ていた隼也は、意外な念に打たれて、その横顔を見ていた。
「まずは、情報を集めなきゃなりませんね。須藤さんにはそっちを頼みましょう。事情聴取はとりあえず、私がやります」
情報処理室へ指示を与え、近くの備品庫からスタンガンを取り出す。
「マイケルクラス、となれば、このくらいの装備は、許してもらえるでしょう」
スタンガンを忍ばせた上着のふくらみをポンポン、とたたくと、向田は面談室へ向かった。
後から面談室へ入って来た向田室長に
「緊急の案件が出たから、情報処理室で話をきいてくれ」
と言われ、いささか不本意に思いつつ席を外した須藤は、すぐに隼也からサントーロ牧師がウィンガーである、との報告を受けた。
「なっ…」
さすがに息を飲んで言葉をなくした須藤に、隼也は密かにほくそ笑んだ。
須藤のこんな表情はなかなか見られるものではない。
そばにアイがいたことで、すぐに疑いようのない話であることは理解したらしい。
「一つの事件に3人のウィンガーとは…大収穫だな」
呟きながら髪をかきあげる須藤に、いつもの笑顔はなかった。
「今、牧師の経歴調べてます。教会に来てから3年くらいらしいですが、現在32歳。明らかに日本に来てからの発現じゃありませんよ」
隼也の確信に満ちた言い方に須藤も頷いた。
ウィンガーの好発年齢は10代。特に12歳から18歳までに極端に集中している。これまでの報告で発現者の最高年齢は22歳だ。
日本国籍でない上に、ウィンガーであることを隠して来日し、仕事までしていたとなれば強制送還は免れない。
視線を落として一呼吸置いた須藤は、気を取り直したように、顔を上げた。状況確認と指示出しを始める。
「マリーとあの親子の関係は何かわかってる?あの牧師さんとの関係も調べてみて。昨日捕まえた少年たちにも、教会のことを聞いてもらうように伝えて。それからー」
須藤は隼也の方を見た。
「先生に連絡しておいて。Pテストが必要になるかもしれない」
翼が発現した状態のウィンガーには通常の鎮静剤や麻酔薬は効きにくく、作用するまで時間がかかる。
麻酔薬の一種であるプラタミールは興奮状態のウィンガーに対する鎮静剤として開発されたのだが、治験の段階ではその効果は従来の薬剤と変わらず、開発は失敗かと思われた。だがその後、プラタミール投与により強制的に翼を発現させられることが明らかになった。
ウィンガーの疑いがあるにもかかわらず、それを認めない"隠れ天使"や、ウィンガーとして保護されたものの、自分の意思で翼を出すことができない者に関してはプラタミールを投与することにより、翼の確認を行うことができるようになったのだ。
ただ、副作用もある。
「マリーの方にも話聞きますか?」
隼也の問いに、須藤は少し考えて首を振った。
*****
昨日、対策室に保護されてからも、マリーは自分がウィンガーだと認めようとしなかった。
ああ言えば、こう言う。のらりくらりと追求をかわし、
「ワタシ、楽しいコト好きね。イベント、楽しいだから行ったのに、無理矢理ここにつれてこられた。悲しい」
目を潤ませて見せたりする。
すらりと背が高く、形のいいバストを胸元の大きく開いた服で強調しているかのようなマリーだが、決して美人とは言えない。だが、喜怒哀楽をはっきりと映し出すその顔立ちは印象的で、人目を引く魅力があった。
そして、本人がそれを十分理解している。
ウルウルとした黒い瞳に見つめられ、対応した中年の職員は明らかに狼狽えた。
だが、そんなマリーが、「Pテスト」と聞くと顔色を変えた。
状況を見た須藤が担当を替わってすぐだ。
たちまち憎々しげにこちらを睨みつけるマリーの顔は醜悪と言ってもよかった。
「Pテストが何か知っているみたいだね。普通一般の人はほとんど知らない名前だけどねぇ」
須藤のわざとらしい笑顔から、マリーは顔を背けて舌打ちした。
「その感じだと、副作用についても聞いてるかな。自白剤としての効果もあるのは本当だよ」
マリーは目をぎらつかせながら身を乗り出した。
