5

 次に目を覚ました時、いや、起こされた時、スタートは地獄だった。

 まず最初に、正体不明の液体を口に入れられて溺れかけた。

 熱い液体が喉や鼻を通りすぎ、息ができなくなる。

 「ぐえっゲホッガホッ」

 「あ、起きた〜?」

 のんびりとした声がかけられるが、返答する余裕はなかった。

 

 次に襲ってきたのは、味だ。

 経験したことのない凄まじい味だった。一言で表現するなら、不味い。二言で言うならめちゃくちゃ不味い。

「〜〜〜!!!」

 時間差で働いた味覚が、この世のものとは思えない刺激を伝えてくる。

 横隔膜が痙攣し、一旦胃まで届いた液体を全て外にぶち撒けそうになった。

 「ウゲェェェェェ……」

 瀕死の俺に対し、

 「ウケる〜」

 「うけへん!!」

 無神経なコメントに思わず関西弁でツッコんだ。と、そこでようやく隣に誰かいることに気づいた。

 吐き気を堪えて隣を見ると、見たことのある女の子があぐらをかいて座っていた。

 「あれ、キミは……」

 「よっす」

 青空を背にし、にかっと笑いながら健康的な色に焼けた手をひらひらと振ってくるその子は、先ほど会ったコギャル天使だった。

 

 「あなたは……」

 「さっきぶり~!元気ぃ?」

 

 さっき俺がのたうち回っていたのは見ていなかったのか。

 

 まだ胃の気持ち悪さは解消されず、冷や汗で全身びっしょり汗をかいている。

 「死にそう……」

 俺の回答に、しかし彼女は「よかった〜!」と安堵の表情を見せた。


 「さっきまではマジで死んでたから超焦ったしぃ。パイセンが漂白剤に浸けてくれたんだけど、全然起きないから気付け薬まで飲ませたんだよ?」

 「パイセンって誰……?気付け薬って……」

 「え?いま飲んだやつ。味はゲロまずだけど効果は超すごいの!ほら、死んでたのに生き返ったっしょ?」

 「その薬で死ぬかと思いました……」

 「あはは!超ウケる!」

 「……」

 鬼畜なコギャル天使は明るくケラケラ笑って俺の背中をバンバンと叩いた。力が強すぎて倒れてしまい、それを見て更に笑われる。

 仰向けになると視界いっぱいを青空が覆った。少し目線をずらすとフェンスと四角い箱上の物が見える。けっこう大きいそれには扉がついており、そこで俺はようやくそれが屋上と建物を繋ぐ階段室である事、ここが屋上だという事に気づいた。

 

 屋上だとはわかったが、どこの?

 

 頭がまだいまいち働いておらず、考えようにも考えられない。起き上がる気力も出ずに仰向けになったままボーッとしていると、コギャル天使がにゅっと覗きこんできた。

 「起きたばっかで悪いんだけどさ、漂白剤と気付け薬使ったら意識コンダクとかないかとかなんで使ったのかホーコク書出さなくちゃいけなくてさぁ~、ごめんだけど今から質問答えてね」

 俺が了承する前に質問が始まった。

 「じゃあ一個目の質問~!うちの事、わかる?」

 「わかる……さっき会った……」

 「ピンポンピンポンピンポーン!正解!!りょーかい、倒れる前の記憶はあるね。

 じゃあ質問二個目!なんか見つけた時には倒れててゲロヤバだったんだけどぉ、何があったかわかる?」

 何があったのか。

 「ゲロヤバって何……?」

 「覚えてない?キミがヤバイってパイセンに呼ばれてさぁ、慌てて降りてきたら倒れてて、黒ずんできててこれヤバすぎではって思ったらパイセンが天才だから漂白剤持っててさぁ、それでもんすごい洗ったらキレイになったんだけど全然起きなくてぇ、んでまたパイセンが試供品の気付け薬持ってて、とりあえず飲ませてみって飲ませたら起きてくれたの」

 

 説明の9割が理解できない。さっき質問してスルーされたがパイセンとは誰だ。その他もよくわからないが、倒れて汚れたから俺はパイセンに洗濯されたのか?

 自分の記憶をたどる。この子と会ったのは覚えている。何かの説明を受けて、どこかに向かったはずだ。記憶が虫食いのようになっていて微妙に思い出せず、さらにそこから先の事は全く覚えていない。何がどうして俺は倒れたんだ?

 返事のない俺を見かねてか、コギャル天使は少し顔をひそめて尋ねてきた。

 「大丈夫?わかんないことあったらなんでも聞いていいよ?」

 「なんでも……あ、そういえばここってそもそもどこでしょうか?」

 「え?学校の屋上」

 「学校……」

 「え、大丈夫?もしかして覚えてないの?ここ、二次試験の会場だよ!」

 彼女の言葉を変換できず、何度も反芻する。

 ニジシケン……?にじしけん……試験……――――試験!?

