第7話

「これ、昨日保護した2人のプロフィールね」

 言われるままに。アイは画面をスクロールして読んでいく。


「14 歳…中学生なんですね」

 まず生年月日の欄を見て、アイは呟くように言った。

 小柄だし、なんとなく雰囲気も子供っぽくて、てっきり小学生だと思っていた。


「そうなんだよね〜まあ、小学生でも中学生でも変わらないんだけど、特に未成年者を保護する場合は気をつけなきゃないことがあります」

 脇に立った須藤が後ろ手に手を組んで、アイを見下ろす。

「なんでしょう?」

 にっこり微笑まれて、アイはドキドキした。


(なんだっけ?研修で教わったことだ…)

 グルグルと記憶を引っ掻き回す。

「え…えと、親…保護者を…出来るだけ立ち合わせること…?」

 アベがこちらをチラ見しながら小さく頷いている。

「正解。もちろん周囲に危害を及ぼしそうな緊急事態は別だけど」

 須藤はそう言いながら、画面の一部を指さした。


 両親は喫茶店を経営、と書かれ、店の名前と住所がある。場所は昨日訪れた公園からそう遠くない。

「というわけで、ぼくはあの少年の両親に同行してもらうために、ここへ向かいました、と。警察に頼んだ方が確実だったんだけど、両親が彼の翼のこと知ってるのか、不意打ちで確認したくてね」

 未登録翼保有者対策室の身分証は常に携帯を義務づけられているが、警察手帳などと違って一般には周知されていない。

 対策室の人間だ、アイロウの職員だと言ったところでまずは怪しまれるのが普通だ。

 蓮の父親に会った須藤は、近くの警察署に確認するよう促したが、それでも不審そうな様子は消えなかった。


「仕方ないから、最後の手段。翼を見せたんだ。腰抜かしそうなくらい、びっくりしてたな〜」

 少々、不謹慎な笑みを浮かべて須藤は笑う。アイにもその様子は想像ができた。


 *****

 喫茶店二階の小さな部屋は荷物で雑然としていた。

 青ざめた蓮の父親が落ち着きを取り戻すのを待って、須藤は改めて事情を説明した。

 50歳近いだろうか。喫茶店のマスターらしく、こざっぱりとした装いだが、まあ、よくいる中年男性だ。

 この父親は蓮の翼のことは何も知らないな、とこの時点で須藤は判断した。


「蓮くんに最近変わったことは?」

 父親は黙って首を振った。だが、どうも歯切れが悪い。

「その…蓮には…1週間以上、会ってなくて。年頃の子供ですから、父親になんか何も話しませんよ…」

 視線を背けた父親。須藤は眉間にシワを寄せた。

「奥様は今、どちらに?ご自宅ですか?」

 両親で経営しているというから、店にいるかと思ったのだが、店にいたのは父親と従業員らしい、若い女性だけだ。

「多分…いや、教会かもしれません」

「…教会?」

 父親は深いため息をついた。

「そこのイベントの手伝いとか、ボランティア活動に入り浸ってるんです」

「連絡つきますか?」

 父親はまた、黙って首をふる。

「できればご両親揃って来ていただいた方がいいんですが」

「妻は電話、持ってませんし…ああ、教会に連絡すれば…」

 須藤の前で父親はそばにあったパソコンで、教会の名前を検索し始めた。番号も知らないのかと、呆れてしまう。


 電話はつながったものの、妻は県外のボランティア活動に同行しているとのことだった。夕方には戻る予定だと言うので、帰ったらすぐ連絡するよう、伝言を頼み、須藤は父親だけ連れて現場へ向かうことにした。


 父親はまだ息子がウィンガーだということに半信半疑らしく、緊張も相まってどうしたらいいのか分からないようだった。

 後部座席でソワソワしている父親に、須藤はとりあえず世間話でもして落ち着かせようとした。

「奥様は南米の出身だとか」

「え、ええ。向こうで知り合いました。10年前に私の父親が急に亡くなって、こっちに戻ってきたんです」

 一度話し始めると、父親は自分から家庭の事情まで話し始めた。


「今の店、もともとは親父が洋食屋をやってたんですが、私は料理の勉強もしてませんからね。ただ、向こうでコーヒー豆の仲買いをやってる人と知り合いになって、少しコーヒーの知識も身につけてたんで。喫茶店ならできるんじゃないかと、始めたんです。妻も向こうでレストランに勤めてて、ある程度のことはできるんじゃないかと…思ったんですがね…」

