第6話
しばらく音楽が流れた後、司会者らしい女性がステージ袖から小走りに出てきた。
「お集まりのみなさま、お待たせしましたぁ」
ステージ近くの人々は盛り上がりを見せているが、その後に座るたまたま居合わせたような人たちは、どうリアクションしていいのか探っているようだった。
隼也はそんなステージの動きより、ウィンガー2人から目を離さないようにしていた。だが、かといってこちらに気がつかれては困る。
アベと二手に別れて見張ることにし、隼也は2人の背後に回り込んだ。
「では、ポップメイトのみなさんの登場です!どうぞ〜」
テンションマックスで司会者が叫んだ。
不意に、マリーが何か落としたのか、しゃがみこむ。蓮が周囲を警戒するように視線を走らせたので、隼也はハッとした。
素早く2人に近づこうとした隼也の目に、マリーがバッグから何かを取り出したのが見えた。
(ボール?)
それは、蛍光イエローのかなり派手なボールに見えた。ピンポン玉より少し大きいくらいだろうか。
「!」
直感的に隼也は周囲の人間を突き飛ばし、マリーの腕を掴んでいた。
「ちょっと!!」
金切声をあげながら、引きずるように立ち上がらされたマリーの手から黄色いボールが落ちる。
(しまった!)
思わず、隼也は掴んだ手を緩めそうになったが、横からサッと差し出された手が鮮やかにボールをキャッチした。
「離しなさいよ!痴漢!変態!」
なりふり構わず暴れようとするマリーの両腕を、後ろからしっかり押さえつける。ウィンガーだと分かっているだけに、隼也は容赦しなかった。
「痛い!!なんなの、あんた達!」
ボールを掴んだ人物がスッと体を起こし、振り向いた。
「ナイス。桜木くん」
爽やかな笑顔を見せたのは、須藤だった。
「防犯用のカラーボールかな。最近あまり見かけなくなったけどねえ」
金切り声で喚いているマリーを気にした様子もなく、黄色いボールを顔の前にかざして見ている。
そんなことより、手伝ってくれ、と隼也は言いかけたが、
「拘束します」
両側からマリーを押さえる腕が伸びてきた。
屈曲な、ガタイのいい男性達。
須藤が頷いたので、隼也は手を離した。
私服だが、警察関係の人間だとすぐに分かる。
マリーはまだ暴れている。周りには何事かと野次馬の生垣ができ始めていた。
「塗料が付くのももちろんだけど、これ、匂いもつくタイプだよ。こんなとこで破裂させたら、大パニックだね」
須藤は隼也の目の前でボールを振ってみせながら、そう言った。
その時、イベントのメイン会場になっている建物の方から、怒号とも罵声とも聞こえる声があがった。
野次馬の視線が一斉にそちらへ向く。
何がなんだか隼也も把握しきれなかったが、とにかく、マリーを引きずるようにして移動を開始した。
「ウワアァ!!!痛い!助けて!」
今度は近くから少年の叫び声があがる。南條蓮だ。
こちらはアベが羽交い締めにしていた。
小柄で華奢な男の子が、ガタイのいい男に捕まり、悲痛な声をあげている。周りの人垣の反応はー
「おい、やめろよ!子供じゃないか!」
「ちょっと!怪我してるんじゃない?!」
(ヤバイな…)
アベを蓮から引き離そうと何人かの男性が手を出すのを、慌てて隼也が制しようとした時、蓮の周囲の空気がキラキラとダイヤモンドダストのような光を帯びた。
見たことがある。これは…
「う、わっ」
アベが上ずった声を上げる。なんの現象か、アベも知っているはずだ。
手を出そうとした人々は何事かと、一瞬、動きを止めた。
ちょうど制服の警官たちが駆けつけてきたこともあって、野次馬の輪は一気に蓮から一回り遠のいた。
「アベくん、そのまま手、離さないで!」
人の輪から須藤が飛び出すのと、蓮の背中に小さな翼が現れるのはほぼ同時。
身をよじった蓮はアベの羽交い締めをふりほどき、走り出そうとしたが、アベも意地を見せた。
大きな体が宙を舞い、蓮にタックルする。両足をガッチリ掴まれて、倒れ込んだ蓮の両肩を須藤が押さえつけた。
「おい、ウィンガーだぜ!!」
「まじかよ!本物初めて見た〜」
たちまち辺りは騒然とした。何人もの人がスマホやカメラを蓮の背中に向ける。
当然といえば、当然の反応だが好ましいことではない。
須藤が隼也をサッと見る。何を言いたいのかはすぐに分かった。
近くに落ちていた蓮のジャージを背中に被せる。彼のものにしては大きめなそれは、背中からいくらかはみ出す程度の小さな翼をうまく覆い隠した。
「ギアァァァ!!」
獣のような声を上げて頭を振り上げた蓮は、須藤の腕に力任せに噛み付いた。
「つっ!」
だが、須藤は大して動じず、抑えた腕を緩めようとはしない。
シャツにジワジワと血が滲んでくるのも、ものともしなかった。
「こいつ…!」
隼也は蓮の髪を掴んで、須藤から引き離そうとしたが、うまくいかない。
須藤は自分の腕に食いつく蓮の耳に口元を近づけた。
須藤が何を言ったのか、隼也には聞こえなかった。だが、蓮の体は小刻みに震え、噛み付いていた口を離した。
「ア、ア、アァ…」
悲鳴にも似た声をもらし、蓮の体から力が抜ける。ジャージのわずかな膨らみが消えた。
「大丈夫、意識はあるよ」
脱力して横たわる蓮を恐る恐る覗き込む隼也に須藤は言った。血が滲む右腕を抑えながら立ちあがる。
「連れていくよ!」
日曜日だが、アイは平日よりも早い時間に出勤した。昨日の夕方、例の2人のウィンガーが保護された、とあかりから連絡が入ったのだ。
「休日だけど、できれば出勤して、事情聴取とか、その後の流れ見ておいた方がいいと思うんだけど」
もちろん、そのつもりだった。
兄が突然家を出て行ったことで、母と2人動揺していたところに入った電話だったけれど。
結局、兄のことはしばらく様子を見ることになった。アイとしては、警察に届けた方がいいと思ったのだが、父が
「騒ぎを大きくしない方が海人のためだ」
と言い、母もそれに従ったのだ。
単身赴任中の父は、2、3ヶ月に1度しか帰ってこない。車で2時間半ほどの場所だから、毎週でも帰ってこようと思えば帰れるはずだし、以前は毎週末か、少なくとも月に一度は帰ってきていた。
用がある時しか帰ってこなくなったのは、海人が家に戻って来てからだ。
父と兄が争っているのをアイは見たことはない。ただ、話をしているのを見たのもいつだっただろう?
