第8話「クロスカウンター」



「しかしまぁ、本当にダメダメですね。おねーちゃんがいない間、一体何をしていたのです。良からぬことに精を出していたのです? ってハナシです」


 ずずず、と何故が湯呑みでカルピスを啜りながら。例の「おねーちゃん」は強い言葉で言った。

 あのギリギリの戦いを終え、なんとか帰ってきた三人の家である。全員それなりに消耗しているが、完全な負け戦だったのにも関わらず、この程度の損害で済んだのは僥倖と言う他ない。

 湯呑みカルピスをもうひと啜りしてから、おねーちゃんは言葉を続ける。


「聞いているのです? レーにメグ。反省の色が全く見えませんけど」


 レーとメグは正座させられており、前屈みになりながらおねーちゃんの話に傾聴していた。しかし肝心のユウは部屋の隅で、心ここに在らずのポーズだ。例のピンクレオタードを握りしめ、それに視線を落としているばかりである。


「さて。そもそも何故こんなことになっているのですか。イチから説明してください、メグ」


「そ、その前に訊いてもいい? どうしておねーちゃんがここに? あの時、死んだんじゃなかったの……?」


 ふふん。ぺったぺたの胸を逸らして微笑む身長130センチの幼女は。ニヤリと唇の端を釣り上げたかと思うと、不敵な声で言った。


「おねーちゃんは不滅なのです!」


「いやでも、タイミングが良すぎるっていうか、まだ実感がないっていうか。だっておねーちゃんはあの時、わたしたちを護ってくれたじゃんか。それで、おねーちゃんは……」


「そ、そうだよ。あの時おねーちゃんは、アイツらからあたしたちを護って、そして消えてしまった。それは、あたしもメグも、ユウも間違いなく憶えてる。それにおねーちゃん、姿って……」


 メグの言葉を継ぐように、レーも言葉を発する。三姉妹がまだ幼かったころ。そう、目の前の幼女と同じくらいの歳のころ。アイツらに追われていた三姉妹は、近所に住んでいた少し年上の『おねーちゃん』に──。


「細かいことはいいんです! おねーちゃんは不滅! それが答えです! それにんです。思い出に浸ってる場合じゃないんですよ!」


 ふんふんと鼻息荒く、おねーちゃんは熱弁する。レーとメグの中で、おねーちゃんがこうなると絶対に答えてくれないことはわかっていた。


「それでメグ。さっきの続きです。どうしてこうなったのか、説明するのです」


「ええと……、レーちゃんにいつもの病気の発作が出て、わたしがコンビニにレーちゃんの服を持っていくことになって。レーちゃんを助けられたはいいんだけど、家に帰ってきたらユウちゃんが攫われてて……」


「ちょ、待ってよメグ! それってあたしが全部悪いみたいじゃんか!」


じゃなくてその通りなんだよレーちゃん。レーちゃんが普通に家に帰って来てたら、ユウちゃんが攫われることもなかったじゃんか」


「あたしだって、好きであんな風になってないよ!」


「好きでそうなってたらそれこそヤバいよ。目が覚めたらほぼ全裸で知らない場所に寝てるとか……完全無欠の痴女じゃんかそれ。病院、行ったほうがよくない?」


 ぎゃあぎゃあ。いきなりの舌戦を繰り広げる二人を止めたのは、もちろんおねーちゃんの言葉だった。


「うるさいのです、二人とも。今は仲良く姉妹喧嘩なんてしてる場合じゃないのです! 地球の! 危機が! 迫ってるんですよ! それにあの矢場杉産業のマークとかいう男、相当の手練れです。対策しないとすぐにでも仕掛けてくる。おねーちゃんの勘がそう告げているのです」


 レーとメグは矛を収め、おねーちゃんの言葉にゆっくりと頷いた。確かに。あのマークとかいう男は相当の手練れだ。デス代とボックという部下たちの強さから、それは容易に窺えること。ここでただ座しているだけでは事態の好転は望めない。


「それでは話を纏めるのです。敵は矢場杉産業のマークと部下二人。ヤツらの目的は、ユウの身体機能強化スーツ、TOVIC。あれは現状ユウにしかシンクロしませんが、それをコピーされて一般の人たちにも使えるようになったら終わりです。世界の均衡が保てなくなるのです」


「で、でも……」


 ──その時。口を開いたのは、レーでもメグでもなく、ずっと視線を落としたままのユウだった。ユウは何かを決めたような表情で、おねーちゃんを見据える。


「……私は。あのマークって人が、根っからの悪人には見えなかったの。世界を、レフトビハインド普通の人々が住み良いようにする。その思想、私は賛同したい。だっておかしいよ、この世界は。おねーちゃんやレーちゃんみたいにすごい身体能力を持った人もいれば、メグみたいに魔法を使える人だっている。そんな人たちに、私たちのような普通の人々がかなうはずがない。私たちみたいな普通の人は、どう頑張ったって負けちゃう。そんな世界、私はおかしいと思──」


