7


 コギャル天使にお礼を言えないまま、俺は小池のクラスである一年二組の教室を探しに屋上を出た。

 どうやら俺たちがいた屋上のある棟は家庭科室や視聴覚室といった教室ばかりを集めた実習棟らしかった。一年二組の教室は反対の棟の三階にあった。

 教室の扉は閉まっていた。どうしたものかと思いながら扉に手を伸ばすと、すり抜けた。一瞬ギョッとしたが、そういえばこちらの物に触れられないのだからすり抜けるのは当たり前だった。初めてのすり抜けるで、少々緊張しながら中に入った。

 

 「あれ?」

 教室内には誰もおらず、拍子抜けした。

 机に広げられたプリントや中途半端に机から引き離された椅子が放置され雑然とした雰囲気が漂っている。

 他の教室で授業をおこなっているのだろうか。なかなか思うように出会えずすれ違ってばかりだ。

 また小池を探しに行くべきか、それともここで帰ってくるのを待とうかと考えていると、教室の後ろの扉から誰かが入ってきた。

 彼もやはり扉を開けず、すり抜けて入ってきた。

 「あ」

 「あ?」

 思わず声が出て、向こうも俺の存在に気づいた。もう一人の受験生である彼は、俺と目が合うと露骨に顔をしかめた。

 「あ……どうも~……」

 「……」

 気まずいながらも笑顔で挨拶したのに対し、男は返事をせずにその場に立ち止まっている。機嫌が悪いのか、眉間に皺を寄せて表情のまま眼鏡を指で押し上げた。

 初対面の時から相変わらず態度が最悪な男だ。ムッとはしたが、ライバル同士で仲良すぎるのもおかしいから、これぐらいが普通なのかもしれない。しかし話しかけたら返事ぐらい欲しい。いくらライバルといえど挨拶ぐらいはすべきではないか。もしかしたら彼はコミュニケーションを取るのが得意ではないのかもしれない。健気で人のいい俺は、返事が返ってこないことを覚悟しながらもう一度話しかけた。

 「あの~……みんなどこ行ったか知ってます?」

 「……」

 「……あ!そういえばターゲット小峠に決めたんですよね?俺は小池です。当たり前だけど。お互い頑張りましょうね」

 「……」

 「……」

 一言も返してくれない。こいつは俺と会話をしたら病気になる呪いでもかかっているのか?

 彼との対話を諦めた俺は、でかいため息をついて周囲を見渡した。どこかに移動しているのであれば、時間割がわかれば教室を割り出せるかもしれない。黒板や教卓に何か手がかりがないかと調べることにした。

 「おい」

 「はい!?」

 思わず背筋が伸びた。

 声をかけられるとは思っていなかったので驚いた。慌てて振り向くと、眼鏡の彼がこちらをじっと見つめていた。

 「な、なんだ?どうかした?」

 焦って吃りつつも笑顔で応答する。彼は俺の笑顔には応えず、睨みつけるようにしてこちらを見たままだ。

 「え?どうし……」

 「お前、棄権しないのか?」

 「は?」

 

 嬉しかった気持ちが一瞬で消し飛んだ。言われた事が飲み込めず、ぽかんとした顔でいると、彼はこちらに近づいてきて、

 「お前、この試験を諦めることもできるんだが、諦めないのか?」

 易しい日本語で言い直された。

 「いやいや!棄権の意味はわかるよ!」

 「そうか、そこまでわからん阿呆なのかと……。で、棄権しないのか?」

 「急に意味わからんことを言われたから反応できなかったんだよ!なんで棄権しなきゃいけねーんだ!?」

 「やはり阿呆だなお前は」

 「はあ!?」

 やっと口を開いたかと思ったら暴言を浴びせられた。なんという口の悪さだ。初めて会話したのに、アホと二回も言われた。何か怒らせることでもしただろうか。いや、そもそも会話をした記憶はない。

 「おいおい、人のことアホとかマヌケとかぬかしてんじゃねーよ」

 「間抜けなんて言っていないだろ。被害妄想が過剰なのか?それとも耳が頭と同じくらい悪いのか?もしかして自虐か?」

 「はぁぁぁぁぁぁぁああああああ!?」

 あまりの暴言にさすがの俺もキレた。

 「どれでもねーわ!なんなんださっきから!アンタ俺を馬鹿にしてるにでも程があるぞ!ライバルだからって冷たくしすぎだろ!俺に対して少しは優しくしようとか、仲良くしようとか思わんのか!?」

