第10話「走馬灯」


 目の前は真っ暗だった。一条の光も差さぬ闇。マークはその漆黒の只中で、自身の死が間もなく訪れることを実感していた。


 ──最早、ここまでか。


 この道に進むと決めてから、マークは自分の死が楽に訪れることはないと予想していた。そしてそれは事実となりつつある。あの日、あの場所で自身の命の使い方を決めた時から、それは覚悟していたことだった。


 しかしあれほどの戦力差とは。それがマークの致命的な誤算だった。もちろんマークは、TOVICを身に纏うユウを侮っていた訳ではない。ユウが単身、矢場杉産業本社ビルの特異課課長室に乗り込んで来た時、マークは慢心することなくより一層身を引き締め、TOCICを鹵獲すべく全力で対処した。


 ──それでも、圧倒的な彼我の差は覆らなかった。マークとデス代とボック。特異課の精鋭で挑んだ決戦は、瞬く間にユウのTOCICによって叩き伏せられたのだ。


 肺に大きな穴が空いているマークは、もう満足に言葉を発することができないでいる。自身の血で溺れるのは時間の問題だった。

 マークは力を振り絞り、閉じられていた目を開けた。自身の部屋は血に塗れており、調度品などは原型を留めぬほどに破壊されている。凄まじい攻撃の余波の中、近くにデス代とボックが折り重なるように倒れているのが見える。

 思わず手を伸ばそうとするが、それは叶わない。考えてみれば当然のことだった。目を開けるという簡単なことにさえ、残りの力を振り絞ったのだ。身体が動くことなど望むべくもないことだった。


(デス代、ボック……すまない。相手の力を見誤った。我々特異課だけでは対応できなかった。これは長たる私の責任だ)


 ──悔しい。マークは珍しく感情を露わにする。部下を失ったことはもちろん、一太刀も返せなかったこの現実を悔やむ。

 もしも自分たちに力がもっとあったなら。あのTOVICを鹵獲することができたなら。自分たちの宿願──、つまりは世界のバランスを元に戻せたかも知れないのに、とマークは臍を噛む。

 自分たちはまた「奪われる」のか。この世が弱肉強食なのはわかっている。強い者が弱い者を虐げるのは世の常だ。それにどうこう言うつもりは、マークにはなかった。しかし弱い者にも矜持はある。どうしても譲れぬ信念があるのだ。


 マークは血溜まりの中で思い出す。「奪われる側」だった、無力な自分のことを。



   ──────────────



 銃弾飛び交う紛争地帯に、オレガ・クロ・マークは生まれた。今から三十年ほど前のことだった。

 その地域では、紛争のせいで死はずっと身近なものだった。紛争さえなくなれば、少しは生活がましになるかも知れない。そう思いつつも、力のないマークはそれを夢想することしかできなかった。またマークが生まれたこのスラム街は、ある意味でその紛争なしには生活が成り立たなかったのである。

 傭兵として生計を立てる者。賞金の掛かった首を取ろうとする者。または、紛争で死んだ兵士の装備を剥ぎ取り、それを売って生活の足しにする者。

 十二歳を数えたマークだったが、戦う力など皆無である。マークは最後の選択肢を選ぶ他なかった。その者たちは「屑屋」として周りから蔑まれていたが、マークはそれに構っている暇などなかった。


 マークには五歳離れた姉がいた。名前は、アネハ・シロ・マーク。アネハは地獄に等しい紛争地帯に咲いた、一輪の清廉な花だった。



「ねぇオレガ、今日も戦場に行くの?」


「アネハ姉さん、心配しないで。僕が行くのは完全に戦闘が終わった場所だ。物資は少ないかも知れないけど、だからこそ兵士に会うことなんてまずないよ」


「それでも心配だわ」


「僕は姉さんの方が心配だよ。お願いだから、安静にしておいて。もうすぐ金が貯まる。金さえあれば薬だって買えるんだ。そうなれば姉さんの病気も治せる。だからもう少しだけ我慢してほしい」