「ばかもーん、なのですー!」


 バチィィ! おねーちゃんの振り上げた左手のビンタが、ユウの右頬を張る。ユウは張られた右頬を押さえて、驚愕の眼差しでおねーちゃんを見る。


「本当にアホですね、ユウは! ずっと前にも教えたのです! 汝、右の頬を殴られれば相手の左頬にクロスカウンターと! どうして返さないのです!」


「クロス、カウンター……?」


「そうです、クロスカウンターです! やられながらもやり返す! 本当はちょっと違いますけどそれがクロスカウンター! 叛逆しなければ相手は付け上がる! また拳を振るってくる! 世の中は善意だけで満たされてはいないのです!」


 左手をもう一度振りあげて。ぴたりと止めたおねーちゃんは続けた。


「もしもTOVICをヤツらに奪われ、それが量産されたら? 善意を持つ人に渡れば誰かの助けにもなるでしょう、しかし! もう一度言いますが、世界は善人だけではないのです! 必ず、そのチカラを利用して悪巧みをする者が現れる。その標的は、間違いなく『普通の人々』なのですよ? ユウが護りたいと願う、普通の人々が食い物にされるのです! 世界の均衡を護りたいのなら、ユウが世界のバランサーになる他ないのです!」


 世界の均衡、とおねーちゃんは言った。確かにあればマズい代物だ。与えられし者ギフテッドと呼ばれるレーとメグが二人がかりになっても、あの服を来たユウには敵わない。それほどまでの戦闘能力を有する禁断の服。それがTOVICだった。

 もしそれが、量産され一般人の手にも渡るようになれば。それが善良な人間ならば問題はないのかもしれないが、そうとは限らないのが現実である。


 いるのだ、確実に。人間の中には、善良な心などカケラも持ち合わせていないヤツがいる。それは悲しいことだが、しかし事実だった。


「で、でも……でも! 私は、おねーちゃんやレーちゃん、メグのように選ばれてない! 普通の人間なの! だから普通の人々の気持ちが痛いほどわかるの! この世界は間違っている。普通の人だって頑張ってる! その頑張りを、私は無視できない!」


「ユウのわからず屋ー!」


 おねーちゃんの左手がまた唸る。瞬間、またしてもユウの右頬を張っていた。しかし。ユウはクロスカウンターを返さない。そのままくずおれて、ユウは床の上に突っ伏した。そしてそれが答えだった。


「あれだけ言ってもクロスカウンターを返さないユウなんて、おねーちゃんの知っているユウじゃないのです。せいぜい、TOVICを大事に抱いて涙に溺れるといいのです。さて行きますよ、レー、メグ」


「おねーちゃん、行くってどこに?」


「決まっているのです。矢場杉産業本社ビルなのです」


「敵の、本丸に……?」


「何度も言いますが、おねーちゃんには時間がないのです。こうなれば短期決戦。こちらから仕掛けてマークたちを無力化し、ふざけた野望を打ち砕くのです」


「でもおねーちゃん、もしだよ? もしあのマークたちの言うことが本当で、マークたちが世界のバランスを取り戻そうとしてたらどうするの?」


「メグ、敵はあの矢場杉産業ですよ? どうせロクなことなど考えていないのです」


「でも、まさかってことも……あるかも知れないじゃん?」


「レー、考えても見るのです。アイツらが本当に、本当の意味で世界を元の姿──つまり争いのない平和な世界を目指しているのだとしたら。武力で衝突する必要などあると思いますか? ユウを攫う必要などありますか?」


「それは……」


 レーとメグは二人して、口を噤んだ。確かにおねーちゃんの言う通り。世界に平和を齎したいのなら、武力になど頼る必要はないのだ。


「本当に世界に平和を齎したいのなら。全力で愛を歌えばいい! でもヤツらはそれをしなかった、それが答えなのです! ヤツらは先に手を出してきた。あまつさえ、大事なユウの心に傷をつけた。汝、右の頬を殴られれば相手の左頬にクロスカウンター!」


 おねーちゃんは身を翻し、湯呑みカルピスを一気に呷ると。ゆっくりとした足取りで家の玄関へと向かう。


「さて行きますよ、二人とも。グロリアス・カルテ──いえ、もうトリオですね。新生・光の三姉妹グロリアス・トリオ、出陣なのです!」


 颯爽を家を出て行くおねーちゃん。それに続くレー。メグはちらりとユウを振り返るが、しかし踵を返して先の二人について行く。


 誰もいなくなってしまった、三人の家。電気の消えた薄暗いリビング。ユウは身体機能強化スーツ『TOVIC』を抱いたまま、静かに静かに泣いていた。





【激動の次話に続く!】


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