第12話

 普段はこんな忙しない登場の仕方をする人物でないだけに、マリー以外の3人全員が向田を注視した。

 その表情もいつもと異なり、厳しく、同時に少し苛立った様子が感じられる。


「アニタ・マルティネス、あなたをこれから東京へ移送します」

 向田は職員たちには目もくれず、まずマリーに向かって真っ直ぐにそう言った。


「アニタって誰よ!」

 マリーの顔から笑みが消え、目が見開かれる。唇が歪んだ。

「これからって…今これからですか?」

 さすがに須藤が立ち上がって、口を挟む。

「アニタ・マルティネスの名前でアメリカのアイロウに情報照会をしたんだ。未登録者なら情報もあるはず無いんだが、念のためにね。そしたら、なんとFBIから連絡が入った」

 向田はマリーから視線を外さずに続けた。

「あなたは7年前にフロリダで起きたテロ事件の重要参考人ですね。更に、2件の殺人容疑で指名手配されている」


 職員3人はあまりのことに声も出せず、身動きもできなかった。

「あの…まぬけ男!何もかもヘラヘラ喋ったね!大バカ!クズ!」

 マリーの声は次第に高くなり、金切り声になって狭い室内に響き渡った。すぐにポルトガル語と英語がごちゃ混ぜになった喚き声は、ひどく聞き苦しく、不愉快な空気を引っ掻き回した。


 ダン!と拳で机を叩き、ギラギラした眼差しで立ち上がったマリーの背中に光の粒子が見えたが

「無駄だよ」

 マリーと同時に立ち上がった須藤の背中にはすでに純白の翼がある。

 隼也は心持ち椅子を引き、いつでも立ち上がれるよう身構えたが、目の端に止まったアイの顔はうっとりと、須藤の翼に惹きつけられているようだった。


 マリーはこれ以上ないであろう憎悪の表情で須藤を睨みつけたが、翼は現れなかった。

「我々の仕事はウィンガーの保護ですがね、人を傷つけたり、増して殺人まで犯している人間をウィンガーだからという理由だけで守ることはしません。アメリカで、ふさわしい裁きを受けなさい」

 向田の言葉は静かだったが、断固たる響きがあった。


 マリーは崩れるように椅子に座った。だがまだ、目に憎悪の色は消えない。

「何がウィンガーの保護よ!あんたたちは、ウィンガーのことなんか、なにも知らない!」


「…殺人…?」

 向田と須藤からマリーがアメリカへ送られることを聞いた蓮の反応は、あまりはっきりしたものではなかった。

 牧師がウィンガーだったと聞いてひと暴れした後の蓮の部屋は、机や椅子が倒されたままになっている。見境なく翼の力を使い、反動で疲労感に襲われるのは、翼が発現したばかりのウィンガーによくあることだ。


 あれから2時間近く経つが、まだぼんやりした目つきの蓮はペットボトルのコーラをあおるように飲み、派手にゲップを出す。刺激で少しスッキリしたのか、

「FBIとかって、マジ?あんたら、騙されたんじゃねえの?」

 馬鹿にしたように2人に笑ってみせる。だが、無理をしているのは見え見えだ。


「君の翼を出すために使っていた麻酔薬の入手経路も分からないまま、アメリカへ送るのは、正直我々としては不本意だ。君は知らないことが多いがために、彼女に利用された。その点では被害者だし、彼女は君に説明する必要があるんだが…」

「マリーは、説明してくれたよ!オレの話をちゃんと聞いてくれたし、ウィンガーのこともいろいろ教えてくれた!」

「それが正しい知識だってなんで分かる?」

 須藤が一歩前に出る。

「そんなこと…ウィンガー同志なのに、嘘ついたって仕方ねえだろ…」

「じゃあ、翼を出すために注射する時、なんて言われた?」

「は?」

 向田も須藤も穏やかに蓮を見ていた。出来るだけ多感な少年を刺激しないよう、そこら辺の対応は打ち合わせるでもなく、2人とも心得ている。


「プラタミールは麻酔薬の一種だよ。副作用で吐き気や頭痛が出ることは聞いた?」

 頷きながら、蓮の瞳が揺れた。

「自白剤としての効果もあることは?」

 明らかに動揺が見られた。

「薬を使った後、しばらく朦朧とした状態になったでしょ。あの時に質問すると、結構いろいろ聞き出せちゃうんだよ。もちろん、本人は後からなんで喋ったか後悔することになる」

 蓮は立ち上がり、狭い部屋の中をウロウロした。何か思い出すことがあるのか、時折髪を掻きむしり荒い呼吸を漏らす。


「…訓練でも使ってるって…そのうち慣れて、気持ち悪いのとかもなくなる…し…翼…翼は出して、力使った方がコントロールしやすくなるって言ったんだ…せっかくだから、スリルのある面白いことしよう…って…」