 「お前みたいな三流のチンピラみたいなやつと仲良くしたくない。視界にも入れたくない。なんだその気色悪いTシャツ。汚物が」

 「お、お、お、おおおぶっ……!?んだとテメェ!」

 最低最悪な言葉で殴られ、受けたショックが一瞬で怒りに塗り替わる。眼鏡の胸ぐらを掴んで引き寄せた。

 「ふっざけんなよ!」

 俺の怒号に、眼鏡は嘲笑で返した。

 「おお怖い怖い。言葉より暴力でものいうタイプか。外見と遜色ない下劣な品性だな。試験官が見たらなんと言うかな……。もしかしたら落とされるんじゃないか?」

 「なっ……」

 殴ってやりたかった。が、確かに試験中に暴力問題は一発退場の予感がする。迷ったが手を離した。眼鏡は鼻で笑い、乱れた襟を直した。

 「言っとくけどお前の発言だって試験官から見たら最悪だからな!」

 「はっ何も知らんくせに!前回だってこれぐらいの応酬はあったし天使なんぞ口の悪さが特徴的な集団として有名なんだ。これぐらい普通だ」

 「最悪な集団じゃねえか」

  これが普通とか毒舌すぎる。キャリアウーマン天使と眼鏡が普通で、コギャル天使は異端だったのか。さっき別れたばっかりなのに、菩薩のごとく優しかった彼女が恋しくなった。

 

 怒りと動揺でと天使への失望で体を震わせている俺に、

 

 「お前もクズだが、ターゲットもハズレで未来がない。賢いやつは試験官にいいとこ見せてから棄権して次の試験に繋げると思うが、お前はどうかな?

 棄権するか、それとも続行して恥を晒すか。どっちにしろ楽しみだ」

 

 わざとらしい猫なで声を出し、俺の肩を軽く叩くと教室から出ていった。


 一人になり、教室に静けさが戻った。

 何の用事だったのか知らないが、教室に来て俺を罵ったかと思ったら出ていっただけの挙動不審振りを見せられたのに、俺の中にあるのは敗北感だけだった。

 先ほどの眼鏡の暴言が何度も頭の中で再生される。アホ、ばか、間抜け、気色悪いTシャツ、エトセトラ、エトセトラ。 

 

 「……やってやるわボケェ!お前みたいな口だけの雑魚野郎には負けねぇ!んああああああああ!!」


 俺は叫んだ。眼鏡がいなくなってから反論する自分に若干情けなさを覚えなくもなかったが、仕方ない。一言ったら十返ってくるのだ。優しくてピュアな俺は口喧嘩では性悪眼鏡に勝てない。

 ……自分で自分をフォローして段々と虚しくなってきた。

 しかし先ほどまでの繊細な俺ではない。コギャル天使もあれほど励ましと応援をしてくれたのだ。そう何度もへこたれてはいられないだろう。気合を入れるため自分の両頬を思い切り手で叩いた。

  眼鏡もコギャル天使も、今の小池では恋の成就は難しいという認識のようだ。正直な話、そこについては俺も同じ考えだ。しかも俺は小池を重やん達から守る力もなく、やり返す方法を教えることもできない。

 コギャル天使は確かアドバイザーを頼れとも言っていたので、この問題についてはアドバイザーに会うまで保留にすることにしよう。

 だが肝心のアドバイザーにいつ会えるのか聞くのを忘れていた。ただでさえ倒れてロスタイムが発生している。アドバイザーに会うまでに自分ででることはやっておいた方がいいだろう。

 まずは小池の跡をつけてこいつの生活を観察しよう。そして、同時に小峠も観察するのだ。

 みんな小池の事をボロクソ評しているが、小峠だって欠点あるはずだ。もしかしたらそこから眼鏡をギャフンと言わせることができるかもしれない。あいつ絶対泣かしてやる。

 ほの暗い野望も抱きつつ教室内を探していると、時間割表を見つけた。昼休みの後だから五時間目、移動しそうな授業と見つめていると『美術』と『体育』の二つを見つけた。おそらくどちらかだろうが、美術室はわからないので体育の可能性を潰すことにした。外と体育館を見て来よう。

 

 

 

 

 

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