 

 「試験!」

 ガバッと起き上がる。コギャル天使が目を丸くしているがそれどころじゃない。

 「忘れてた!」

 先ほどまでの体調不良も吹き飛んだ。

 思い出した。彼女は二次試験の説明をしてくれて、俺ともう一人で試験会場に来て、俺はターゲットを探そうとしていたのだった。

 「やばい!!」

 「あ!ちょっとー!」

 コギャル天使の静止も聞かず屋上を飛び出した。


※※※

  

 最悪だ。

 

 「くそっくそっくそっ」


 誰にも聞こえないのをいいことに、俺は思う存分悪態をつく。

 一体自分はどれだけ寝てたのか。もうあの男はターゲットを見つけただろうか。急いで階段を駆け降りるが、結局どこに行けばいいかわからないことに気付き、『2』と壁に表記された踊り場でぐるぐると回る。

 

 「あ!そうだ!紙!」

 

 二次試験案内の用紙があったはずだ。あれに何か情報が書いてなかったかとポケットを漁るが今度は紙が見つからない。

 焦りと不安で頭が熱くなる。ポケットに入れたはずなのにない。何故だ、と考えて先ほどのコギャル天使の言葉がよみがえった。

 

 ーーーパイセンが天才だから漂白剤持っててさぁ、それでもんすごい洗ったらキレイになったーーー

 

 もしかしたら洗濯された際に紙をポケットから出されたのかもしれない。

 それに万が一紙を失くしてもコギャル天使は二次試験の試験官のはずだ。予備の紙を持っているか、もしくは彼女自身が何か教えてくれるかもしれない。そう思って降りてきた階段を引き返そうとしたその時。

 男子生徒の怒号が階下から響いてきた。


「ふっざけんなよ!」


 驚いて下を見ると、三人の男子生徒が誰かを取り囲みながら上がってきていた。


 先頭にいた明るい茶髪の男がイライラと髪をかき、後方を歩いていた真ん中の地味な男に怒鳴った。

  

「なんで焼きそばパン買えねーんだよ!しかもなんで代わりにシナモンパン買うんだよ!俺シナモン嫌いなんだよ!」

「え、ごめん。でも知らなくて……。それに、飼ってる犬の名前ってシナモンじゃなかったっけ?」

「犬の名前だからって好きじゃね―――よ!!だいたいシナモンの名前つけたの妹だし!俺じゃねーし!俺ティアラって名前にしたかったし!」

「そうだよ重やん犬のシナモン大好きだけど食いもんのシナモン嫌いなんだよ。覚えとけよぉ。犬のシナモンにはメロメロだけど食いもんの方はマジでNGなんだよ」


 重やんと呼ばれたシナモン嫌いの怒声に、地味男の右にいた耳がピアスだらけの男がそう言った。すると地味男の左にいたパーカーを着た男もうんうんと頷いて地味男に言った。


「そうだよそうだよ、しかもシナモンパンとか好き嫌いけっこう分かれるもん買うんじゃねーよ。アンパンとかクリームパンとか買ってこいよ」

「いや、俺アンパンもクリームパンも嫌いだし」

「マジかよ重やん」


 重やん好き嫌い多すぎだろ。そんなに偏食家なら自分で買いに行け。俺は屋上に戻るのも忘れて重やんファミリーをまじまじと眺めてしまった。


「ご、ごめん」

「ごめんじゃね―――――――よ!俺の昼飯どうすんだよ!あと十分も昼休みねーんだぞ!?だいたい来るの遅ぇーんだよぉ!」

「え、でも教室にいなかったのは重井くんじゃない……。僕だってすごく探したし……」

「腹が痛かったんだよ!」

「お腹が痛くてなんで教室から一番離れたトイレに行くの?教室の隣にトイレあるじゃんか」

「おい小池、それ以上重やんを言葉責めするんじゃねぇよ。察してやれよ」


 小池と呼ばれた地味男の言葉を遮るようにピアス男が発言し、重やんこと腹痛野郎を庇う。すると同調するようにパーカー男もうんうんと頷いた。


「そうだよそうだよ、もしでかい屁でもしたらクラス中に聞こえるじゃねーか。重やんそんなことなったら明日から不登校になっちゃうだろぉ?」


 重やん腹もハートも繊細すぎるだろう。そんなガラス製が人をパシんな。心の中で突っ込みを入れながら重やん劇場を見ていたが、ふとピアス男が言った言葉に何か引っかかりを覚えた。こちらに近づいてくる四人のうち、重やんファミリーが囲んでいる地味男をまじまじと眺める。どこかで見たことがある気がする。

 

「もしかして……」

 嫌な予感がした。そうこうしているうちに四人は俺を通りすぎてどんどん階段を上って行っている。

 「あ~腹減って死にそう。とろとろすんな!早く食わねーとマジで時間ないぞ」

 「だ、だったら教室で食べれば良かったじゃないか……なんでわざわざ屋上に行くの?」

 「うるっせーよ!天気がいいから屋上で食べたいんだよ!アホ!!」

 ロマンチスト重やんに怒鳴られ地味男が縮こまっている。どうやらこいつらも屋上に行くつもりらしい。

 

 一緒に行きたくないが、俺も屋上に行かなくてはいけない。ここでうだうだしていても無駄な時間がかかるだけだ。

 少し迷ったが、彼らの後ろを着いていくことにした。

 


 

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る