「私は、私よりもオレガが心配なの。だから約束して。絶対に危ないことはしないって。いい?」


「わかってる。たった二人の家族なんだ、姉さんを一人残すような真似はしないよ」


 マークは笑顔で嘯いた。戦場跡に、めぼしい物資は残っていない。だから未だ銃弾が飛び交う戦場の只中に、マークは向かう必要があったのだ。

 一瞬でも気を抜けば瞬く間に死が訪れる戦場。しかし行く価値は充分にある。ここで自分が安全を選べば、命の危機に瀕するのは病弱の姉だ。そして自分が死ねば、自動的に姉も同じ道を辿ることとなる。

 だからこそ。二人とも生き残るために戦場に向かう。それが最善だと、マークは自身に言い聞かせていた。



 その戦場は、スラム街から少し離れた荒野にあった。ある場所を巡り、二つの勢力が鎬を削っている。しかしマークにそのあたりの事情は必要なかった。

 欲しいのは死体が持つ装備だ。銃はもちろんのこと、弾薬や医薬品も金になる。それらを敵に回収される前に奪い、金に変える。マークはいつものように、低い草木や岩に隠れながら、激戦区である区域にゆっくりと近づいていった。


 何とかそこ辿り着いた途端、運良く真新しい死体と遭遇する。三体の新鮮な死体だ。兵士たちの装備はごくありふれたものだったが、幸運なことに無傷のアサルトライフルがあった。予備弾薬も医薬品も、膨れた背嚢の中に入っていることだろう。

 マークは喜び勇んで、その装備に手をかけよう身を屈めた。その瞬間だった。後ろに位置していた大きな岩が暴力的な力で穿たれる。

 数瞬の間の後、銃声が辺りに響いた。音よりも速い遠距離からの狙撃。屈むのが一瞬でも遅れていたら、自分の頭が穿たれていた。それだけは理解できた。


 銃声は断続的に続き、マークは地面に蹲ったまま動けないでいる。少しでも頭を上げれば殺される。自分が死ねば姉も死ぬ。それだけは避けなければならない。

 しかし遠距離からの銃弾は、マークを嘲笑うように徐々に近づいてくる。射線を遮るのは三体の死体の山。あまりにも心許ない壁だ。

 射手は死んだ兵士の勢力か、はたまた敵の勢力か。どちらにしろその銃弾には充分な殺意が込められている。

 退いて岩陰に身を隠すか、それとも銃弾が止むまで這い蹲うか。いずれにしろ、目の前の物資は必ず持ち帰らなければならない。そうしなければ姉の命がない。マークは敵兵のアサルトライフルを担ぐと、深呼吸をして岩陰に走った。そして。


 ──別の敵と、鉢合わせになった。


 敵は驚きの表情を浮かべつつも、慣れた手つきで銃口をマークへと向ける。マークは銃を持っている。撃つ意思がないにしろ、それは相手に伝わらない。

 ぴたりと敵の照準エイムが定まった。後は指に小さな力が掛かるだけで、マークの身体に無数の穴があく。


 あぁ、ここまでか。心の中で姉に詫び、目を強く瞑ってその瞬間をマークは待った。間を置かず至近距離で銃声が聞こえる。マークはもちろん死を覚悟したが、しかし銃弾が身体を貫くことはなかった。


「──あっぶねぇぇ! ガキがこんなとこで何してんだ! もうちっとで当たるとこだったろうが!」


 ゆっくりと目を開けると、そこには狼狽している敵がいた。明らかにこの辺りの者ではない装備に身を包んだ年嵩の男。男はマークに詰め寄る。


「お前、死にてぇのか? ガキが遊びに来るところじゃねぇんだぞ!」


「ほ、僕は……」


 マークがそう答えた時、年嵩の男はいきなりマークに覆い被さった。途端に聞こえる耳を劈く銃撃音。さっきまでマークが居た位置に銃弾が通過する。別勢力が近づいているのは明白だった。