元々、無口で仕事人間の父親だけれど、海人がウィンガーだと分かった時も、心を病んで戻ってきた時もほとんど何も言わなかった。
子供を信じているとか、選択を認めてくれているとかいうことではなく、単に子供に無関心なんだと、アイが気付いたのは高校を中退した時だった。
学校を辞めたい、と告げた時、
「辞めたい、ということはもう辞めるって選択肢しかないんだろ。やれやれ、またおばさんたちが大騒ぎするな…」
それだけ言って、新聞に目を戻した父に愕然とした。
理由や将来のことについて聞かれるかと思ったし、答えも用意していたのに。親戚のおばさんの小言の心配だけとは…
母はよく話を聞いてくれたし、一緒に考えたり悩んだりしてくれた。だが、そんな母がいざという時ー今回の海人の失踪の件などー父の意見を求め、それに従うのは全く理解できない。
「1週間くらい、様子を見ようって、お父さんが」
父に連絡するとそう言ったらしい。
「1週間って…その間何かあったらどうするの!」
語気を強めるアイに、母は俯いて、ため息をついた…
夜のうちに何か海人から連絡があるかと期待したが、何もなかった。
あまり眠れず、ウトウトしているうちに目覚ましが鳴り、今朝は飛び起きる羽目になった。
平日と比べて閑散とした地下鉄から降り、対策室のあるビルが見えてくると、あかりから警告されていた通りの状況が見えた。
数人ではあるが、カメラや録音機器を手にした人々がビルの入り口に待ち構えている。
昨日の乱闘が既にネットに出回り、『イベント会場でウィンガー確保』などと書き立てられているのだという。
関係者に話を聞こうとマスコミ(自称を含む)が集まっているのだ。
言われた通り、なにくわぬ顔で彼らの傍を通り過ぎる。
対策室の人間にしては若すぎると思われたのか、幸い声をかけられることはなく、エレベーターに乗り込めた。
エルチームのオフィスがある4階のボタンを押し、扉が閉まるとホッとため息がでる。
エレベーターは一つ下の階に止まった。扉が開くと、大きな体が立ち塞がっていた。
「あ、おはようございます」
アイが会釈すると、
「ああ、おはよう。早いね」
人懐こい笑顔を浮かべて乗り込んできたのはアベだ。
「昨日の、ですか?」
アイの視線はアベの左手を見ていた。手の平から手首まで、包帯が巻かれている。顔にもいくつか、かすり傷があった。昨日の大捕物についてはあかりから聞いている。
「あ、はは」
『閉』のボタンを押しながら、てれたように、だがちょっと誇らしげにアベは笑った。
「タックルした時に、派手に擦りむいて。いや、ちょっと大げさなんだけどさ、」
左手を目の前にかざしながら手を握ったり、開いたりしてみせる。
「別に普通に使えるし、痛みもないんだけど。オレ、ずっと柔道やってたから怪我とか慣れてるしね」
「へえ、柔道やってたんですね」
体型や変形した耳を見て、アイもそうではないかと思っていた。
アイが自分の話題に興味を持ったと思ったのか、アベは腕は脱臼したことがあって、足は二度骨折して…などと部屋についてからも話し続けていたが、そこへ須藤が入ってきた。
「おはよう。2人とも早いね」
いつもと変わらない爽やかな笑顔。昨日、少年に噛み付かれてケガをしたとはアイも聞いていたが、長袖のシャツに隠れて傷は見えない。
「おはようございます。昨日は…あの、ケガ大丈夫ですか?」
「あ、あかりから聞いた?ぼくとしたことが、やらかしたよね〜」
アイと同様、アベも「え?」という顔になる。
「いやぁ、噛み付かれるって、ちょっとダサイでしょ。油断してたよねー」
「いや、ダサくはないっすよ。翼も出さずにあの大暴れのガキ、確保したんですから」
アベの言葉にアイも頷く。
「ああ、翼ね。さすがにあの人混みの中では出したくないよ」
にこやかな笑顔の裏に、ふと須藤の信念のようなものを感じてアイはその顔を見つめた。
「さて、と。アベくんは報告書。よろしく」
須藤にそう言われたアベはわかりやすく肩を落とし、自分のパソコンに向かった。
「アイさんはこれ見てくれるかな」
須藤はアイを手招きし、自分の席に座らせた。PCのモニター画面をクリックする。昨日見た少年の顔が現れた。
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