 向田も須藤も黙っていた。二人を交互に見つめながら、蓮はどうしたらいいのか混乱していくようだった。

「だって、知るはずないだろ!人殺してるなんて!オレにどうしろっていうんだよ!」


 突如、蓮は絶叫した。

 床にうずくまった小さな体が、ワナワナと震える。

「バカにすんな!バカにすんなぁぁ!!みんなで騙しやがってぇぇ…!!」

 須藤は向田を見て、静かに首を振った。

「これ以上、何か聞くのは無理ですよ」

 向田も頷く。


「南條くん、必要なものがあったら言ってくれ。また、明日話をしよう」

 ドアに向かった向田の背に向かって、黒い物体が飛んだ。が、それはパン!と軽い音と共に、須藤の左手に吸い込まれていた。

 内線用電話の受話器だ。コードレスではないのだが、そのコードは根元近くから引きちぎられている。

 向田は後ろにチラッと視線を走らせただけで、何事もなかったように、部屋から出て行った。

 須藤は受話器を足元に放った。

「好きなだけ、暴れるといい。少々、部屋が傷んでも気にしなくていいから。ただ、自分の体は傷つけちゃダメだよ。一応、監視カメラは作動させておくから」

 荒い呼吸だけを繰り返し、蓮は黙ったまま、顔を上げない。

 須藤も静かに部屋を出た。


「お疲れ様です」

 エル・プロジェクトのオフィスに戻ると、アイがそう言って立ち上がった。

 パソコンの画面には、『未登録ウィンガー対応事例』が出されている。

 研修で使われた資料を見直していたらしい。


「熱心だね」

 須藤が微笑むと、アイはちょっと顔を赤らめた。あかりからは

「もう、帰っても大丈夫よ。休日出勤なんだし」

 とは言われたものの、須藤に挨拶もなしに帰るのも気が引けて、とりあえず開いていた画面だったのだ。

「あー、疲れたぁ」

 そう言って背伸びをする須藤は、アイの目にも本当に疲れているように見えた。

「あの…お茶か、コーヒーでも入れましょうか?」

 普段、家でもお茶などあまり入れたことはないが、

「ありがとう。コーヒーがいいな」

 屈託なく須藤にそう言われたので、部屋の隅のポットに向かった。

 インスタントコーヒーも、自分ではあまり飲んだことがないから、どのくらい粉を入れたらいいのか、勘に頼るしかない。

 どうにか、普段母親が飲んでいるコーヒーと同じ色合いになった液体を、恐る恐る須藤に差し出した。ミルクとスティックシュガーはそばにそっと置いてみる。


「サンキュ。アイさんも疲れたでしょ。結局、1日勤務になっちゃったね」

「あ、いえ、なんか…仕事増やしてしまって…」

 須藤はケラケラ笑った。

「なに、言ってんの。おかげで隠れ天使発見できたのに」

「そう…なんですけど…あの牧師さん、恨んでるでしょうね」

 アイの複雑な表情に、須藤は笑顔のまま眉を潜める。

「そう思う?ホントに?ーまぁ、間違ってないけど、それを気にしてしまうのはちょっと…甘いな」

 軽い口調の中に真摯な響きがあった。

「あの牧師さんが身を守るために結局、中学生の男の子が巻き込まれた。あの子はあのままなら、窃盗の手伝いどころか、人に危害を加える恐れもあった。だいぶ不安定な状態だからね。あのマリーって呼ばれている女性は牧師さんの弱みにつけ込んで、この先何をしでかしたか分からない。なにせ、テロの片棒担いで、殺人容疑で指名手配されてるウィンガーだよ」

 須藤はそこで両手を広げてため息をついた。

「ここで保護しておかなきゃ、更にいろんな事件に繋がったかもしれないんだ。アイさんはそれを防ぐのに貢献したんだよ。恨まれるのを気にしちゃダメ。後の利益を考えれば、そんなの気にする価値もないんだから」

 まっすぐアイを見つめた瞳が、優しく笑う。

「でしょ?」

 無邪気に小首を傾げてそう言われると、つられてアイも笑っていた。なんとなく、心にわだかまっていたものが溶けていく。


 南條蓮は翌日にトレーニングセンターに送致、マリーはアメリカへ引き渡し。サントーロ牧師は明後日に母国へ強制送還と対応が決まったと聞き、アイはホッとした。

 窃盗事件などの取り調べはあるものの、そちらは警察の担当だし、未登録ウィンガー対策室の仕事は一段落というわけだ。


「というわけで、各々を送り出せば、我々の任務は終了。空港とかトレーニングセンターに送る時に付き添わなきゃならないこともあるけど、そこは男性陣の仕事だから。今日はもう、帰って大丈夫だよ。あ、休日出勤の手当の申請ちゃんとしてね」

 笑顔の須藤に見送られ、部屋を出ると急に疲れが襲ってきた。

 仕事を離れると、兄のことが潜伏していたウイルスのように体を満たしてくる。

 母から何も連絡が入らないということは、海人からの連絡もないということだ。

 苛立ちと不安が、一歩毎に増していく。

 思い足取りでアイは考え続けた。

 何か、何か自分にできることはないのか…




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