「クソが、話は後だガキ! 俺についてこい!」


 腕を引っ張られそうになる。しかし目の前の物資は諦められない。マークは二挺目のライフルを担ぎ、持ち主のいなくなった背嚢を背負おうとする。それを見た男が咎める。


「何してる、マジで死にてぇのか! 敵が迫って来てんだぞ!」


「この物資がないと姉が死ぬんだ! 僕はこれを金に変えるためにここに来た。この装備を売って姉の薬を買うんだ!」


 男が驚きの眼差しでマークを見る。マークはその隙を見逃さず、目当ての物資を身に付ける。男は半ば諦めるように叫んだ。


「あぁクソッ、好きにしろ! 撃たれても俺ぁ知らねぇからな!」



 命からがら、というより他に表現方法がないほど、それは無様な撤退戦だった。マークは何とか拾った装備を保持し、死地から脱出した。敵の二大勢力の両方から攻撃を受けたことから、この男はやはりどちらにも属さない存在なのだとわかる。しかしそれを問うても意味はない。マークの興味は、今回得た装備がいくらで売れるのかだけだった。

 敵が追って来ないことを確認した男は、深呼吸をした後でマークに声をかける。


「……はぁー、マジ死ぬかと思ったぜ。しかしお前、意外と肝が座ってんな。ガキのくせに屑屋みてぇなマネしてるからか?」


「別にいいだろ」


「いやよくねぇ。お前さっき言ってたろ。その装備を売っぱらって、姉の薬を買おうとしてるってよ?」


 よく聞くと、男の発音は微妙におかしかった。東洋系の顔立ちをしていることから、外国人なのだろうとマークは推察する。男は厳しい目つきでマークに問うたが、すぐに好相を崩して続ける。


「考えなしに死地に飛び込んだお前の行動は、バカが付く程によくねぇ。だが気に入った。特に、身内を助けようとしていることにな」


 男は手を差し出して、マークに握手を求める。


オシだ。押紹散オシショウサン、それが俺の名前だ。矢場杉産業捜索課に属している。お前の名は?」


「オレガ・クロ・マーク」


「ふうん、マークか。しかし見上げた根性だな、姉のために命を張るとはよ。なかなか見どころのあるガキじゃねぇか」


「僕はもうガキじゃない」


「俺から見りゃあ充分にガキだがな。まぁいい、それでマーク。お前これからどうするつもりだ?」


「決まってる。この装備を売って金に変えて、姉さんの薬を買う。僕はそのために生きてきたんだ」


「その後は?」


「……どういう意味だ?」


「察しが悪いな。ロクに教育も受けてねぇんだろ。まぁいい、これも何かの縁だ。薬買うまで付き合ってやるよ」


 断ろうとしたマークだったが、オシと名乗った男はにこやかな顔つきでマークの後を追ってくる。オシが身につけている装備から考えても、マークの戦利品になど興味はないのだろう。

 害がなければいいとマークも諦め、スラム街への帰路に着く。

 

 道すがらオシは、どうしてこの紛争が起こっているのか、また矢場杉産業は何故この紛争に噛んでいるのかなどを頼んでないのに話してくれる。

 それはマークに対する組織への勧誘だったが、しかしその日を生きるだけのマークには察することができない。オシはそれでも気を悪くせず、マークに説明を続ける。


「──つまりよ、この紛争は与えられし者ギフテッドをアタマにした戦いなんだよ。ヤツらは超常の者だ。弾丸を見切り、躱し、ヤバいヤツは止めたりできる。魔法みてぇな弾丸を放つヤツもいる。まぁ平たく言ってチートだな」


「そんな化物がいるのか?」


「いる。そしてそいつらは、世界の在り方を変えようとしている。この紛争だってそうだ。ギフテッド同士が始めたケンカに、俺らみてぇな普通の人々レフトビハインドが乗っかってんだ、私利私欲のためにな。俺の仕事はよ、そんなギフテッドを探すことだ」


「探してどうするんだ? 味方にするのか?」


「いや殺す。正確には、殺すに足りうる戦力を見極める。俺ぁ斥候だ。ギフテッドを見つけてウチの本隊を呼び、ヤツらを徹底的に叩くんだよ」


「どうして殺す? 利用価値はあるんじゃないのか?」


「ギフテッドのせいで、世界のバランスは変わっちまった。この紛争もそうだ、割を食ってんのは普通の人たちだろ? 俺たちの会社はそれを見過ごさない。普通の人が普通に暮らせる世の中にする。それが俺たち矢場杉産業の目的だ」