 父親はそこで深いため息をついた。

「蓮はすぐに幼稚園にも馴染んで、日本語も覚えたんですが、彼女は全然ダメで。いや、もう、覚える気がないんですよ。注文も取れない、レジすらまともに打てない。結局、店は私と母で切り盛りして、家のことを任せるようになったんですが、買い物すら怖がって外にあまり出なくなりました」

「言葉の問題は大変でしょうね。お家では英語ですか?」

 須藤の仕方なしの相槌に気がつく様子もなく、父親は続けた。

「彼女はポルトガル語だけです。うちの母の方が言葉を覚えて、コミュニケーションとってましたよ。今行っている教会を彼女に教えたのも母なんです。牧師さんが同じ国の出身らしいって聞いて、話を聞いてもらえるんじゃないかってね。私も2度ほどしか会ってませんが、人当たりの良い牧師さんで…信者さんにも同じ国の人がいて、妻は喜んで通うようになって…」

 ミラー越しに見る父親の顔には憔悴の色が浮かんでいた。

「母が去年亡くなってーまあ、その前に母が入院した時から、妻には店の手伝いをしてくれるように頼んでいたんですが。教会に行くようになって、外にもよく出歩くようになりましたからね…でも結局、できない、わからないの繰り返しですよ。仕方ないから女の子を1人雇うしかありませんでした」

 段々と父親の語りは独り言のようになっていく。平静を装っているが、だいぶ混乱しているな、と須藤は判断した。

 それにしても妻に対してだいぶ不満が溜まっているようだ。息子がウィンガーとして保護されるというのに、蓮の話は出てこない。


「蓮くん、成績はいいようですね。最近、あまり学校に行ってないと聞きたんですが…」

 父親の話が途切れたところで、須藤は聞いてみた。父親の目が動揺の色を映す。

「あ…ああ、そう…のようです。私は…その、この頃忙しくて…あまり家に戻っていなくて…1週間以上会ってないんですが…」

 昼下がりとはいえ、休日にもかかわらず、閑散とした店内を須藤は思い出していた。

 それに、いくら忙しいからといって家にも戻れないほど、ということはないだろう。

 ミラー越しの須藤の表情に気付いたのか、居心地悪そうにシートベルトを触っていた父親だが、少しの沈黙の後ボソボソと続けた。

「実のところ…別居状態なんですよ…三ヶ月前くらいから。彼女には、国に帰った方がいいと伝えました。蓮も連れて行っていいから、と…彼女もそうする気だったはずなんですが、その後すぐに帰らない、離婚しないとゴネ始めて」

 そこでハッとしたように、身を乗り出した。

「もしかして、蓮がその…羽を持ってしまったことと関係してるんでしょうかね?」

「ご家庭の事情はよく分かりませんが…もし、そうだとすると奥様は蓮くんの翼のこと、知っているということですね?」

 父親は口ごもった。

「それは…そうだと何か罪になるんでしょうか」

 須藤は静かに首を振った。

「ウィンガーだと確認されたら速やかに届け出ることは義務付けされていますが、黙っていたり、ウィンガーの存在を知っていて周囲が隠しても罰則はありません。ただ、それにより周囲に危害や損害を与えた場合は非難を受けるでしょうね」

 やっと、父親の頭が息子の心配に到ったらしい。顔を強張らせ、背筋を伸ばした。

「蓮は…蓮、何かしたんでしょうか?」

 もっと早くその質問をして欲しかったな、と須藤は胸の内で呟いた。

「彼がどういう友達と付き合っているかご存知ですか?友達と言っていいかどうか分からない連中ですが」

 須藤の予想通り、父親は首を振った。

「いわゆる、不良グループというよりは、はっきり窃盗団と言った方が正しいでしょうね。ウィンガーとしての能力を犯罪に使わされていた可能性があります」

 父親は唇をかみしめた。

 *****


「犯罪に関わっている可能性があるって伝えたら、しばらく黙り込んじゃってね。で、ポートメッセに着いたら今度は急にウィンガーの能力を悪用されているって、具体的に何をやらされているんだとか、ウィンガーはどの程度のことができるんだとか、矢継ぎ早に質問が始まって。緊張すると喋らずにいられないタイプの人っているんだよ」