「薬使うんだったら、相応の理由がないとダメなはずよ!それともなに、外国人は関係ないわけ?」
さっきまでの辿々しい口調は、すっかりなりを潜めている。
「相応の理由はあるよ」
須藤も机に肘をついてマリーの方へ乗り出した。
「理由はあるから、プラタミール使用は認められる。君がキューピットクラスのウィンガーだという確証があるんだよ」
しばし、2人は黙って相手の出方を伺っていたが、すぐにマリーはふてくされたように、鼻先で笑って、背もたれに寄りかかった。
「もしかして、シーカーってやつ?ー最悪だわ」
マリーの顔が凄みのある笑みを刻んだ。
光の粒子が集まっていく。程なくしてそれはマリーの背中に小さな翼を形作った。
「これでいいんでしょ」
腕組みをして須藤を見据える。笑みを浮かべたままのマリーには観念した様子も悲壮感もなかった…
*****
「彼女から情報を引き出そうとすると、こっちが振り回される可能性が高い。未だに素性も分からない女だからね。むしろ、牧師さんの方から情報を引き出したい」
いつもの軽さのない須藤の言葉に、隼也も表情を引き締めた。
Pテスト、ウィンガーのクラスの名前、シーカーの存在。
ウィンガーや、それに関わる人間でなければあまり知らない話を、マリーは当然のように知っていた。
ただの隠れ天使じゃない。トレーニングセンターに送ればいいだけのウィンガーではない。気を抜いて関わってはダメだ。
昨日の事情聴取、翼の確認の後で珍しく厳しい顔付きで須藤はそう言った。
隼也も話を聞いて、"食えない女"だとは思っていた。
蓮の母親との話は、サントーロ牧師が同席してくれたことで、昨日とは打って変わって穏やかに進んでいた。
(かなり、精神的にやられているな)
対策室室長の向田は、母親に対してまずそう思った。
言葉の問題うんぬんよりも牧師がいてくれることで、母親は落ち着いていられるようだ。時折、返答に迷うのか懇願するような目差しを牧師に向ける。
サントーロ牧師が励ますように一言二言声をかけると、頷いて話し出す。
しばらく話すと、この場にも慣れてきたのか、昨日までは見られなかった笑顔も時折のぞいた。
「つまり、牧師さんは蓮くんの翼のことを相談されて、ご存知だったんですね。だが、お母さんに頼まれて黙っていた、と。お母さんの方は、知り合いの女性にウィンガーは生まれた国に強制的に帰されると聞いて、信じていた。帰れば強制収容されて二度と会えなくなると」
向田は聞き取った内容をまとめると、何度か繰り返しながら確認をとった。
国によってはウィンガーが"保護"や"研究協力"の名の下に監禁されたり、人体実験に参加させられることは珍しくない。
だが、蓮の場合日本に国籍があり、日本国内でトレーニングを受けることは確定している。
「すみませんでした。だけど、私は彼女の告白を懺悔だと思いました。他の人に話すことはできません」
神妙に頭を下げながらも、サントーロ牧師は毅然と言い切った。
母親はそこでいささか興奮した口調になり、牧師と向田を見比べながら必死に訴えた。
「その女性は自分はウィンガーのトレーニングに関わったことがあるから、息子を任せなさいと言いました。私に頼まないなら、アイロウに登録しなきゃダメだと言われて、そうしたら国に帰されるんだと言われました。彼女は私たちを騙して蓮に悪いことさせていたのだ、と言ってます」
母親の言葉を通訳してから、牧師は肩を落とした。
「私たちの話、マリーはこっそり聞いていました。お母さんを訪ねて、脅したんです。彼女はー悪魔の声に耳を傾けていたんです」
牧師はマリーが蓮に関わっていたことは知らなかったという。時々、教会に出入りする信者の1人だとしか思っていなかったと。
「そうすると、蓮くんは無理矢理、盗みの手伝いをさせられていたということですか?」
ここへ連れられてきてからの、蓮のふてぶてしい態度は向田も見ている。
最初は無理矢理仲間に引き込まれたにせよ、現在それを反省している様子は見られない。
牧師の通訳を聞きながら、母親は何度も頷いた。
「蓮はネ、悪いコト、シナイ」