「……ふうん。あんたら、意外といい人なんだな」


「どうだマーク。お前の姉貴を助けたら、」


 そこでオシの言葉が詰まった。その視線は遠くを見つめたまま固定されている。思わずマークもそちらに目を向ける。


 ──スラム街が、炎と煙に包まれていた。



   ──────────────



「姉さん! アネハ姉さん!」


 燃え盛る火炎に包まれる、スラム街の荒屋あばらや。中に入ろうとするマークを、オシは必死の形相で留めていた。


「やめろマーク! もう間に合わねぇ!」


「中に姉さんがいるんだ! 僕にはわかる!」


 瞬間、荒屋が不可思議な光に包まれた。一瞬を経て、それが塵に変化する。頭上には冗談としか思えないほどゆったりと宙を舞うギフテッドの姿。マークにはもう、悪魔にしか見えない。


「姉さん、姉さん! アネハ姉さんッ!」


「退けマーク! お前まで死んだら、姉の仇は誰が討つんだよ!」


「姉さんッ!」


「あぁ、チクショウ!」


 オシは頭上のギフテッドにエイムを合わせると、躊躇いなく引き鉄を絞った。正確な照準だったが、ギフテッドの不可視の防壁によって阻まれる。全くダメージを与えられていない。オシは舌打ちをすると、まだ残弾のある弾倉を交換した。

 対ギフテッド用に造られたアンチシールドバレット。それに換装し、流れるようなエイムでギフテッドをポイントする。

 勢いよく放たれたその特殊弾だったが、やはりシールドを貫くには至らない。ギフテッドがちらりとオシを見遣る。オシは言う。


「マーク! あいつぁ俺が引き受ける! お前は逃げろ! いや逃げ切れ、わかったな! 絶対に諦めるんじゃねぇぞ!」


「僕も戦う!」


 勢いよく吐いたマークのセリフは、オシの拳によって遮られた。いきなり殴られたマークは尻餅をついた。そこに何かのカードが投げられる。


「それは俺の名刺だ。それさえありゃあウチの会社にクチを利いてもらえる。矢場杉産業の窓口を探せ、それがお前の当面の目標だ! いいか、わかったな!」


「あ、あんた……」


「俺がもしアイツに負けたとしてもよ、お前が継いでくれりゃあ御の字だ! お前の姉の無念と、俺の無念。それを晴らせるのはお前だけだぜ、マーク! 最後の一瞬まで、絶対に諦めんじゃねぇぞ!」


 オシはそう叫ぶと、手許のグレネードのピンを引き抜いた。そして空に向かって投擲した後、特殊弾をギフテッドに向かってばら撒いていく。

 爆ぜる轟音、真っ直ぐに突き進む銃弾。オシがニヤリとマークに笑った。マークはそれを受け、身を翻してそこから逃げ出した。


 世界はどうしようもなく残酷で、どうしようもなく不平等で、そしてどうしようもないほど救いがない。

 しかし。それを変えられるかも知れない。そのためだったら何だってする。ここから尻尾を巻いて逃げ出すことが、その未来に繋がっていると盲信して。マークは振り返らずに走り出した。



   ──────────────



 走馬灯を見ていた。自身が矢場杉産業に入る前のことを、マークははっきりと思い出していた。

 押紹散オシショウサン。マークに多大な影響を与えた人物は、もういない。しかしその遺志はマークが継いでいた。だからこそ、たとえ死の淵にあろうとも、マークは諦めることができなかった。


 ──最後の一瞬まで、絶対に諦めんじゃねぇぞ。


 マークはその言葉どおり、行動した。

 力を振り絞り、懐に入れていた拳銃型の注射器を取り出す。その中には、非常に高濃度の薬が入っていた。

 自身の寿命と引き換えに、爆発的な力を得る禁断の薬。それを無希釈でマークは使うと決める。


(どうせこの深傷だ。間もなく私は死ぬ。そしてデス代とボックは先に逝ってしまった。アイツらの無念も私が果たさなければならない。ここが私の命の使いどころだ。見ててくれ、アネハ姉さん。押紹散オシショウサン。デス代、ボック。私は、私は──)


 渾身の力で、注射器を首元まで持ってくるマーク。そしてトリガーに指を掛け、大きく息を吸う。


(──人間を、辞める)


 そして、トリガーは引き絞られた。






【混沌の次回へ続く!】



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