 須藤の飄々とした話し方にアイはつい笑いそうになったが、ここは笑うところではなかろうと、口元を引き締めた。

 パソコン画面を見るフリをしながら、アベがこちらにガッチリ聞き耳をたてているのも、なんだかおかしい。


「車から降りたら、もうお父さん、足が震えてまともに歩けなくてね…警察の人に頼んで、ぼくは現場の方に向かったんだけど、行ったらなんだかすでに怪しげな状況でさ…」

 そこから先の話はアイも、あかりからだいたい聞いている。


 *****

 彼らの狙いは防犯用のカラーボールを破裂させ、塗料と匂いでパニックを起こすことだった。

 メイン会場の方では、リーダーと数人の仲間がライブ会場と同時に騒ぎを起こそうと待機していたが、すでに警察にマークされており、全員が捕まった。ただ、何個かボールが破裂させられたらしく、会場内は鼻をつく刺激臭で満たされ、とてもイベントを継続できる状態ではなかった。


 蓮の父親は息子が取り押さえられる様子も、その翼が現れた瞬間も見ていた。

 両腕を左右から屈強な男たちに掴まれて引きずられるように自分のそばに来た蓮に、父親は後ずさった。

「だ、だめじゃ…な、な、ないか…み、みんな…皆さんが…皆さんに、め、迷惑、が…」

 上ずった声で、なんとか父親らしいことを言おうとしているのだが、完全に腰が引けている。

 茫然としていた蓮の目に、光が戻った。そばに付いていた須藤は、すぐに危険な空気を察した。

「馬鹿じゃね?子供相手に何、びびってんだよ」

 小柄な体に似合わない、低く、大人びた声。目には怒りと嘲りの色があった。

「落ち着いて。車に乗ってくれる?」

「嫌に決まってんだろ」

 穏やかに声をかけた須藤にも、すごんで見せる。

 ウィンガーだと分かっているだけに、周りにいる警察官も一瞬たじろいだ。

「力ずくでやってみれば?もう一回、噛み付いてやろうか」

 口元を歪めて笑う。

 父親が、ひいひいと喉を鳴らしながら呼吸しているのに気づくと、蓮はのけぞって、ゲラゲラ笑い出した。

「死にそうになってんじゃん!!なに、漏らしてんじゃないの?」

 この親子を一緒の車で移送するのは無理だと須藤は判断した。

 確保に保護者を同行させたのは、未成年ウィンガー保護の際の推奨事項であることはもちろんだが、蓮を落ち着かせ、保護をスムーズに行う目論見もあったからだ。しかし、車内で話をした段階で、この父子の関係が思わしくないことは明らかだった。


 蓮は涙を流しそうな勢いでまだ笑っているし、父親はすっかり固まっている。

 須藤の顔から表情が消えた。

「まずは車に乗った方がいいと思うな」

 腕を掴まれた蓮は、顔を上げ、馬鹿笑いをやめた。須藤の手が掴んでいる場所は、蓮が噛み付いた場所とちょうど同じあたりだ。

 大して力を入れて掴まれたわけでもないのに、須藤と目が合った瞬間、蓮は動けなくなった。

「乗りなさい」

 静かな命令は、蓮を従わせるに十分な迫力があった。


 パニックに乗じて、展示販売されているゲーム機器やソフトをごっそり持ち去り、転売する予定だったと、下っ端の少年があっさり白状したが、リーダーとマリー、それに蓮は強情にしらを切った。

 特にマリーは平然と

「日本語、ヨクワカラナイ」

 と、薄ら笑いを浮かべ、余裕の表情で、捕まった少年たちのことは知らないと言い張った。

 これは蓮も同様で、おまけに翼が現れたのは今日が初めてだと言い切った。


 土曜日だったこともあり、聴取にあまり慣れていない職員が対応したのも、彼らに振り回される原因になった。

「まずは今回の窃盗未遂について、警察の方で事情聞いてもらって。未登録ウィンガーの件はその後でぼくが対応するから」

 怪我の手当てをしてから対策室へ戻ってきた須藤は、さすがに少し苛立ちを見せながらそう言った。

 *****




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