それから、大きな身振りで何か言った。マリー、という単語が聞き取れたから、悪いのはマリーだと主張しているのだろうと、向田にも想像はついた。
「自分がウィンガーのこと、隠して蓮のこと利用したのが許せない。ーひどい女性です」
牧師が通訳しながら、ちょっと眉間にシワを寄せ、言葉を選んだところを見ると、実際は相当ひどい言葉が発せられているらしい。
「あなたも、マリーがウィンガーだとは気付きませんでしたか?」
自分に向けられた問いに、牧師は静かに首を振った。
どこまで本当だろう?お互いが隠れ天使同士ならば、相手がウィンガーだと知らないことはあり得る。
逆にお互いがウィンガーだと知っていればー?そこには仲間意識が働くのではないだろうか?だとしたら、この牧師は仲間であるマリーを取り戻しにここへ乗り込んできた可能性もある。
向田は話をしながら、用心深く牧師を観察していた。
母親はその様子からして、牧師もウィンガーだとは気付いていないと思われる…
面談に入ってから、30分は経っただろう。ノックの音がし、須藤が現れた。
「蓮くんの方も一段落しました。お母さんに会っていただきますか?」
「ああ、そうだね。ーお母さん、息子さんに会いに行きましょう」
向田の言葉を牧師が伝えると、母親の顔色が明るくなった。
母親と一緒に立ち上がった牧師を須藤が制する。
「ポルトガル語のできるスタッフが今、きましたので。サントーロさんはこちらで、もう少し、お話を聞かせてください」
牧師は一瞬、躊躇したが静かに座り直した。母親も心配そうに振り返ったものの、スタッフがポルトガル語で声をかけるとほっとした表情で部屋を出て行った。
「あなたが蓮くんのことを黙っていたのは、お母さんの意志を尊重してのこととは思います。でも、そのために一番危険な状況にいたのは蓮くんですよ」
かいつまんで今までの話を向田から聞いた須藤は、まずそう言った。
面談室の会話は、情報処理室で聞いていたが、指示を出したり、情報を整理しながらだから途切れ途切れだ。
牧師の黒い瞳は伏せられ、テーブルの角を見つめていた。
「蓮くんの付き合っていた仲間を知っていますか。彼の翼の能力を利用して、盗みの手伝いをさせていました。盗んだ財布や品物を仲間の間で受け渡し、一番すばしっこい彼が最終走者になって逃げるんです。時にはビルからビルに飛び移ったり、かなり危なっかしいマネをしながらね。コントロールもできていない状態で、今までよく捕まらなかったものです。まあ、捕まったら全て蓮くんに罪をなすりつけるつもりだったそうですよ」
それは昨日、今日の少年たちの聴取で明らかになったことだった。
牧師は黙り込んでいる。黙秘、というより何かを待っている感じだった。
その様子を見ながら、須藤はちらりと向田を伺った。向田は黙って頷く。須藤に対処を任せるということだろう。
「マリーと名乗っている女性ですがね、あなたはもっと彼女のことを知っているのではありませんか?」
牧師の顔が上がる。須藤はその黒い瞳をじっと見返した。
「できれば自分からお話しいただきたいんですがねー未登録のウィンガー同志の協力関係を」
牧師はぐっと唇をかみしめた。だが、うろたえる様子も怯えた様子もない。
ただ、天井をしばらく見つめて、それから気が抜けたように背もたれに寄り掛かった。自嘲気味の笑みが口元に広がっていく。
背もたれから少し体を起こしたサントーロ牧師はゆっくり目を閉じた。その背中に光の粒子が集まり始める…
「…撮影、しているのでしょう?」
数秒後、目を開いた牧師は、天井にはめ込まれた、握り拳大の黒い球体を指差しながらそう言った。背中に生えた白い羽は、須藤の翼と遜色ないほどの大きさだった。
「ご協力、いただけるようですね」
向田がそう言うと、背中の羽はすぐに溶けるように消えた。
「疲れました」
ゆっくりと、また背もたれに寄りかかり、サントーロ牧師はそう言って静かに微笑んだ。
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